第17章(3)
イスメリアにある程度近づいたところで、ひとまず地上に降りようという話になった。
スイによる移動の術で、俺たちはまず地上の林の影に下ろされた。
「次はどこに行くんだい?」
スイに問われ、キトは手元で広げたイスメリアの地図を指差した。
「兵舎の位置はここだな?」
「ああ、そこだ」
以前会談を行った議事堂の側なので、覚えやすい。
兵舎はいくつかの棟からなっており、キトが指差したのは、一番多くの兵士が詰め込まれた建物だったはずだ。
一応ナビにも確認したが、間違いないと言ってくれた。
今は深夜三時頃。警備の者以外は寝静まっているだろう。
確認のため、俺はウォッチを送り込んだ。
このウォッチはロナルドのところにつけていた個体だ。フォレスティア側は問題がなさそうだったので、仮眠の時間に回収しておいた。
もう一体のウォッチは例の司令官たちにつけている。彼らも交代で仮眠を取っている状態ではあったが、未だに会議を続けている。監視を外すわけにはいかない。
一番大きな棟にウォッチを向かわせる。警備は案外手薄そうだった。入り口に武装した者がふたりいる。巡回している者が数人。
ぐるりと見回して、まずは監視がいない屋上に飛ぶのが良さそうだと告げた。
「そこから精密に建物の中に飛ぼうか」
「目当ての兵士たちは、大部屋の中に隔離されている」
「では、その扉の前で『凪の牢獄』をかけよう」
それなら、中の兵士に叫ばれたり逃げ出されたりする心配はないそうだ。
便利な術だなと思った。
まずは兵舎の屋上に着地。
そして続いてナビに探らせた建物内部で、うまく警備の死角になっていた階段口に移動した。
口の中だけで、スイは祈りの言葉を唱えている。
手元の精霊石は布で隠していたが、その中で光が混ざっていくのがわずかに見えた。
発動の言葉とともに、風が発生する。屋内なのですこし強めの耳鳴りがした。
扉の前にいた警備がそれに反応し、動こうとしたが、膝から崩れ落ちる。
「敵対しようとした者ほど、鎮静化される」
「なるほど」
スイの説明に、感想が漏れる。
キトと共和国兵のふたりも大部屋へ続く廊下を覗き込み、状況を把握していた。
「中に入ってもいいんだけど、君たちも鎮静化されてしまうからね」
スイはそう言いながら、もうひとつ精霊石を取り出す。
「ここから話しかけよう」
ふたつの術を同時に発動させるらしい。
石ひとつにつき、ひとつの術を発動できるようだ。
祈りの言葉を呟き、光が混ぜられていく。
発動させるのは、『風のささやき』だろう。牢獄の中にだけ声を送るつもりのようだ。
用意が整い、スイは落ち着いた声を出す。
「聞こえているかな、諸君。私は白嶺の者、スイだ。夜分遅くに失礼する」
部屋の中からの音は遮断されている。部屋の中を直接見ることもできない。キトと共和国兵のふたりは、部屋の前で膝をつき、首だけ回してうろたえる警備兵しか視認できないのだが、俺はウォッチで内部を覗くことができていた。
「聞こえているようだ」
俺は小さく呟いて、スイに伝える。
起きている撤退兵たちは僅かであったが、床に敷き詰められた粗末な寝具の上でみじろぐ人間がちらほら見えた。
彼らは起き上がり、周りの人を起こそうとしている。
普通に動けているということは、いま時点で敵対の意思はあまりないようだ。
スイは口を開く。
「先日はこちらの意思を汲み、撤退の判断をしてくれてありがとう。君たちの判断は適切だった。私たちの主も、君たちの勇敢さに敬意を抱いていらっしゃった」
滑らかに嘘を交えるので驚いた。
いや、嘘なのかどうかはわからないが。
主ってなんだろう。コーデリアのことか? 他に成体がいるという気配はいまのところ感じていない。
目の前でキトが固まっている。
あらかじめ伝えていた台本とかなり違ったからだろう。
ウォッチ越しにざわめきが伝わる。
兵たちが動揺している。
しかし印象は悪くなかったようだ。彼らの表情は柔らかい。
先ほどよりも激しく、周りの人間たちを起こそうとしている。
スイはその光景が見えているかのような、良いタイミングで続きを口にした。
「しかし、私は君たちの動向を探るなかで、残念な事実を知ってしまった」
淡々としているが、すこし不穏な声音だ。
兵士たちの表情に不安が広がる。
「君たちは、我々の願いを果たせない事態に陥っているようだね。君たちの上官は、君たちの意思を封じてここに閉じ込めているようだ」
スイは静かにそう言った。そして続けて、どこから出しているのかわからない、低く厳かな声で囁いた。
――生きて帰り、伝えよ。
白嶺の民は侵略を許さない――
コーデリアが読んでいた台本の一節だ。
室内の空気が張り詰める。震え上がっているようにも見える。
「慈悲は一度だけだ。我々は君たちを救えるが、次は救わない。警告を破った者には、もはや慈悲は与えられない」
次に送り込まれる兵が、警告の事実を知らないまま侵略に加担してしまったのだとしてもね――地の底から這い上がってくるような、不気味な声。
その声は本当に、どうやって出しているんだろう……。術なのか、声帯なのか。いずれにしても、計り知れない。
「とても残念な話を聞いた。君たちの同胞の亡骸が、日の出とともに、その痛ましい姿を民衆の前に晒されるらしい。
……命を失った彼らは、言葉を奪われたまま、民衆に向けてどんなメッセージを伝えさせられるだろうか」
スイの言葉には、優しさが戻っていた。それが逆に不気味で、俺は寒気を覚える。
「憐れなだけの彼らに、そのような不名誉な体験をさせたくはない。彼らは家族のもとに帰り、穏やかな眠りを与えるべきだ。そうは思わないかい?
彼らは、君たちの代わりに罪を背負ってくれた、勇敢な戦士なのだからね……」
よくもそんな都合のいい話を、すらすらと話せるものだ。
兵士たちは黙って聞いている。鎮静の効果もあるのだろうが、それにしては目がぎらついている。スイの話に異様なほどのめり込んでいるように見える。
「私にはわかっているよ。君たちがいま、不当に閉じ込められていることはわかっている……。
君たちは自分の使命をわかっているはずだ。『次は慈悲が与えられないこと』を、イスメリアの民に伝えるという使命を果たさねばいけない。
……君たちは、わかっているはずだ」
わかっているのか?
つい不安になったが、どうやらわかっているらしい。
兵士たちは、熱心に頷いている。
そうか、わかっているんだ……。
なんだか俺は馬鹿馬鹿しくなっていた。スイの言っていることは無茶苦茶なのに、妙に筋が通っている。
スイは圧倒的な演出力だけで説得力を出している。
いや、馬鹿にはできないぞ。これはすごい技術だ……。
俺はそう考え直した。
「いまこそ、君たちを解き放とう。君たちに祝福を与える。信じる道を進みたまえ。
不当な拘束から解き放たれた君たちは、必ずや、私の期待に応えてくれると信じているよ……」
鼓膜に圧迫感が走る。二つの術を同時に解いたらしい。
すぐにスイは祈りの言葉を呟き、元にいた屋上に俺たちを引き戻す。
「さあ、これでどうなるかな。楽しみだね」
「おい、台本を変えたいなら先に言えよ」
「細かいことはいいじゃないか。それより、彼らを手伝ってあげなきゃ」
キトはスイに促され、顔つきをサッと引き締める。身を翻し、屋上の手すりから身を乗り出した。
「東門を制圧する。奴らを誘導しないと」
スイが伝えるはずだった、細かい作戦指示がまだ伝わっていない。
階下から短い悲鳴が聞こえた。早速見張りを張り倒しているのか。
ウォッチ越しに見えた撤退兵たちは、夢から覚めたような顔で次々と立ち上がり、外に向かっている。
キトは広場にたむろする警備を指差して、言った。
「誰か、あいつらを眠らせろ」
「俺がやる」
俺は短く答え、着火した人差し指と中指の色を混ぜる。
「『発雷』――」
一瞬、白い光が広場を走り抜ける。
たくさんの警備兵が、呆気なく崩れ落ちている。
「共和国の旗を掲げろ。出てきた撤退兵たちにあんたらで指示をしろ」
「わかりました!」
スイの力で、共和国兵の二人を広場に転送する。
キトは高みから、街に点在する光の動きを読んでいた。おそらくあれは、警備兵の持つランプかなにかだろう。
まだ異変に気付いていない。急な動きをするものはない。
「チビに伝えさせろ。すこし早いが、今すぐ東門の外で全隊待機しろ、と」
「頼む、ナビ」
キトの依頼をナビに命じると、「了解しました!」の返事の後に目が赤く点滅し始める。
そんな仕様があったのか、と驚いていたとき。扉を破る激しい音がして、撤退兵たちが兵舎からなだれ出てきた。
倒れ伏す王党派の警備兵と、広場に掲げられた共和国旗を見つけ、彼らは状況を察したらしい。
すぐさま駆け寄った共和国兵のふたりに何やら説明を受け、彼らは伝言ゲームのように周りに指示を伝えていく。
それから彼らは、驚くほど早く行動を始めた。
思い思いの方角に駆け出していく。
他の兵舎に突撃する者。武器を探してくる者。議事堂になだれ込む者もいる。
気付けばかなりの数の武装集団に成長していた。
彼らは俺たちが思い描いていた通り、東門に向けて進軍を始める。
「今はあまり騒ぎを大きくしたくないんだが」
彼らの一部が明かりを持ち込んでいたので、キトは懸念を挟んだ。
明かりは遠くから見える。遠くの警備兵に、こちらの妙な動きが悟られてしまうかもしれない。
「すこし霧を張っておこうか」
スイは精霊石を翳し、一帯に浅い霧を生み出す。
夜の霧は、辺りの光を闇に溶け込ませるような効果を発揮した。
撤退兵はもしかしたら、精鋭の集まりだったのかもしれない。
スイから迷いを払われていたのもあり、彼らは恐ろしく強かった。東門までの王党兵を次々と闇討ちしていき、あっという間に門に掲げられた赤い旗を引きずり下ろした。
共和国の腕章をつけた兵たちが門を開け、外に待機していたルーファウスたちを中に招き入れた。
「思ったよりも早かったですね」
「スイが勝手に台本を変えたんだ」
キトはルーファウスに簡単に事情を説明し、「すこし暗いのが不安だが、あれをやるぞ。広場に人を集める」と指示をした。
もはや騒ぎは抑えられない様相と化していた。
ルーファウスたちを招き入れたいま、抑える必要はなくなったのかもしれないが。
街には次々と明かりが灯り、寝巻き姿の住人たちが不安そうに窓から顔を出している。
そんな街道を、ルーファウスたちは共和国旗をはためかせながら堂々と歩いている。
「そろそろ敵が気付いたかもしれない。もう少しだけ、時間を稼げるか?」
東門の塀上から様子を見ていたキトは、近くにいたスイにそう頼み込んだ。
「まあ、努力してみよう」
スイは合流していたコーデリアに目配せをして、左右の空に分かれるように消えていく。
「俺たちは演出を手伝うぞ」
キトは俺にそう告げ、剣を抜いてから『暗闇』の術をふたり分の布に作用させる。
術の効果で足元しか見えなくなったキトを追い、俺たちはできるだけ建物の影に隠れながら、人混みをすり抜けていく。
夜明け前に、よくぞこれだけ人を集めたな。
広場を埋めつくす人間を見て、俺は感心した。
人だかりの中心はルーファウスたちだ。共和国旗を無数に掲げた議事堂前広場の真ん中に、彼らは立っていた。
よく見えないので、俺はキトを連れて跳び、近くの屋台の屋根の上に移動した。
「長らく続いた、王党派の圧政から主権を取り戻したのが十年前です。皆様も覚えておられるでしょう。激しい戦いでした」
暗がりの中で、ルーファウスが演説を始めた。精霊術を使わない、地声の演説だ。
たぶん、あえて使っていないのだろう。聞き取りにくかったが、懸命に声をあげる彼の印象はよかった。
「皆様の協力のもと、勝利し、共和国政権が発足しました。腐りきった政治を立て直し、安定した暮らしを成り立たせるために、我々は多大な努力をしてきました」
彼は何人かの人間の名前をあげ、彼らが特に活躍してきた功労者だと語る。俺にはわからないが、街の人間には伝わる話なのだろう。多くの者が、神妙に頷いていた。
「皆様がもっとも馴染みがあるのは、国務総監アーネスト・ファインデイルさまだと思います。
しかし、彼はすでにこの世におられません。彼のご家族も……どうしてこんなことになったのでしょうか」
ルーファウスの声は震えていた。感情を揺さぶるような声音だ。
アーネストを悼むような空気が流れる。
彼は本当に好かれていたんだな。
少しだけその空気を育てたあと、ルーファウスは声を張り上げた。
「皆様も察しておられると思いますが、アーネストさまを秘密裏に葬ったのは、王党派の残党です! 彼らはアーネストさまを我々から奪っただけでなく、執政官さまや他の共和国派の重鎮にその責任を不当に擦り付け拘束し、あの旧王宮でいま、我々の国を乗っ取る算段をしています!」
許されないことです――激昂しながらルーファウスは持っていた杖で地面を思いきり突いた。
あれはコーデリアが持っていた杖だ。精霊石が先端についている。
貸してくれたのか。その配慮を、意外に思った。
「王党派はファロウ王国の傀儡です! 彼らは軍事力を増すために、我々の領土である白嶺地区を欲しがっています! この一連の政変は、ファロウの介入を憂慮したアーネストさまが、白嶺の民を守ろうとしたことで起こりました!」
だから、我々に強い味方が現れたのです! ――ルーファウスは高らかに杖を掲げて宣言した。
「我々の、新たな力を見てください! ファロウの妖術など取るに足らない! 白嶺に住む精霊たちが、我々に力を貸してくれます!」
ルーファウスに合わせて、背後に並ぶ緑目たちが詠唱を始めた。
――杖持つ者よ、虚ろに印せ
空なる綾を指に読み
象なき道をここに切り拓け――
ルーファウスの持つ杖が激しく輝く。
風が渦巻く音がするが、風の動きはよく見えない。
「暗いな。やっぱり、演出が足りない」
キトがそう呟き、突然『暗闇』を解除する。
俺は驚いたが、群衆はルーファウスに夢中になっている。俺たちに気付く者はいない。
それをいいことに、キトは着火して赤い光を三回宙で混ぜた。
「『貫く風道』――!」
緑目たちの声とともに、渦巻く風が勢い良く天に向かう。同時に、キトが放った『烈火』がそこに絡んでいく。
見事なまでの火柱が、空に立ち上った。
それは火に包まれた大蛇が空に昇っていくような壮大さだった。
見ている者はみな、それを瞳に映し込んで呆気に取られた。
「我々の手で、共和国を取り戻しましょう!」
ルーファウスの宣言に、民衆から声が上がった。
それは地を揺るがすほどの轟音で、俺は思わず竦み上がる。
完成したのだ、と思った。
イノスマイリアの人間が、首都イスメリアを自ら取り戻すシナリオが……この時点で完成したのだと、俺は理解した。




