第16章(1)
「今の状況を教えてくれるか」
キトがルーファウスに問いかける。
「ファロウの厳つい船が空を飛んでいたぞ」
キトが南の空を指差す。
かなりの高度を飛んでいるので、ここからでも微かに見える。威嚇が目的だから、見せつけるように飛ばしているのだろう。
「風嚢船ですよ。ここから奪った不思議な石を使って開発した乗り物だと聞いています」
ルーファウスが即座に答える。
「フォレスティア側もご存知と思いますが、ファロウはこの白嶺地区で採れる石を使って、様々な妖術を使います」
「……妖術ですか?」
グレンが口を挟む。
「我々はファロウの怪しげな術や技術を『魔術』と呼んでいます。同じものと考えて差し支えありませんか?」
ぽかんとするルーファウス。
そんな話を今する必要があるかと俺は思った。たぶんルーファウスも同じことを思ったのだろう。
「いや、別に。私が言いたいのは、ファロウが怪しげな術を開発しているという事実でして。特に正式な名前をつけているわけではありません」
怪訝な顔をしながら、早口で答えた。
「それでは今後、彼らの怪しげな術や技術は、すべて『魔術』と呼んでもよろしいですか」
「はあ……別に、良いんじゃないですか……?」
ルーファウスは面倒くさそうにそう言って話を打ち切り、本題に戻す。
「そんなことより、大変なんです。霧の領域に、王党派の軍が入り込んでいるようです。今はコーデリアさんの仲間の幼生たちが森に迷い込まそうとしていますが、徐々に陣地を広げられているようです」
クラウディオが使っていたような地図を広げて、みなに近況を伝えてくれる。
浮島があるこの場所を中心に、霧が広がる範囲に線が引かれている。
そしてイスメリアの方角から、虫食いのように蛇行する線が伸びていて、これが王党派の軍に入り込まれた部分のようだ。
「彼らは霧を晴らせる道具を所持しているようです。ファロウから提供されたものかもしれません」
それは厄介だ。俺たちは顔を見合わせた。
ファロウはどこまでの技術を保有しているのだろう。空飛ぶ軍船まで姿を見せたことで、俺の不安はさらに強まっていた。
「私たちはイスメリアから逃げ出して、コーデリアさんに助けを求めました」
苦肉の策とはいえ、迂闊でした――ルーファウスは眉間に深いシワを刻む。
「王党派は私たちの後をつけていたようで、居場所はすぐにバレました。犯罪者を匿うなら、白嶺地区を制圧すると主張しているようです」
困りました、とルーファウスは頭を抱えた。
もちろん、ルーファウスたちを差し出せば白嶺地区への侵攻が止まるわけではないだろう。
ただの建前だ。
この機会に、ファロウと組んで白嶺地区の採掘権を取りたいだけだ。
「あなたたちのせいで、ここまで手を進められてしまったわけだけど……女神さまは挽回してくれるのよね?」
コーデリアは微笑を浮かべつつ、首をかしげる。
以前も思ったが、どこか他人事のような振る舞いだ。
今まさに、自分たちの領域が侵犯されているというのに。
その態度が、すこし前の自分に重なって、俺は苦々しい気持ちになった。
「ここの力を使わせてくれるのなら、どうにかする」
すぐに四者会談を始めたいのだが、というと、キトとルーファウスが同時に声を上げた。
「そんな悠長にしてる場合じゃねぇだろ!」
「私たちにはもう発言権なんかないですよ! どうにかしてください!」
俺はコーデリアを見た。彼らと同様に、すでに異論を挟む気はないようだ。
「さっさと始めて頂戴。どこで何をやる気なの?」
ニースの命を遂行するにあたり、まずは球体を飲んでもらう場所を決めなくてはならない。
「この領域で、どこか象徴的な場所はあるだろうか」
「象徴的な場所?」
「力の本流というか、濃度が高い場所というか」
そう問いかけると、コーデリアはすこし考えるように空を仰ぐ。
「私たちは石から力を取り出すわ。石が大きければ大きいほど、一度に取り出せる力が大きくなる」
「大きな石は近くにあるだろうか」
「ええ、あるわ。浮島は大きな石の力で浮かせているから、島ごとに大きな石があるの」
案内してほしいと頼むと、彼女は素直に歩きだした。
エリスを近くに呼ぶと、コーデリアと俺とを交互に見て、不安げに囁く。
「あの方は、ハーベストさまのお姉さまかなにかでしょうか」
評議会の人間たちには報告していたのだが、エリスにはまだ話していなかった。
「いや、あの方はこの白嶺地区に古くから住む民だ。俺に似ているのは偶然だ」
「偶然にしては、似すぎていませんか?」
「…………」
そうかもしれないが、それ以上のことはなにも言えない。
「どこかで関係しているのかもしれないが、今はわからない。ただ、信用できる人だと思う」
仲良くしてほしいと告げると、エリスはすこし面食らった顔をする。しかしすぐに、「わかりました」と返事をしてくれた。
コーデリアは島の中心の方に足を向けた。
そこには以前見た記憶のある、祭壇があった。
切り株に幾重にも蔦が絡まった、自然に作られた祭壇。中心に見える緑色の光が、石によるものなのだろう。
ここなら落ち着けそうだ。
空気も景色も良い。
地面も急激な勾配がなく安定している。
俺は腰に結びつけていた革の袋を手に取り、急に気分が重たくなった。
エリスに告げなければならない。
ここでこれを飲んでほしいと。
「…………」
沈黙が流れる。
フォレスティアの面々と、共和国派の面々が集まっている。
すぐそばにはエリスとコーデリア、数歩離れたところにキトがいた。
その他の者もみんな俺を見ている。
ほとんどの者が、俺がなぜ動きを止めているのかわからないような顔をしている。
俺はまだ迷っていた。何度も決意したはずなのに迷っていた。
本当にこの任務を進めるつもりなのか。
理屈上は整えた。進めざるを得ない理屈を整えた。
しかしそれと、感情は別の動きかたをする。
理屈では押さえられない衝動が、微かに生まれては消える。
「ハーベストさま」
声を上げたのは、エリスだった。
「ご指示をください」
「……そうだな。申し訳ない……」
俺はエリスに向き直り、袋を渡す。
「この場所でこれを飲み、聖なる樹となってほしい」
震えそうになる手に力を込める。
逃げてはならない。
言わねばならない。
責任を負わねばならない。
俺は努めて冷静な声で、エリスに告げた。
「命の続く限り、フォレスティアと……ここにいる、志を共にする者たちの支えとなってほしい」
エリスは袋を受け取り、力強く頷く。
「わかりました、ハーベストさま」
俺にはそれだけ告げ、彼女は球体を手のひらの上につまみだす。
それを握りしめ、彼女は周りに集まる人々に視線を巡らした。
「私はこの場所で、礎となります。みなさまは、私の代わりに邪なるものと戦い――私に勝利を捧げてくださいませ!」
その宣言に、最初に誰かが敬礼した。
それを合図にするように、次々に敬礼が伝播する。
フォレスティアから来た者だけではない。イノスマイリアの者も同じ行動をとっている。
俺も一歩下がり、同じように敬礼した。胸に拳を添える形のものだ。
俺の動きがぎこちなかったからだろうか。エリスは一瞬笑顔を向けた。
「それでは、行って参ります」
彼女は、祭壇へ数歩近付く。
コーデリアと入れ違いにそこに立った彼女は、最後に全体を見回した後――
あっさりと球体を口に含み、飲み込んでしまった。
女神はかくも無慈悲なものなのか。
おそらくこの場にいた者はみな、そう思っただろう。
筆舌に尽くしがたい光景が、目の前で展開された。
目に入るもの。聞こえるもの。俺はそれを受け入れながらも、理解する回路を麻痺させた。
そうしないと、立っていられなくなるからだ。
鼠であらかじめ見ていたのに、理屈ではわかろうとしていたのに、俺はどこかで期待していたのかもしれない。
人間は鼠とは違う。
神聖な儀式として行えば、神聖なものとして処理されるのではないか。
そんなわけがない。ニースに限って、そんなわけがない。
俺は思った。
これは見せてはいけないものだったのではないか。
周囲を見渡せば、恐怖に顔を歪める者、へたり込んでいる者、気分を悪くしている者がいる。
今まで信じてきた、信じようとした女神を疑うには十分な光景だろう。
しかし、隠し続けるのもどうか。
俺は正直に背負わなければならないのではないか。
俺はこの残酷な女神に従っている。
俺が崇拝させようとしている女神はこのような女神である。
人間たちからそう見られるのは当然のことだ。
目を逸らしていても仕方がない。
コーデリアすらも、顔をひきつらせている。
そんな中で唯一キトは、無表情でその光景を見守っていた。
彼は何を考えているのだろう。
俺と同じで、なにも考えていないのかもしれない。
ただこれを事実として受け止め、次の行動をとる。
その義務だけで立っている。
俺もそう在らねばならないと思い、彼に倣って立っていた。
干からびて黒ずんだエリスの体から、根のようなものが生えてくる。
その根は地を伝い、放射状にどんどんと伸びていく。
あまりの速さに危険を感じたが、人がいる場所をうまく避け、浮き島の端まで走っていく。
島から地上に根を伸ばしているようだ。
すかさずウォッチを飛ばし、全容を把握する努力をする。
霧に包まれてよく見えないが、根は浮島を抱え込むようにしながら、地上に向かって伸びているようだ。
聖地の力は地下から汲み上げるのか?
地上に到達したらしい。根を伝い、下方から緑色の光が上ってくる。
干からびていたエリスの瞳が、カッと見開かれた。
鮮やかな緑色だ。
続いて髪が黄緑色に染まっていく。キトの髪が変色したときの色とは、すこし違っていた。
横たわっていた体の背の方から芽が出て、双葉になり、本葉が生える。
ものすごい速度で蔓を伸ばしていき、天に向かって聳え立つ一本の樹が生まれた。
その光景は、神秘的だった。
先程まで恐怖に包まれていた人々からも、感嘆の声が上がる。
しかし俺の心には高揚はなかった。
キトのときに感じたような、不気味なほどの高揚は起こらなかった。
エリスはこれから、人間ではないものとして一生を過ごすことになる。
その苦しみが、俺にもある程度予想できてしまうからだろう。
人間を救う英雄が降臨した――そのような楽観的な気持ちにはとてもなれなかった。
エリスは樹に絡め取られるようになっていたが、樹の幹に座っているような形で存在していた。
いまは特に苦痛は感じていないらしい。
動かせる両腕を見下ろして、ぼんやりとしている。
「エリス、大丈夫か」
大丈夫なわけはないのに、ついそう尋ねてしまった。
彼女は俺の声に応じ、ゆっくりと頷いた。
「大事ありません。次は何をすれば良いですか」
「いや、いまは特に何もない」
樹ができる際に、結晶が撒き散らされていた。
綺麗な球の形をした、親指の先くらいの大きさの緑色の結晶。
足元にあるそれを数粒拾い、後ろを振り返る。
「聖人エリスの力を授ける。彼女に勝利を捧げたい勇者は、これを飲み下せ」
俺はまず初めに、グレンにそれを渡した。つづいてレオナルドに渡す。
先ほどのエリスの凄惨な光景を見てもなお、すぐに飲めるとは思えなかったが、彼らは意を決したように、それを口に含んだ。
「私も、戦います」
「力をお授けください、ハーベスト様」
意外なことに、イノスマイリアの者たちも次々に声を上げた。
俺は彼らにも結晶を授けた。
次々に、目を緑に染めていく人間たち――。
実験場で見た鼠と同じだ。
気味の悪い光景だった。
しかしこれはすべて、俺がやらせたことだ。
この緑目の軍隊を使い、イノスマイリアを取り返す。
それが俺に課せられた本当の任務だ。




