第12章(3)
不思議な男だなと思った。
アーネストは俺の答えに満足したらしく、「お時間いただきありがとうございました」と述べて、すぐに立ち去った。
彼が立ち去ったあと、俺も個室に戻った。
しばらくして、今度はキトが現れた。
食事会が終わった後だろうか。
彼は勝手に部屋に入り、ローテーブルの脇にあるひとりがけの豪華なソファにどかりと腰を下ろす。
背もたれに深々と身を預けて「疲れた……」と呟いた。
「疲れたのか」
「疲れたよ。あんたと違って、こっちは陸路の旅からすぐに厳ついオッサンどもと二日連続会談だぞ」
オッサンだらけで食う飯なんかうまくねーし、などと愚痴を言っている。
『活力』あたりの術には体力が回復する効果があったような気がするが、そういうことではない気もする。
「そんなに疲れているのに、明日出発するのか」
俺はそう問いかけた。夕食前に決まった話だと、明日にはもう白嶺地区の手前の拠点まで移動するとのことだった。
「すこし休んでいったらどうだ」
善意で放った言葉のつもりなのに、キトはひどく顔をしかめる。
「はやくウィディアに帰りたいんだよ。一刻も早く」
どうしてだ、と尋ねようとして、ふと頭にエレンのことが浮かんだ。
子供を宿したエレンのことが心配なのだろう。
「そうだな、早く帰ってやった方がいい」
俺がそう応じると、キトは不思議そうな顔をしてこちらを見た。
「え? なんでそんなに物わかりがいいの……?」
しまった。
子供の件を知っていることをキトには言っていない。
というかそれをエリスから聞いたことも言ってはいけないし、気付かれてはならない。
「…………」
無表情を心がけたつもりだが、なぜかキトにはバレてしまう。
「あんた、なにか隠してるだろ」
疑いの視線が刺さる。
別に隠す必要はない。
ただ、君の事情を人伝に知ってしまった。
祝うタイミングがわからなくて言及できなかった。
そう言えば済む話なのに。
『ひどい試練を持ってくるやつ』、そう思われていることをナビに指摘された俺は、キトの家族に触れてはいけないと強いプレッシャーを感じていた。
触れたらまた壁を作られてしまうのでは、と懸念していた。
……だから、沈黙を貫こうと思っていたのに。
「ハーベストさまは先日、キトライドに子供がいることを知ってしまいました。それを隠されていたと感じて拗ねているのです」
「――――?!」
肩から快活な声がして、俺は思わず喉を鳴らした。
「え? 拗ねてる……?」
「はい。拗ねています」
「おい、ナビ……」
どうしてそんなことを言うんだ。
関係に亀裂ができたらどうする。
明日からまた大切な任務が始まるのに。
ナビを掴んでどこかに隠してしまいたい衝動に駆られたが、キトはなぜだか唐突に息を噴き出した。
「なんだ、誰かに聞いたの? 別に隠してたわけじゃねーよ」
「…………」
隠してたわけじゃないのか。
けらけら笑うキトに俺はなんだか脱力して、ベッドの端に腰を下ろす。
「………………」
なんだよ。どうして笑っている。
こちらは色々悩んでいたのに、馬鹿みたいじゃないか。
よくわからないモヤモヤした気持ちを視線に込めていたら、キトはようやく笑いを止めて口を開く。
「え、なんなの拗ねてるって。あんた、俺がわざと隠していたと思ってたの?」
「…………」
うなずく俺に、キトはまた笑った。
「違う違う。みんなが大袈裟に騒ぎ立てるから、面倒くさくなって箝口令敷いたの」
「面倒くさくなって……?」
「だってさ、俺の子だぜ? なのにみんな神の子だとか言って騒いでんの。馬鹿みてーじゃんか」
まあ、言わんとすることはわかる。
いかにもキトらしい発想だ。
しかしそのせいで、俺の耳に入らなくなったのは残念だ。
「あんたはそういうのに興味がないと思ってた」
「興味がないわけはないだろう。……仕事仲間の、喜ばしい出来事だ」
友達の、と言いかけてやめた。友達というのはすこしおこがましい気がした。
キトは意外にも、俺の言葉に嬉しそうな顔をした。
「それならさ、相談に乗ってくれないかな」
「相談?」
キトは前のめりになり、なぜか声量を絞る。
「名前だよ。考えておけって、うるさいんだ」
「名前……」
「子供の名前だ。なんかいい案ない?」
あんたが考えたと言ったら、みんな納得するからさ。キトはそう言って期待の視線を向ける。
そう言われても。
名前なんてつけた経験がない。
どんな名前がふさわしいのか、俺にわかるわけがない。
「…………」
俺は腕を組んで考えた。
国や地方で名前には歴史的な特徴があるかもしれない。
ウィディアで好まれる名前、縁起がよくない名前、そういうのもあるだろうから、適当に付けるのは後々迷惑がかかるだろう。
ウィディアで暮らすのに、違和感のない名前を付けるとしたら……。
「俺が初めに出会った聖人。聖堂にしばらく安置されていた彼は、どういう名前だったのだろう」
そう言えば、まだ聞いていなかった。
彼は俺が球体を落としたせいで死んだ。ウィディアを守ろうとして、必死に俺に訴えかけたせいで聖人にされた。彼と友人だったせいでキトは次の聖人にされた。
全てのきっかけとなった彼の名前を、俺はまだ知らなかった。
「ああ、あいつね。あいつの名前か……」
キトは考え込んでいた。
俺がその名前を提案したと認識しているのだろう。
ただ名前を尋ねただけのつもりだったんだが。
まあいいかと思って彼の返事を待つ。
「あいつの名前だと、あまりにも話が綺麗すぎてさ、重くなりそうなんだよね」
「そうか」
で、彼の名前はなんだったのかと問おうとしたら、キトは勝手に言葉を繋げた。
「だけど、何を付けてもどうせ重くなるんだ。それなら、誰かが喜ぶ名前の方がいいよな」
あいつの両親には、恩があるんだ……キトはそう呟きながら難しい顔をした。
「ありがとう。もう少し考えてみるよ」
キトは立ち上がり、部屋を出ようとする。
「ああ、そうだ。明日からの旅だけど、あんたは女神の力を使ってもいいそうだから、俺たちの移動が楽になるようにサポートを頼むよ」
出る前に、たぶん今回の訪問の主題だったはずの用件を雑に述べてから扉を開く。
「じゃあ、おやすみ」
「ああ、おやすみ……」
扉が閉まる音を聞きながら、ぼんやり考える。
俺は一生、あの聖人の名前を知らずに過ごすのではないかと。
……なぜなら、俺がそこまで強く知りたいと思っていないからだ。
迎賓館の前には、夜明け前から馬車が並んでいた。
俺は個室の窓から、準備が進む様子をずっと眺めていた。
そこに出入りしている人間は、革の外套を羽織った護衛や、荷箱を運ぶ平装の人間が多かった。
時折、昨夜の護衛を連れたアーネストの姿を見かけた。
朝になり召集がかけられて、白嶺地区に向かう者たちが顔を揃えた。
フォレスティア側はロナルド、キト、数名の護衛と実務官。イノスマイリア側はルーファウスとクラウディオ、そして御者や荷持ちの人間と護衛という形。
フォレスティア代表団の半数が、先に帰国することを許可された。
「よい報告を期待しております」
代表団の残りを任された、商会代表の髭男が敬礼をして見送ってくれた。
フライトは俺がいないときには石像のようになり反応しないため、連れ帰ってもらうのは無理だった。
東門の円の中で待機してもらうしかなかった。
ウィディアを旅立つときとは違い、パレードなどは行われない。イスメリアの人間たちは、何か変わったことが起こっていることに興味はあるものの、朝食の準備や仕事の仕込みが忙しいようで大してこちらに注目を向けない。
そういうところも、どこかどっしりとした安定感を覚え、アーネストが拘って作り上げたイスメリアの街らしい独特の空気を感じられた。
短い滞在だったが、俺はイスメリアの街が気に入っていた。
馬車は入った門と同じ東門を抜けて外に出る。
門の外では、フライトが石像のように大人しく座っていた。その向こうには、緩やかな丘陵地が広がっている。
道はよく踏み固められているが、補修の跡は町中よりも粗い。
馬車の車輪が石を踏むたびに、小さく揺れた。
しばらくは穏やかな街道が続いたが、そのうちに緑が増え、揺れもひどくなる。
「ここから先は、国境管理局が整備している道です」
先頭の馬車に乗っていたルーファウスが、窓越しに説明した。
「途中までは馬車で進めます。高低差が強くなる手前に、山小屋があります。今日はそこまで向かいます」
俺と同じ馬車にはキトとロナルドが乗っていた。彼らはずっと外を見ていたので、つられて俺も窓の外を見る。
南東の空の下に、長々と連なる森が見えた。
高低差はあるが、今のところ険しさは感じない。山脈というよりは樹海のようだ。
しかしぼんやりと霞む遠景には山も見える。樹海の先に山脈があるのだろう。
だんだんと道が悪くなる。
さらに馬車の振動が増え始めた。
壊れるのではと思うような揺れだ。
隣に座っていたキトが、気分が悪いと訴える。
他の人間たちも次々と不調を訴え始めたので、馬車は度々休憩を取ることになる。
「慣れるまでは、私たちもそうでした」
ルーファウスはそう言って、みんなに酔い止めの葉っぱを配っている。
本人はけろりとしている。クラウディオも同様だ。
さすが長年白嶺地区を担当しているだけある。
「ハーベスト様は大丈夫ですか?」
「ああ、別に問題ない……」
「さすが、天界から来た方ですね!」
白々しいほど快活に語られた。
わかりやすいフォレスティア人と違い、イノスマイリア人は内心が読みにくい。
ルーファウスは、酔っていないのなら気にしなくていいと判断したらしく、俺から離れていったが、クラウディオは不思議そうな顔で俺を盗み見ていたのが気になった。
しばらく森を並走していたのだが、ついに森に飲み込まれる方向へ車輪が向く。
森は静かだった。
人の気配はもちろんない。鳥や小動物の気配はあるのだが、音が木々の奥に吸い込まれているようで、どこか遠い。
進むにつれて、木々の幹は太くなっていった。黒っぽい樹皮には苔が張りつき、根元には湿った落ち葉が重なっている。
日の光は枝葉に遮られ、道の上には斑に薄い光が落ちていた。
それなのに、前方だけがぼんやりと白い。
霧だ。
森の奥から、薄く流れ出してきている。
「あの霧は白嶺地区のものか?」
「はい。まだ外縁部です。深いところへ入ると、数歩先も見えなくなります」
キトの問いに、ルーファウスは淡々と答えた。
「今日は山小屋まで向かいます。本格的な立ち入りは、明日の朝からです」
やがて、道がさらに狭くなった。
唐突に馬車の速度が落ちる。
前方で御者の声が響き、次々と馬車が動きを止めていく。
護衛たちが馬を降り始めた。
「着いたのか?」
「いえ。道が悪いので、ここから徒歩になります」
すみませんが、ご協力お願いしますと言われ、俺たちも馬車を降りた。
地面に足を下ろすと、湿った土が靴の裏にわずかに沈んだ。
森の匂いが強い。
苔、落ち葉、古い木、そして水気を含んだ冷たい空気。
遠くで風と葉擦れの音が聞こえる。
目的の山小屋は、案外近くにあった。
思ったよりも頑丈な造りだった。
太い丸太を組み合わせた壁に、石で固めた土台。屋根は急な勾配を持ち、雪や雨を逃がしやすそうになっている。
中は広く、十数人程度なら狭さは感じない。
御者や荷持ちの人間は、馬車のそばでテントを設営するとのことで、小屋の中には十人だけが入った。
「今日はここで休みます。明朝、霧の浅い時間に出発します」
ルーファウスがそう告げると、護衛たちがそれぞれの荷を下ろした。
クラウディオは炉の近くの卓に地図を広げる。
紙が湿らないよう、丁寧に重しを置いていた。
ロナルドとイノスマイリア側の実務官たちは、軽い食事を取りながら明日の進路について話し始める。
「とりあえず、白嶺の民の目撃談があった場所まで向かいます」
霧の中、少しずつ目印を広げているものの、まだ民が住んでいると確証のある場所は見つかっていないらしい。
「ハーベスト様を見ても、彼らに何の反応もなければ、接触は失敗です」
数日分しか食糧がない。毎日行けるところまで行き、暗くなる前に引き返すのを繰り返すつもりだ、とルーファウスは語った。
つまり、俺は明日から数日間、白嶺の民に見せられるために森へ入るのだ。




