第4章(1)
――またやってしまったらしい。
遺体が球体に取り込まれたあと、 魔物はあっさり消えた。
気が付けば、街を覆っていた蔓もなくなっていた。
歓声に包まれるなか、安心してしまった俺は……意識を飛ばしてしまった。
気が付いたら、ベッドの上だった。
泣き腫らした顔のレムと目が合う。
反射的に謝って、また怒られた。
もう黙って出ていかないでくださいと懇願されてしまった。
「今回は、龍が届けてくれたんですよ」
レムは語った。
「とてもお利口な龍でした」
俺のフライトだ。意識を飛ばしたら、捨てて帰るように言ったのに。
「樹上のものでも、ハーベストさまを気遣ってくれる存在がいるんですね」
レムは少しホッとしていたようだった。
今回も、俺が消えていたのは一週間ほどだったらしい。
体感では、一日程度な気がするのだが。
トライフルに行き来すると、数日が進んでしまうのかもしれない。
あそこは明らかに、コンフィズリーとは別の世界だから。
「今回は、すぐに目を覚ましてくださってよかったです」
「一ヶ月じゃないのか」
「はい、三日ほどです」
エネルギーを使い果たさなかったからだろうか。
右腕に亀裂は走っていたが、この程度なら自然治癒してくれる気もする。
レムはロミを呼んできた。
「地塗りを進めておきました」
もう乾いています、と語る。
「ハーベストさまは病み上がりなんですよ。すぐに仕事の話をしないでください」
「そのほうが、落ち着くと思ったんです」
「そんなわけないじゃないですか。休むのが一番です」
そうですよね、と問われたので、俺は腕を組み考える。
「…………」
正直良くわからない。
ただ、あの絵を最後まで描かなければと思っている。
「とりあえず、作業してもいいか?」
そう答えると、レムは不機嫌な顔をした。
「やっぱり、ロミのほうが……あなたを理解しているんですね……」
レムは俯いたまま、黙り込む。
しまった、と思った。
無神経なことを言う癖は、まだまだ直らないらしい。
「ハーベストさま」
スケッチブックを眺めながら、色を選んでいたとき。
ロミがゆっくりと近付いてくる。
「今回も、樹上に呼ばれたのですか」
「ああ、そうだが」
「危険なことはなかったのですか」
危険なことはあった。
前回よりも危険だった。
しかしロミは前回よりも、穏やかな顔で俺を見ている。
「褒美が送られてこないので、安心していたんです。今回は、危険な仕事はなさっていないのかと」
「……!」
気が付いたときには、ボウルを落としていた。
集めていた鮮やかな青が、床に散らばる。
「どうしました?」
「いや、なんでもない……」
俺はボウルを拾い、再び同じ青を掬いにいく。
褒美がない?
褒美がないってどういうことだ。
何かがおかしい。
だが、何がおかしいのか分からない。
絵の具を練りながら、目まぐるしく思考を巡らせた。
失敗はしていないはずだ。
言われた通りにやった。
聖人に球を埋め込んだ。
それを魔物が食ったから、事態が終息した。
それで正解だったはずだ。
それなのに、どうして褒美が送られてこない?
胸がざわついた。
息の仕方を、一瞬忘れた。
作業に没頭すると、いくらかましになる。
津波や空は、無心で描くことができた。
この部分にあまり思い入れがないからだ。
あまりに熱中して描くので、スタッフたちはまた俺の心配をしていたようだ。
そして日々が経過し、一番描きたい部分に着手する。
人間の顔だ。
この絵の出来を左右する、重要な部分だ。
記憶に任せて手を動かす。
俺はものごとを記憶するのが苦手だが、それは興味が薄いものだけだ。
興味があれば、人並み以上に鮮明に記憶する。
人間の顔はみるみるうちに歪み、何かに追い詰められたような、強すぎる表情へと変わっていった。
観客たちが息を飲むのが聞こえる。
しかし、どこか違う。
その顔は、記憶にある男の顔ではない。
何故だか違う男の顔になっている。
彼と同じ表情で、俺に膝をついたあの男――キトライドの顔になっている。
「完成しましたね」
ロミが感嘆の声を出した。
「素晴らしい絵です。彼の意思が伝わるようです」
ロミはそう言ってくれたが、他の客は違うことを言った。
様々な感想を聞きながら、なるほどなと思う。
同じ顔を見ても、人間によって捉え方が違うのだ。
狙いとは違ったが、まあ良いやと思った。
この「強い感情」。それさえ表現できていたら、なんでもいい。
モヤモヤしていた気持ちを吐き出して、ようやく一息ついていた俺は、ふと気が付く。
褒美が無かった件について。
良く考えたら……俺は今回、任務をこなしていないのだ。
なぜなら、キトにやらせたから。
俺は――やっていない。
任務を、放棄した。
手にじわりと汗がにじむ。
ニースは怒っているかもしれない。
ゼノがまた、美術館を破壊しにこないだろうか。
無事作品が完成したというのに。
震えを抑えきれない俺を、レムとロミが心配そうな目で見つめていた。
新作の完成を新聞が報じてから、客足が増えていた。
俺に話しかけてくる人間も何人かいたが、いつものようによく覚えていない。
痛いくらいに、穏やかな日が続いていた。
それが、どうにも気持ち悪かった。
次の作品の題材を決めなくてはならないはずなのだが、レムが催促にこない。
どうしたんだろう。
まだ俺はどこかおかしいのかな。
もしかして、俺が発案するのを待っているのか。
前回、変に自分を出してしまったのが良くなかったのか。
スケッチブックと木炭を手に悩んでいたとき、背後から声がかけられた。
「やあ、ハーベスト。調子はどう?」
ライズだった。
彼は薄い微笑みを浮かべながら、スツールに座る俺を見下ろしている。
「ああ、別に、なんともないよ」
「……腕、見せてくれる?」
頷いてから、右腕の袖をまくる。
任務の際にできたひび割れは、既に消えていた。
ライズは安心したように息をつくと、背後にある新作に目を向ける。
なにも言わないということは、バルマーは大丈夫だったのかな。
俺は旧樹院で起きたことを思い出していた。
俺の傷を心配してくれたバルマーは、俺のせいでひどい怪我を負った。
あそこには錬石がある。食べれば、すぐ治るはずだが。
「…………」
聞こうと思えば、聞けた。
だが俺が気にしていることを知ったら、またライズは気にするなと言うだろう。
また俺に手を差しのべるかもしれない。
――ライズや旧樹院の人たちを、俺の個人的なトラブルに巻き込むべきじゃない。
内心、ひどくモヤモヤしていた。
それを知ってか知らずか、ライズは突然、強い口調でこんなことを言った。
「この絵は嫌いだ。気味悪い」
「え……」
貶されたのは初めてだったから、驚いた。
ライズは不機嫌な顔をして、さらに批判を重ねる。
「どうしてこんな絵を描いたの」
「どうしてって……」
取材でも似たようなことを聞かれた気がする。
なんと答えたっけ。
「描きたいと思ったんだ」
「……どうして」
「…………」
なぜだか、ライズは詰め寄ってくる。
俺は気圧されつつも、逆に気になった。
どうしてそんなに理由にこだわるのか。
なんとなく描きたいと思ったからじゃ駄目なのか。
反射的に俺は口を開く。
「そういう君は、なぜこの絵が嫌いなんだ」
好まれやすい題材かと言われたら、そうではないだろう。
胸が締め付けられる、見ていられないと言う人もいた。
しかし、気味悪いとは誰も言わなかった。
「なぜだ」
ライズは先ほどの俺をなぞるように、気圧された表情で押し黙る。
「…………」
責めたように映ったかな。そんなつもりじゃなかったんだが。
謝ろうと口を開くと、先にライズがポツリとこぼした。
「……わかんない」
「え?」
「なんとなく嫌だと思った」
なんだそれ。俺と同じじゃないか。
ポカンとしていると、ライズはひどく歪んだ顔で、新作を一瞥する。
「なんだか昔のぼくを見てるようで……」
「…………」
「きみは……そんなやつじゃないと思っていたから」
何を言われているのか、わからなかった。
ライズは津波に飲まれた経験でもあるのか?
なんとなく、そういうことではないような気もする。
しかし、いくら考えても意図がわからない。
「ごめん。勝手なことを言ったね」
ライズは歪んだ顔を薄い微笑みに戻すと、懐から何かを取り出す。
「今日はさ、そんなことを言いにきたんじゃないんだ」
差し出されたものを受け取った。
それは白黒の写真で、どこか広い建物内を写したものだった。
「これは何だ」
「これは風見鶏の食堂の写真なんだけど……」
風見鶏?
以前俺が描いた、歴史的建物のことか。
昔、この街にあった学園だとロミが言っていた。
「もしよかったらだけど。この絵を描いてくれないかな」
キャンバスじゃなくて、スケッチブックに。
妙な依頼だと思った。
だが他でもない、ライズの頼みだったから……。
俺は、深く考えずに即答した。
「いいぜ。今、ちょうど暇をしていたから」
ライズが立ち去ったあと。
受け取った写真を、まずはじっくり観察する。
確かに、食堂だ。
長々と直線に繋がる四列の机。
全てにテーブルクロスが敷かれている。
天井には星空のように細かい照明が煌めいていて、机の上には鉱石ランプが等間隔に置かれている。
「…………」
どんな色をしていただろうか。
俺は無心で線を引き、慣れた手付きで下書きを終える。
スタッフにパステルを持ってきてもらい、まずは適当に色を乗せていく。
白黒ではあるが、わずかな明暗の違いから、テーブルクロスや鉱石ランプが一様の色合いではないことがわかる。
しかし、クロスとランプは同じ色だ。この食堂はおそらく、七色で区画が分けられている。
なんとなく乗せた色を、指で馴染ませる。
うまく馴染まないので、布を使う。
すこし油を染み込ませたりして、馴染ませ具合を調整する。
どのくらい熱中していたのだろう。
何日経ったかはわからない。
いつの間にか紙の上には、七色の光が重なり合う、魅力的な景色が広がっていた。
ふと、手が止まる。
「それは何の絵だ」
「……!」
体が跳ねる。
全身がぞわりと粟立つ。
その声は最も聞きたくないもののひとつであり、振り返らずとも俺の体は反応していた。
「何の絵か聞いている」
「……風見鶏の、食堂だそうです」
声が震える。
「どうしてそんな絵を描いている」
「……知り合いに、頼まれました」
全感覚を耳に集中させ、指示を聞き漏らさないように努める。
「知り合いとは誰だ」
「ライズという、人間です」
「やっぱり、あの錬成種か」
重たい金属音が、すこしだけ下がる。
硬直状態が和らいだ俺は、恐る恐る振り返った。
どうしてゼノがここにいる。
どうして気が付かなかったのか。
こいつの足音は特徴的だし、侵入するときはいつも賑やかだ。
不意に背後を取られる可能性など、考えたことがなかった。
スケッチブックを取られた。
ゼノはあまり興味がなさそうにそれを眺めている。
「何の意味があるんだろうな」
そうぼやいてから、踵を返し、立ち去ろうとする。
「あ、あの」
思わず声を出してしまい、慌てて口をふさぐ。
振り返ったゼノは顔を歪めている。
「なんだ?」
「えっと、その絵は、どうするんですか……」
せっかく描いたのに。
ライズに見せられない。
また描けばいいのに、余計なことを言ってしまった。
「どうでもいいだろ」
当たり前だ。答えてくれるわけはない。
俯いていると、ゼノはさらに絶望する一言を放ってきた。
「そうだ。起きたなら登庁しろ。ニース様が前回の仕事について、言いたいことがあるらしい」
フライトを迎えに来させる。
そう言い残し、重たい足音と共に去っていくゼノ。
俺はしばらく動けなかった。
一体何を言われるのか。
全身を蝕む不安に、息ができなくなる。
そうしているうちに、フライトが来たと報告を受け取ってしまった。
――もう黙って出ていかないでください。
そう懇願されたのに。
結局俺は今回も、レムに挨拶すらできないまま、新樹庁へと飛び立つ羽目になってしまった。




