第3章(1)
また、ここに来てしまった。
新樹庁についた俺は、フライトをポートに預けてニースの元に向かう。
人間たちに先に着替えをするように言われたので、前と同様、着せ替え人形のように扱われながら身なりを整えられる。
謁見の間を前にして、緊張に足を止めた。
先日の仕事を終えたあと、俺は明らかにおかしくなった。
みんなに、余計な手間をかけさせた。
また同じことが起きないか。
――考えても仕方ない。
意を決して絨毯を踏む。
壇上には椅子がひとつ。上品に膝を揃えてニースが座っている。
相変わらず彫刻のように整った、美しい——そしてどこか冷たい微笑みを浮かべて俺を見下ろす。
「ようこそ、ハーベスト」
俺はとりあえず膝をつき、頭を垂れる。
「あら。礼儀作法を習ってきたのですか」
「…………」
どこで覚えたのかはわからないが、上位の存在と話すときはこうすべき、というのは知っていた。
判断が功を奏し、ニースは機嫌良さそうに「頭を上げなさい」と言った。
「調子は戻りましたか。具合が悪そうだから、ゼノが休暇を与えたと言っていました」
休暇?
一瞬意味がわからなかったが、数ヵ月前のことを思い起こす。
仕事のあと、ぼんやりしていた俺は美術館に投げ込まれた。
レムやロミが必死で介抱してくれたわけだが。
あれが、休暇?
ゼノはそういう話として、上奏していたのか。
「はい、おかげさまで……」
そう答えると、ニースは満足げな顔をした。
「では、次の仕事ができますね。ちょうどよい頃合いなので、呼びに行かせたんです」
そこにはいなかったみたいですけど、と言われて身が凍る。
「美術館では気が休まりませんでしたか?」
「いえ、そんなことはありません」
――間違えられない。
俺は強い緊張のもと、短く言葉を返す。
「迂闊な行動をして、すみませんでした」
「わかればいいです。次から気を付けてくださいね」
柔らかい微笑み。
どうやら今回は、見逃してもらえたらしい。
ニースはあっさりと本題へと移る。
「今回から、本格的にプロジェクトを開始したいんです。あなたには適正がありそうですから」
……適正? なにを根拠に。
疑問に思いつつも、口に出せない。
俺の遠慮がちな視線に気付き、ニースはクスクス笑う。
「あなたが仕事をしたあとのトライフルでは、おもしろいことが起きました」
手を合わせ、着火の動きをした彼女は、混ぜた光をこちらに飛ばしてきた。
数歩先の床上で、ふわりと広がる。
不思議なことに、そこにはどこかの空が映し出されている。
遠くに映る陸地に、見覚えのある地形と白い街並みが見える。
そこからズームアップし、視点が街に入り込んでいく。
曲がりくねった街路を抜けていき、やがて立派な建物の前に辿り着く。
灰色がかった外壁。三角が連なる刺々しい屋根。丸い窓には印象的な幾何学模様が彫られている。
美術館か。それとも劇場か。
派手だが格式高そうなその建築に、わずかに興味が湧いた。
「これは聖堂です」
「聖堂?」
思わず問い返してしまう。
「人が、何かに縋るための場所です」
ふと映像が霧散する。
それを見せたかっただけなのか?
ニースは穏やかな微笑みを湛えながら、不思議なことを命じてきた。
「あなたはこの聖堂の屋根に、フライトで降り立ってください。人が集まって、ひれ伏したら……その中心に立ちなさい」
集まって、ひれ伏したら?
何故そうなるのか、よくわからない。
「詳しい内容は、ナビに入力しておきました。必要なことはナビが言います。あなたは口を閉ざしておきなさい」
ニースは淡々と指示を追加する。
「ナビに言われた通りに動きなさい。それ以外は裁量を与えます。あなたが適当だと思うことをしなさい」
以上です。
冷たく締められる。
以前もそうだったが、指示は明瞭だ。口を挟む余地はない。
何故それをやるのか。その後どうなるのか。
そこまで説明されることはないらしい。
……まあ、仕方ないか。
これがここのやり方らしいから。
俺は不満ながらも一礼をして、謁見の間を後にした。
「うまくやれたみたいじゃねえか」
ポートで再会したゼノが、何故だか称賛の言葉を寄せる。
首をかしげていると、何かが投げて渡された。
「褒美だ。ニースさまから。裁量を与えるんだと」
両手で受け取ったそれをよく眺める。
錬石だ。
先ほどバルマーがくれたものよりも複雑な形をしている。
六角柱の結晶が、平行に連なっている。
淡い黄色と紫でグラデーションを作っている。
「食べてもいいんですか?」
「ああ」
許可をもらえたので口に運ぶ。
よく咀嚼して砕いていくと、全身に力が送られていく感覚がある。
「お前はなかなか賢明なやつだな」
意外な言葉を聞いた。
ゼノが褒めてくるなんて、何が起きたんだ。
たぶん、ニースとの謁見のことを言っているんだろう。
そんなに俺の対応はよかったのか?
「何がよかったんですか」
後学のために尋ねてみる。
しかし、駄目だった。
「そのくらい察しろ」
一言で返される。
「……はい」
不承不承、引き下がる俺。
もう少し親切にしてくれないかな。
俺なりに頑張ろうとしているんだから。
「行くぞ」
ゼノが踵を返したので、それに倣って歩き出す。
向かったのは、ポートに並んでいるフライトのもとだ。
「ハーベストさま!」
フライトの頭に、懐かしい姿があった。
ナビだ。
小さくて可愛らしい妖精種が、ちょこんと立っている。
「ナビ。今回も手伝ってくれるのか」
「はい、よろしくお願いします!」
快活な笑顔に、心が和む。
次は危険な目に遭わせないようにしなくては。
小さな決意と共に、フライトの手綱を握る。
ものすごい風圧と共に飛び立ったゼノは、前回と同じ航路を取った。
樹の内部を通り抜け、世界の裏側――トライフルに向かう。
「ハーベストさま!」
移動の最中、ナビが満面の笑みでこちらに寄ってきた。
「ナビはハーベストさまにお礼を言いたいと思っていました」
「お礼?」
何かしたかな。むしろ前回の失態を責められるほうがありうると思っていた。
ナビは赤い瞳をキラキラさせながら、なんとも嬉しそうに語る。
「ナビは前回の業務が評価され、改良型の作成が決定したのです!」
「……はあ」
なんだそれ。理解が追いつかない。
反応が薄い俺に、ナビは言葉を重ねる。
「ナビ・ベータの開発が決まったのですよ!」
そう言われても、わからない。
「……それは良いことなのか?」
「はい、もちろんですよ!」
ナビによると、錬成種というのは、同じ系列名の個体が増えれば増えるほど、有能だと評価されたことになるらしい。
「いま一番優れているのは、フライトです。フライトは量産型が無数にいますから」
旧樹院の室内にズラリと並んでいたあれか。
俺のフライトに比べて愛嬌のないやつだ。
「ナビもハーベストさまに一生懸命仕えて、量産される日を夢見ています」
「…………」
俺はつい想像してしまう。
フライトのように、少し大きく作られたナビがズラリと並んでいる。
俺を見て全員がにこりと笑う。同じ口角、同じ角度で首をかしげ、無機質な目で見下してくる。
それはニースのような冷たい目だった。
「俺は今のナビが好きだな」
「えっ」
「増えないでほしいし、あまり変わらないでほしい」
その言葉に、ナビは困った顔をした。
「ハーベストさま。それはナビがポンコツのほうがよいと言うことですか」
「いや、そうじゃない……」
悲しそうな顔で、震えているナビ。
俺は無神経なことを言ってしまったらしい。
「すまない。忘れてくれ」
「はい! 会話データを消去します!」
再び快活な笑顔に戻るナビ。
「今回もお役に立てるよう頑張ります!」
期待した反応が返ってこない。
ふと、ライズに言われたことを思い出す。
『だからね、きみは妖精種の心配なんてしなくてもいい』
あのときは、冷たいなと思ったのだが……確かにそうなのかもしれない。
俺はもう少し情報を集めて、判断を下すべきだ。
それがこの極限の環境で、うまく立ち回るコツなのだろう。
視界が開けると共に、鮮やかな空の色が目に入る。
一目でわかる。俺たちはトライフルに着いたのだ。
着くなりゼノから鋭い言葉が飛んでくる
「任務はわかっているな」
「はい」
……たぶん。
詳しい場所とかはナビに入力されているだろうから、大丈夫だろう。
「今回俺は、別の仕事がある。フォローしてやれないから、うまくやれよ」
「は、はい。わかりました」
監視がないのか?
俺は不安よりも先に喜びに包まれる。
それなら少しくらい失敗しても怒られないだろう。
……そんなに甘くはないと思うが。
雲になって消える量産型フライトを見守った後、俺は安堵の息をつきつつナビに尋ねた。
「俺の任務を教えてくれるか」
「はい、任務を復唱します!」
ナビは威勢良く手を上げてから、すらすらと語り始めた。
「今回の任務は、フォレスティア国首都ウィディアにある聖堂屋根への着地です。人を集め、ひれ伏すのを待ちます」
「それ、よくわからないんだよな。屋根へ着地したら、人が集まるのか?」
まあ、フライトは珍しい生き物に見えるだろう。外敵に見えるかもしれない。派手に着地すれば、人を集めるのは容易かもしれない。
「集まったとしても、ひれ伏すかはわからない。このトライフルには、再構成体の権威は届いてないんだろう?」
以前来たとき、船上の人間たちは不躾に俺を指差していた。
屋根の上にいたところで、同じような反応をされるんじゃないか。
「情報によると、なにか刺激があれば、ひれ伏す可能性が高いそうです」
「どうしてだ」
「前回の遭遇以降、フォレスティアの人間の一部に、ハーベストさまに対する認識の変化があったそうです」
「認識の変化?」
どういうことだ。
前回の遭遇というのは何を指している?
姿を見られたのは、船にいた人間だけだ。
あの船は、無事に帰還したんだろうか。
津波により半壊していたが……。
「ひれ伏したら、人間の中心に降り立ちます。ハーベストさまがやるべきなのはそれだけです」
あとは口を閉ざして、ナビの誘導に従ってください。
淡々と語った部分、そこが今回の不安要素だ。
「その部分、なんと入力されているんだ」
そう問うと、ナビは困った顔をした。
「ハーベストさまには閲覧権限がありません」
「閲覧権限がない?」
「はい、ありません」
「…………」
気味が悪い。一体何をさせる気だ。
期待に応えられなくて、ナビはすっかり消沈してしまっている。
「申し訳ありません……」
問い詰めようかとも考えたが、それはかわいそうな気がした。
ナビだって意地悪で言っているわけではない。
「人間に危害を与えることか?」
「ナビが命じられているのは、そのような内容ではありません」
なら、いいか。
「その聖堂まで、フライトを飛ばせるか?」
「はい! もちろんです」
考えても仕方ない。とりあえず行動する。
……俺の体に染み込んだこの癖。今回も、裏目に出ないとよいのだが。
フライトに雲化させて、街に近付く。
遠目に見ていたよりも、古びた印象が強い街だった。
海沿いなのが影響しているのか、建物にはひび割れが多い。剥き出しの鉄筋は錆びているし、塗装に黄ばみが多い。
そんな街並みの先に、件の聖堂があった。
ニースのもとで見た通り、刺々しい屋根が連なり、背後に長塔を背負っている。
長塔は、時計が付けられていた。ということは、この街の中心的な役割を負っているのかもしれない。
「この街の人口はどのくらいだ?」
「データによると、二十万人ほどです」
ゾッとした。
たぶん、今のベルフォートよりも多いぞ。
山の斜面にも転々と建つ家々を眺めながら、俺は聖堂の上を旋回する。
「そんなにたくさんの人間から注目されて大丈夫か?」
「何を危惧されているのでしょう」
「いや、その……」
俺は想像する。
例えば、外敵と見なされたら?
球体を落とすところを見られたかもしれない。
津波を起こした危険個体と認識されていたら?
二十万の民が襲いかかってきたらどうする。
身を守ることはできるだろうか。
「…………」
悩んでいたら、また遅いと言われるかもしれない。
俺は意を決して雲化を解除し、聖堂の三角屋根にゆっくりと着地した。
もっと派手に降りるべきだったかな。
聖堂の前は人通りが少なく、騒ぐ人間は少数だった。
反応は前と変わらない。こちらを指差して慌てふためいている。
腰を抜かしている者もいた。
そんな大層な存在じゃないのに。大袈裟だな、と思う。
しばらくすると、人が集まってきた。
呆然と見上げる者が多かった。
聖堂前は広場になっていたから、たくさんの人間が集えた。
建物の上階の窓から見ている者もいた。
見てはいるけど、ひれ伏してはいない。
「ええと、ナビ。いつ降りたらいいんだろう」
「ひれ伏したら、と命じられています」
「これはひれ伏してる?」
「伏してはいません」
「うーん……」
どうしよう。困ったな。
腕を組んでいたら、ナビが提案してきた。
「刺激があれば、ひれ伏す可能性が高いという情報があります」
「刺激?」
「なんでも良いです。なにかきっかけがあれば、人間は反応をします」
きっかけか……。
俺はイメージを膨らませた。
屋根の上にいる謎の生物が、どんな行動をしたら驚くかな。
「なあ、フライト。翼を広げてくれるか? こう、大きくバサッと」
フライトはこちらを振り向き目を細める。
そして依頼通りに、バサッと翼を広げた。
どよめきが聞こえた。
風圧で、街のものが吹き飛ばされている。
洗濯物や、木の桶といった軽いものだったが。
すると、信じられないことが起こる。
ひとりが地面に膝をつく。両手を高く掲げてから下ろし、地面に額を擦り付ける。
するともうひとり、またひとりと同じ行動をするものが現れる。
波のように、それは伝播した。
今まで見たことがない、異様な光景だった。
「ハーベストさま、今です。降り立ちましょう!」
「ああ……」
手綱を握る手が震えた。指が滑り上手く引けない。
なにが起こるか、まるで予想ができなかった。
フライトはゆっくりと地面に近付く。
風圧に耐えられない人々が、退いて広場に空間を作ってくれる。
注目されるなか、フライトは着地した。
……静かだ。
ものすごく、静かだ。
どうするんだ。フライトからも降りるべき?
緊張のあまり、目の前がくらくらする。
「降りてください、ハーベストさま」
そう耳打ちされたので、俺はぎこちない動きでフライトから降りる。
人間はまたひれ伏した。
近くで見ると、その光景は異様さが増す。
両手を地につくもの、額の前で握るもの、色々いたが、みんな小刻みに震えたまま地面に顔を向けていて、頭を上げない。
どうすればいいんだ、これ。
静かなまま、気まずい時間が流れる。
ナビを見たが、表情を消して静止していた。
何気なく辺りを見回す。
降り立ったのは聖堂の目の前だ。
思ったよりも大きい。開かれた扉の奥は暗くて見えない。
「聖人を、お迎えにこられたのですか……?」
遠慮がちな声が聞こえる。
振り返ると、立派な服を着込んだ老人が頭を上げていた。
「聖人?」
反射的に聞いてしまって、俺は慌てて口を結ぶ。
喋るなと言われていたんだった。
「聖人の遺体は、安置してあります。あなたが来られるのを、お待ちしておりました」
「案内しなさい」
突然、ナビが発言する。
普段の可愛らしい声ではない。冷たく、機械的な声だ。
びくと体を跳ねさせて、老人は立ち上がる。
「もちろんです」
低い姿勢のまま、老人は聖堂へ向かう。
何人かが同様に腰を上げ、老人に怖々とついていく。連鎖するように、人々も頭を上げた。
俺を見ている。
なにか眩しいものを見るように、目を細めている。
ベルフォートでも、最初はこんな視線を送られたものだけど。今では誤解は解け、気さくに接してくれる人が増えた。
だけど今回は。
言葉を封じられた俺には、何の弁明もできない。
諦めのもと、老人の背中を追う。
妙な歓声が背後で沸き起こったのが気になった。




