第11章(1)
その日から、フォレスティアは聖地奪取を目的に、本気で走り出すことになった。
イノスマイリアとは国交がある。
まずは使者を向かわせ、話し合いの場を設けるよう申し入れた。
ほとんど何の障害もなく、会談の日取りが決まる。
一か月後、イノスマイリア首都イスメリアへ代表団が向かうという。
「あんたも来てよ。演出のために」
「ああ、もちろん。協力する」
演出のために、というのがすこし気になったが、俺はそのくらいしか役に立たないのだろう。
その一か月が始まってすぐ、キトは俺に「向こうに帰らないで、こっちにいてよ」と言った。
なにか仕事があるのかと思ったが、彼は俺に会うたびに「悪いけど、部屋で大人しくしててよ」と告げるだけだったので首を捻った。
城で定期的に開かれている評議会へも、ひとりで行ってしまう。
エリスもロナルドも、忙しいのか会いに来ない。
そんなわけで俺は、この間ひどく暇な時間を過ごした。
「また雨か」
「雨期ですから」
ナビと一緒に毎日のように、小窓から外を見る。
トライフルの季節はコンフィズリーとあまり変わらないようだ。
一年は十二の月に分けられ、ひと月は三十日。今は六月、初夏の前雨期にあたるらしい。
キトからそう聞いたが、俺にとっては、雨の日が続くという以上の意味はなかった。
「…………」
絶対に部屋を出るなとは言われていない。
しかし、外に出れば人間が群がってくる。キトがいないときにひとりで出歩く気にはなれない。
聖堂の中ですら、誰かとすれ違う恐れがある。結局、俺はほとんど部屋から出ることができなかった。
唯一できたのが、人がいない深夜に出て、フライトの整備を行うこと。
整備といっても、撫でてやるくらいしかできない。
この生活を続けて一週間ほどが過ぎ、俺は普段何をしていたっけ、と頭を悩ませることが多くなった。
「ハーベストさま。仕事をしましょう」
とある日ナビが快活に言った。
「仕事?」
今の状態で、いったい何ができるんだ。
「監視ができます。あなたが自由に動かせるウォッチは二体あります」
「…………」
ああ、なるほど。監視ね……。
ゼノに対し、「俺の監視が趣味なのか」と思ったことがあったが、こういう仕事をしていたら、それを趣味にしないと暇が潰せない場合もありそうだ。
「トライフルには三体いるんだよな。二体しか動かせないのか」
「正確には、トライフルにいるウォッチのうち、あなたがリンクできるものが三体います。そしてその一体はキトに固定されています。これは動かせません」
ああ、なるほど……。
ナビの言葉の端々に、気味の悪い仕組みが漏れ伝わる。
トライフルには他にもウォッチがいる。だがそれは上位者の監視用で、俺には使う権限がない。
そして俺の権限では、キトに固定されたウォッチを外すこともできない。
「その二体はどこにいるんだ」
「ウィディアを巡回しているもの、上空からフォレスティア全体を眺めているものがいます」
「その二体を好きな場所に持っていけるのか」
「はい、そうです」
「聖地という場所を探ることもできるのか」
「もちろんです」
なるほど。ナビからの提案は、この暇な時間に聖地の情報を掴んでおけと。
正論だ。
それに、何もせず雨を眺めているよりは、ずっとましだった。
「上空のウォッチに聖地を探らせよう」
「了解しました」
ナビはウォッチとリンクし、指示を送っているようである。
右肩にいる端末を通して、俺の脳裏に映像が流れ始めた。
以前と同様に鳥の視点で聖地まで進路を取る。
森の中にある、おちくぼんだ地形。そこになみなみと注がれる雲海。浮き島のように緑が数ヶ所見える。
「この雲はなんなんだ。自然にできたものか?」
「いえ、少々不自然ですね。フライトの雲化と似たような、視界阻害の術のように思います」
「視界阻害の術?」
なぜそんなものが使われている。中に誰かいるのか?
俺たちのような錬成術を扱えるものが、トライフルにもいるのか?
「気をつけてください。報告では、中を探ろうとしたウォッチが何体か行方不明になっているそうです」
「…………」
なんだそれ。だいぶ話が違うじゃないか。
そういうことは、近付ける前に言ってほしい。
気を付けるもなにも、俺が指示できるのは、ゆっくりと近付かせることくらいだ。
小さなウォッチが風に煽られながら、ふらふらと雲に近付き、視界が白く覆われていく様子をただ眺める。
中は真っ白だった。
ほんの少し先、腕を伸ばしたくらいの距離しかものが見えない。
森があるようだ。
目の前に急に現れる樹の幹や枝葉に、ウォッチの視界越しにぶつかりそうになりながら、慎重に侵入していく。
方角がわからない。進めているのかいないのか。
ウォッチを根気よく走らせてみたが、同じような景色が続くだけだったので、一旦浮上させる。
上空から位置を確認し、真下に降ろし、辺りを探らせるというのを繰り返して全体像の把握に努める。
しばらく苦心した結果、わかったのは「中には鬱蒼とした森しかない」ということだった。
「どうしましょう」
「……浮いている島のほうはどうかな」
緑に溢れた山が、雲海からいくつも顔を出している。
これらが下から伸びているのか、浮いているのかどちらなのかわからなかったので、雲に隠れた部分に入り込んで調べさせる。
「浮いているようです」
「島が空に浮かぶなんて、不思議だな」
「これも錬成術に似ています。第一属性が風である錬成術は、浮かせたり霧を出したりというものがありますから」
「…………」
この聖地は大いなる風の力により、不思議な環境が作り上げられているようだ。
それは自然になされたものか、意図的に作られたものなのか……。
「浮き島に入ってみよう」
手近にあったそれに、ウォッチを近付ける。
見事な風景だ。
雲海から覗く岩肌。そこに被さるように色とりどりの緑が乗っている。
人工物ではないのに、岩壁は城かなにかのようにどこか規則的な構造で上に伸びている。
橋がかかるように雲のアーチがあり、湧き出た水が岩壁に沿って落ち、虹を描いている。
中に入ると、自然が広がっていた。
管理されていない自然だった。
枝葉は思い思いに伸び、水は低いところへ流れ、色彩は勝手に散らばっている。
生き物も棲んでいた。
鳥や虫。翼があるものばかりだ。
水とともに持ちあげられたのか、魚が泳いでいるのも見えた。
ウォッチは俺の意識と同調し、ふらふらと小川のほうに行く。
小魚が流れに逆らい泳いでいるのを見る。
穏やかに流れる時間。いくらでも時間が潰せそうだ。
しばらくそこで佇んでいると、水面に何かが映る。
キラキラと光る球体。
光を反射して、虹色に煌めいている。
何かが沈んでいるのかと思ったが、違う。
ウォッチは背後を振り返ろうとした。
振り返ろうとして、急に視界が大きく揺れた。
指示をする間もなく、映像が途切れる。
「…………!」
俺は思わず立ち上がり、呆然と虚空を見つめた。
「…………途絶えましたね」
「………………」
やっぱりここには何かいるのか。
ウォッチはフライトと同様に視界阻害の術が使える。普段は俺にでも気配を辿ることはできないのに、それを捕まえることができるなんて。
背筋が凍った。
俺たちよりも上位の存在じゃないのか。
ここに手を出したら、みんな殺されてしまうんじゃないか。
しかし、俺から言い出したことだ。今さら行くなとは言えない。
ただ、キトには伝えるべきだと思って翌朝彼を引き留めた。
「なんか用?」
相変わらず、雑な対応だ。
調整が難航しているのか、どこか苛立っているようにも見える。
「すこし調べたんだが、聖地にはなにかおかしなものが潜んでいるようだ」
「おかしなもの? どんな?」
なんと伝えたらよいのか。
ウォッチのことはキトには伏せている。
悩みつつも、危機を正確に伝えられるように口を開く。
「……俺には遠隔地を見る能力がある。それをひとつ潰された」
「遠隔地を見る能力? なにそれ」
やっぱりそこに食い付かれた。
「そこまではっきりとは覗けないんだが、見たい場所を見る能力がある。君を昼間に一度だけ、覗いてもよい約束をしただろう……」
「ああ、監視ね……」
キトはどこか既視感のある反応をした。
「その監視が潰されたと」
「ああ。俺のものだけじゃなく、何体も潰されたと報告もあるそうだ」
「…………」
キトはなぜか興味深そうに、熟考した後に呟いた。
「へえ、潰せるんだ……」
その声音に、俺はすこし胸がざわつく。
しかしキトはその後、不自然に明るい声で続けた。
「神託だからな。聖地の攻略は必須だ。危険だからって、いまさら変更はできねぇよ」
だからもう少し詳しい話を、と催促される。
俺は頭を悩ませつつ口を開いた。
「聖地のまわりは霧雲で囲まれている。この雲は視界阻害の術に似たものだ。おそらく大いなる風の力を使って、なにか術をかけているものがいるのだろう」
「なるほど。それで?」
「霧雲の中には緑が広がっている。しばらく探ったが怪しいものは何もない」
「じゃあどこで監視が潰されたの?」
「霧雲の上に浮いている島だ。聖地のまわりは高地だが、その一帯は落ち窪んでいて、海のような雲に満たされている。そこにいくつか島が浮いている」
その島も聖地の力で浮かせているようだと語ると、キトは目を輝かせた。
「その視界阻害も、浮き島も、フォレスティアに魔法部隊ができたらできるようになんの?」
俺は一瞬ナビを見た。彼女はすこし首をかしげていたので、俺は眉をひそめつつ答えた。
「似たようなことはできるかもしれない。しかし、ここまでの規模となると……わからないな」
「まあ、いいよ。できるとこまでで」
軽いな。キトはとても機嫌良さそうに、続きは? と聞いてきた。
「浮き島の中も風光明媚な場所だった。生き物が棲んでいた。飛べるものが中心だったが、魚もいた。どうやっているのかわからないが、水を循環させているようだ」
小川を覗き込んでいたら、背後になにかが立った。
虹色の煌めき――あれは目だったかもしれない。
姿を見る間もなく、視界が途切れた。
何度か再接続を試みたが、未だに回復しない。
「虹色の目? 大きさは?」
「そこまで大きくないとは思う。比較対象がないからわかりにくいが」
「わかりにくいの?」
「監視の目というのが、小さな人形のようなものなんだ。ナビより小さくて、飛んでいるから……縮尺が判定しづらい」
「ふーん」
キトはなにかを考えるように、目を泳がせている。
それは、俺が期待していた反応とだいぶ違った。
「真面目に聞いているのか。危険だと話しているんだぞ」
「ああ、うん。大丈夫。あんたが危険だというなら、逆に大丈夫かもしんない」
「どういう意味だ」
「たいした意味はねぇよ」
情報をありがとう、とキトは言って、いつものように仕事に向かおうとする。
「俺は会議に参加しなくていいのか?」
「うん。さっきの話もこっちからしておくから」
「どうして参加しなくていいんだ」
もう一体のウォッチをなくすわけにもいかないので、これ以上聖地の探索はできない。
やることがない。
それなら他に仕事がほしくてそう聞いた。
しかしキトは、ひどく冷たい目をして答える。
「え? むしろなんで参加した方がいいと思うわけ?」
参加して、なにかを変えたいと思ってんの? と畳み掛けられて、言葉につまった。
「そうじゃないなら、会議も監視の目で見てりゃいいだけじゃん」
「…………」
正論だ。
正論だったが、俺はすこし嫌な気持ちになった。
キトの言葉が、以前ニースに言われた言葉に重なった。
『それなら別に、問う必要はないでしょう?』
…………。
「じゃあ、今日も部屋で大人しくしててね」
去っていくキトに、複雑な思いが湧き上がる。
悔しいのか?
俺は悔しいのか。
どうせあんたには、何もできないでしょ。そう言われているような気がして嫌になった。
「監視の許可が下りましたよ!」
ナビが快活に言うので、俺も開き直る。
ああ、じゃあ、言われた通りにしてやるよ。




