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交錯世界の風見鶏  作者: 小柚


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第18章(1)

 イスメリアの奪還は、俺が思っていたよりもずっと早く進んだ。

 どんどん膨らんでいく、共和国派を支持する声。

 エリスの力を使いこなし、鮮やかに進軍するルーファウスたちに、誰もが魅了されていた。

 もはや、勝利を疑う者はいない。

 気づいたときには、イスメリアの主要道は共和国旗で埋まっていた。

 民衆の蜂起に気づいた王党派は、慌てて統制のための軍を差し向けた。だが、その軍はほとんど役に立たなかった。差し向けられた兵の多くが、中庸派だったからだ。

 彼らは、仲間や知人がすでに共和国派へ加わったと知ると、そっと隊を離れた。何食わぬ顔で共和国旗の側へ回る者もいた。

 キトが狙っていた通り、旧王宮へ通じる道は封鎖され、北門だけが逃げ道として残された。

 王党派は、戦うより逃げる方を選んだ。

 その判断は早かった。

 夜明けまでに、王党派は旧王宮の一角へ追い込まれていた。

 捕らえることもできたが、共和国派は、はじめの計画通りに逃がすことを選んだ。

 その代わりに、旧王宮に閉じ込められていた執政官たちの無傷解放を勝ち取った。

 あっという間に作戦は終わった。

 周りは歓喜に満たされていた。

 あちこちで共和国旗がはためいている。

 朝日が昇りきる前に、俺たちは帰ることにした。

 フォレスティアが関与していたことがバレるのは良くない。

 たとえ味方であれ、不特定多数に真実が知られない方がいい。

「礼なら、国が落ち着いてからたっぷり受け取ろうぜ」

 キトはそう言って、ニヤリと笑う。

 スイとコーデリアと共に、白嶺地区の浮島へ戻った。

 それから俺たちは、必要な後始末を済ませていった。

 空中に待機させていたフライトを呼び戻し、浮島で待っていたグレンとレオナルドを乗せ、フォレスティアに戻った。

 国境の街に詰めていたロナルドたちと合流し、戦争が終わったことを告げる。

 涙を流して喜ぶ共和国の使者たち。

 彼らはすぐに帰国したいと言い、国境へ向かう準備を始める。

 フォレスティアの兵たちも安堵の表情を浮かべていたが、そんな中で、ロナルドはひとり複雑そうな顔をしていた。

「エリスに会わせてくださいますか」

 彼は静かに俺に近付き、ただ一言、そう言った。

「もちろんだ。だが、その前に事情を聞いておいた方がいい」

 俺はそう答え、彼の甥であるレオナルドを説明役に選んだ。

 レオナルドは、エリスのことを話した。彼女は無事に聖人になり、凄まじい神の力をもたらしたと説明した。

 精霊石を見せながら、嬉しそうに精霊術のことを語るレオナルドだが、ロナルドの反応は薄い。

「そうですか……よかったです」

 そう淡々と呟くのみだった。

「エリス様のもとで、これからの神官部隊について話し合いましょう」

 レオナルドの提案により、ロナルドは精霊術で白嶺に向かうことになった。

「私は教主様を呼んでから、向かいます」

 グレンはそう告げて、ひとりで精霊術を使い飛んでいった。

「しばらくは、あいつらに任せようぜ」

 キトはフライトを指差し、「ウィディアに送ってよ」と依頼してきた。

「早く帰りたいんだ」

「わかった。送ろう」

 俺は頷いて、彼を連れてフライトに乗った。


 なんだか夢を見ているようだった。

 現実感がなく、ふわふわしている。

 張り詰めていたものが急に溶け落ちて、俺は気持ちの軸を失っていた。

 キトは何度も俺の後ろで、「終わったー!」と喜びの声をあげていた。

 それを聞いているうちに、徐々に実感が湧いてくる。

 任務は終わったのだ。

 ニースから与えられた、ひどい任務が終わった。

「あんたはさ、これから報告に戻るの?」

 キトは快活な声でそう尋ねてくる。

「ああ、そうだな……」

 俺は考えた。

 報告か。任務が終わったのだから、報告に行くのが自然なこととは思う。

 しかし、ニースのもとに行くのは気が引ける。

 しばらく黙り込んでいると、キトが提案してきた。

「とりあえず、ウィディアで休んだら? あんたが暮らしやすいように、手配してやることもできるよ」

「…………」

 ありがたい申し出だと思った。

 しかし俺の頭には、レムとロミの顔がよぎる。

 描きかけの絵がある。

 休んでいる暇があるなら、戻って絵を描かなければならない。

「申し訳ないが、帰りを待つ者がいるんだ」

「え? そうなの? 家族でもいるの?」

 そう問われて、ふと思った。

 俺の話を、あまりキトにはしたことがないな。

「家族はいないが、仕事場があるんだ」

「仕事場? あんたの仕事は、女神の使者じゃないの?」

「違う。俺には元々、違う仕事があったんだ」

 ウィディアに帰るまでの間、俺は美術館の話をした。

 エリスにはすでに話した内容だ。

 今さら開示してはいけないなどとは言わないだろう。

 ちらりとナビを見たが、フライトの頭の定位置に座る彼女は、特にこちらを振り向きもしなかった。

「あんたが絵描きなんて、変な話だな」

 キトは俺の話にケラケラと笑ったが、意外と興味深そうに聞いてくれた。

 以前、君の絵を描いたんだ、とはさすがに言えなかった。

 写真と呼ばれる白黒の絵をもとに、風景画を描き起こす仕事をしているとだけ話した。

 身の上話をひとしきりした後、今後の話をした。

「これからのフォレスティアは、エリスの力で戦力を整える。イノスマイリア共和国との同盟関係を強固にし、王党派の残党を片付けていくことになるだろう」

 しばらくは、あんたに手伝ってもらうことはないかもな、とキトは肩をすくめながら言う。

「俺もしばらく休暇をもらおうかな」

 キトは笑いながら言うので、俺は「それがいい」と賛同しておいた。

 そういう話なら、やはり今のうちにコンフィズリーに帰っておくのが自然だろう。

 またトラブルが生じたら、こちらに長居しなくてはならない。いま絵を描かなければ、いつ描けるかわからない。

 キトをウィディアに降ろしたら、すぐにあちらに帰ることに決める。

「数日に一度、昼頃にまたそちらを覗くことにする」

 いいだろうか、と尋ねると、キトは今さら何を言うのか、という顔ですぐに答える。

「ああ、いいけど。呼んだら来てよ?」

「わかった」

 俺も素直に頷いた。

 そんなやり取りをしているうちに、ウィディアの街並みが眼下に見えてきた。

 聖堂前広場に降り立った俺たちは、いつものようにたくさんの観衆に迎えられたのだが、讃えられるのはキトだけでいい。

 俺はキトを降ろしてすぐに、フライトを翻す。

 引き留める声が多少聞こえたが、俺はその声を無視して飛び立った。

 まだ俺のことを勘違いしている人間が多いだろうから、少しずつ印象を変えていかねばならない。

 俺は石みたいに冷たくて、無愛想な神の使者。そういう印象の方がいいだろう。

「お疲れ様です! ハーベストさま」

 ウィディアの喧騒から離れたところで、ナビが快活な声を上げる。

 ありがとう、と答えようとしたとき、ナビはカクカクと首を揺らし始めた。

「おおお、オツカレサマ、デス! オツカレ……」

 ナビは一度大きく首を揺らしたあと、何事もなかったように姿勢を戻した。

「長時間の連続稼働により、音声出力に乱れが生じています」

「整備が必要なのか?」

「はい。できれば旧樹院にて、整備を受けたいです」

 今回は長い仕事だったし、色々あったからな。緊張の糸が切れたのだろう、と納得した。

 ナビだけでなく、フライトもよく働いてくれた。整備や休暇が必要だろう。

「旧樹院に直行しよう」

「ハハハイ、了解です、ハーベストさま……」

 また首を揺らし始めて、心配になった。

 そういえば、錬成種である彼らは何を燃料にしているのだろう。俺が知る限り、彼らが何かを口にしていることはない。

 フライトは俺が乗っていないときは、石像のようになり眠っているのかもしれないが、ナビは稼働しっぱなしだ。

 どうやってエネルギーを得ているのだろうか。

 いつものように黄金の光を湛えた樹の内部空間を通り抜けて、コンフィズリーの空に舞い出た。

 そのまま身を翻し、フライトは旧樹院のポートに降り立つ。

 整備士らしき人間たちに彼らを渡し、代わりに新樹庁まで別の乗り物で運んでもらった。

 さっさと報告を済ませてしまおう。

 俺はニースの謁見室まで足を進めた。

 何度来てもここには慣れない。

 雲の上のような、不思議な空間。大理石で囲まれており、樹の幹だか根だかわからない柱がそこかしこに突き出している。

 謁見を申し込むと、すぐに認められる。

 俺はアーチ状の入り口へと進み、そこから部屋の中を見た。

 白い絨毯の先に、例の女が座っている。

 いつものように、薄笑いを浮かべた美貌。

 いつも綺麗に整えられている絨毯に足跡をつけながら進み、彼女のいる高台の階段の数歩前で止まる。

 全く好感を覚えないその姿を一瞥した後、俺は静かに跪き、頭を垂れた。

「面を上げなさい、ハーベスト」

 言われた通りに、頭を上げる。

「あなたなら出来ると思っていました。見事な働きでしたよ」

 ニタリと笑うその表情は醜悪だ。

 俺はありがとうございます、とだけ答えた。

 こいつと議論する気はなかった。

 褒美を求めて、すぐに帰ろうと思っていた。

 なのにニースは、ニヤニヤしながら言葉を続ける。

「でも私が想定していたよりも、もたつきましたね」

「え……?」

「あなたなら、もっと早くにできたはずです」

 俺は耳を疑った。

 ニースは淡々と、おぞましいことを語っていく。

「あなたなら人間の女のひとりくらい、すぐに籠絡して人柱にできたでしょう。隣国に忍び込み、勝手に樹を立てるくらいできたはず。

 あなたに似た顔のあの警戒心の強い女でさえ、あなたの話なら聞いたでしょう。

 あなたならもっと早く、簡単に仕事はこなせたはずです」

 なぜあんなに複雑なことをしたんですか、と彼女は問う。

 俺は言葉に詰まった。

 何を言っているんだ。

 俺は最善を尽くしたと思う。

 人間たちの生活を壊さないよう、最低限の礼節を保って、任務をこなした。

 あんたの無茶振りを、ギリギリの形で整えたんだ。

 勝手なことを言うな。

 怒りに震える俺を、逆撫でするようにニースは言う。

「あなたが回りくどいことをするから、イノスマイリアはめちゃくちゃになりましたね。これからしばらくあの国は荒れるでしょう。エリスというあの娘も中途半端に人間扱いされ、これからどうするのでしょう。面倒な枷を残しました」

「…………」

「あなたがどう取り繕おうと、あなたは人柱を作り、戦争を起こした。それは変わりませんし、そもそも、人間相手に取り繕えと私は言っていません」

 ――あなたが、選んでやったことですからね。

 囁くように、彼女は言った。

 的確に、俺の傷を抉ってきた。

 俺の中に、どす黒い澱みが湧きあがってきた。

 俺はわずかに目を逸らし、彼女の横にある鳥かごの中を見た。

 そこにいる生首が、以前余計なことを言いかけた俺に、瞬きで警告をしてくれたからだ。

 今回もぱちぱちと瞬きを繰り返している。

 わかっている。ニースは俺を挑発しているんだろう? 俺は無言で彼に視線を送った。

 怒りを示したら駄目だ。

 相手の思う壺だ。

 そう理解した俺は下唇を噛みながら耐え、ニースの言葉を待つ。

 彼女は沈黙を保つ俺をしばらく眺めていたが、ようやく諦めたように口を開く。

「それでも、仕事はこなしました。それについては、褒美を与えないといけません」

 何がよいですか、と首をかしげる。

 俺はホッとして、長い息を吐きながら答えた。

「休暇をください。長い休暇が、欲しいです」

「また休暇ですか。あなたは本当に怠け者ですね」

 クスクスと笑うニース。

 次にくる台詞の予想はつく。

 彼女が口を開く前に、俺はすばやく言った。

「休みの間も、仕事は続けます。我々の支配構造は、現地の人間により構築されていきます。上手く進んでいるか、監視を続けます」

 成果は出します、と強めに言った。

 ニースはすこし目を見開いたが、すぐに細めて穏やかに語る。

「わかっているのなら、いいですよ。しばらく好きなように過ごしなさい」

 期待していますよ、と彼女は笑った。

 背筋が凍るくらいに、醜悪な笑顔だった。

「失礼します」

 すかさず告げたそのひと言で、俺は難なく解放された。

 陰鬱なこの施設を抜け、青空のもとに戻ったとき、なんとも言えない清々しい気分が俺を突き抜けた。

 どのくらいの期間、自由にさせてくれるのかはわからない。しかし慣例通りなら、ゼノが呼びに来るまでは好きにさせてくれるだろう。

 ポートに向かう道すがら、俺はふと気が付いた。

 そういえば、ゼノの姿が見えない。

 いつもなら、事あるごとに小言を言いにやってくるのに。

 もしかして、そろそろ新人期間が終わるのだろうか。

 ニースにうまく報告もできるようになったし、人間相手に狼狽えることも減った。

 ゼノが口出ししたくなるようなことが減ってきたのか。

「…………」

 なぜだか、すこし寂しさを覚えた。

 何だかんだで、あいつの言うことは為になった。

 飴も剣も、自己錬成の特訓も、人柱に関する情報も全部役に立った。

 ……舐められるなと言われた意味も、いまなら何となくわかる。

 もしかしたらゼノは俺に、この世界で生きるために最も合理的な方法を教えてくれていたのかもしれない。

 一瞬礼を言いたいと思ったが、思わず笑ってしまった。

 あいつは俺をここに引き込んだ元凶だぞ。

 礼を言うような相手ではない。

 たぶん、あいつも礼を言われたいと思っていないだろう。

 ポートに行くと、旧樹院のロープウェイで下町に降りるように言われる。

 神の使者の衣装は目立つので、人間の服を借りて行くことにした。

 コンフィズリーの人間は、再構成体の俺を怖がるから、妙な視線を向けられることはない。

 それは、ほんのささいな空気の違いだった。

 だが、ゼノの『舐められるな』という論理で整えられた社会が、俺には過ごしやすいのだと気付くには十分だった。


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