第16章(2)
「力の使い方は、ナビが解説します」
緑色のナビが前に出て、口を開く。
「聖人エリスの力を得たあなたがたは、神に祈りの声を届けることができるようになりました」
緑色のナビが移動するのに合わせて、みんなは歩き出す。
エリスの樹の根に上り、高みから白く閉ざされた地上を見下ろす。
「まずは試し撃ちをしてみましょう。神に届けられる言葉は限られています。あなたたちが使えるのは、風の守護神を呼び起こすものだけです」
神への祈りの言葉は、三つの節からなる詩である。
神を呼び起こす、序唱。
神に意思を伝える、律唱。
神の力を現出させる、締唱。
この三節の詠唱で、神の力がこの世に再現される。
「復唱してください――『杖持つ者よ、虚ろに印せ』」
ナビは手のひらに収まらない大きさの石を握り、前方に突き出しながら言う。
「『杖持つ者よ、虚ろに印せ』」
緑目の人間たちが、同じ方角に向かって宣言する。
ナビの持つ石が、緑色に輝き始める。
同時に、エリスの背後にあるらしい巨大な石も発光を始める。
「続いて、風の神に捧げる律唱です。『空なる綾を指に読み』」
「『空なる綾を指に読み』」
さらに石が輝きを増し、空気が唸るような音が聞こえ始める。
「そして、詠唱を締めます。風の神に捧げる締唱です。『象なき道をここに切り拓け』」
「『象なき道をここに切り拓け』」
祈りが完成されたことを示すように、ナビの持つ石の前に空気のうねりが生じた。
「発動の意思を示してください。あなたがたの意思のもと、我々の前にすべてを貫く風の道が現れるでしょう」
“貫く風道”、とナビはイメージしやすい発動の言葉を与えた。
「宣言してください!」
「『貫く風道』――」
ナビに合わせて、声が重なる。
みなの意思が統一されたのを喜ぶかのように、石の前の風が踊るようにうねったのち、勢いよく走り始める。
轟音が響く。
浮島に漂う空気がすべて一斉に走り出したかのように、先頭のうねりに追随する。
みな呆気に取られていた。
白い霧の海を分断するように走り抜けた風は、草木をへし折りながら道を作っていく。
バキバキとひどい音を立てながら、かなりの距離を突き進む。
遥か彼方にまで続く一本の太い道を刻んだ後に、ようやく風は拡散していったようだ。
「…………」
耳が痛いほどの静寂。
見るも無惨な森の姿を前にして、しばらく誰も言葉を発せられなかった。
「ああ、もう。ひどいことをするわね」
初めに声を上げたのは、コーデリアだ。
「幼生が驚いているわ。侵入者が斬り倒した範囲より広いわよ?」
「す、すまない……」
ここまで破壊力があるとは思わなかった。
緑目の軍隊に参加しなかったルーファウスが、地図を持ちながら俺の側まで登ってくる。
「王党軍が制圧していた地点をかなり巻き込んでいると思います」
「それなら、相手はいま慌てふためいているぞ」
キトが割り込んでくる。
「このまま攻めよう。風の術はここを離れても使えるのか?」
「この石を誰かが持っていれば、発動させることはできますよ」
緑のナビが語る。
「そうか。すこし待て、考える」
キトはそう制して、ルーファウスの地図を地面に広げさせた。
「相手の被害の予測はできるか」
「お待ちください」
ルーファウスはなにやら道具をとりだし、測量を始める。
風の道が走った範囲を書き込むようだ。
「相手の規模や内実はわかるか」
「内実とは?」
「相手は、王党派とかいうやつらなんだろう? 全部がそうなのか」
ああ、と納得したようにルーファウスは呟く。
「いま白嶺地区に攻め込んできている数は、コーデリアさんの見立てによると三百ほどです。全てが王党派ではないと思います。イスメリアの軍の半数は中庸派でしたから」
「中庸派は別にどっちが勝ってもいいんだろ? 勝ち馬に乗りたいだけのやつら」
「そうですね」
ルーファウスは語りながら、地図に直線を二本書き足した。
初めに描かれていた、蛇行する線の三割程度を飲み込んでしまっていた。
「誰でもいいから、教えてくれ」
地図を確認した直後にキトが言う。
「この周辺の広い範囲に、声を届けるような術は使えるか」
彼は南方の空を指差し、付け加える。
「可能ならあそこのやつらにも聞かせたいんだが」
「正確な範囲は約束できないけれど、できるわよ」
コーデリアが答えた。
「十分だ」
キトは頷いて、周囲を見渡す。
「あまり時間がない。すぐにやらないといけないことを話すぞ」
この場は、ほとんどキトに支配されていた。
今の状況を正確に把握している者はいない。
何をすればよいのか、全くわからない。
そんな中で、自ら先頭に立とうとする者は他にいなかった。
みな真剣な顔で、彼の話に耳を傾ける。
「さっきの魔法攻撃は、相手にかなりの衝撃を与えただろう。だからまずは、この攻撃が何を意味するのか、相手に伝えないとまずい。」
「意味、ですか」
魔法、という言葉にすこし嫌な顔をしつつ、グレンが口を挟む。
「この攻撃は、白嶺の民の反撃であるとアピールしないといけない。間違っても、女神の勢力やフォレスティアの関与を疑われてはいけない」
「それはそうです。フォレスティアの関与が疑われれば、ファロウの介入を許してしまう恐れがあります」
ルーファウスの反応に、キトは頷いた。
「だからまずはこの攻撃を見たやつらに、宣言する必要がある。『この攻撃は、侵攻に対する反撃である。白嶺の民は侵攻に抗議する。しかし即時撤退するならば追撃はしない』、と」
「賢明ね。それがいいと思うわ」
コーデリアはすぐに同意した。
「相手は従うでしょうか」
レオナルドが懸念を口にする。
「歯向かってきた場合、どうしたら良いでしょう」
「治してやればいい。ハーベスト、癒しの術が使えるだろう」
急に話が振られて驚いたが、俺は頷いた。
「使えるが……敵の負傷者を治すのか?」
「ああ。徹底的に救援してやろう。この感じだと、かなりの負傷者がいるぞ。俺たちに虐殺の意思はないことを示さないと、態度が硬直する恐れがある」
もし相手の司令官が悩んでいたら、その間にどんどん救援をしてやれ、とキトは言う。
「司令官は目の前の人の命よりも、王党派の利益を気にするんだって思わせたらいい。軍隊の頭としては当然の思考ではあるが、周りの平凡な兵士たちはそこまで割り切って考えられねーよ」
『慈悲は一度だけだ、次はない』と告げた上で、この体験を正確にイスメリアに持ち帰らせろ――そうキトは言い切った。
「やりましょう。確かに、早く動かなくてはなりません」
「ルーファウス、すぐに台本を書いてくれ。コーデリアに読ませる」
「わかりました」
次にキトはコーデリアに言った。
「最大の範囲に声を届けさせろ」
「わかったわ。あの緑目の軍隊を借りてもいい?」
「いくらでも使え」
そしてキトは俺に向き直る。
「ハーベスト、あんたは治癒の術を無差別に使う。できるだろ?」
「もちろんだ」
「姿を隠すことはできるか」
「姿を隠す?」
考えを巡らせる。フライトに雲化の能力はあるが、あれは空の上でしか姿を眩ませられないかもしれない。
「あんたは姿を見せられない。あの飛龍は印象が強すぎる。わずかでも特徴を悟られたくない」
「ナビ。俺は視覚阻害の術を使えるだろうか」
赤いナビに問いかけると、彼女は首を捻る。
「そもそも、ハーベストさまは同時にふたつの術は使えません」
そうだった。『再生』を使うのであれば、そもそも他の術を作用させ続けることができないのか。
悩んでいた俺たちに、コーデリアが割り込んでくる。
「幼生に支援させるわ。あなたたちの周りに霧を出しましょう」
「それは助かる。幼生はあんたが自由に動かせるの?」
「幼生と私たちは思考を繋げられるの。ある程度は自由にできるけど……支援対象があまりに散らばると、全てを網羅できないわ」
彼女はすこし思案してから言った。
「成体をもうひとり付けましょう。救援部隊に同行させるわ」
成体か。そういえば、いまだにコーデリア以外の者を目にしていない。
もうひとりというのは、ルーファウスを洞窟の中に閉じ込めた個体だろうか。
こんなに深刻な事態が生じているというのに、いまだに白嶺の民の全容がわからない。彼らはまだ俺たちを信用しきっていないのかもしれない、と思う。
「台本ができました!」
ルーファウスが紙切れをキトに渡す。
それを確認し、キトはすぐにコーデリアに渡す。
「これを読んでくれ。相手はすぐには判断しないと思うから、ゆっくり、何度も読んでくれ」
「わかったわ」
コーデリアは、エリスの前にあるすこし開けた場所に緑目の兵士たちを集める。
フォレスティアから二名、イノスマイリアから二十名。彼らを円状に並べ、コーデリアは中心で杖を掲げる。
「私の言葉を復唱して頂戴」
先ほど緑のナビがしたように、コーデリアは祈りの言葉を口にする。
「『杖持つ者よ、虚ろに印せ』」
これは神を呼び起こす、序唱と言っていたか。
先ほどと同じ文章だ。
エリスの軍隊が扱える祈りは、風の神を呼び起こすものに限られていると言っていたから、同じ文章から始めるしかないのだろう。
「『波紋よ、幾重に輪を広げよ』」
続くのは、神に意思を伝える律唱。
先ほどと内容が違う。
先ほどとは違う術を使いたいのだと、風の神に伝えているということか。
「『象なき道をここに切り拓け』」
神の力を現出させる、締唱。先ほどと同じだ。
律唱だけが異なるこの祈りの詩を完成させたコーデリアは、風がうねる杖先をさらに天に掲げながら言った。
「発動の言葉は、『風の囁き』よ。――風にのせて、遠くまで私の声を届けるのをイメージして」
それに応じて、エリスの軍隊が発動の言葉を口にした瞬間。
杖の石を中心にして、波紋のような空気の流れが起こった。
耳鳴りのような不快感がある。
術が機能しているということだろう。
コーデリアはゆっくりと息を吸った後、澄んだ声を辺りに響かせた。
「白嶺の領域を侵す者たちへ告げる。
先ほどの攻撃は、我ら白嶺の民による反撃である。
我らはこの地への侵攻に抗議する。
ただちに武器を収め、白嶺の領域から退け」
大きな声ではない。
しかし、耳の中に直接響かせているような声だった。
敵の様子はわからないが、ひとりひとりにちゃんと届いているのだと予想できる。
コーデリアは続けた。
「今すぐ撤退するならば、追撃はしない。
負傷者には救いの手を差し伸べる。
だが、慈悲は一度きりである。
なおも進むならば、次はない」
――生きて帰り、伝えよ。
白嶺の民は侵略を許さない――その言葉で、演説は締められる。
キトが話した内容が全て詰め込まれていた。
しばらく間を置いた後、コーデリアは「繰り返す」と言って、同じ内容を風に乗せた。
「この間に、俺たちは行くぞ」
キトは緑の結晶を飲まなかったイノスマイリアの兵士を何人か集めて、装備を確認した。
「俺たちがやるのは、攻撃じゃなく救助だ。もし歯向かう者がいたら、俺とハーベストが抑えるから、あんたらは救助に集中してくれ」
キトは倒木や枝を除去するために使えそうな斧や鉈、てこ代わりになる槍を持つように指示した。あとは短剣と、布や消毒液のようなもの、水筒を持たせた。
「俺とハーベストは白嶺の民に霧で隠してもらう。しかしあんたらはできるだけ姿を見せろ。名乗ってもいい。共和国の旗を担いで活動しろ」
白嶺の民と、共和国の民は同盟を結んでいる。それを宣伝してほしいと強く述べ、キトはエリスの祭壇の方に向かう。
確か以前、浮島から下に移動する際にこの場所を使ったからだ。
「すこしお待ちください。白嶺の成体が来てくれるようです」
エリスが虚ろな瞳で空を見上げ、そう呟いた。
「やつらと交信できるのか?」
キトが問うと、彼女は頷く。
「私の意思は、根を通じてどこかに接続されているようです」
「そうか。早く来いと伝えてくれ」
「やってみます」
エリスが答えた直後だった。俺の背後になにかの気配が生まれる。
それはため息をついていた。
驚いて振り返ると、そこには銀髪の男が立っていた。
「そんなに急かさなくても、真面目に向かっていたのに」
「も、申し訳ない……」
つい謝ってしまった俺に、男はひょいと肩をすくめた。
ルーファウスが言っていた通りの印象だ。
俺に似ていない白嶺の民。
見た目は確かに、人間ではあまり見かけないくらいに整っている。
「あんたが白嶺のもうひとりの成体か」
「そう呼ばれるのは好きではない。スイと呼んでくれるかな」
男は流れるような自然さで名乗る。
そしてエリスの樹に取り込まれ、隆起してしまった祭壇まで軽やかに登りながら語った。
「大体は理解しているよ。君たちを隠しながら、君たちの使う奇跡の力を私が使ったように見せればいいんだろう」




