第13章(1)
みんなが寝静まった小屋の中にいるのは、なんとなく気まずかった。
俺は入り口のすぐ外のデッキに腰かけて朝になるのを待った。
護衛の人間が交代制で周囲の警戒に当たっていた。
彼らと話したりはしなかったが、「眠らないんですか?」と首をかしげながら問う者がいないわけではなかった。
俺は彼らに無愛想に返事をしたあと、うまく距離を取りつつ、ナビと相談をした。
議題は、霧深いこの森を安全に進むために、どんな自己錬成術を使えばよいかだ。
「まずこの霧ですが、やはり自然のものではありません」
錬石のものと同質の魔力の流れを感じます、とナビは森の奥を眺めながら言った。
「最初にやるべきなのは、霧の除去でしょう」
「そんなことができるのか?」
「できますよ。特にこれは、術の効果なので『拡散』で散らせるかもしれません」
それはまず試してみよう。
しかし、散らせたら散らせたで懸念は増えそうだ。
「霧を晴らしたら、攻撃される可能性があるかな」
「ないとは言いきれません」
「防御系の術をかけておいたほうがいいかな」
「いいですが、ハーベストさまは同時に複数の術を発動はできませんよ。防御系の術を使えば、相手がなにもしなくても、それにかかりきりになってしまいます」
霧の除去が、どれだけ継続するかわからない。
ひとつの術の効果なら、一度晴らせばそれで終わるはずだ。しかし、この霧はひとりの術の効果にしては範囲が広すぎる。
ナビはそうやって懸念点を並べていく。
「相手が複数いる可能性があるのか?」
「はい。複数どころか、膨大な数が関与しているかもしれません」
「…………」
それは怖いな。
刺激しない方がいい。
燃料は手持ちしかないので、あまり術を使いすぎるのもよくないし、基本は霧だけ晴らして、それ以外はメンバーの移動補助をするという運用かな。
攻撃の気配があれば、防御を張れるようには準備をしておこう。
そのうちに、空が白み始めた。
小屋では皆が起き出したらしく、準備が始まる音がする。
「霧は日が高くなるにつれて深くなりますから、できるだけ早めに進行します」
やがてぞろぞろ出てきた仲間たちを一列に並べ、ルーファウスは全員の装備をチェックしていった。
彼らは一様に、動きやすそうなパンツ姿に、短い革の上着、分厚いブーツを履き、肩から鉤のついたロープ、水筒をぶら下げている。腰には短剣、携帯食糧の入った小さなカバンがある。
護衛の面々はそれに追加して、長剣やボウガン、小型の銃も持ち込むらしい。
そういえばキトは今回、あの剣を持ち込めなかったのか。
儀礼用の剣だから、武器じゃないと屁理屈をつけて粘っていたようだが、許可は下りなかったようだ。
俺は装備を確認されなかったものの、森に踏み込んですぐに後悔する。
ブーツくらい借りるべきだったかな。
ぬかるんだ泥が、足鎧の隙間から侵入してきた。
『上昇』の術を練り、できるだけ沈み込まないように移動してはいるが、自己錬成はそこまで万能ではない。
木の上を伝っていく方が楽そうだが、人間たちと足並みを揃える必要がある。
しかし泥だらけになると、箔が落ちるとキトが文句を言いそうだ。
全てを満足させるのは難しそうだな。
地形の高低差や、足元の根や倒木に苦労している人間たちの後ろで、俺はひとり服の汚れを気にしているという奇妙な進行がしばらく続いた。
道の脇には時おり低い杭が立っていた。
赤い布が結ばれている。
近づいてみると、布は湿気を吸って重く垂れ下がり、赤というより黒ずんだ色に見えた。
「これが我々の立てた目印です」
ルーファウスが歩きながら語る。
「拠点の山小屋から、霧の濃い地点までは一定間隔で打ってあります。ただ、深い場所ではこれも見えなくなります」
「見えなくなるだけか?」
キトが尋ねる。
ルーファウスは少し間を置いた。
「たまに、抜かれていることがあります。そのときは迷いやすいので気を付けなくてはなりません」
気を付けるも何も、目印がなくなれば出られなくなるんじゃないか。
「そのときは、足跡をたどって帰ります。なので、あまり道から離れず、私の足跡に沿って歩いてください」
道が険しくなってきた。
ロープを使って登らないといけない斜面や、打ち込んである杭を足場にしないといけない垂直に近い崖などもある。
ルーファウスとクラウディオは手慣れた様子で登っていくが、ついていくのに手こずる人間も出てきた。
軍人とはいえ歳を重ねているロナルドは特に遅れ始めた。
「大丈夫か?」
「ああ、ハーベスト様。手間取ってしまい申し訳ありません」
息が上がっている。顔色もよくない。
俺は彼の腕を掴み、反対の手で『上昇』の術を練る。
すこし重たいが、このくらいなら持ち上げられるか。
ぬかるむ地面を蹴り、斜面を跳躍する。
「は、ハーベスト様、突然何を、わゎ~」
情けない悲鳴をあげながら、ロナルドは俺に引っ張られて空を飛び、斜面の上に膝から崩れ落ちた。
「登れない者は、運んでやるから言ってくれ」
そう言ったものの、なぜかみんな顔を見合わせるばかりで、誰も頼ろうとしない。
ロナルドが大袈裟に騒ぐからだ。
「ハーベスト様、もう少しよい感じに運んでもらえませんか」
何度か同じように運ぶうちに、彼は泥だらけになっていた。
着地が難しいらしく、彼は毎度前のめりに地面に倒れてしまう。
「よい感じと言われても……」
両腕で抱き抱えてやれば安定しそうだが、さすがに体格のよいロナルドにそれをやるのは気が引ける。彼も全力で拒否してきた。
「なら君が慣れるしかない」
「…………はい」
そんなやり取りをしているうちにも、霧は少しずつ濃くなっていた。
まだなんとか目印は見つけられるので、霧を晴らすことはしなかった。
「白嶺の民の目撃談があるのは、もう少し先です。そこから急に霧が深くなります」
先を行くルーファウスの姿は見えないが、声は聞こえる。
「急に?」
聞き返したのはキトだろう。同じくこちらからは姿が見えない。
「はい。なだらかに濃くなるのではありません。ある地点を越えると、境界をまたいだように視界が閉ざされます」
一列になり前に進んでいるが、前の人間の背中を見て進んでいるような状況だ。
それすらもできなくなると、進むのは無理だろう。
そこで霧を晴らしてみよう。そう考えた。
やがてルーファウスが言っていた『境界』が現れる。
確かに、壁のように聳え立つ白が、目の前にある。
お互いをなんとか確認できる場所に集まり、みんなでその壁を見上げる。
空気はずっと冷たかったが、さらに冷やりとする風を感じる。
「ここが、いま我々が到達できる最奥です」
白嶺の民を目撃した点でもあるという。
「正確に言うと、この先に進もうとして迷い込み、数日間行方をくらました者が持ち帰った証言ですが」
何度か白嶺の民と接触を試みたという。
ここから大声で語りかけたり、もう一度踏み込み接触しようとした。
しかしなんの応答もない。
命を奪われはしないが、その代わりに数日間、遭難の不安を感じさせ、十分に追い詰めたあとで外に帰されるのだという。
「なんらかの干渉はあるようです。私やクラウディオはまだこの先に踏み込んだ経験はありませんが、踏み込んだ者は一様にそう言います」
視線を感じる。何かに進路が操作されているようだ。関わるな、帰れと言われた。
そのような話を聞かされ、顔を青くしている者がいた。
「これからどうするんだ」
「壁には入らず、これに沿って歩きます」
キトの問いに、ルーファウスは左方を示す。
「ハーベスト様に何かしらの接触を図ろうとするかもしれません。それを待ちます」
「気の長い話だな」
キトは顔をしかめた。
「もっと手っ取り早く行こうぜ」
彼は俺を見て、白い壁を指差した。
「女神の使者さんは、この壁をなんとかできねーの?」
「できるかもしれない。折を見て、やろうと思っていた」
試してみてもいいかと尋ねると、ルーファウスが慌てて俺を止めた。
「何をするつもりですか?」
「霧を晴らせるか試す」
「いきなりですか? 今日のうちは、まず外周を散策しませんか?」
確かに、ルーファウスの案を試してからでも遅くはない。
白嶺の民が、敵対行動をしたとみなす危険もある。
しかしキトは強硬な姿勢を崩さなかった。
「いまが一番物資もある、体力もある。何が起きても対応ができる。遅くなるほど不利になる」
どうせ事を起こすなら、早めにしたいというのが彼の意見だ。
「いいえ、慎重にするほうが有利です。物資は一週間はもちます。体力だって、この程度で減りはしません」
「いいや、減る。みろよあのオッサン。見るからにもう限界だろ」
キトが指差したのはロナルドだ。
顔まで泥だらけで、普段の威厳が見る影もない。
「……ロナルドさんには、明日から山小屋で待機してもらって」
「そ、そんな! ここまで来て、仲間外れは困ります」
「いや、仲間外れとかいうわけでなく……」
ルーファウスは泥まみれのロナルドにすがられて狼狽している。
「…………」
俺は諍いが収まるのを静かに待った。
やがてキトが粘り勝ち、この場で一度だけなら錬成術を試すことを許してもらえた。
ナビの提案通り、『拡散』を練ることにする。
第一属性の光から始まるこの術なら、だいぶ扱いに慣れてきた。
かなりの広範囲に効果を及ぼすことができるだろう。
白い光、緑の光を目の前に大きくクロスさせて、手のひらで混ぜ込んだ。
「『拡散』――」
イメージと共に前方に光を押し出すと、霧が溶けるように消えていく。
立ち並ぶ木々。苔むした幹。根が絡み合って隆起した地面。それらが順々に露わになっていく。
その中で、俺は恐ろしいものを目撃した。
何かがいる。
霧のような白い影。
人くらいの大きさで、人のような形をしている。
目のある位置に、虹色の光が二つ。
どの影にも、同じ虹色の目があった。
その人型の白い影が、いくつも並んでいた。
霧が晴れるごとに見える数が増えていく。
十、二十、それ以上いるか?
その無数の白い影の、虹色の目が俺たちを見ている。
「――――!」
声にならない悲鳴が、後ろから聞こえた。
その瞬間、白い影たちは自分たちも見られていることに気が付いたらしい。
蜘蛛の子を散らすように去っていき、その場には地形だけが取り残された。
「…………」
しばらく誰も声を上げなかった。
なんだあれは。
白嶺の民? 目撃されたものと違うな。
霧が再び空隙を埋めようとしている。
さらに術を練ろうとして、ルーファウスがその腕に取りついた。
「や、や、やめてください! 本日は戻りましょう」
記録を、目撃談を、確実に残さねばなりません! ――ルーファウスは怯えているのか興奮しているのかわからない様子で言った。
「いや、進もうぜ。さっきのはノックだ。相手に知らせたんだよ、お邪魔しますってな」
キトは逆の腕を引っ張って、まだ霧が薄い方を指差す。
「逃げたってことは、相手は狼狽えている。いまなら不意を突ける!」
ノックというのは言い得て妙だと思った。
俺はふたりの意見は参考にしたものの、ひとまず第三の選択肢を選ぶことにする。
それは、その場で彼らに語りかけることだった。
「驚かせて申し訳ない。この地に住む民よ――」
急にノックして、扉を開いてしまって、相手は驚いているだろう。
まずは俺たちのことを知らせるべきだ。
「君たちを害するつもりはない。ただ、話がしたいと思っている。この地で暮らすにあたり、なにか不自由を感じてはいないか」
返事はない。霧はまた濃さを取り戻しつつある。
俺は気にせず続ける。
「この地は人間たちが勝手に境界を決め、勝手に所有権を主張し調査をしているようだが、それを望まないなら、そのように人間たちへ伝えることはできる。俺は人間ではない調停者だからだ」
若干の誇張は入れたが、この程度なら問題はないだろう。
まずは向こうの興味を引かねばならない。俺は必死だった。
霧が濃くなる。先ほどよりも分厚い霧の壁が迫ってきている。
境界を変えてくるつもりか。
すこし下がらねば、みんなが境界の内側に取り込まれてしまう。
一歩下がろうとした瞬間、足元から地面の感触が消えた。
「――?!」
すぐそばにいたキトとルーファウスが、短い声を上げる。
その直後、体が落ちた。
ザブンと音がする。
目の前がぼやける。
口を開こうとして、あっという間に口内が水に満たされる。
全身が冷ややかさに撫でられる。
ああ、これは。水の中に落ちたんだ。
なぜ落ちたのかはわからないが、とにかく呼吸が苦しい。
俺は光が差す方向を探す。
水から出なくては。




