第10章(2)
泣いた理由については、なんの説明もなく。
「ありがとうございます! 誠心誠意、お仕えいたします!」
なぜかロナルドが嬉しそうにそう告げて、エリスを伴い部屋を出ていった。
キトとふたりで取り残された俺は、彼の白い目を一身に受け止める。
「どうした?」
「…………」
「なぜ黙っているんだ」
「………………」
沈黙が続く。なにかやらかしてしまったのだろうか。不安が湧き上がる。
「言ってくれないとわからないだろう」
不満を口にすると、キトはすかさず、「じゃあ言うぞ」と告げた。
「あんたさ、わざとやってんの? それとも、天然なの?」
「なんの話だ」
「ああ、なるほど。天然ね。そうだろうね……」
問い返しただけなのに、なぜだかキトはそのように断定してから続ける。
「あんたみたいなやつはね、人間社会にはほとんどいないの。わかるかな、刺激が強すぎるの」
「…………?」
それはそうだろう。だからこそ、神を騙ることができる。
俺が首をかしげると、キトは大袈裟なほどにため息をついた。
「あんたが口を開く度に、人生を狂わされるやつがいるの、わかってないでしょ」
それは、先ほどのエリスのことを言っているのだろうか。
気になったので問い返す。
「エリスに要らない負荷をかけてしまっただろうか。ああ言われたら、逆に断りにくいよな。申し訳ないことをした……」
「…………」
キトは本日一番の絶句を目の前で披露した。
「なんだ、その顔は」
「……あのさ、提案があるんだ」
「提案?」
キトは一呼吸置いてから、続ける。
「あんたは本当に、なにも言わない方がいい。俺以外の人間と話すな」
「…………」
「今日みたいに、誰かに捕まったらすぐに呼んでよ。ひとりでなんとかしようとしないでくれ」
「……わかった」
その提案は悪くなかったので、すぐに合意した。
「俺以外とは喋らずに、ずっと偉そうにムスッとしてるんだぞ。そうじゃないと、いらない混乱を招く」
「わかった。善処しよう」
「わかってねぇよ。徹底しろ」
強い口調で返された。
俺が思っているより、事態は深刻なのかもしれない。
確かに、エリスの泣きかたは異様だった。俺が不用意に喋ったのがよくなかったのだ。
「わかった。徹底するように善処する」
「…………」
キトはもういいと言わんばかりに、大きなため息をついた。
出鼻をくじかれたようになったが、今日はそんな話をしに来たわけではない。
「上司の命令の件、詳細がわかったの?」
キトが本題に入ってくれたので、俺もそちらにすんなりと意識を戻すことができた。
「ああ。ある程度、説明を受けることができた」
俺は順番に話をしていく。
イノスマイリアにある、聖地を確保する。
そこには大いなる風の力が封じられている。
それを元にして、フォレスティアに風を操れる魔法部隊を導入したい。
それが以前話した内容だ。
「聖地に封じられた風の力を、人間たちに分配するには儀式が必要だ」
俺は腰に結びつけていた麻袋をほどき、中身を見せるようにして机に置く。
「聖地にて、人間から選んだひとりに、この球体を飲んでもらわなくてはならない」
「――――」
キトは息を飲んだ。
それは、以前キトが飲んだものとほとんど見た目が変わらない。
「もうひとり、俺みたいなやつを作るの?」
「いや、この球体は、君が飲んだものとは違う。体を変えてしまうのは、同じなのだが……」
俺は鼠の実験を思い出しながら、その変化を言語化していく。
「体から、根のようなものが生える。それは聖地に根付き、大いなる力に向けて伸びていく。力を吸い上げることで体は光り輝き、聖なる樹として再構成される」
うまく伝わっただろうか。キトの顔から表情が消えていた。
「聖なる樹となったその聖人は、自らが吸い上げた聖なる力を分配できるようになる。光の珠を生み出せるようになり、それを渡した人間は風を操れるようになる」
「……その聖人は、生きてるの? 死んでるの?」
「……生きている。大いなる力に接続されているので、生き続けることになる」
「なんでそういう外道なやりかたしかできねぇの? あんたら」
鋭い言葉で刺され、俺は胸に痛みを感じた。
俺だって、そう思う。
しかし、それしか手段を与えられていない。選択肢がない。
言い訳をするほどに、自分が卑怯者になるような気がしたので、俺は苦しいながらも言った。
「これが、最も迅速で、君たちに最大の力を与えられる方法なんだ……」
嫌なら断ってくれたらいい。
それなら俺も、腹を括れる。
任務は失敗したとニースに言いに行く。
それにより、何が起こるかはわからないが……被害を抑えるために全力を尽くすしかない。
いつものことだ。そう、いつものこと……。
そう考えることで、どんどん膨れ上がる不安を紛らそうとした。
呼吸が浅くなる。息が苦しい。
「…………」
キトはしばらく黙っていた。
この件について、考えを巡らせているのだと思っていた。
しかしすこし違ったようだ。
俺が顔を上げたとき、キトと目が合った。
彼は俺を観察していたようだ。
「……あんたさぁ。なんか他に、黙ってることない?」
「え?」
「黙ってることだよ。全部言えって言っただろ」
「…………」
黙っていることなどいくらでもある。
しかし、言う必要がないこともかなりある。
「君の判断に必要なことは、なるべく言うようにしているが……」
そう答えると、キトはさらに探るような目をして俺を見た。
「なんか、俺の中で整合しねぇんだ。あんたの人格と、持ってくる話の質が……あまりにも違う」
「…………」
「あんたさぁ、なにかを握られたりとかしてる? その女神とかいうやつらに、脅されて利用されているだけなんじゃないの」
息が止まった。
見透かされている。
俺の状態を、見透かされている。
大丈夫なのだろうか。
ナビが見ている。ウォッチも見ている。
俺の失態は、すぐに感知されてしまうだろう。
俺はなにも言えなくて、ただ呼吸を整えるのに精一杯で、キトの顔を見ることもできなかった。
「…………」
なにを考えているのだろう。
キトはしばらく黙っていたが、不意に長い息をつく。
「……まあ、そんなことを知ったところで、俺にはなにもできねぇんだけど」
で、出せる情報はそのくらい? と軽い口調で尋ねてきた。
「ああ、そのくらいで……足りないところがあれば、質問してくれ」
キトはそうだなぁ、と気の抜けた相槌を打ってから、続ける。
「得られる魔法部隊の規模はどんなもん?」
「聖地に封じられた力の総量による。正確な規模は確保してみないとわからないが、数十人程度なら余裕だろう」
「風の力って、具体的にはどんな感じ?」
「風は気体や空間を操る属性だ。突風を起こす、乾燥させる、物を運ぶ、わずかであれば空を歩くこともできる」
「空飛べるの? すごくない?」
目を輝かせるキト。
メリットのほうばかり気にしていないかと眉をひそめたが、続く質問に胸が痛んだ。
「樹になったやつはどうなるんだ。動けないのか?」
「ああ、おそらく動けない」
「意識はあるんだろ?」
「意識はある」
「苦痛はあるのか」
「苦痛は……」
チーチーと鳴いていた鼠。
あれは痛くて苦しいわけではなく、動けないことに狼狽をしているようだった。
「俺たちは、人間的な苦痛については、君たちほど理解していない。見たところ、苦痛はないように思うが、わからないというのが正確な回答だ」
「なるほど……」
キトは思いのほか冷静だった。
冷静すぎて、気味が悪いほどだった。
俺はどこかで期待していたのかもしれない。
そんな外道なことはできない。他のやり方はないのか、上司に確認してこいと、キトが怒鳴ってくれるんじゃないかと期待していた。
だがキトは、平然とした顔で言った。
「ひとりの犠牲でそこまでやれるんなら、検討の価値は充分ある」
早速話を進める――彼はなんの躊躇もなく、そう言い放つ。
明日の会議には俺も参加するよう告げて、彼は席を立った。
「やりましたね、ハーベストさま!」
「…………」
「交渉が一段階進みましたよ!」
キトとの話し合いの後、俺は再び聖堂の上にあるこの部屋に通された。
しばらくはここが俺の拠点になるのだろうか。
広々とした豪華な部屋を、落ち着かない気分で見渡す。
ナビ用のベッドまで、設置されていた。
彼女は嬉しそうにそこへ座ったので、俺もベッドの端に座る。
「さすがハーベストさまです。順調ですね!」
「……そうかな」
「そうですよ!」
快活なナビからは、先ほどの失態に対する指摘は出てこない。
大丈夫だったのか。
キトに俺の実態を知られてしまっても、問題なかったのか。
問題ないなら、このまま流してもらいたい。
ぶり返すようなことは言わず、次のことに頭を悩ませよう。
人柱について。
キトはああ言ったが、さすがに他の人間から反発があるだろう。
立候補が出るとは思えないので、嘘をついてやらせることになる。
そんな卑劣なことをしたら、信頼を失う。
ニースは本気で、そのような支配が成り立つと思っているのだろうか……。
ふと、気配を感じたので頭を上げる。
入り口のそばに、エリスが立っている。
今回は厚手のローブを着用したままだった。
すこし悩んだが、「なにか用だろうか」と声をかける。
声をかけないと、彼女はいつまでもそこに立っているだろうから。
エリスは深く頭を下げながら、震える声で言う。
「差し出がましいこととは存じますが……湯浴みのご用意はいかがいたしましょうか。念のため確認に上がりました」
「…………」
ああ、そうだよな。
人間にとっては湯浴みというのは日常業務だ。
確認に来るのは当然のことだろう。
ちゃんと言っておかないといけない。
「申し訳ないが、湯浴みというのは我々には必要がないことなんだ。だからこれからも、用意をお願いすることはない」
「畏まりました。ご教示いただきありがとうございます」
わかってもらえたらしい。
良かった。こうやって俺のことを知ってもらえたら、余計な配慮をすることもなくなるだろう。
しかし、エリスはすぐには下がらなかった。
「それでは、お召し物の清浄を行いましょうか。わずかに汚れがございます」
汚れ?
俺は足もとを見る。
先ほどの雨の影響か、足鎧にわずかな泥はねがある。
「濡らした布きれでももらえたら、自分で拭いておく……」
「私に拭かせていただけませんか」
強い口調で返されて、俺は面食らった。
「いや、自分で拭きたいから……」
「も、申し訳ございません!」
エリスはかわいそうなくらいに深く頭を下げて、震えている。
その様子に、俺は違和感を覚えた。
もしかして、エリスは脅されているのではないか。
俺の世話をするように、ロナルドから命じられているのではないか。
だからなんとしても俺から仕事をもらわなければならない。
なにも仕事を受けずに帰還すれば、罰を受ける……。
「…………」
俺は目の前の人間に、急に親近感が湧き上がった。
キトに知られたら怒られるかもしれないが……俺はおもむろに足鎧を外し、ベッドの脇に置く。
「これを洗ってきてもらえるか。代わりの履き物も用意してもらえると助かる」
パッと顔を上げたエリスは、輝くばかりの喜びの表情をしていた。
「はい! すぐに用意します!」
動きは非常に機敏だった。
あの鎧はかなり重いのだが、顔色ひとつ変えず持ち上げ、しっかり抱き抱えている。
「少々お待ちくださいませ」
そう言って去っていった後、ほとんど間もなく、代わりの履き物を持ってきた。
「明朝までに仕上げます」
「あ、ああ……ゆっくりでいい」
すこし水拭きするだけで終わるから、負担にはならないだろう。
安堵して見送った俺は、翌朝戻ってきたそれを見てひどく後悔した。
見たことがないくらいに、ピカピカになっていた。
「拭くだけで良かったんだが」
「も、申し訳ございません! 磨きすぎてしまいました……」
平伏して謝られたので、俺は言葉を失ってしまう。
「いや、ありがとう。見違えるほど綺麗になった」
「…………!」
エリスは俺の言葉に、はにかんだような笑顔を見せる。
それは今までの固まりきった表情と、明らかに違った温度を持っていた。
父親に怒られずに済んだんだろう。
とりあえずは良かった。
役に立てた充足感で、ひとときの喜びを得る。
すこし前、レムともこうやって関係を作っていったんだったな。
そんなことを思い出しつつ、キトが迎えに来るまで静かな時間を過ごした。




