第4章(2)
ニースへ謁見を申し出ると、人間たちに捕まり正装に着替えさせられる。
この流れもすっかり慣れてしまった。
準備が終わった俺は開かれた扉の前にたたずみ、しばらく硬直した。
今度こそ、戻ってこられないかもしれない。
あの生首のようになってしまうかもしれない。
逃げられないか、一瞬だけ考えたが……。
駄目だ。すぐに連れ戻されるだろう。
そんなことをしたら、誰かに迷惑がかかるかもしれない。
深い息をついた。
意を決して絨毯を踏みしめる。
いつものように、ニースは美しい笑顔を浮かべていた。
暗がりにはあの生首もいて、目蓋を痙攣させている。
俺は膝をつき、頭を垂れた。
できることなら、このまま顔を上げたくなかった。
「ようこそ、ハーベスト」
頭を上げるように言われたので、仕方なく上げる。
「体調はどうですか。また倒れたらしいですね」
「はい……もう大丈夫です。申し訳ありませんでした」
「早く仕事に慣れてくださいね。休暇ばかり取られても困りますので」
「はい……申し訳ありません」
頭を下げて謝っていると、このままずっとこうしていたい誘惑にさらされる。
しかし、許されなかった。
「頭を上げなさい、ハーベスト」
すこしきつい口調が降ってきた。俺は慌てて姿勢を正して前を見る。
「本日は、あなたに言わなくてはならないことがあります」
背筋が凍りつく。
やっぱりなにか失敗したのか。
何が悪かった?
思考を巡らす俺を見て、ニースは妖しく微笑んだ。
「前回のことですが、……人間と話しましたね」
ギクリとなる。
キトと交渉したことだろうか。
非常時だから大丈夫と、ナビに聞いて判断したのに。
「すぐに理解できると思って、あえて言っていなかったのですが、わからなかったですか?」
何を怒っているのだろう。
具体的にどの部分が引っ掛かっているんだ。
目線が段々下がっていく。また頭が下がってしまい、注意が飛ぶ。
「頭を上げなさい。どこが問題だったと思うか、話してみなさい」
「…………」
前回の顛末を思い出す。
やはり一番引っ掛かるのは、キトを使ってしまったところだ。
俺がひとりでやるべき仕事を、キトにやらせてしまった。
「人間に、任務を、代行させてしまいました……」
申し訳ありませんと、また頭を下げる。
「それは良いのです。あなたに与えた裁量の範囲です。――問題はそこではありません」
ピシャリと言われ、俺は目を丸くする。
じゃあ何が悪かったんだ?
再び思考の海に溺れる俺に、ニースは短く息をついた。
「あなたの役割は、トライフルを導く神となることです。わかっていますか」
「……はい。なんとなく……」
理由はわからないが、そういうことをしたいのだろうということは、さすがに察している。
「あなたには非常時の裁量を認めていますが、それはその目的を達成するためです。他の理由ではありません」
「…………」
「それを大前提としたとき、あなたはしてはいけないことをしましたよね。わかりますか」
「………………」
俺は考える。正解を探し、記憶の海に飛び込む。
何が悪かった?
役割から逸脱したのはどこだ。
必死でもがいた結果、俺は一度ナビが真っ青な顔をした場面を思い出した。
「呼ばせました。名前を、敬称をつけずに……」
そのせいでキトは俺を疑っていた。
俺が気さくに話しかけたから。呑気に名前を尋ねて、お返しに自分も名乗ったから、そういう空気になった。
「あなたには威厳が必要です。軽視されるようなことがあってはならない。わかりますね」
「はい……」
「あの人間は、あなたを呼び捨てにしています。その関係は良くないです。わかりますね」
「……はい」
「あなたは、落とし前をつけなくてはなりません」
落とし前?
嫌な予感がした。
体が冷えてくる。呼吸に違和感が出る。
俺の予感はよく当たる。
ニースは妖しい笑みを浮かべながら、言葉を続ける。
それは恐ろしい内容だった。
「あなたに失礼な態度を取る人間。キトライドを、公衆の面前で――処刑しなさい」
「――!」
俺のせいだ。
俺がいらないことをしたから。
俺のせいで、また迷惑をかけた。
頭の中が後悔でいっぱいになり、息ができなくなってしまう。
「…………」
苦しい。苦しい。
しばらく、それしか考えられなかった。
あえぐ俺をみかねたように、ニースが厳しい声を出す。
「頭を上げなさい。ハーベスト」
ゆっくりと、頭をもたげる。
「あの人間が、質が悪いのは理解します。あの関係に持ち込むことで、うまく操縦できるようになったとも言えなくない」
「…………」
頭が麻痺していた。
うまく内容が入ってこない。
ニースがクスクス笑っている。
何が面白いのか、全くわからない。
「あなたはうまくやったと言えなくもないです。私はこの一件、評価もしているんですよハーベスト」
褒められている。どうしてこの状況で褒めてくるんだ。
意味がわからない。
表情を強張らせたままの俺に微笑みを向け、ニースは穏やかな声音でこう言った。
「あなたが望むなら、キトライドの対処は、あなたの一存に任せても良いです」
――これは褒美です。
彼女は妖しく笑った。
「一存、とは……どういう意味ですか」
俺は冷静に聞いた。
全くの無罪放免とは思えない。なにか条件があるに違いない。
「野放しにするのは許可できません。ただ、あなたの忠実なペットにするのであれば、生かしておいても構いません」
言われた意味が、すぐには飲み込めなかった。
ただ、ひどく歪んだことを言われていることだけはわかった。
「殺すのが嫌なら、躾けなさい。あなたが責任をもって躾けられるなら、あの人間を飼っても良いですよ」
――どっちにしたって最悪だ。
だが俺に殺せるわけがないので、もう一方を選ばざるを得ない。
ニースには当然バレている。答えを待たずして、彼女は妙な物体を寄越してきた。
「それを犬に飲ませなさい。そうすれば、駄犬は優秀な猟犬になる」
あとの管理は任せます。ニースはそれだけ述べて、俺を下がらせた。
人間を通じて受け取ったのは、前回遺体に埋め込んだ胡桃のようなもの。
あれよりも乾燥が進み、一段階小さくなっている。
こんな不気味なもの、飲み込んだらどうなるのか。
あの遺体のようになってしまうのか?
だとしたら、殺すのと何が違うんだろう。
力ない足取りで、ポートに向かう。
するとゼノが待っていた。
彼は手の甲に乗せた何かと談笑している。
妖精種だ。ナビよりも小さい妖精種。
俺の姿に気付くと、それはすこし慌てたように身につけたケープをはためかせる。
不思議なことに、一瞬で姿が消えてしまった。
ゼノは俺に向け、ニヤリと笑みを向ける。
「我が女帝は、相変わらず刺激的だな」
そう思うだろ、となぜだか同意を促す。
「そうですね」
俺はすっかり疲弊していて、まともに返事をする気が失せていた。
こいつはいつも平然としているが、ニースに無茶を言われたりしないんだろうか。
俺の投げやりな態度に怒りも見せず、何なら余計に笑顔になりながら、ゼノはあっけらかんと言う。
「新人、お前は休暇が欲しいだろ」
「え……?」
休暇? どうしてそんなことを聞く。
もしかして、先ほどニースに釘を刺されたのを気にしているのか。
「休暇はとるなと言われました」
いちいち倒れるなと言うことだ。
そんなことを言われても、毎度俺は全力を出している。
全力で挑まなければ、任務をこなせない。
「休暇はとれるさ。その間も仕事が回っていれば」
何を言っている?
ニースだけじゃなく、こいつも意味がわからない。
頼むから、もう少しわかりやすく言ってほしい。
「頭を使え、新人。俺たちは人を使う立場だ」
全部自分でやろうと思うな。
それはゼノにしては珍しい、比較的わかりやすい助言だった。
「忠実な犬を作れ。それが今回のお前の任務だよ」
フライトに乗り込み、颯爽と発つゼノ。
俺も自分のフライトのもとに向かうと、いつものようにナビが頭に座っていた。
「今回も、よろしくお願いします!」
快活な笑顔。
頼もしい味方ではあるのだが、俺は段々と接し方がわからなくなってきた。
悪気はない。ナビに悪気はないのだろうが。
ナビと話した内容は、ニースに筒抜けになっている。
俺はすこし警戒をした方がいい。
誰が味方かわからない。
気を抜けば刺される――どうやらここは、そういう世界らしいから。
トライフルに着いたとき、ゼノの姿が見当たらなかった。
すでに任務に向かってしまったのだろうか。
あいつもなにか別の任務があるのだろうか。
「ナビ。ゼノの任務内容を把握しているか」
不安になったので、尋ねてみる。
「えっ。どうしてそんなことを聞くのでしょう」
「閲覧権限がないか?」
ナビは首を横に振り、瞬きをして答える。
「ゼノさまは責任者です。あなたの任務を無事完了させることが、彼の任務です」
「え……?」
「あのかたが主体となる任務はありません。ハーベストさまは、ご自分の任務に集中なさってください」
「…………」
それは前から? 今回から?
ゼノは俺を助けない。前回なんて、妙な球を落として邪魔をしてきた。
いや、あれは邪魔だったのか……?
腑に落ちないながらも、とりあえず不満を飲み込む。
「今回の任務の、内容を確認したいんだが」
微かな期待を込めて聞いてみた。
もしかしたら、俺の勘違いかもしれない。
しかし、現実は甘くない。
「キトライドの処刑、またはキトライドに球体を飲ませることです」
「それ、本当にやらないといけないのか?」
球体を飲ませなくても、言うことを聞いてくれるようにすれば良いんじゃないのか。
食い下がってみたが、ナビは首をかしげながら語る。
「飼い犬とは首輪をつけることです。この球体はそれにあたります」
……悪趣味な発言だ。
やはりナビはニースに毒されている。
「具体的には、何が起こるんだ。この球体を人間が飲むと」
今までの球体は、最初の二つを除きすべて違う効果を持っていた。
今回のも違うと考えるのが自然だ。
「ナビに入力されているのはこれだけです」
彼女は淡々と語る。
「それは人間を再構成体に変質させる機能を持たせています」
「再構成体に変質?」
思っていたのと違った。
「何が起こるんだ」
「詳細はわかりません。推測を混ぜても構いませんか」
「ああ、頼む」
誤情報に惑わされるのは良くないが、今のところナビの推測は確度が高い。
ナビは視点を固定し、しばらく考え込んでいた。
「最も可能性が高いのが、身体年齢の固定化です。人間は老化しなくなります」
なるほど。ひとまずそれは害にはならないだろう。
「次に可能性が高いのが、自己錬成機関の構築です。自己再生能力が高まり、錬石のエネルギーで錬成術を放つことができます」
それはすごいな。
自分の身を守れるようになる。
いいことばかりじゃないか。
「これらを発現できるかどうかは、その個体の適正によるかもしれません」
「キトにとって悪い影響は出ないだろうか」
「悪い影響ですか」
ナビは再び考える。
「何を悪いと考えるかは、本人次第ですが……」
それはそうか。先ほどの変化だって、人間にとって良いかどうかはわからない。
「苦しんだり、壊れたりしないかということだ」
「そういうことでしたら、あるかもしれません」
あるのかよ。
そりゃあそうか。あのニースが用意したんだから当たり前だ。
「人間が再構成体に変わるのです。しかも今回はトライフルの人間ですから……データがないためわかりません」
「…………」
そんなものを飲むと言ってくれるだろうか。
しかし、これをやらないとキトは殺される。
俺が拒否しても、ゼノが殺すだろう。
俺の任務の達成が、ゼノにとっても必要なことであるなら、確実にそうなる。
俺は両手の指を擦り合わせ、着火した。
今回は燃料の供給がなかった。
人差し指と中指にわずかな光があるのみで、他の指にはほとんどない。
前回の状態と変わらない。発雷は撃ててもあと一発だ。
キトを守ってやることはできない。
なんとかして、球体を飲んでもらわないと。
「キトはどこにいる?」
「お待ちください。現地のウォッチに接続します」
ウォッチ? よくわからない単語がでてきたが、なにやら集中しているようなのでじっと待つ。
「首都ウィディアの住宅街にいるようですね。前回、邪なるものの被害に遭った場所です」
邪なるもの……。
その名称に引っ掛かりを覚えた。
あれはゼノが落とした球体から発生した。
俺たちが発生させたものなのだ。
「ナビ。ニースがやりたいこととは、何なんだ? 災害や化け物を放って、俺に鎮めさせる理由は何なんだ」
そう尋ねると、ナビは顔を青ざめながら、あわあわと声をあげる。
「ニース“さま”ですよ、ハーベストさま」
俺は慌てて口を結んだ。
ナビとの会話は、傍聴されている。
もしくは、後で記録を確認されている。
「ナビ。さっきの発言を消去することはできるか」
「はい。この程度であれば可能です」
思わず安堵の息を漏らす。
なにをしているんだ俺。
警戒した方がいいと考えたばかりなのに。
「キトライドのところへ向かいますか?」
ナビが何事もなかったかのように問うので、俺もそれに倣う。
「雲化して、近付いてくれるか?」
「わかりました!」




