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交錯世界の風見鶏  作者: 小柚


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第9章(3)

 外は真っ暗だった。

 夜目を利かせる術もあるので、別に困りはしないのだが、

「明るくなるまで休んでいったら?」

と勧められたので、厚意に甘えてみることにした。

 トライフルで夜を明かすのは、初めてだ。

 キトがエリスと呼んだ、聖堂の入り口に佇んでいた女性が、俺の部屋に案内してくれるという。

 聖堂のさらに上、三角屋根の屋根裏にあたる部屋。そこを使わせてくれるらしい。

 見事な天井画があり、色ガラスのはめられた採光窓が周囲を彩る。

 小窓からは冷ややかな夜風が吹き込み、ろうそくの明かりを揺らしている。

 家具はなく、中央に巨大なベッドだけがあり、綺麗に整えられていた。

「湯浴みの準備ができましたら、お呼びします」

 エリスはそう言って下がっていった。

「湯浴み?」

 何のことかわからないが、とりあえず一人になれたので、ベッドに腰かけて息をつく。

 キトに約束した件を、考えないといけない。

 リスクの全開示についてだ。

「ナビ。人柱の件について、詳細を知っているか」

「詳細とはどういうことでしょう」

「この球体を飲んだ人間が、どうなるかだ」

 ナビはすこし考えた後、うつむいて言う。

「ハーベストさまには閲覧権限がありません」

「…………」

 やはりそうか。

 球体に関しては、教えてもらえない。

 ニースに直接尋ねても駄目だった。

 しかし今から、これを説明する必要がある。

「ただ人柱を作れと言って、キトが納得するはずがないよな」

「そうですね」

「なんとか知る方法はないかな」

 腕組みをして考えていると、ナビは事も無げに言う。

「上位に確認すればよいだけでは」

「……質問はした。知る必要はないと言われた」

「違いますよ、ハーベストさま。行動に変化がないなら、問う必要がないと言われただけです」

「…………」

 あのとき俺が、ちゃんと説明できていたら、詳細が聞けたと言うことか?

 いつもながら、要求が厳しすぎる。

 何と言えば良かったのだろう。

 頭を悩ませていると、入り口のほうから「失礼します」という声が聞こえた。

「湯浴みの準備ができました」

 エリスが戻ってきた。

 彼女は正装のローブを脱いでいて、ひどく薄着になっている。

 階段のそばに佇み、頭を下げている。

 ああこれは、なにか言ってやらないと動けないやつだと思い至る。

「申し訳ないが、必要がない。ひとりにしてくれるか」

 キトじゃない相手に謝ってしまった。

 まずいな、すでに口癖になっている。

 そんなことを考えていると、エリスが顔を上げた。

 ――一瞬、息が止まる。

 エリスはとても悲痛な面持ちをしていた。

 いつも淡々と応対してくれていたから、驚いてしまった。

「あ……申し訳ない。せっかく用意をしてくれたのに……」

「いいえ。こちらこそ気遣いが至らず申し訳ございません」

 エリスは深々と頭を下げ、失礼いたしますと告げて階段を下りていく。

 傷付けてしまったかもしれない。

 それもこれも、ちゃんとその場で考えを伝えておかないから……。

「ナビ。湯浴みとはなんだ」

「入浴のことですよハーベストさま。人間は就寝前にお湯で体を清めるのです」

 聞いたことはある。

 しかし、再構成体にはそのような習慣はない。

 人間と違って、再構成体の体はほとんど更新されない。汗も皮脂も出ず、古い皮膚が剥がれ落ちることもない。

 汚れは、基本的に外部から付着するものだけだ。

 だから汚れた部分を拭けば済むし、大抵は衣類で防げる。

「人間扱いをしてくれたのか」

「そうですね」

 それは悪いことをした。

 人間は俺と違い短命だ。

 貴重な時間を無駄にすることには抵抗があるだろう。

 『あんたが色々と後出しさえしなければね』

 キトの皮肉が胸を突く。

 ちゃんと知らなければならない。

 人間に嫌われないためにも。

 空に薄く光が戻り始めた頃。

 まだ人間たちは寝静まっているだろうこの時間に俺は部屋を抜け出し、外に待機させていたフライトのもとへ向かう。

 コンフィズリーへと戻る道のりで、俺は考えた。

 どうやって情報を仕入れようか。

 ニースは上手く行くまで、帰って来るなと言っていた。彼女に聞きに行くのは論外だ。

 他に知っていそうなのは……。

「ナビ。ゼノ……さんにはどうやったら会えるのかな」

 いつも向こうからやってくるから、居場所がわからない。

「面談を希望すれば、通るんじゃないですか」

 ナビはさらりと言うが、そんなに簡単に行くかな。

 あいつはいつも俺の行動を把握しているから、今回のことも気が付いているだろう。

 しかし、優しくはない。

 ニースに比べたらましだが、困っているからといって話を聞いてくれるのか。

 俺の心配は杞憂だった。

 新樹庁のポートに着くと、そこにはゼノの姿がある。

 彼は俺にずかずかと近付いてくると、開口一番、こう述べた。

「おい、新人。舐められるなと言っただろう」

 まずいな、不機嫌な顔だ。

 フライトから下りて、頭を下げる。

「すみません。お呼び立てして……」

「それはいい。それより、お前は舐められているのがわかっているのか」

「え? 誰にですか」

「お前の犬にだ」

 キトに?

 確かに、近頃は一段と要求が増えている気がする。

 しかし、俺の仕事を代わりにやってくれているようなものだし、仕方のないことじゃないか。

 ゼノは高い目線から、俺をひどく見下すようにしている。

「責任者はお前だ。いつまで犬に振り回されている。ちゃんと躾けないと噛み付かれるぞ」

「…………」

「聞いているのか」

「はい……」

 ああ、駄目だ。

 板挟みだ。

 やっぱり俺はキトに説明をすることができないのか……。

「…………」

 いや、これは悪い癖だ。

 俺は首を横に振る。

 どちらかを説得しなければならないんだ。

 すぐに引き下がってどうする。

 俺はぐっと腹に力を入れ、声を絞り出す。

「……キトは犬じゃありません。賢い人間です。うまく人間社会の舵取りをするためには、彼に説明をしないといけません」

 俺は短く息を吸い、思い切って続けた。

「人柱の案件は、大きな反発が予想されます。慎重に事を運ばなければ、信用を失いかねません」

 信用を失えば関係が崩れます――俺は真剣に、そう訴えた。

「それはお前が舐められているからだ」

「そうかもしれませんが、俺にはこれが限界なんです」

 あんたのように、毅然とした態度は取れない。

 演技をしたところで、すぐにぼろが出る。

「俺がちゃんと責任を持ちますから、俺のやり方でやらせてください」

「………………」

 俺の言葉に、ゼノは意外なほど素直な反応を見せた。

 厳しい表情を引っ込めて、腕を組んでいる。

 しばらく思案したのちに彼は口を開く。

「わかっているなら、もう止めないが。……リスクの開示を求められていたな」

「はい。今回の依頼に関しては、魔法部隊の導入という利益に見合うリスクであれば、人間側は全面協力をしてくれそうです」

「……あの人間、考え方にずいぶんと偏りがあるぞ。わかっているのか」

 あの人間?

 キトのことか?

 犬と呼ばなくなったことに、わずかに喜びを覚えつつ、言われたことに首をかしげる。

「偏りがある、とは……?」

「あの人間の考えは、お前が期待するような高い視座にはないぞ」

「…………」

 言われた意味がわからない。

 俺は落ち着いて、頭の中を整える。

 ゼノは無意味なことは言わない。なにか見落としを指摘されているはずだ。

 わからないまま進まない方がいい。

「それは、キトだけの判断に依存すると良くないということですか」

 そう問いかけると、ゼノはすこし言いにくそうにしながら答えた。

「良くない、というのが、“ニースさまの目的に関してどうか”という観点なら、別に悪くはない」

「……?」

 じゃあ悪くないんじゃないか。

 なにを気にしているんだ。

 俺が混乱していると、ゼノのほうが先にこの話題を終わらせた。

「お前が責任を持つ腹なら、別に構わない。お前がやりたい方針で進めてみろ」

 彼は「ついてこい」と言い、踵を返す。

 新樹庁の建物に足を向ける。

 意見が認められたことに俺はホッとしていたが、いまだに不安がまとわりついている。

 薄いのに、ねっとりとした不安だ。

 そこにすこし違和感を覚えながら、彼の後を追いかけた。

 新樹庁も旧樹院に劣らず、複雑な構造をしている。

 成長する樹に合わせて、歪んでいく建物群。

 ロープウェーを乗り継いで深く高く上っていく。

 やがて樹の内部らしき環境が現れ始めた。

 いつもフライトで通っているトライフルへの道のり、そこで見かける黄金の海に似た光が、幹から流れている。

 木々の合間に転々と、小屋のような外観の小部屋が生えている。歪んだ木の階段で繋がっているその小部屋のひとつにゼノは入っていく。

 扉はなく、布切れが垂れた入り口をくぐると、妙な臭いが鼻を突いた。

 獣のにおいだ。

 部屋中にガラスケースがぎっしりと詰められていて、その中に無数の生き物が蠢いている。

 変なローブで全身を覆った人間たちが働いている。

 ゼノはずかずかと立ち入り、彼らを押し退けながらひとつのガラスケースの前に立つ。

「これを見ろ」

 そう言われたので、彼の隣に立ち視線を向ける。

 中にいるのは小さな鼠だった。

 おがくずの敷かれたケースの中を、落ち着きなく駆け回っている。

 真っ白な毛並みで、ガラス玉のような透明な目をしているのが気にはなったが、それ以外は何の変哲もない鼠だ。

 ゼノに命じられ、人間がガラスケースの下の空洞に、液体を注ぎ始める。

 粘り気のある、緑色の液体だ。

 それはゆっくりと底面を満たしていき、おがくずの中心にある、祭壇のような餌皿の下に到達し、毒々しい輝きを見せている。

 次に人間が、なにか小瓶を持ってきた。

 そこにはからからに乾いた種のようなものが入っている。

 ピンセットでつまんで、ひとつを餌皿に置く。

 しばらくは、何も起こらなかった。

 鼠は警戒したようにそれのまわりをうろつき、においを嗅いでいるだけだった。

 しかし、執拗にそれに興味を示した個体がいた。

 一番小さな個体だ。

 そいつはそのにおいをしばらく嗅いでいたあと、ついには口に入れてしまう。

 すぐに飲み込んでしまったらしい。

 その瞬間に、異様なことが起こった。

 鼠は体をびくびくと震わせる。

 白い毛が逆立ち、波打つ。

 表面を、彩りが走った。青なのか、赤なのか、緑なのかわからない、複雑な虹色が波打つように毛を染めている。

 そいつは前足で胸の辺りをまさぐりながら、よろよろと祭壇へ向かう。そこへうつ伏せに倒れると、枯れたようにじわじわと黒ずんでいった。

「…………」

 吐き気が込み上げてくる。

 なにを見せられているのか、なんとなく察しがついた。

 あの乾燥した種は、俺が持たされた球体の小さい版だ。

 これは球体を食べたあと、なにが起こるのかを分かりやすく見せつけられているのだ。

 黒ずんだ鼠の、心臓付近から何かが生えてきた。

 それは祭壇の隙間から、緑色の液体に向かって次々と根のようなものを伸ばしていく。

 液体に到達した黒い根は、液体を吸い上げて緑色に染まっていく。

 どんどん染まり、やがて鼠の体毛が緑色に光り始める。

 干からびていた瞳が、緑色に輝き始める。

 体から今度は芽が出て、双葉になり、本葉が生える。

 ものすごい速度で蔓を伸ばしていき、ガラスケースの天井が蔓と葉で埋め尽くされる。

 チー、チー、と鳴き声が聞こえた。

 死んだと思ったその緑色の鼠が、手足をバタつかせている。

 木の一部になっているから、当然どうにもならない。

 ただチー、チー、と悲痛な声をあげて、じたばたとしていた。

 暴れるたびに、なにかキラキラした粒を撒き散らした。

 周りにいた鼠が、その粒に興味を持ち、口に入れる。

 すると、瞳の色が変わる。

 透明だった瞳が、液体と同じ色の緑色に染まっている。

「鼠には無用の産物だが、いまこの鼠には風の魔力が体内に流れている」

 ゼノは緑色の目の鼠を指差して言った。

「中央の生け贄を介して、魔力がすべての鼠に共有される」

 粒を食べた鼠は、次々と瞳を緑色に染めていく。

 チー、チー、と悲痛な声を上げているのは、中央の鼠だけだった。

「これが今回の任務で目指したい支配の形だ。わかったか」

 俺はしばらく、ガラスケースに釘付けにされた。

 思考が停止する。

 理解するには、重すぎた。

 ……これをどう解釈しろというのか。

「お前がやるといったんだ。責任持ってやってみせろ」

 ゼノはそれだけ言い残し、去っていく。

 チー、チー、と鳴き続ける鼠。

 その哀れな様子に心臓を抉られながら……俺は必死で頭を再起動させようとした。

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