第9章(2)
できるだけたくさんの石と飴を持ち出した。
途中で帰れないわけではないだろうが、最悪の場合を想定しておくべきだ。
「フライトには収納もありますよ」
ナビが後ろ脚の付け根付近にある鱗を持ち上げて、空洞を示した。
流石はフライト。便利だな。
両脚の収納にぎっしりと燃料を詰める。
わずかな安心感と共に、俺はトライフルへと進路を取る。
その道中、重苦しい気持ちで問いかけた。
「ナビ……今回の任務の内容を教えてくれ」
「はい! もちろんです!」
いつものように快活に答えたナビは、耳を塞ぎたくなるような内容を口にする。
「隣国イノスマイリアにある、聖なる地の確保。続いてその地で、従順な人柱に球体を飲ませます」
「…………」
落ち着いて、ひとつずつ片付けよう。
俺は深く息を吸ってから、口を開く。
「隣国イノスマイリアとは、どこのことだ」
「ウィディアより西の方角です」
ナビはトライフルにいる二番目のウォッチと繋ぐように言ってきた。
目の前に鳥瞰の光景が浮かぶ。
緑の多い大陸が、碧い海にせり出している。
下方にはウィディアらしき白い街が見える。そこから西に移動すると、すぐに巨大な森が見えてきた。
「この森の先がイノスマイリアです。この森の中に国境があるようです」
「聖なる地とは、どこのことだ」
「聖なる地は、この中にあります」
ウォッチの映像は森の上を飛んでいく。
やがて、特徴的な地形が現れた。
峡谷か? 落ち窪んだ地形の真ん中に雲がある。
そこには島がいくつか浮いていた。
雲の海に浮いている島――なんだか幻想的な光景だ。
「このあたりの国境は、人間たちの取り決めのためよくわかりませんが……この聖地はイノスマイリア領のようです」
「確保しろとは、国境を変えろと言うことか」
「そうですね」
簡単に言うが……。
そんなの、どうやったらいいんだ。
フォレスティア国はなんとかキトがまとめあげてくれそうだが、他国へ影響を与えるなんてできるのか。
「できなければいけません。あなたはトライフルの神となるのです」
俺の考えを読んだように、ナビはきっぱりと言う。
……とりあえず、そこまでをなんとか進めよう。
俺は任務の後半に関して、考えることを避けた。
考えてしまうと、どこへも進めなくなる気がしたからだ。
トライフルに到着したとき、まだ日は高かった。
いつものように聖堂に立ち寄り、キトに言伝てを頼む。
「いつもの場所で待っている、と伝えてほしい」
「わかりました」
近頃は、この人間が応対してくれることが多い。
赤い髪の、切れ長の目をした女性だ。
平均的な女性にしては背が高い。
聖堂の制服である白いローブを身に付けている。
名前はまだ知らない。もしかしたら名乗られたかもしれないが、記憶にない。
この記憶力のなさ、どうにかならないのか。
フライトで林に移動しながら、俺は思い悩んでいた。
「どしたの、来るの早いじゃん」
夕刻になって、キトは現れた。
例の剣は気に入ってくれているらしい。ボンヤリ光る珠飾りが腰の辺りで揺れている。
「早かったか」
「早いよ。まだ二週間も経ってない」
キトの装いは、剣に合わせてすこし変わっていた。
新しい制服だろうか。
ロナルドたちが着ていた軍服と形は似ているが、色が違う。
「で、どうしたの。飴は食べてないよ」
「いや、すこし困ったことがあって」
「困ったこと?」
あからさまに警戒の色を強めるキト。
「いや、君や街にすぐに危害が加わるような話ではないのだが」
そう前置きしておいて、俺は口を開く。
「この国は、隣国と上手くやれているのか。最近、軍事力を増強しているよな」
まずは基本的な知識を得たくてそのように聞いた。
キトは目を丸くする。
「え? あんた、そういうのに興味あったの?」
「ああ、まあ……」
……業務上必要でなければ、あまり知りたくない。
キトは意外そうな顔をしてさらに質問を重ねてくる。
「ならさぁ、軍事力を増強してんだから、周りとは関係が悪くなるのはわかるよね?」
「それはまあ、なんとなくは……」
「それでもあんたは、この国を強く大きくしたいと言った。その意味はわかるよね?」
「……まあ、なんとなくは……」
「なんとなくじゃなくて、ちゃんとわかれよ」
キトは苛立ったようにそう言い、鋭い目をこちらに向ける。
「前から思ってたけどさ。あんたってこの国を掻き回す割に、無関心だよね」
「…………」
「なのに俺のことは異様に見てくるじゃんか。ちょっと意味わかんないんだよ」
「………………」
「何? 何を気にしてんの? ちゃんと言ってくれよ。わかんないじゃん」
今さら、俺たちのやり方にケチつける気じゃねーだろうな――キトは殺気立ちながら、強い言葉を投げ掛けた。
確かに俺の言動が、キトから見たら不可解に感じられるというのは理解できる。
俺が置かれている状況は、どう考えても特殊だから。
「こちらにも事情があって……」
「なんだよ事情って。言ってみろよ」
「…………」
キトになら話しても良いのではないか。
キトと俺は運命共同体だ。
彼には知る権利がある……。
俺は腹を決めて、口を開いた。
「上司命令が下りた。とある要所を確保するように言われている」
「上司って何? 女神のこと?」
ああ、そういえば。キトには女神がトップであるということしか伝えていない。
しかもその名前は違った。確か、女神エルフルト――ニースは、その名を人間たちに刷り込みたいらしい。
「実は、女神エルフルトという方にお会いしたことはない。現在その方は、姿を隠されている……」
俺はナビを警戒しつつ、慎重に言葉を選んだ。
「俺が仕えているのは、別の女神だ。このトライフルで行われたことは全て、その方に命じられてやったことだ」
「……あんたの意思じゃなかったってことか」
「そうだ。俺の意思でやれることは、あまり多くはない……」
キトはなぜだかすこし考え事をしていた。
なにか含みのある視線を俺に向ける。
「じゃあ、あんたはこれまで……いったい何を考えながら行動してきたの?」
難しい問いかけだった。
俺が考えていたこと。
トライフルに来てから俺は、たくさん考えるようになった。
ベルフォートの美術館に引きこもり、絵だけを描いていたときとは比べ物にならないほど……俺は口数多く自分と対話をした。
俺のなかには、俺という人間がいる。
そいつは、このように考えていたはずだ。
「俺はただ、人間たちが正当に幸せであってほしいと思っていただけだ。俺が関わる以前と変わらない形で……」
いや、もしかしたら、もう少し踏み込んでいるかもしれない。
俺が関わることで、ほんのわずかでも幸せが増してくれたなら――そう思っているのかもしれない。
「なんだよそれ。わけわかんねーな……」
そう呟きつつも、ある程度意図が伝わったのかもしれない。
キトの顔つきから厳しさが抜け、いつもの表情に戻っている。
彼は長いため息をついて言った。
「話してみろよ。上から何を命じられてんの」
「しかしキト。長くなるかもしれない」
もう日が落ちてしまったことに触れると、キトはポカンと口を開ける。
「あんたさ、本当に自分の立場がわかってないんだな」
申し訳ない、と言うと彼はさらに呆れた声を出した。
「この国にとって、あんたより優先されることはないんだぜ」
いくらでも時間はとるから、ちゃんと話せよ。そう呟いた彼は、続きは聖堂で、と俺を誘ってくれた。
キトが向かったのは、聖堂の二階の、以前通された部屋だった。
「で、上司命令って何なの」
キトは質素な椅子にどかりと座ったとたんに、話を再開する。
「とある要所を確保するように、だったっけ」
俺は空いている椅子を引いて、静かに座った。
今はキトしかいないし、偉そうに座る必要はない。
「隣国イノスマイリア領にある、聖なる地を知っているか」
そう話すと、キトは首をかしげる。
「西にある、大きな森の中にあるらしい」
「国境の森か。フォレスティアとイノスマイリアと、ファロウの三国を隔てる森のことだな」
ファロウ、という言葉に俺は反応する。
以前ロナルドが言っていた国だ。『邪なるもの』を操る元凶として、ロナルドが設定したがっていた。
「その聖なる地とやらは、イノスマイリア側にあるの?」
「そう聞いている」
「ふーん……」
頭のなかに地図でも描いているんだろうか。
しばらく視線を泳がせた後に口を開く。
「その地を確保したら、どうなるの?」
「え?」
「確保したら、なんかメリットがあるの?」
メリット……。
考えたこともなかった。
確保できなかったらどうなるのかというので頭がいっぱいで、逆のことにはあまり意識が行かなかった。
「ナビ。確保したら、何かいいことがあるのか」
「…………」
珍しく即答しない。
彼女はなにやら変な音を鳴らしながら、考え込んでいる。
「ナビ? 大丈夫か?」
「はい。ナビに入力されている、最終的な形を述べます」
ようやく整理が終わったのか、そう前置きをし、話し始める。
「聖地には大いなる風の力が封印されています。それを手に入れ、フォレスティア正規軍に魔法部隊を導入します」
「魔法部隊?!」
キトはガタッと音を立てて立ち上がる。
「何それ? 何ができるの?」
「風を操る魔法を使えます。あなたの火を操る魔法と似たものです」
「誰でも使えるようになるの?」
「はい。ある程度適正が必要ですが、誰でも使えます」
「…………」
キトの目が爛々としている。
「……それって、副作用があるの? 飴を食べなきゃ駄目とか」
「本人の力を使うわけではないので、飴はいりません」
「神様の体にはならない?」
「なりません。本人の体にはほぼ変化はありません」
「なにそれ。メリットしかないじゃん」
キトは椅子に座り直してから、興奮したように言った。
「俺もそっちがよかったな」
「女神の力ほど、自由度はありませんよ」
「そうだとしても、副作用がでかすぎるだろ、これ」
キトはしばらく、熱に浮かされたような顔をしていた。
フォレスティアに魔法部隊を導入……。
それが本当の目的なら、確かに聞こえはいいかもしれない。
しかしナビは肝心なことを言っていない。
そのためには、人柱がいるんだろう?
俺はナビの言葉の端々に含みを感じていた。
『本人には副作用はない』――これは裏を返せば、その副作用は全て人柱が引き受けるということじゃないのか。
「いいじゃん。そういうでかいメリットは、最初に提示してよ」
検討する価値がある――キトはそう断言して、席を立とうとした。
「待ってくれ。そんなにすぐに受け入れてもいいのか」
俺は思わずそう口にして、キトの冷ややかな視線を受け取る。
「なに……? またなんか、黙ってることがある……?」
「いや……」
何と言えばよいのだろう。
そのまま言ったらまずいだろう。
俺は思案を重ねた末に口を開いた。
「……犠牲が必要かもしれない。君のように不幸になる人間が現れたら、どうするんだ」
そう言えば、伝わると思った。
しかしキトはキョトンとして言った。
「もしかしてあんた、俺のことを不幸な人間だと思ってる?」
「…………違うのか?」
問い返すと、彼は快活に笑った。
あまりの軽さに驚いてしまうほどだった。
「そりゃあ初めはムカついたけど。今のところは、損得で言えばトントンくらいだね」
いやむしろ最近は、あんたが治してくれるから、得のほうが大きいかもしんない――キトはそのように述べた。
「あんたが色々と後出しさえしなければね、あんたたちとの取引は悪くないんだよ」
「…………」
「わかる? リスクがあるなら、前もってちゃんと全部伝えてよ。こっちで判断するからさ」
「………………」
全部。
全部ってどこからどこまでだ……?
俺はどこまで把握して、どこまで伝えなければならないのだろう。
「すまないが、すこし待ってくれるか。上に確認してみる」
「ああ、そうしてくれ。そしたらこっちもちゃんと検討してやるから」




