第14章(2)
「あのさぁ、話があるんだ」
「話?」
なんだと尋ねると、キトはどこか言いにくそうにしながら、口火を切る。
「確認させてほしいんだけど。あんたさあ……」
なんだか妙な感じだ。いつもはっきり物を言うキトとは、何かが違う。
俺は不安になりながら、彼のほうに体を向ける。
「あんたは、女神の目的をこなすためにここへ来たんだよな? この場所をフォレスティアに領有させて、樹を置きたいと言い始めたのはあんただ」
そうだろ? とキトは聞いた。
俺は困惑しながらも、頷いた。
「俺さぁ、あんたのために整えたんだよ。あんたが、できないと困るって顔をしたから、俺はここまで話を整えたの。わかる?」
「ああ、もちろんだ。いつも苦労をかけてすまない……」
キトは俺の言葉に、顔を歪めた。
突然の変化だったから、驚いた。
彼はそのまま俺を見据え、低い声を出した。
「でも、あんたさっき、自分で台無しにしようとしたよね?」
「え……」
「俺が悪かったのはわかる。俺が無様な姿を晒したから、ああなったのはわかる。わかるが……」
彼はすこし言葉を切る。
複雑な表情だった。
怒っているのか、悩んでいるのか、悲しんでいるのか、よくわからない顔をしながら続きを口にした。
「他にもやり方があっただろ。どうしてせっかく整えた場を、台無しにしかねないことを言っちゃったんだよ……」
「…………」
俺の頭に、浮島での出来事がよみがえる。
苦しげなキトを目の当たりにして、俺は頭が真っ白になっていた。
とにかく早く助けなければと、強硬な発言をした。
会談が台無しになってもいい。キトさえ助かればいいと思った。
彼は、そのことについて話しているのだろう。
「結果的に、うまくいったからいいだろう。コーデリアは、正直だと褒めてくれた……」
「いいわけあるか! はぐらかすなよ!」
キトは足を踏み鳴らす。大きな音に、俺はびくりとした。
「今回は、たまたまうまくいっただけだ。しかし、あんたの言動ですべてがひっくり返ることもある……あんたの行動原理の共有は、義務だ。どういうつもりだったか、ちゃんと話せ」
あんたの領分は、女神の目的を果たすことじゃないのか――キトは鋭く、俺に切り込んできた。
「…………」
俺の体は冷え込んだ。
正論を突きつけられていることがわかった。
俯きながら、考えを巡らせる。
何を聞かれている?
俺はなにを話せばいい?
俺の領分? 行動原理?
……俺はなにをしようとしていたのか。
「…………」
静かに、考える。
俺は今回も、ニースに命じられてこの地に来た。
来たかったわけじゃない。
ただ、ニースの命に逆らうのが怖かった。
逆らえば、なにが起きるかわからないからだ。
この聖地を奪取し、人柱を捧げる。
それをしなければ、ようやく形になってきたものが壊されてしまうのではないかと思った。
キトが、人間として穏やかに暮らしていること。
そのそばで、俺もすこしだけ穏やかな気持ちでいられること。
ニースの要求を満たしていれば、それらを壊されずに済む。
俺の中では、いつの間にかそうなっていた。
キトが害されてしまったら、依頼をこなす意味がない。
けれど、考えてみたら、この理屈はおかしい。
そんなことを正直に、キトに話せるわけがない……。
「なんとか言えよ」
キトの声が震えている。
怒っている……。
なにか言わなければと思い、顔を上げた。
「君がいなくなると、困るんだ……」
ひどい言葉が出たと思った。
しかし、俺の口は止まらない。
「俺ひとりでは、なにもできない。人間の暮らしを壊さずに、女神の要求をこなすことができないから……」
そんなことを言えば、キトを困らせると思った。
しかし、本当のことを言うよりはましだ。
すべては君を守るためにやっているんだと、白状するよりはましだ。
案の定、キトは怒りを膨らませる。
憎々しげな顔で俺を見下ろしながら、彼は吐き捨てた。
「それはあんたの仕事だろ。なんで俺ができると思ってるんだ」
俺にだってそんなことできねーよ――荒々しく息をしながら、キトは続ける。
「あんたのきたねぇ仕事は、あんたがやるんだ……。俺を使うのは構わないが、最悪俺なんか死んでもいいと思えよ」
息が詰まった。
キトの眼光が恐ろしかったのもある。
しかし、それよりも……。
――死んでもいいと思え。
その言葉が恐ろしくて、俺は息を上手く吸えなくなった。
苦しい。
俺はまた視線を下げて、落ち着こうとした。
弱さを見せてはいけない。
神の使いとして、毅然としていないといけないのに。
キトはいま、どんな顔をしているのだろう。
不甲斐ない俺に、どんな視線を向けているのだろう。
一歩だけ、足が動いた音がした。
続けて暗闇から、低い声が落ちてきた。
「俺に依存するな。気持ち悪い……」
それは、ひどく冷たい声。
俺を完全に、拒絶する声だった。
キトが去り、この場は再び静寂に支配された。
しかし俺の頭には、彼の言葉が繰り返し再生されていた。
――依存するな、気持ち悪い……。
耳を塞いでも無駄だ。
わかっていたから、俺は微動だにせずそれを浴び続けた。
時間が経ち、すこしだけその音量が小さくなってから、俺は静かに思考を回す。
――キトが怒るのは、もっともだ。
俺の行動は変だった。
せっかくキトが開いてくれた聖地への道。決して簡単ではなかったその道を、俺はよく考えないままに閉ざそうとした。
どうしてそんなことをしてしまったんだ。
俺はこれまでのことを考える。
そもそも俺は、どうしてニースの言いなりになっていたのだろう。
俺はコンフィズリーで生まれた。
気がついたら、ベルフォートの街にいた。
レムが世話を焼いてくれ、絵を描き始めた。
絵が評価されて、美術館が建った。
俺のために作られたその居場所は、突然ゼノに壊された。
壊されたくなくて、ニースの元に下った。
生首も怖かった。生首になりたくはなかったし、他の誰かが生首になるのも嫌だった。
美術館のみんなに迷惑をかけたくなかった。
俺のせいで不幸になる人を見たくなかった。
そうだ。もともと俺は、自分の居場所を守るために行動していたのだ。
レムを守るため。
ロミを守るため。
美術館を守るために、ニースの仕事をこなしていた。
ニースが俺をトライフルに派遣し、なにをしようとしているのかわからない。
コーデリアが言うように、移住――侵略的な意味合いで、こちらに干渉しているのかもしれない。
しかし、なんにせよ、俺には逆らえない。
逆らえば、帰る場所がなくなるだろう。
コンフィズリーの仲間たちのもとに、帰ることができなくなるだろう。
本来なら、俺はそれを恐れるべきなのだ。
それなのに……。
『ハーベストさま。最近、なんだか楽しそうですね』
レムの笑顔が脳裏をよぎる。
『ハーベストさまが安定されているのを見て、みんな喜んでいますよ』
…………。
なぜだろう。
俺はなぜ、楽しかったのだろう。
キトに会ってから、本当に目まぐるしい日々を過ごした。
キトはわがままだった。いつも無茶をして俺を振り回した。
その度に俺は困惑しながらも……すべて自分の意思で決めていくキトの姿に、清々しさを覚えていた。
「…………」
寒さは感じにくいはずなのに、肌寒い。
両肩を抱きながら、思案を続ける。
『最悪俺なんか、死んでもいいと思えよ』――その意見は合理的だ。
本来の俺ならそうするべきだから。
レムやロミを守るため、キトを犠牲にしてでも依頼をこなすべきだから。
俺が帰る場所はコンフィズリーだ。美術館だ。
トライフルではない。
キトは俺にとって、使い勝手のよいトライフルの協力者だ。
それ以外のことをキトに期待するのは、本来はおかしいことなのだ……。
ふと、ナビの声が聞きたくなった。
ナビの話はたまに偏る。誰かに指示されたようなことを言う。
しかし――俺は、以前ナビが言ってくれたことが嬉しかった。
『そうでしょうか。いささか度が過ぎている気もします』
子供のことを、キトがわざと隠していたと勘違いしていた俺に、ナビは言った。
『対応が不服であれば、キトライドに改善要求をしましょう』
あのときは、キトの対応は当然だと言ったが、本当は嬉しかった。
正論で刺しながらも、俺に寄り添ってくれたナビにすこし喜びを感じていた。
首の後ろに指を添える。首筋に光が走り、体がびくと震える。
「おはようございましゅ! ハーベストさま!」
いつものように快活な挨拶をするナビに、穏やかな感情がようやく芽生えてきた。
「すまなかった、ナビ。ルーファウスを助けてくれてありがとう」
「任務なので、当然です」
彼女は得意そうに胸を張る。再起動が遅かったことは、特に気にしていないらしい。
「ハーベストさま。どうかしましたか」
「どうかした、とは?」
「元気がないように見えます」
わかってしまうのか。
俺はデッキの端から投げ出した足をぶらぶらさせながら、なんとなく口を開く。
「俺はなにをしたかったのか、よくわからなくなってきたんだ」
「ハーベストさまがするべきは、任務です」
きょとんとするナビ。
それはそうなのだが、と俺はぼやく。
「任務を放棄したら、俺はどうなるのかな」
「任務を放棄したら、処分されます」
はっきりそう言われ、俺は閉口した。
「しかしもともと、俺は絵描きだった。絵を描くのが仕事だ」
「今はニースさまの所有物です。もともとなんだったかは関係ありません」
「…………」
やっぱりナビに慰めを求めたのは間違っていたのかな。
起こさなければよかったと後悔した。
「任務の状況を確認します。聖地の民と交渉が進んだのを確認しました」
何かから情報を得たらしい。
勝手にしてくれ。俺はため息をつく。
「やりましたねハーベストさま! 任務は順調に進んでいます」
順調。
ニースの支配が順調に進んでいる。
俺がなにを悩もうと、彼女には痛くも痒くもない。
むしゃくしゃする。
「順調じゃない。キトに嫌われてしまった」
俺は勢いで、そう不満を述べた。
「依存するなと言われた。気持ち悪いとも」
「そうですね。ハーベストさまはキトライドに依存しすぎです」
気持ち悪いです――はっきり言われて、言葉に詰まる。
「しかし、無礼です。一度礼を弁えさせますか?」
「いや、いい」
「じゃあどうしたいのですか?」
「…………」
別に、どうにかしたいわけではない。
今まで通りに、一緒に仕事ができたら。
……急に、どうでもよくなってきた。
こういうときに、眠れたらいいのに。
眠って起きたら、すべてを忘れている。
人間はそのようにして嫌なことを乗り越えるのだと、レムが言っていた気がする。
キトは眠れただろうか。願わくば、熟睡して……全部忘れてくれていたらいい。
しかし、その願いがあまり叶えられなかったことを、俺は数時間後に知ることになった。
「大丈夫ですか?」
翌朝。ロナルドが、キトの様子を気にしていた。
「別に。よく眠れなかっただけだ」
「体調がよくないのですか?」
「なんでもねぇよ」
キトは明らかに不機嫌な顔をしていた。
眠れなかったというのは本当らしく、馬車に乗り込んだあとはずっと船を漕いでいた。
「全く眠れていないわけではありません。ただ、うなされていました」
ロナルドが、俺に耳打ちをしてくる。
「悪い夢を見ていたようです」
「…………」
人間は、そういうこともあるのか。
眠れる体質というのも、悪い方に作用することもあるらしい。
馬車が揺れ、目を覚まして頭を振る、を繰り返している。
たまにこちらと視線が合い、顔を歪めて目を逸らす。
そんな露骨な態度を取らなくても。俺はすこしムッとした。
俺たちの間に流れる険悪な空気を感じてか、ロナルドは妙に明るく俺に話しかけてくる。
その話は、あまり耳に入ってこなかった。




