第13章(2)
強い力に流されていた。
抗おうとしても、水流に逆らえない。
再構成体である俺は、呼吸で生命を維持しているわけではないが、息ができないと思考が淀む。自己錬成もうまくできなくなるようだ。
しばらく水中は暗闇に閉ざされ、不安を感じたが、やがて流れの向こうに光が見える。
米粒ほどだった光は、すぐに大きくなっていき、視界が急に眩しさに包まれる。
ざば、と音がして生ぬるい空気が顔に触れる。
水を吐き、しばらくむせる。
水流に押し上げられ、泳がずとも体が浮き上がるので助かった。
近くで、同じように誰かがむせているのが聞こえる。
そちらに目をやると、キトの淡緑の髪色が目に入った。
「た、たすけてください!」
反対側から声がする。ルーファウスだ。彼も水に落ちたのか。
「私、泳げないんです……!」
変に暴れるので、体が浮き沈みしている。
身を任せていれば勝手に浮き上がるのに。
助けに行こうとしたが、流れが速くてうまく泳げない。
周りを見ると、高い木々が見える。
俺たちは、幅の広い川に流されているらしい。
「ナビ、ルーファウスを助けてやってくれ」
「はい、わかりました!」
俺の肩に掴まっていたナビが、フラフラと飛び立つ。
ずぶ濡れだ。服から水が滴っている。
なんとかルーファウスの襟を掴んだナビは、懸命に彼を持ち上げ姿勢を安定させる。
「おい、嫌な音がするぞ」
キトが暗い声を上げた。
確かに妙な音がする。
ザー、という音だ。
「滝があります、ハーベストさま」
「ナビ、ルーファウスを頼む」
俺は両手を水面に出し、擦り合わせる。
若干弱いが、なんとか着火した。
親指の緑と、薬指の橙を混ぜて術を発動させる。
『飛翔』の術だ。
すこし抵抗力を得た俺の体は、水流に逆らってキトの方へ向かう。
ザーという音が、どんどん大きくなる。
周囲の音を全てかき消すほどになったとき、視界が空色に満たされる。
森を抜け、視界が開けたのだ。
同時に高地から、水と共に空に放り出された状態となる。
ようやく届いたキトの腕を掴み、空へ飛び立った。
眼前には空が広がる。
足元には色とりどりの緑。
この風景は見たことがある。
ウォッチに探らせた雲海に浮く島の鳥瞰。
どうやって水を持ち上げているのかと疑問に思っていたが、川ごと持ち上がる仕組みがあるようだ。
俺たちはその仕組みを使って、この浮き島まで送り込まれたのだ。
「おい、ハーベスト」
キトは俺が掴んでいない方の腕で、袖口を掴み、布が軋むほど握りしめてくる。
「早く高度を下げろよ」
濡れているせいかすこし滑るので、落とされないか不安なようだ。
「わかった」
俺は急速に高度を下げていく。
「も、もっとゆっくり……」
「早くと言ったが」
「悪かった、俺が悪かったから、ゆっくり降りてくれ」
「…………」
要望に答え、俺は緩やかに地面に近付いていく。
といえど、足元は森だ。そこに降りれば方向がわからなくなりそうだったので、木々の真上を沿うようにして森の切れ目まで移動する。
「ここはどこなんだ?」
高度が下がり余裕が出てきたのか、キトはそう尋ねてきた。
「霧雲の上に浮き島があると言っただろう。たぶんそこだ」
「監視が潰されたとか言ってたとこ?」
「そうだ」
ルーファウスは大丈夫だろうか。
俺は視界に映る川を見た。
ナビが人間ひとりを岸まで運べるかどうかはわからない。
とりあえず任せてみたが、なんとかなったのだろうか。
「飛ばされたのは俺たちだけか?」
「キトの他にはルーファウスしか見なかった。全容はわからないが、ひとまず近くにいるのは彼だけだろう」
森を越えると草原が広がっていた。
俺はそこにキトを緩やかに下ろす。
ようやく地に足がついたキトは、安堵のため息をつく。
「ああ、死ぬかと思った」
「まだ警戒を解くのは早いぞ」
ここはウォッチを見失った場所と似通っている。
いま俺の肩には固定のウォッチがいて、もう一体連れてきたはずの可動ウォッチはどこにいるかわからない。
キトの固定ウォッチはいまもキトに張り付いているのだろうか。
確認したくもあったが、それより先にと俺は着火して光を混ぜた。
緑と白。『乾燥』の術だ。
濡れ鼠の使者など格好がつかないだろう。
温かい風が全身を走り、体を濡らしていた不快な水が蒸気と化す。
一瞬にして水分をかき消した俺に、キトは羨望の眼差しを向けた。
「いいな、それ。俺にもやってよ」
もちろんだ、と答えかけて俺は停止した。
キトの背中側には森があり、その間の暗がりから、先ほど見かけたのと同じ虹色の目が光っている。
しかし、それは白い影ではなかった。
ちゃんとした人の形をしていて、手に長い杖を持っていた。
それはキトに杖の先を向けている。
妖しく杖の先が発光する。
俺は咄嗟に着火したが、それよりも前に異変が起こる。
「――?!」
キトの体が宙に持ち上がる。
不思議な体勢だ。
背中側の服がつまみ上げられたように持ち上がっていて、手足はだらりと垂れ下がっている。
キトも自分の状況把握に時間がかかっていたようだが、襟元が食い込んで苦しいのか、両手を首に添えて戻そうとしている。
助けないと。
俺は『拡散』を練り始める。術の効果なら、散らせる可能性が高い。
「動かないで」
しかし、前方から聞こえてきた声に動きを止めた。
「動くとこの人間、空から放り投げるわよ」
俺は指先の光を消し、両手のひらを相手に見せ、なにもしないことを示した。
「…………」
すこしの間、沈黙が流れる。
相手の声は高くて澄んでいる。女性のような口調だ。
いまだ虹色の目と光る杖しか見えないが、そいつはさらに杖をキトに向け、今度は上下に動かし始める。
「うっ、わっ、何?」
キトの体はそれに同調して、上下に揺さぶられている。
何が狙いか謎だったが、キトからバラバラと何かが落ちてきて、俺はそれに意識を取られる。
どこにそんなものを隠していたのだろう。
キトの下に散らばっていたのは例の飴と、布に包まれた長いもの……わずかにほどけて正体が見えたそれは、俺があげた例の剣だった。
「キト。それは持ってきては駄目と言われていなかったか」
「…………」
キトは、大人に叱られた子供の顔をしている。
キトは吊られたままだったが、武器を取り上げて安心したのか、虹色の目が移動を始めた。
暗がりから足を踏み出す。
そう、その人影には足があった。
体がちゃんとある。
靴を履いている。服を着ている。
紺色のベストとロングスカート。すこしデザインが古めかしいが、どことなくベルフォート風の正装に似た印象だ。
その姿が露わになるにつれ、俺の息は詰まっていく。
腰まで流れる銀色の髪。
周りの緑色を反射して、複雑な煌めきを放っている。
長い睫。伏し目がちにしているために、さらにその長さが際立っている。
その顔は、俺にそっくりだった。
人間離れした容貌と言われる、俺によく似ている。
その人形みたいな顔を向けて、彼女は俺に言った。
「初めまして。『人間ではない調停者』さん。貴方は一体、何者かしら?」
それはこちらの台詞だ。
そう思ったが、俺は努めて冷静に答えた。
「俺は違う世界から来た、使者です。この地に住むあなた方と、話がしたくて来ました」
「お話?」
彼女はすこし意外そうな顔をしてから、薄く微笑む。
「いいでしょう。貴方なら、話してみてもいいわ」
お互いに、相手に興味がある――奇妙な思考の一致が、この場を支配していた。
いまだに彼女の杖の先は、キトを向いて光っている。
キトは苦しそうだったが、このまま話すしかなさそうだ。
「俺の名前はハーベストと言います」
「ハーベスト……」
彼女は口の中で、俺の名前を転がす。
特に何も思い当たらなかったらしく、無機質な目をこちらに戻した。
「私の名前はコーデリア」
コーデリア。今度は俺が思案する番だ。
しかし記憶が曖昧な俺に、思い当たるものがあるはずがない。
「素敵な名前だ」
気の抜けたコメントが口から滑り出してしまい、失笑を買う。
「あら。女性の扱いに慣れているのかしら。嫌な感じね」
「申し訳ない。不快にさせたか」
思いがけない不評を得て、俺は慌てる。
その慌てぶりが面白かったのか、彼女は急に高笑いを始める。
「いいえ。さすがに同じ顔で、口説かれているとは思わないから」
「…………」
同じ顔。やはりそこが相手も気になっているのだ。
「この地に住む者は、あなただけなのか」
そう問いかけた。
白い影はたくさんいたが、あれとは明らかに違う。
人間と同じ姿をし、同じように振る舞う。
見たところ、俺よりも人間らしいような気もする。
コーデリアは薄く微笑み、返答した。
「ここに住む者は、複数いるわ」
「あなたと同じような姿をしているのか」
「いいえ。私のような姿をしているのは、私だけよ」
「他の者はみんな白い影なのか?」
彼女は目を細め、違うわよ、と言った。
「あの白い影は、私たちの仲間だけど、未分化なの」
「未分化?」
「成長していないってこと。幼生なの」
幼生……。よくわからないが、あの白い影も成長すれば人間の姿を得るということか。
「貴方の話を聞かせてよ」
「ああ……」
俺は周囲を見た。
ナビがいない。どこまで話してよいのかわからない。
キトにも聞こえてしまうが……。
白嶺の民の信頼を勝ち取るには、必要なことだ。
俺はそう納得して、口を開いた。
「俺が住んでいる世界は、コンフィズリーという」
太陽の位置から察するに、あちらの方向――西の果てにある大きな樹の内側を通ってきたことを告げる。
「別の世界? どんな世界なの?」
「このトライフルとそこまで変わらない。しかしすこし弱っている。空も緑も、ここまで鮮やかではない」
「衰退世界なのね」
どこか納得したように言うので、すこし引っ掛かりがあった。
「それで、その別世界の存在が、何をしに来たの?」
「特に目的があるわけではない。ただ、こちらの世界に何があるのか探っている」
「衰退世界から、こちらに移住しようとでもいうのかしら」
そう言われて、俺はハッとした。
なるほど、そういう考え方もあるのか。
なぜニースがこちらに干渉をしようとしているのか謎だったが、それが目的ならばある程度筋が通る。
……問題があるかないかは別として。
「こちらに来ているのは俺だけだ。樹の中は熱いから、こちらに来られる者は限られる」
「人間は来られないということ?」
「そう思う」
ふうん、と彼女は相槌を打つ。
こんなに開示してよかったのか不安になるが、ナビがいないので確認しようもない。
「貴方の世界にも、人間と人間じゃないものがいるのね」
「そうだ」
「貴方たちも、人間に困らされているの?」
困らされている――その言葉に引っ掛かった。
すこしだけ、彼女の立場が見えてきた気がする。
「いや、困らされていない。俺の世界は、俺たちの長である女神に統治されている」
「女神?」
「ああ。その女神が、俺たちも、人間たちも、全てを治めている」
「全てを」
頷くと、コーデリアは目を丸くした。
そしてしばしの沈黙の後に――大きな高笑いを発した。




