第3章(3)
異変を感じ取ったのは、俺だけではなかった。
群衆もざわめいて、山のほうを見た。
雲が渦を巻いている。にわかに空が黒ずんできて、山の頂きを冠するごとく、雲が取り巻き始めている。
ガクンと地面が揺れた。
悲鳴が響き渡る。
しかし、誰もが動けない。次に何が起こるかわからないからだ。
「何なに? 地震?」
とぼけた声を出し、背後からひょこっと顔を出したキトが、空を見上げて押し黙る。
「……なんだよ、あれ」
説明を求められるが、俺にもわからない。しかし、わからないと言うのもまずいだろう。
「て、天使様……あれはなんですか」
「邪なるものですか?」
先ほどの老人たちが駆け寄ってくる。
キトはうまくその集団から身をかわして、何食わぬ顔で野次馬に紛れている。
「ええと、あれはだな……」
ナビを見た。彼女は額から汗を伝わせていたが、平然とした顔でこう言った。
「あれは邪なるものです。これから、あなた方には試練が与えられるでしょう……」
おいおい。何てことを言うんだ。
「試練?」
「試練とは何ですか?」
あっという間に広場は大騒ぎになった。
逃げるもの。崩れ落ちるもの。中でも困ったのが、俺に取りすがろうとする人間たちだ。
「天使様」
「お助けください」
「どうすればよいですか」
頭が割れそうだ。
俺はフライトに意識を向ける。
すぐに気が付き、ギラリと目を光らせた飛龍は、翼を広げて人間を威嚇した。
「ハーベストさま、ご指示をください。非常時につき、裁量権が拡大されます」
ナビが耳元で囁く。
「俺になんとかしろってことか」
「その通りです」
威嚇の結果、フライトまでの道が開かれている。俺は弾かれたようにそこを走り抜け、背に飛び乗る。
まずは現状を確認しなくてはならない。
飛龍は翼を広げる。手綱を引くと、素早く地を蹴り空へと上る。
上から見下ろすと、さらに禍々しい様子が見えた。
渦を巻いた雲の中心部、山頂付近に黒い塊が根を張っている。
以前津波を起こした球体に似ている。
ドクンと震えると共に地震を起こしている。
今度は地震で人間を苦しめるのか?
「ナビ。今回は球体を受け取っていないよな」
前と同じなら、同じ座標にもうひとつ球体を落とせばいい。
さすがにそんなわけがないか。
しかし帰ってきたのは、ひどく気の抜ける答えだった。
「ありますよ」
「えっ、どこに?」
「ここです」
ナビは長い袖から何かを取り出す。
胡桃によく似た形の小さな球体。
干からびているのか、以前受け取ったものとは見た目が違う。
「ナビの任務のために受けとりました」
「それって、俺には閲覧権限がないんだっけ」
「今は非常時なので、閲覧可能です」
ああ、裁量権が拡大されますと言っていたな。
どうして非常時だけなんだよ。
若干の気味悪さを覚えつつ、尋ねてみる。
「元々の任務は、どんなものだったんだ」
「人払いし、人間の目に触れないところで……聖人とされる遺体に、これを埋め込む予定でした」
遺体に埋め込む?
落とすのではなく?
俺は必死に思考を巡らせた。
いくら鈍い俺であっても、ニースの依頼の意地の悪さには、さすがに気が付いている。
以前の依頼は、災害を起こす球と、鎮める球を渡していた。
言われた通りに最速でこなしたら、全く被害が出ない仕組みだった。
俺が穿った見方をして、躊躇したら――加速度的に被害が増加する。
「落とせとは言われていない……」
任務の内容は、遺体にこれを埋め込む。
ならば、今からでも言われた通りにすればいい。
しかし、本当にそうなんだろうか。
本当に落とすだけじゃ駄目なのか。
「ハーベストさま。いかがいたしましょう」
「これをあそこに落としたら、どうなるかな」
「前回と違い、効果が同じとは限りません。しかし、同様に相殺される可能性はあります」
「可能性はあるのか」
「あります」
以前と同じ回答なのに、今度の俺は躊躇した。
ニースの指示と違う。
そんなことをすれば、取り返しのつかないことになるんじゃないか。
『さっさと落とさないから、こうなるんだよ』
ギリギリと胃が痛む。再構成体の俺にも、人間のように痛む胃があるらしい。
――ニースに言われたことを、その通りにやれ。
最速で。
遅れれば被害が出る。
それは全部、俺のせいだ。
……ゼノは、そういう顔で言っていた。
単純な俺は、本当に俺のせいだと思ってしまう。
そういう仕組みになっている。
逃れられないものとして、それは俺の前に立ちはだかっている。
ドクンと地面が揺れる。
山の斜面に点在していた建物が、煙をふいて崩れる。
青々としていた木々が、急速に茶色く染まっていく。
枯れ葉が舞う中、地を這い進む影が見える。
なんだあれ。
気を取られている間に、俺は機会を逃してしまった。
山の頂きに視線を戻したとき。
そこにあったはずの、黒い心臓が――忽然と姿を消していた。
「ない……」
絶望の言葉が、口をつく。
「移動したようです」
そんなのありかよ。
同じ座標に落とさなければ、相殺できないかもしれない。
最速で解決できそうな選択肢が消えてしまった。
俺が躊躇していたせいで。
「…………」
深く息をして、どす黒い気持ちを吐き出す。
後悔していても仕方がない。
眼下を見回していると、派手に煙が上がるのが見える。
フライトの手綱を引く。そちらに向かわせる。
そこは住宅街だった。
瓦礫の海が広がる。その中に、不自然に円形に何もない場所がある。
逃げ惑う人がいた。
その円形の広場に数人が足を踏み入れた瞬間、バクンと大地が盛り上がり、人々を挟み込んでしまった。
「なんだあれ……」
目の前に、巨大な球体がある。
黒ずんだ、弾力がありそうな球体。
真ん中に歯のようなギザギザがあり、咀嚼するようにモグモグと体を揺らしている。
「化け物――」
人々は悲鳴を上げて逃げ惑う。
何なんだこの物体。
球体の根元には、植物のような蔓と葉が見える。
モグモグと体を震わせながら、その球体は地面に潜り始める。
地中を移動するのか?
俺はナビに言った。
「取り込まれた人間を救えないのか?」
俺には戦う手段がない。
ゼノがやっていたように、槍を出したりはできない。
指先を擦る。
錬石を食べた影響か、人差し指と中指が強い光を放っている。
白と黄色。これを混ぜたら何が起きるのか。
「攻撃をしてみましょう。吐き出すかもしれません」
ナビはそう言って、白と黄色の光を混ぜるように言った。
「白は光。そして黄色はそれに切り裂く力を与えます。ハーベストさまは雷を扱うことに適性があります」
雷?
荒天のときに空から落ちるあれか。
「光を混ぜ、イメージしてください。雷鳴が轟き、敵は焼け焦げます」
宣言してください。
ナビの言う通りに言葉を紡ぐ。
「――『発雷』!」
激しい光がほとばしった。
目を焼くほどの黄金の光が、球体に向けて放たれる。
破裂音が響き、球体が破れる。
中から人間が散らばった。
生きているかはわからない。
「倒したのか?」
「いえ、ハーベストさま。蔓と葉が残っています」
移動しているだけかもしれません。
そう言われ、俺は再びフライトの高度を上げた。
「全部を焼かないと駄目なのか」
俺は息をついた。
自己錬成は、エネルギーの消費が激しいと言っていた。
蔓は街に広がってしまっている。
おそらく最初の地震は、球体が地中に蔓を伸ばしていたために起きたのだろう。
それを焼き尽くせるほどに、エネルギーが続くとは思えない。
――あの小さな石をふたつ食べたくらいで。
目を凝らしていると、あの球体が出現する予兆は見える。
地を揺らし建物を粉塵に変えたのち、円形の影が足元に浮かび上がる。
何もない安全地帯に見えるその場所へ、人が踏み込んだ瞬間――捕食のために現れる。
「――『発雷』!」
タイミングをあわせて、俺は術を放つ。
破裂音がして、魔物は姿をくらます。
「天使様!」
「ありがとうございます!」
人々がフライトの足元に群がる。
相手にしている暇はない。
あの球体は、また街のどこかに現れる。
これを何度も繰り返せるほど、俺の指先の光は強くない。
その後三回目の発雷を放ち、指の光は明らかに減衰した。
このままじゃ駄目だ。
俺の枯渇と共に、街は地獄と化す。
どうすればいい。
どうすれば。
俺が思考停止しそうになっていた、そのときだ。
「ハーベスト!」
名前を呼ばれるのが聞こえた。
高台の上から街を望む俺の周りには、人間たちが集まっていたのだが、その先頭に見覚えのある姿がある。
跪き、まっすぐ俺を睨み付けているのはキトだった。
彼はよく通る声でこう言った。
「試練ならなんでも受ける。――俺は何をすればいい?」
体が痺れた。電撃を受けたようだった。
キトの表情は、以前見たあの人間によく似ていた。
『そういう面は誰でもあるだろ。俺だって、その現場にいたら同じように言ったかも』
彼の自己評価は正しかった。
キトは俺に影響を与える人間だ。
全力でなにかを成そうとする顔。
それは、ぼんやりと生きてきた再構成体の俺にはできない顔だ。
「キトライド。頼みたいことがある」
俺は反射的に口走る。
「これを受け取ってほしい」
左手に握っていた、例の球体――干からびて胡桃のようになったそれを、キトに向けて放る。
「お前の友人の体に、それを埋め込め。それがお前の試練だ」
俺にはできそうにない。
キトの思いを無下にすることができない。
彼の友人を人間に戻してやるという、望みを叶えてやりたかったからだ。
だから俺は、ズルいことをした。
ニースとなにも変わらない。
ひどい選択をキトに押し付けた。
キトは胡桃を受け取り、一瞬だけ静止したが、すぐに駆け出した。
「ナビ。キトをサポートしてくれ」
「わかりました!」
快活な返事をして、ナビが後を追う。
住宅街に、再び異変が起こる。
地震により崩壊する建物。
そして平地に円形の影が現れ……。
「あと何回撃てるかな」
指先の薄い光を見てぼやく。
やれるところまで、やるしかない。
少しでもダメージが通っていればよいと願いながら、俺は四度目の攻撃を与える。
右腕に、細い亀裂が走るのがわかった。
『どうしてこんなになるまで放っておいたの』
またライズに怒られてしまうかな。
意識が薄まるなかで、そんなことを思う。
たぶん、あと一回が限界だ。
次を撃てば、どこが壊れるのかもわからない。
全てを捨てて、フライトで逃げ帰ることもできるけど……俺にはできそうにない。
責任をとらなくてはいけない。
迷惑をかけた責任を。
再び高台から、街を見下ろす。
敵が現れるのを待つ。
地響きが起こり、建物が崩れた。
敵には知能があるのか、避難民が多くいる場所を狙ってくる。
俺が指示をして、分散させた方がよかったのかもしれない。
しかし、そうすると敵が出てくる場所の予想が難しい。
最善策を見極めるのは、無理だ。
円形の影が現れる。
フライトの手綱を引き、発雷が届く場所に近付く。
「フライト。俺が意識を飛ばしたら、俺を捨てて帰るんだぞ」
呟くと、彼はゆっくり振り返り、いつものように目を細めてみせた。
了承なのか、拒否なのか、わからなかったが。
逃げ回る人間の前に躍り出て、魔物の出現を待つ。
そのときだ。
空気が変わった。
なにか違う空気の渦が、近くに発生した気がする。
空気の流れに沿って、視線を向ける。
誰かが歩いてくる。
青白い光の渦をまといながら、人間が歩いてくる。
「聖人だ!」
「聖人がお目覚めになった!」
歓喜の声を背負いながら、彼はふらふらと歩き続ける。
ひどい臭いがした。
腐っている。
綺麗に施されていた化粧は剥がれ落ち、半開きになった瞼や口の端から、どろどろと液体が垂れ流されている。
神秘的とは言いがたいこの光景に、人間たちは歓喜していた。
聖人に跪き、手を合わせ、祈りを捧げている。
その後ろにキトがいた。
彼はぼんやりとしながら、変わり果てた友人の姿を見守っている。
ひどいことをさせてしまった。
胸が締め付けられたが、どこか安堵している自分もいた。
聖人は歩いていく。
円形の影に向けて歩いていく。
円の中央に立ち、天を仰いだ。
そして、大きく腕を広げて――
バクン、と魔物の口に飲み込まれてしまった。




