第10章(3)
「何? そのピカピカの鎧……」
キトが来たと報せを受け、階下に下りた俺は、彼から疑念のこもった目で迎えられる。
俺は答えに詰まったが、正直に言うしかなかった。
「磨いてもらった」
「誰に?」
「エリスに……」
キトは一瞬顔をしかめたが、すぐに溜め息をついて表情を崩す。
「あんたさ、責任をとるつもりならいいんだけど。知らねぇぞ? そんなことして……」
「責任? どういうことだ」
「相手は、あんたの妻の座を狙ってるんだぞ。ちゃんとわかれよ、そのくらい」
妻の座? それは無理だと言ったはずだが……。
考えていると、キトはさらに踏み込んで言った。
「気を許すと、どんどん要求してくるぞ。どんどん、どんどんエスカレートするぞ」
それでいいのか? と強く問われた。
要求とは、仕事の要求だろうか。
それは困る。ここは美術館ではないし、毎日仕事を与えてやることはできない。
しかし、足鎧を磨かれただけで、どうしてそんな話になるんだ?
「キト。あまり強い言葉は使うな。怖がらせているだろう」
俺は聖堂内の人だかりのなかにエリスの姿を見つけた。
可哀想に、青い顔をしている。
また彼女が、誰かに怒られてしまうのではないかと不安になった。
「俺のことは気にするな。それより、会議はどこでやるんだ」
「…………」
キトは冷たい目をこちらに向ける。
そんな目で見られる意味がわからない。
「言いたいことがあるなら、後で聞くが」
「……言いたいことはねぇよ。もう行こう」
そっぽを向くキト。俺は溜め息をつく。
キトはたまに子供じみた、わけのわからない拗ね方をするので困る。
すぐに元に戻るので、気にしないようにしているが……。
聖堂の外に、馬車が待機していた。
それに乗るように言われる。
聖堂の横で大人しく座っていたフライトが顔を上げる。
緩く首を振ると、彼は目を細めてから再びゆっくりと顔を伏せた。
相変わらず、何も意思表示をしない、落ち着いたやつだ。
後で撫でてやろうと思いつつ、狭い空間に身を収める。
窓の外にはたくさんの人間がいた。
ずっと外にいるフライトにはずいぶん慣れたようだが、俺はまだ珍しい存在なのだろう。
好奇に満ちた視線を向けられて、すこし居心地が悪かった。
「相変わらず、すげえ人気だな」
黙っていたキトが、口を開く。
「人気? 君のことか」
「あんたのことだよ。いい加減わかれよ」
ここのところ、キトは口癖のようにそう言う。
「わかれと言われても、俺は人間のことはよくわからない。努力はしているんだ」
そう反論してみたが、自分も言い訳ばかりして、子供のようだと思った。
キトは表情を変えず、窓枠に肘をつけた雑な姿勢で、外を指差す。
「ほら、見ろよ。女だらけ。わかる? 女ばっかなの」
馬車が動きだし、移り変わる景色を眺めていると、確かに女性が多い気もする。
「仕事がある時間だからじゃないのか」
この国は、男女の役割がかなり窮屈に固定されている印象がある。
男は外で力仕事、女は家で内職。
ベルフォートではそんなことはなかったが、この町の女性は、動きにくそうなロングスカート姿の者が多かった。
「…………」
キトは言葉に詰まっている。俺の分析が当たっていたのだろう。
「確かに、あいつらうるさいから。ロナルドの言う通り、巫女の席はさっさと埋めてしまった方がいいかもね……」
キトは遠い目をしながら、関係なさそうな話をボヤいた。
馬車は山道を登っていく。
山の上には城がある。会議の会場はそこらしい。
「ようこそ、いらっしゃいました」
エントランスにはずらりと二列になって、人間たちが並んでいた。
その間を、できるだけ偉そうにしながら歩いていく。
キトが堂々としていたから、その歩き方を真似た。
会議室へ向かいながら、彼が馬車の中で語った内容を思い出す。
「会議では、あんたは偉そうにして、話を聞いているだけでいいから。同意を求められたら、はいかいいえで答えればいいだけだから」
もうほとんど根回しが終わっているということか?
いや、詳細を伝えたのは昨日だ。少なくとも人柱の件はキトにしか伝わっていないはずだ。
キトから話すということか。
残酷な内容だから、その方がいいかもしれない。
「チビも余計なことを言うなよ」とキトは念を押していたが、ナビはすました顔をしていた。
広い会議室に通されて、一番奥の席を勧められる。
明らかに王が座る席のようだったが、俺が座ってもいいのか?
すでに王はその手前の席に着いていたので、承認済みだとわかった。
キトは王の正面に座り、その隣にロナルドが座る。
何かの規則に基づいているのだろうが、よくわからない。
全員が揃ったらしいところを見て、ロナルドが開始の挨拶をした。
「評議員の皆さま。フォレスティア国の行く先を決める大切な会議に、ご参集くださりありがとうございます」
神妙に頷く人間たち。
メンバーは以前より増え、見たことがない顔が複数いた。
「すでにお話しさせていただいた方もおりますが、このたび、ハーベストさまより神託が下りました」
神託――そういう言葉に代えられているのか。
ロナルドは部下から地図を受け取り、机の中央に広げる。
「その概要を、こちらの地図を用いてご説明します」
それはフォレスティアとイノスマイリア、ファロウと書き込まれていた。国境が真ん中に示されていて、俺がウォッチで確認したのと同様に広い森がある。
「神託では、イノスマイリア領にある聖地を女神に捧げよと言われております」
中心に描かれた森に『未確認領域』と記載があり、広い範囲を丸で囲われている。
フォレスティア、ファロウの領域も多少含まれているその場所の一点に、ロナルドが星形の駒を置いた。
「正確な場所はわかりませんが、この森には侵入が難しい場所があることは以前からわかっておりました。その中心部はイノスマイリア領にあたるため、聖地はその付近に存在するのではと考えています」
俺はナビを見た。彼女は神妙に頷いている。
場所は合っているらしい。
「この区域については、古に大帝国から分立した兄弟国である三国が、均等にわけあったと歴史書に記されています。国境が制定されてから百年の間、変更されておりません」
引かれた国境線の定義に特に正当な理由はない、ただ均等にわけあってこのようになったとの説明が挟まれる。
「イノスマイリアに対し、この地を平和的に割譲していただく方法について様々な検討を行いました。しかし現在のところ、これといった有力案は出ておりません」
ロナルドは場内を見渡し、淡々と述べた。
「私としては、ひとまずイノスマイリアへ赴いて相談から始めるべきかと思います。先方から良い提案がなされるかもしれません」
ロナルドの意見にすこし周りはざわつく。
特に末席のほうが音量が大きく、やがて挙手がなされた。
「お言葉ですが、軍総監殿」
商会派のものだろうか。豊かな髭を蓄えた男が困惑したように話し始める。
「我々の突然の武装化に、周辺国は戸惑っております。その状況下で領土の割譲を求めにいくのは、少々問題があるのでは」
まずは武装化に関する丁寧な説明を、と続け、多くの者が賛同した。
ロナルドは落ち着いた様子で頷いてから、その意見に答えた。
「我々の武装はあくまで『邪なるもの』の殲滅を目的としております。それに関係のない国や勢力と対立する意図はありません」
邪なるものとは、近年賊どもが手にした邪法のことであり――とロナルドは簡単な説明を挟む。
「イノスマイリアは、むしろ我々と同じく邪法に悩まされている側と認識しています。この機会に、正式に同盟を結んではと思いますが、いかがですか」
それなら、と最初に意見した男は引き下がった。
その後もロナルドの主導で、イノスマイリアへ交渉に行く話が淡々と進む。
俺は不思議に思った。
まだこの会議では、『女神に聖地を捧げよと言われている』としか開示していない。
人柱の件はおろか、魔法部隊設立のメリットにすら言及していない。
なのにみんな、懸命に聖地を手に入れる方法について議論している。
どうしてだろう。
リスクがあるなら、前もってちゃんと全部伝えろと――キトが主張していた話と違う。
「それでは、イノスマイリアへ同盟を申し出る方向で、まず話し合いの場を設ける。これに異論がある方はいないでしょうか」
声は上がらない。
みんな軽く頷いている。
「ハーベストさまも、この進め方で問題ありませんか」
そう問われたので、俺は頷いた。
「それでは、これにて本日の臨時評議会を終わらせていただきます」
拍手とともに、会議はあっさりと終了した。
俺は終了後、すぐに席を立ったキトに倣って立ち上がる。
視線を集めていた。人間たちは珍しい俺に好奇の視線を向けていたが、キトはその間に割り込んで、道を開けてくれる。
「聖人さま」
「すこしお話を……」
「今日は忙しいから。またにして」
キトは俺の盾になるようにして、群がってくる人間をすり抜けて、入り口に向かう。
話し合いはこれだけ?
もう帰ってしまうのか?
馬車に乗り込んだキトに、俺はようやく疑問をぶつけることができた。
「みんなはもう知っているのか。魔法部隊や球体のこと……」
「え? 一部にしか話してないよ」
あまりに当然のように言うので、俺は目を丸くした。
「なぜ話していないんだ」
「話さなくても通ったでしょ。だったら開示の必要はない」
やっぱあんたがいると違うな、いつもよりみんな素直だったとキトは述べる。
「なぜ開示の必要がないんだ」
「だって今のあいつらの目的は、聖地を女神に捧げることなんだ。それ以上のことを知りたいと思っていない」
「???」
よくわからない理屈だった。
疑問符を浮かべる俺にキトは珍しく丁寧な説明をくれた。
「この国は今、あんたが持ってきた構造を受け入れつつある」
俺が持ってきた構造。それは女神エルフルトが、魔王という邪神がもたらした『邪なるもの』へ対抗する協力者として、フォレスティア国を選んだというものだ。
「女神エルフルトは、俺たちに試練を与えるが、試練を乗り越えたら恩寵をもたらしてくれる」
恩寵とは、例えばキトのような女神の力、そして俺が使う奇跡のようなもの。
具体的にそういうものを見せられた人々は、女神の試練をこなしてさえいれば、フォレスティアは強く偉大な国になると考えつつある。
「だから、具体的に利害を並べて提示しなくても、やつらは女神のいうことを聞くんだよ。既にそういうことになっている」
「しかし、聖地を手に入れるだけでは恩寵は得られない。球体を飲み、樹となる人間がいなければ……」
そこが今回の一番の課題だと思っていた。
だからそれについて話し合いが行われると思っていたのに。
「そんなの、いくらでも立候補者が出てくるよ」
いともあっさりとそう言われたので、俺は息が止まるほど驚いた。
「そんなわけないだろう。人間が樹になるんだぞ。死ぬのとほとんど変わらない――いや、死ぬより辛いかもしれない」
自由に動けなくなる。意思だけは残る。いつまで残るのかわからない……。その状態に対する恐怖は、理解できなくもなかった。
ニースのとなりにある、再構成体の生首がそれに近いものだと思っていたからだ。
俺だって、あれになるかもしれないと言われたらゾッとする。
なのに、立候補者? あり得ない。どうしてそうなるんだ。
「あんたにはわからない価値が、あいつらには見えちまうんだ。だからむしろ、この話をすると国が混乱する。立候補者で溢れ返って収拾がつかなくなる」
「そんなわけがないだろう」
「そんなわけがあるんだよ!」
キトは強い口調で言い、顔を近付けてきた。
「人間ってのはそういう生き物だ。あんたみたいな理屈屋には理解できない地点に考えが収束するやつもいる。というか、そういうやつのほうが多い」
女神がもたらす試練、恩寵の構造を皆が理解している。
あいまいなその構造を、それぞれが『理解したいように理解』している。
試練がどのように苦痛なものでも、相応しい報酬を勝手に設定して、試練を受けたいと考えてしまう人間がごまんといる。
「特にあんたが近くにいるとね、その考えが強くなる。あんたに見られたいために、気に入られたいために、手を上げるやつがいるわけよ」
「どうしてだ」
「そこだよ、俺が頭を抱えてんのは。どうしてあんたはそれがわかんないんだよ!」
顔の近くで鋭い声を出されたので、俺は思わず身を退ける。
キトは息を整えてから、子供に言い聞かせるように優しく口を開いた。
「あんたは余計なことを言わずに、後ろで見ていてよ。そしたら、それぞれが自分の判断で、あんたに気に入られようと行動を起こす」
――そういうものなんだ。
理解しなくてもいいから、そういうものだと受け入れてくれ。
「そうしたら、最終的には、あんたの思い通りになるよ」
キトはそう述べて、「それなら文句ないでしょ?」と笑顔を向ける。
その顔は優しいものだったが、俺の心はざわついた。
あまりにも簡単に進みすぎる。
『あんたの思い通り』――いや、違う。ニースの思い通りだ。
俺がなにもしなくても、すべてがニースの望み通りに整えられていく。
その事実を突きつけられたようで、俺の背筋に恐怖が走った。




