第15章(2)
エリスは震えていた。
昨日の出来事をまだ整理できていないのかもしれない。
俺に罰せられると思っているのかもしれない。
俺はまず緊張を解くためにすこしだけ口角を上げた。
「怖がらないでほしい。君を罰するために呼んだわけではない。ゆっくり話がしたいだけだ」
「も、申し訳ございません……先日は、身の程をわきまえず、無礼なことを……」
「君を責めるつもりはない。だが、なかったことにするのも違う。俺たちの間には、正さなければならない思い違いがあるのではないかと考えた」
努めて穏やかに語りかける。
その甲斐もあり、エリスは怖々ながらも顔を上げてくれた。
「思い違いというのは、周りの人間も含めてのことだ。君だけの判断ではなかったのだろう? それは俺がきちんと説明をしてこなかったせいでもある」
関係を改善するためには、お互いの理解を深める必要がある――と語ると、彼女の瞳にわずかな興味の色が差した。
「以前は、君の話を聞かせてもらったと思う。家族の話や、街での出来事を……。だから今日は、俺の話をさせてもらえないだろうか」
「は、はい……お願いいたします……」
あっさりと許可は得られた。期待の眼差しが向けられる。
とは言ったものの、どこから語るべきだろうか。
一瞬ナビに視線を送る。
同行を制限しようとしたが、できなかった。しかし、俺が求めるまでは喋るなという命令は承諾した。
言いつけを守るかはわからないが、いまは信じるしかない。
俺は思案しながら、口を開いた。
「俺はこの国では神の使いと呼ばれているが、君たちが天界と呼ぶ世界では――絵描きとして暮らしていた」
「絵描き、ですか?」
「ああ。絵描きだ」
淡々と話をした。
俺たちは、再構成体と呼ばれていること。
再構成体は、人間のようには生まれない。いつの間にかこの体で、世界に存在していたこと。
なぜ生まれたのかはわからないし、どうしてこの姿なのかもわからない。
再構成体のなかでは俺は生まれたばかりで、自分が持つ特殊な能力についてもよくわかっていない、半端者だということ。
「ただ俺が描く絵は、どこか特別だったらしい。人を惹き付ける能力があるのかもしれないと言われ、女神に仕事を頼まれるようになった」
本当は、顔が良いからと言われたのだが。
その構造を改めてエリスに言うのは気が引けたので、誤魔化した。
エリスは俺の話を素直に受け取ってくれた。
「ハーベストさまは、どんな絵を描かれていたのでしょう」
「風景画が主だ。過去の風景の資料から、色をつけてほしいと頼まれることが多かった」
「天界には、どのような風景があるのでしょう」
「意外に思われるかもしれないが、この世界とあまり変わらない」
空があり、海があり、街がある……。
衰退した世界であることは伏せておいた。
しばらく俺たちは、コンフィズリーや絵について、とりとめのない問答を続けた。
話題も尽きてきた頃に、本題に入る。
「君たちにはすでに、女神の目的を語っていると思う。この世界に逃げ込んだ魔王や、邪なるものから君たちを守ることが彼女の目的だ」
建前上はそうなっている。今さらそれを疑問視することはできない。俺にできるのは、これが本当である前提で、全力を尽くすことだけだ。
呼吸を整えてから、続ける。
「俺は女神の代わりに、この目的を果たすためにやってきた。君たちが邪なるものから身を守る手段を学べるよう、尽力している。その任務は、キトライドにも手伝ってもらっている」
「キトライドさま……」
エリスの瞳が、わずかにぎらついた気がした。
誤解を解かねばならない部分だと再認識する。
「キトライドは強い人間だ。俺を導き、時に叱咤してくれる。君たちを不安にさせていたかもしれないが、この国にとって必要なことなんだ」
「…………」
なにか言いたげだ。しかし、反論はしてこない。
なら、核心を述べよう。
「キトライドは試練を受けたが――」
エリスはびくりと体を震わせる。
「試練というのは、甘いものではない。なぜなら、俺も女神も、君たちが思うほど万能ではないからだ」
喉を鳴らすエリス。俺の一言も聞き漏らすまいという意思を感じる。
俺は深く呼吸をしてから、続けた。
「人間の世界というのは複雑だ。ひとつを守ろうとすれば、ひとつを壊す。ひとつを討とうとすれば、関係のないものが巻き込まれたりもする。
女神はその繊細さがお分かりにならない。時に不可解なほど極端な手段を人間たちに与えようとする」
「極端な手段とは……?」
一概には答えられない。
津波や魔物の投下などは論外だが、キトが受けた非道な扱いや、今回の外交摩擦については一部語ってもよいのかもしれない。
「キトライドは、女神の力を使う度に体を壊している。女神は人とは異なる存在だから、人間の痛みについて理解が浅い。人間がいかに脆くできているかをご存知ない」
「…………」
「女神はいまもフォレスティアへ力を与えようとしているが、それが人間社会に多大な影響をもたらすことをご存知でない。
今回の会談は女神の命で進めたものだったが、それがきっかけで、イノスマイリアに政変が起きた可能性がある。内戦が引き起こされるかもしれない……」
そう語ると、エリスは青ざめた顔をした。
当然だ。彼女はロナルドの庇護のもと、穏やかな環境で育ってきた人間だ。
俺だって、やっと実感が持ててきたばかりなのに。いきなりこのような現実を、彼女に背負わせるのは厳しすぎることはわかっている。
それでも、語らねばならない。
「いま、フォレスティアは岐路に立たされている」
「岐路……」
「進むか、退くかの岐路だ。どちらに行っても、この国には試練となるだろう」
試練という言葉は、エリスにとって特別な言葉らしい。目の奥に並々ならぬ興味を感じる。
「進めば、この国には戦火が降りかかるかもしれない。しかし、女神は邪なるものと対峙しようとするこの国の意思に応え、力を授けたいと思うだろう」
退けば……、俺は一瞬言葉を飲み込む。そちらを選ぶことの重みを感じ、胸が詰まる。
「退けば、フォレスティアにはひとときの平和は訪れるだろう。しかし、強い意思を示さないこの国へ、女神は興味を失い離れるかもしれない。いずれ国民は、自らの足で立たねばならなくなるだろう」
「…………」
「いま、この岐路を越えるための協力者が不足している。俺たちは進みたいと考えているが、女神の力を得るための手段が、限られてしまっている」
このままでは、進むことでフォレスティアを過度な危険にさらしてしまう。
だから、悩んでいる。
退いた方がいい可能性もあるのではと思っている……。
俺が正直にそう語ると、エリスは勇ましく口を開いた。
「女神の意思が、進むことなら、それが試練なのではないですか。退くことは、試練から逃げ出すことではないですか」
「いや、そうではない。試練というのは、なにも女神の与えるものだけではない。フォレスティア国民が自ら選び、国の行く末を決めることは全て試練ととらえるべきだ」
どちらを選んでもよいんだ。
しかし女神の言葉を理由にして進むのは、違う。
退くことも、進むことも、フォレスティアの人間が選ばなくてはならない。
その結果を引き受けるのは、女神ではなく、この国に生きる者たちだからだ。
「女神の言葉には力があるが、絶対ではない。女神の与えた試練だから、やらねばならないというわけではない」
「…………」
すこし不服そうな顔をするエリスに、俺は告げた。
「いま俺たちは、もうひとりの聖人を必要としている。女神の力を人間たちに与えるために必要な存在だ」
君に白羽の矢が立っていると思うが――とエリスを窺う。彼女が強く頷いたので、「だからこそ、きちんと伝えておきたいと思った」と続けた。
「新たな聖人には、キトライドと同じように、フォレスティアの主柱となり国の行く末を決めてほしいと思っている」
「主柱、ですか」
「ああ、主柱だ」
ニースが言った、『人柱』ではない。
大切なことなので、強調した。
この役割を、ただのニースの駒として置きたくはなかったからだ。
「キトライドは自ら選んだ。ウィディアが邪なるものからの被害をこれ以上受けないよう、自らこの辛く険しい試練を選んだんだ」
だから俺は、彼と共に立っている。彼と共にフォレスティアの在り方を考えている――そう述べると、ようやくエリスの瞳からぎらつきが薄まった。
「もし君が、キトライドと同じように、この国の行く末を案じて聖人となりたいというなら、俺は君の味方として隣に立とう」
「…………」
「強制はしない。君が決めてくれ」
これだけは約束する、と俺は深い呼吸をしてから言った。
「君がなにを選ぼうと、女神は君を罰することはない」
……この日はここまでの話に留めておいた。
あまりに多くを伝えたら、彼女の自主性を阻むと考えたからだ。
数日後、エリスは改めて俺と話したいと申し入れてきた。
「お時間いただいて、ありがとうございます。ハーベストさま」
優雅に会釈するエリス。
その顔つきは前回と異なり、すっかり落ち着いていた。
もともと彼女は、落ち着きのある人間という印象だった。
だから俺との窓口になってほしいと思っていた。
本来のエリスが戻ってきたんだなと感じて、俺はすこし嬉しくなった。
「あのあと、私なりに考えておりました。そして、もっと詳しいお話を伺いたくなりました」
彼女がそう言ってくれたので、俺は説明した。
ニースから渡された乾いた球体と、聖人化の内容について。
ひどく残酷だと思える内容も、できるだけ客観的に伝えた。
必要以上に恐怖を煽るのはよくないと感じていた。
この内容をどう捉えるかは、彼女の自由なのだから。
「女神様の試練は、本当に厳しいのですね……」
エリスは俯いて、ぽつりと言った。
「私の他に、この試練を受けようとする者はいるのでしょうか……」
「わからない。しかし、いなければ、その前提で話を進めるだけだ」
この数日間、ただエリスの決断を待っていたわけではない。
白嶺地区を守るだけなら、やりようはいくらでもある。
俺とキト、コーデリアが協力すれば、侵略者を迎え撃つことくらいはできる。
レオニスにも確認した。共和国派はそこまで崩れていない。イスメリアを奪還できれば、彼らは自分たちで王党派を鎮めると言っている。
錬石と飴をたくさん持ち込んでいる。
あれは俺たちの燃料であるが、あれ自体も魔法を練り出すことができるアイテムだ。
すこし使い方を研究すれば、人間が使える武器になるだろう。
「本気になって考えれば、いくらでもやりようはある。女神の試練は必須ではない」
ニースの任務も、聖地をファロウに取らせないための手段のひとつとして、俺に与えたものなのかもしれない。
人柱を立てなくとも、聖地を守れたらそれでよいのではないか。
数日を経て俺は、そのような楽観的な考えを持ち始めていた。
「ですが、女神様は仰られたのですよね。その球体を飲み、聖樹となる者をフォレスティアから出しなさいと」
「…………」
改めて問われると、俺の決意は簡単に揺らぐ。
ニースの指示に逆らえば、なにをされるかはわからない。
人間の軍隊なら制圧できるかもしれないが、もしニースが命に背いた俺たちを攻撃してきたらどうなるか。
ウィディアに落とされた化け物。あの正体はまだわかっていない。俺はゼノが落としたんじゃないかと疑っている。
言うことを聞かない俺たちに、しびれを切らしたゼノが介入してこない保証はあるのか。
俺の悩みを感じ取ったのか、エリスは眉根を寄せて、口を結ぶ。
すこしの間を挟んでから、彼女はゆっくりと口を開いた。
「ハーベストさま。私は王統に連なる家の娘です。生まれてからずっと、国のために尽くすようにと言われておりました」
それは、何となく伝わる。
彼女の立ち居振舞いは、人前に立つことを当たり前とする立場であることを示している。
「長らく役割を固定されてこなかった私ですが、ようやく父から与えられた役目が、あなたのお側に仕えることだったのです」
エリスは静かに語った。
初めは怖かったこと。
父親の言う通りに行動したのに、俺に受け入れられず、キトに非難され、自信を失ったこと。
「あのときあなたがかけてくださった言葉が、いまでも忘れられません。あなたは私の働きを純粋に見ておられて、それを評価してくださいました」
――引き続き、巫女をやってほしい。
でも、私が嫌なら、無理にとは言わない――
「そのように言われたのは初めてです。私は父の背中に隠されて、いつも意見を求められませんでしたから」
その時から、エリスは考えたのだという。
自分がなにをしたいか。
なにができるのか。
自分に課せられた、真の役割とはなんだろう。
「ハーベストさまにお仕えするのが、私の真なる役割と考えていました。しかし先日あなたのお話を伺い、そうではないと気付かされました……」
彼女は目を伏せる。
静かに呼吸を整えている。
結論を述べようとしているのがわかった。
彼女が自分で考えて出した結論だ。
何が語られたとしても、俺は受け入れよう。
そう決意して、言葉を待った。
エリスはゆっくりと目を開き、こう告げた。
「私にしか担えない役目があるのなら、やらせてください。私は、キトライドさまのように……フォレスティアを支える柱となりたいです」




