第12章(1)
東門をくぐると、空気が変わった。
外には土と風の匂いが強かったが、市内には、石と煙と焼いたパンの匂いが満ちていた。
細かく敷き詰められた石畳の道。
一見すると綺麗に整っていたが、よく見ると微妙に色味が違う部分が無数にあり、補修された跡だと感じた。
歩を進めると、道はすぐに緩やかな上り坂になった。
建物の間を縫うように曲がり、上り、少しずつ細くなっていく。
道沿いの街並みには、真新しい家と、古い家がまばらに混在していた。
どの家にも旗が掲げられている。
おそらく共和国の旗だ。くすんだ青灰の地に白い秤が描かれている。秤の上には小さな銀星が一つ浮かび、旗の下端だけに、細い赤の線が走っていた。
掲げていない家はなにか罰でも受けるのかと疑うくらいに、街中に旗が溢れている。
今だけかもしれないが、街の警備員はひどく多い。
しかし、住人たちは彼らに恐怖や警戒心を向けてはいない。
ただ俺たちが珍しいらしく、通りの両側や建物の二階の窓から眺めている。中には屋根や塀に登っている熱心な観客もいた。
通り沿いには、整然と施設が並んでいる。
パン屋、湯屋、鍛冶屋、肉屋……。
必要なものは全部ありそうだ。
華やかではないが、食べるものと働く場所には困らなさそうな街。
よく管理され、よく使われている街だと感じた。
細い通りを抜け、やがて開けた場所に出る。
そこは扇形の広場で、とても美しく整備されていた。
煉瓦色の舗装に白い石の筋が放射状に走っている。
その先に立派な建物があった。
「あちらが会談場所となる共和国議事堂です」
アーネストの声が聞こえた。
建物は横に長く、正面にアーチが並んでいた。上階には広い窓があり、その奥には人影が見える。中央からは細い高塔が伸び、塔の上の鐘が空を背負っていた。
議事堂の正面階段に着くと、隊列はピタリと足を止めた。
「ここより先は、正式会談に参加する者のみご案内します」
護衛や随員は控え室で待つように告げられる。
何人かが隊列から外れ、それ以外の者で階段を上った。
迎賓会議室、という場所に誘われた。
そこは奥に隠された部屋ではない。扇形の広場を見下ろす、明るい部屋だった。
高く細い窓が三つ並び、そこから午後の光が斜めに差し込んでいる。窓の外には、先ほど横切った広場の石畳と、無数の青灰の共和国旗が見えた。
部屋の中央には、長い楕円形の卓が置かれていた。
豪奢ではない。厚い木を磨き、何度も修理して使っているような卓だった。表面には細かな傷があるが、よく手入れされている。
中央には水差しと砂時計、封蝋皿、未使用の紙束が置かれていた。
フォレスティア側で会議室に入ったのは、俺を含めて八人だった。
先に席に着いていたのはイノスマイリア側のメンバーで、そちらも八人だった。
中央に座るのは、先ほど名乗った執政官。その両隣にアーネストと、もう一人の担当官が座る。
その配置に合わせるように、ロナルドが中央に座り、アーネストの正面にはキトが座った。
俺はキトの隣を勧められたので、そこに座る。
全ての者の着席を確認してから、執政官が口を開いた。
「イノスマイリア共和国最高評議会執政官として、貴使節団を迎えます。本日はよくお越しくださいました」
フォレスティア側は、礼で応える。
執政官は続けて述べる。
「本日の議題に関する実務確認は、国務総監アーネスト・ファインデイルに委任しております」
右隣のアーネストが礼をする。
それに応えて、ロナルドが口を開いた。
「急な会談の申し入れに快諾いただき、誠にありがとうございます。本日はフォレスティア王統評議会、特命全権代表として、私ロナルド・ネグレイトがフォレスティアの意思を表明いたします」
それが、会談の始まりの合図だった。
アーネストが補佐から書類を受け取り、それを読み上げる。
「あなた方からの書簡の内容は把握しております。我々、イノスマイリア共和国を正式な国家として承認し、同盟を結びたい旨。非常にありがたい申し出と思っております」
しかし、とアーネストは眉をひそめる。
「その対価としてあなた方がお望みなのが、正規軍新設の承認と、国境の再設定――かなり踏み込んだ内容で、驚いております」
こちらの理解に間違いはありませんか、と確認され、ロナルドが口を開く。
「はい。相違ありません。しかし、そこまで唐突なものではないと考えております。近年の情勢や、過去の経緯をふまえましたら」
ぴし、と空気が張り詰めた気がした。
ロナルドは気にも留めていないように、淡々と続ける。
「戦力の放棄を掲げていた我々ですが、近年、海賊により国を揺るがされるほどの被害を受けて参りました。自衛のために海防を行っておりましたが、ついに首都までも謎の力に脅かされてしまい……」
正規軍の新設は、自衛のためにやむなくとった判断だと、彼は理路整然と主張した。
それについては、アーネストも頷く。
「ウィディアが痛ましい災害に見舞われたことは存じております。その原因については早計な判断をしないようお願いしたいですが、自衛のためにやむなく、という判断は理解できます」
あくまで自衛のためと言うのであれば、イノスマイリア共和国として異議を唱えることはありません――アーネストはつらつらとそう述べた。
「ご理解いただき感謝します」
ロナルドは頭を下げたが、張り詰めた空気はまだ続いている。
もうひとつの方が、今回の争点だからだ。
深く息を吸い、ロナルドが口を開く。
「国境の再設定については、百年前の国境論議の際、十分な議論がなされていない点を懸念しております」
ロナルドは淡々と主張した。
百年前は、国境にある森の内部を深く探索する技術がなく、ただ土地を均等に三分割しただけだった。
しかし現在、森の中心部は深い霧で覆われていることがわかっている。
その霧は自然に現れたにしては不可解なものである。
何か神聖な力が働いているのでは?
我々が勝手に所有、分割してよい土地ではないのではないか。
「そこで提案したいのが、霧に覆われた地区の独立化です。その区域は国境から外し、三国いずれの領土にも属さない区域として扱うのです」
「…………」
「この案はいかがでしょうか」
腕を組むアーネストに、ロナルドは発言権を返した。
彼は厳しい顔で黙り込んでいる。
補佐官が、すこしお待ちください、とこちらを制した。
アーネストは仲間内に視線を送ってから、長い沈黙を破る。
「提案は理解します。我々はその地区を白嶺地区と呼んでおりますが、確かに霧の発生は自然とは言いがたいものです。しかも近年の調査では、そこには人らしき者が住み、外部の接触を拒んでいるらしいと報告されています」
我々はそれを、白嶺の民と呼んでいます――アーネストがそう語り、俺はひそかに驚いた。
イノスマイリアは、あの聖地のことを俺たちよりも把握しているのだ。
国内のことだから、当然かもしれないが。
「しかし国境線の話であるなら、我々二国のみの協議では決められません。ファロウにもこの席に着いていただき、話し合う必要があります」
正論だ。
いくら霧の部分が大部分、イノスマイリアに占められているとはいえ、一部はフォレスティアとファロウの領域にもまたがっている。
霧の地区全てを独立化させるのは難しいだろう。
しかしロナルドは淡々と言葉を返した。
「それでは、まず二国でお互いの該当区域を共同管理する形ではいかがでしょうか。ファロウの部分に関しては、後の話し合いで決めることにする」
「お言葉ですが、先ほどの主張とは異なりますね。独立化ならば白嶺の民の保護という大義があるため、我々も賛同しやすいです。しかし共同管理では、その大義は失われます」
あなた方は共同管理で何を得るおつもりですか、とアーネストは鋭く切り込んだ。
大したものだ。
ロナルドはそれにも顔色を変えずに応対した。
「我々は、利益など望んでいません。あくまであの地が害されないよう保護するのが目的です。あなた方が言う、白嶺の民の利益を損なわないためとも言い換えられます」
ただひとつ、お耳に入れなければならないことが――と口にして、ロナルドは思わせぶりに言葉を溜めた。
「女神側の見解では、あの地区には外敵から守られるべき聖地があるそうです」
「守られるべき聖地、ですか?」
「はい。我々も十分な情報は得ておりませんが、貴国が確認されたという白嶺の民が、その聖地を守っているのかもしれません」
だから、共同管理を提案するのです、とロナルドは述べた。
「我々は、謎の勢力からことごとく被害を受けております。その勢力の正体は未だ掴めないものですが、女神側もそれについて、警戒を強めているところだと伺っております」
ロナルドは『邪なるもの』という言葉は使わなかった。しかし、それについて語っているのはわかった。
「女神側は、聖地を保護したいのです。謎の勢力により聖地が害される前に、必要なときに手を差し伸べられる状態にしたい。ただそれだけです」
ロナルドは、そうですよね、と俺に目配せした。
俺は神妙に頷いた。下手に口は開かないでおいた。
「…………」
アーネストは沈黙している。
考え込んでいるというより、部屋の中にいる者たちの顔を確かめているように見えた。
彼は慎重に、口を開く。
「それはつまり、天界にいるという女神勢力との持続的協力関係を得るために、あなた方は現地の保護が必要だと仰っている」
「はい、概ねその理解で正しいです」
「女神側が、その地を占領したいということではないと」
「はい、その通りです」
「ハーベスト様にもご意見いただいてもよろしいですか」
アーネストは俺を名指しで刺してきた。
ぎゅっと心臓を掴まれた気分になる。
キトがすこし警戒した顔をしていた。
俺が余計なことを言わないか心配しているのだろうか。
俺はそこまで未熟じゃない。この場で言うべきことくらいわかっている。
「はい。不当に占領したいということはありません。聖地が守られているなら、白嶺の民の意思を尊重します」
あそこにいるのは、ウォッチを潰すほどの相手だ。いくらニースとはいえ、敵対してまで占領しろとは言わないだろう。
占領するにしても、説得が不可欠だ……。
自分の考えに辟易しながらも、俺はアーネストを見た。
彼はひとまず納得したように頷いていた。
「それならば、我々の事前情報を踏まえても筋が通ります。白嶺地区の担当官から、ひとつお耳に入れたい話がございます」
彼は隣にいた人間を指名した。
名を呼ばれた彼は、ぴしと背を伸ばして発言を始めた。
「白嶺地区を担当しております、ルーファウス・セイルです。よろしくお願いいたします」
彼は長らく白嶺地区の調査を行っていたという。
霧に阻まれた現地は立ち入りが難しく、ほとんどなにもわかっていないらしい。中に住んでいるらしい者と話そうにも、使者を受け入れてもらえない。
「白嶺の民は、存在は確認できても、対話の席には着いていただけないのです。しかし、幸運にもその姿を見た者がおりまして、その者による証言は次の通りでした」
銀に近い髪。白い肌。人間離れした整った容貌。
……何故か視線が俺に集まる。
「言葉だけでは、その姿を想像しかねていたのですが、本日、ハーベスト様を拝見して考えを改めました……」
特徴が一致している。
白嶺の民は、俺と似た容貌だと言っているらしい。
それは俺にとって思いもよらない情報であり、キトやロナルドにとっても同じだったようだ。
キトは息を止め、じっとなにかを考えている。
ロナルドはそんなキトにすこし不安げな視線を送っている。
俺たちの反応を眺めつつ、アーネストが口を開く。
「白嶺の民が、天界の民に通ずる存在であるならば、話が繋がります。ハーベスト様が現地に赴いてくださるのであれば、彼らは耳を貸すかもしれません」
彼らとの対話を可能にしていただけるのであれば、白嶺地区の共同管理について、改めて協議の席を設けることは可能です――アーネストはそう言って、こちらの返答を促した。




