第4章(3)
ウィディアの街並みは、痛ましいほどに荒れていた。
空から見ると、点々と被害の跡が残っている。
特徴的な円形の跡。それは魔物の歯形のようで、過去の恐怖が生々しさを伴い思い出されてくる。
ナビは迷わずそのひとつに近付いた。
瓦礫の山がいくつかできている。
それは崩壊した建物を、とりあえずひとところに集めたものらしく、そのまわりは意外なほど整然としていた。
この距離からは仔細は見えないが、更地にたくさんの人間が集まって、石を並べ、打ち込み、壁を作っている。
家を建て直しているのか。
その中心に、見覚えのある緑色の頭を見つけて、俺はつい顔をほころばせた。
――キトだ。
彼は足元に並ぶ形の良い石を、人間たちに指示して運ばせている。
ずいぶん慣れている印象だ。
「忙しそうだ」
話しかけるのは後にしようか。そう考えていると、
「ハーベストさまの用事より、優先されることはありません」
ナビにピシャリと言われた。
「どうやって声をかけようか」
「雲化を解けば良いだけではないでしょうか」
また注目されるのか。
俺は辟易とした気分になり、重たい溜め息をつく。
言われた通りにすると、すぐに地上の人間たちは俺を見つけて騒ぎだした。
「着陸できそうなところがないな」
もろい建物が崩れたらまずい。
「とりあえず聖堂に行きましょう」
勧めに応じて、そちらに向かった。
集まった人々に注目されながら、俺は前回と同じ場所にフライトを着地させた。
「ああ、天使様、ハーベスト様。よくぞおいでになられました」
上等なローブを着た老人がひれ伏している。
同じく何人かが駆け寄ってひれ伏すので、俺は気まずくなり目を泳がせる。
「ご用件は何でしょうか」
「聖人との面会でしょうか」
「聖人?」
聞こえた単語に思わず反応してしまった。
遺体は前回、魔物に食われて消滅したはずだ。
しかし老人は、すかさずこう答えた。
「聖人キトライドは、いま、街に勤めに出ています」
「ただいま、呼びに行かせました」
俺は目を丸くした。
何だこの人間たち。次はキトを聖人に仕立て上げたのか。
困っているだろう。眉間にシワを寄せる彼の顔が容易に浮かんでくる。
そして少しして、予想通りの顔をしたキトがローブの男たちに引き立てられてやってきた。
「なんだ、ハーベスト。また来たのか」
――またなにか起こるのか?
早くも警戒している。
さすが、対応がまともだ。
しかし、これは良くない傾向だ。
ニースが気を悪くするのもわかる。
『あなたの役割は、トライフルを導く神となることです』
それを大前提とするなら、キトをこのままの状態で自由にさせておくのは良くない。
「キトライドと、話がしたいのだが」
俺はできるだけ、感情を乗せずに老人に告げる。
老人は顔色を変えて周りの人間に目配せをした後、聖堂の中に俺たちを誘った。
通されたのは、入り口の脇にある階段を上ったところにある小部屋だった。
小さな机と椅子があり、横長の窓がある。
そこから聖堂内が一望できる。
老人はカーテンを閉めて、外から内部が見えないようにしてくれた。
「終わりましたら、お呼びください」
そう言って全員が下がっていく。
キトは案外素直についてきてくれた。
手前側の椅子にさっさと座ってしまうと、「あんたも座れよ」と促す。
態度は良くない。机に肘をつき、こちらを斜に眺めている。
しかし今回は、ナビが注意をしない。
裁量を与えられているってことか。
対面に腰を掛けた俺は、ひとまず話を振ってみる。
「前回は、騒がせてしまったな」
申し訳なかったと言いそうになり、ぐっとこらえる。
「君の友人の遺体だが……あんなことになってしまい、気を悪くしただろうか」
弱い姿勢で臨むのは、禁止されているらしいから、俺はギリギリの線を探しつつ言葉を紡ぐ。
そんな俺を、キトは意外そうに見た。
「覚えてんの? 俺と話したこと」
「もちろんだ。ずっと気になっていた」
「……そうなんだ」
キトは少し表情を崩して、息をつく。
「あんたと話すと、聖人になっちゃうらしいんだ」
どうにかしてくれよ、と肩をすくめる。
「そのようだな」
申し訳ないと言いかけてまた飲み込む。
最近特に、すぐ謝るのが癖になっている。
謝りすぎだとレムにも言われたが、確かにそうだ。
「俺の友達はさ、あれで良かったのかもって思う。前はさ、変に形が残ってたから気になってただけで。形がなかったら、そのうちみんな忘れるだろうし」
身を挺して街を守った彼は、ついには神格化してしまったらしい。
俺と共に天界へ帰ったという設定で、街に定着したそうだ。
「あいつの家族もさ、まんざらでもなさそうだ」
実際に、奇跡を目撃した人が何人もいる。
記憶という綺麗な姿に昇格した息子を、今では誇らしく思っているらしい。
「だから、あんま気にしなくていいよ」
「そうか」
良かった。
少し表情に出てしまったのだろう。
固かったキトの顔が一気に気の抜けたものになる。
「あのさぁ。あんた本当に神様なの?」
「…………」
どう答えるべきか考える。
正直に答えるわけにはいかないが、嘘をついても信用を失うだろう。
「神……のようなものかもしれない。俺たちの定義と、君たちの定義が同じとは限らないから……」
そう呟くと、キトは怪訝な顔をした。
「難しいことを言うな。相変わらず」
それは一瞬のことで、次には“まあいいや”と笑顔を浮かべた。
「でも、悪いことばかりじゃねぇのさ。聖人ってのも」
キトはニヤリとして、カーテンを少し開けて窓を覗き込む。
なにが見えるのかと同様に覗き込むと、たくさんの人間がこちらを見上げているのが見えた。
目が合って動揺している者がほとんどのなか、ひとりの人間が、こちらに向かい微笑んでいる。
キトが手を振ると、その人間も手を振る。
知り合いなのか。
キトはやけに嬉しそうな顔をしていた。
「あの子さ、可愛いだろ」
「……え?」
「エレンって言うんだ。教主の孫娘」
可愛いだろ、と再び口にする。
確かに、一般的に可愛いとされる特徴は持っているとは思うが。
黙り込んでいると、キトは笑いながら言う。
「そっか。あんたの仲間は、あんた並みの容姿しかいないのか」
いや、そういうわけではないようだが。
説明するとややこしいので、黙るしかない。
「あんな美人が、俺に話しかけてくるわけ。わかる? 今までそんなことなかったのよ、俺レベルの男じゃ」
「はあ……」
「だから、聖人ってのも良いもんだなと思ってたわけよ」
「…………」
よくわからないが、なんとなく知識だけはある。
人間の男というのは、そういう価値判断をすることがあるそうだ。
俺には淡々と語りかけてくるロミも、レムの前では多少雰囲気が変わる。
俺には見せない顔で、レムに接している。
「…………」
俺は一層、言い出しにくくなった。
聖人としての生活をようやく軌道に乗せたらしい彼に、さらなる試練を課す。
しかし、やらなければ、彼は殺される。
俺はカーテンを閉め直し、キトに真面目な顔を向けた。
「キトライド。実は、君に頼みたいことがある」
「なんだよ、また気味の悪い試練か?」
茶化すように笑いながら、彼もまた姿勢をなおす。
「君は前回の働きから、とても期待がかけられているんだ」
「期待? 誰から」
「こちらの上層部だ」
「上層部?」
怪訝な顔をする。
「あんたもなんかの組織に属してんの?」
言い方が人間的すぎたか。
すこし後悔しつつも、他の言い方が思い付かない。
「俺たちの組織には、一番偉い女神がいて……彼女が君を気に入っているんだ」
「女神にもモテてるのか俺は」
キトはケラケラと笑い、名前は何て言うの? と軽々しく尋ねた。
俺は躊躇した。
名前を出しても大丈夫か。
困ったようにナビを見たら、彼女は平然と口を開く。
「エルフルトさまです。我々が仕える女神の名は、エルフルトさまです」
覚えておきなさい、人間。
彼女はそれだけ言ってまた沈黙する。
狼狽えたのは俺だ。
エルフルト? 初めて聞く名前だ。
誰だと問うわけにもいかず、沈黙する。
「へぇ。エルフルトさまって美人なの?」
そんなこと、知るはずがない。
助けを求めるようにナビを見たが、平然とした顔で佇んでいるだけだった。
「まあ、とにかくだ。こちらの上層部が、君に特別な試練を受けてほしいと言っている」
俺は腰につけていた麻袋を取り外し、紐を解いて中身を取り出す。
からからに乾いた球体を、机に置いた。
キトは明確に嫌悪を浮かべて、こちらを睨み付ける。
「これを飲み込んでほしいんだ」
「なんでだよ」
「試練だ」
「…………」
キトは青ざめながらそれを眺め、しばし沈黙する。
俺は祈るような気持ちで様子を見ていたが、願いもむなしく、彼は緩く首を振る。
「俺は生け贄に捧げられるのか。街を守るために」
「そうじゃない。これは前のものとは違う」
「じゃあなんだよ。何のために飲むんだ」
「これは力を得るものだ。女神は君に、邪なるものと戦う力を授けると言っている」
嘘ではない。
そう言えなくもないだろう。
だがキトは俺の迷いを見透かしたように言った。
「どうして戦う力を授ける必要がある。あんたが守ってくれたらいいだろ。女神とかいうやつも、助けに来てくれたら良いだろ」
なんで俺が戦わなきゃいけないんだ。
至極もっともなことを言われ、俺は閉口する。
「大体何なの、その邪なるものって。いままでそんなの来たことなかったじゃんか。どうして急に暴れだしたんだよ」
「…………」
答えられない。
俺だってわからないんだ。
吐き出したい気持ちをこらえて、ぐっと口を結ぶ。
「ちゃんと事情を説明してくれないと、協力もしてやれねぇよ」
そっぽを向くキトに、俺はうなだれた。
その通りだ。キトの言い分は正しい。
俺には彼を説得することができない……。
静寂の中、鐘の音がした。
そういえば、ここの裏手に時計塔があった。
「もう夕方だ。今日の作業が終わんなかったな」
キトはすこし恨めしそうに言う。
復興作業のことだろう。
確かにそれは重要だ。
しかし、今はそれどころじゃない。
これを飲まないと、お前は死ぬんだぞ。
言ってやろうと思った。
本当のことを言えば、すこしは考えてくれるかもと思ったからだ。
しかし、俺が口を開く前に、ナビが声を上げる。
「交渉決裂ということで良いですか、キトライド」
俺はナビを見る。
同じようにキトも彼女を見る。
「あなたのその選択で、街は蹂躙されます。邪なるものは、神に選ばれたあなたを狙うのです」
――彼らは再び、ここにやってくるでしょう。あなたを眷属にするべく。
「なんだと……?」
キトが険しい顔をする。
俺もそうだったに違いない。
そのとき、鐘の音に混じって、騒がしい声が聞こえる。
……悲鳴か?
どよめきと、悲鳴。
階段を駆け上がる音が聞こえ、すぐさまドンドンと扉が叩かれる。
キトは弾かれるように扉を開く。
「キトライドさま――」
外にいた老人たちが何か言おうとしていたが、押し退けて階段をかけ降りていく。
慌てて俺も後に続いて外に出る。
しかし、もう遅かった。
街は既に、取り返しがつかない悪夢に取り憑かれてしまっていた。




