第9章(1)
久しぶりに、穏やかな日常を送っていたように思う。
描きかけの絵を仕上げつつ、キトの様子をウォッチで確認する。
それは、昼過ぎに一回だけ。彼との約束を俺はちゃんと守っていた。
そのかわりに、気が向いたときにトライフルへと足を運んだ。
キトは痛みを隠す傾向がある。それはすぐには直らないようだ。
「また飴を食べたのか」
「ひとつだけだよ。まだ大したことないし……」
なぜか言い訳しようとするキトに問答無用で『再生』を叩き込む。
何度かそういうことがあった。
トライフルへの移動には時間がかかるから。
絵はなかなか仕上がらなかった。
気付けば数ヶ月ほど時間が流れていた。
その間フォレスティアという国の改革は、じわじわと進行していた。
細かいところはわからない。
ただ今までよりも教会が強い力を持ち、そこに『正規軍』という概念が持ち込まれた。
それはロナルドが主導して組織された、国民すべてを対象とする志願制の軍隊。
どのような戦力を保持するつもりなのかは知らないが、今までのように船で海賊と戦うだけの軍ではないらしい。
彼らは街に『邪なるもの』が再来したときに備えて、何やら対策を整えていた。
効率よく避難したり、魔物を誘導するような動線作りなど。
兵器を作るための鍛冶や火薬の製造などにも力を入れはじめた。
それは首都ウィディアだけではない、フォレスティア国全体を巻き込む話になりつつあった。
キトは首都以外をまとめる際に、広告塔として働かされていた。
それには女神の力が必要なようだ。
聖人として認められるには、一度はそれを見せないといけない。
治せるとはいえ、飴を食べる度に彼は消耗する。
なにか対策できれば良いのだが。
女神の力を使わなくとも、飴を食べなくても、聖人として認められるようなものがあればいいのに。
「ずっと気になってたんだけどさ」
あるとき、キトが呟いた。
「あんたのその剣、一体なんなの」
「剣?」
俺はすっかり忘れていた。
いつだったか、ゼノに渡されたものだ。
一度も抜いたことはないが、衣装の一部になっていた剣。
あまり武器には詳しくない。
ベルトを外し、鞘ごとキトに渡す。
「普通の剣だと思うが」
キトは受け取り、しげしげと眺める。
「この珠、なんで光ってるの?」
本当だ。
指摘されて、はじめて気が付いた。
柄の先につけられていた珠飾り。
その透明な珠が、ほんのりと光を放っている。
近頃は、夕方に時間を決めて来るようにしていた。
治療するなら晩飯前に。夜には来るなよ、と言われたのでそうしていた。
場所は街の外壁からすこし離れた林の中。
来訪したら、その旨を聖堂のものに告げたあと、そこで待つように言われていた。
キトは俺と会っていることを、あまり人に知られたくないようだった。
薄暗い中、神秘的に輝く珠。
薄いグリーン……それはキトの変化した髪の色であり、自己錬成を使うときにさらに輝く光の色に似ている。
「これさ、俺が持ったらさらに光るんだな」
「……そうだな」
キトは柄を握ったり離したりして遊んでいる。
そして思い立ったように、勢いよく鞘から抜いた。
パッと輝く刀身。
そして、呼応するように輝く白緑の髪。
「いいじゃん、これ!」
キトは満面の笑みを浮かべた。
「これくれよ、ハーベスト」
「え……」
「いいだろ? あんた、使わないだろ」
「…………」
大丈夫なのかな。
俺はナビを見る。
これはゼノから支給されたものだ。
好きに使えと言われた覚えがあるが、譲渡が許可されているかはわからない。
「それの所有者はハーベストさまです。問題ないのではないでしょうか」
……それなら、いいか。
俺が頷くと、キトは歓声を上げる。
「やったー! チビは本当に使えるやつだな」
「チビではないです、ナビです」
「ありがとう、チビ」
「…………」
キトは例の件から、ナビをチビと呼んで可愛がるようになっていた。
俺としてはすこし複雑だったが、まあ、仲良くしてくれる分には良いかと温かく見守っていた。
珠飾りの光の色。
キトの髪の色。
――ニースの髪の差し色。
その関係性については、あまり考えないようにしてきたが。
この世界において、色というのはかなりの情報を持つらしい。
特に髪の色に関しては……俺が考えるよりも多くの意味を持つようだ。
「ハーベストさま。最近、なんだか楽しそうですね」
トライフルから戻り、着替えを手伝ってもらっているとき。
レムにそんなことを言われた。
「……別に、そうでもない。絵が進まなくて、申し訳ない」
「いいえ。ハーベストさまが安定されているのを見て、みんな喜んでいますよ」
一時期は、本当に心配したんですから……と彼女はしみじみと語った。
あの頃に比べたら、近頃は楽だ。
キトの体調を気にしていればよいだけだし。
「…………」
「どうしました?」
「いや、すこし気になることがあって」
俺はなんとなく、髪の色のことを尋ねた。
『珍しい髪色を持つ人』について。
「髪の色は、血筋や家を表すことが多いです。特に薄い色のものは、血が混ざると失われやすいので……一般的には、色が薄ければ薄いほど高貴な生まれです」
「へえ。薄いグリーンとかもか」
「薄いグリーンは全く見たことがありませんね。ハーベストさまの銀色や、金色なんかは上級貴族の色と言われていましたね」
近頃はどこの貴族も没落して、そのような髪色はほとんど見かけなくなりましたが――彼女はそのように語った。
髪の色は、出自を表すらしい。
俺はいつのまにか、キトでなく自分の髪色について思いを巡らしていた。
「上級貴族の色……」
没落して、見かけなくなった色。
俺はもともと、上級貴族だったのだろうか。
確かに銀色の髪の人間はあまり見かけない。
高齢のものが白髪になるのとは違う。
俺の銀髪は、白髪よりも透明感がある色だ。
光の加減により七色が差し込まれる。
「…………」
色々と考え込んでいるうちに、フライトの絵が仕上がった。
新しい絵の内容を考えなければならないが、今は特に描きたいものがない。
久しぶりに昔の写真の色を起こそうか。
そう思って、ロミに写真を持ってきてもらった。
「なにかお気に召すものはありますか」
「……ベルフォートの街並みと、風見鶏の写真が多いんだな」
「ええ。ここに住む人々が見たいものを集めましたから」
ベルフォートは昔、賑やかな街だった。
鉱山で働くものが多く、みんな豊かで、最新鋭の錬石機関と、学問施設が集中していた。
いまは寂れてしまっているが……。
俺は写真を見ているうちに、色が想像できるものと、できないものがあることに気が付いた。
自然と選り分けてしまう。
ロミが気付いて、首をかしげた。
「こちらの写真は、興味がありませんか」
「ああ。そっちのものは、色が見えないんだ」
「ハーベストさまにも、見えないものがあるんですか」
「そのようだ」
…………。
なんだろう。モヤモヤする。
なにを基準にして、そのような選別が行われたのか。
いくつかの写真を持ち出し、美術館の端に座って、俺はしばらく考えていた。
人間の頃の記憶なのだろうか。
俺は昔、ベルフォートに住んでいたのだろうか。
そんな中、ガチャガチャと特徴的な足音が聞こえてくる。
ゼノだ。
俺は咄嗟に顔を上げ、振り返って――飛び込んできた色に息を飲んだ。
「どうした、新人。変な顔をして……」
「…………」
「なにを黙っている」
俺はしばらく、言葉が出てこなかった。
金色の髪。空色の瞳。
それは既視感のあるものだった。
――銀色と、金色は上級貴族の色ですね。
レムの言葉が頭の中で反響する。
――今ではほとんど見かけなくなりました。
確かに、見たことがない。
こいつ以外に金色の髪は、見たことがない。
「どうしたのか、聞いている」
「…………」
バルマーに頼まれた、集合写真の着彩。
バルマーの右側にいた、よく似た顔立ちのきょうだい。
ゼノは彼らと同じ色合いをしている。
「あの……ゼノさん」
俺は恐る恐る、尋ねてみた。
「あなたは、自分の出自について……気になったことはありますか」
ゼノは面食らったような顔をしていた。
すこし考えていたようだが、なにかに思い至ったのか、不敵な笑みを浮かべて言った。
「ああ、妙な絵を描かされていたな。バルマーに」
それも把握済みか。
こいつは俺の監視が趣味なのだろうか。
キトの監視をしている俺も、人のことは言えないのだが……。
「別に興味はない。しかし生まれたばかりの再構成体が、それにすこし興味を持つことはある」
いまのお前には、健全な反応だ――ゼノは腕組みをして、言い放った。
「あの双子がなんであろうと、いまの俺には関係がない」
「双子……だったんですか、彼らは」
「余計なことは考えず、いまの仕事に集中しろ」
ゼノはナビを掴み、踵を返す。
またナビに何かを仕込む気だろうか。
不安になっていると、ゼノはさらに大きな爆弾を投下する。
「ニースさまがお呼びだ。すぐに向かえ」
「…………!」
久しぶりの感情だった。
心臓を握りつぶされたような、息苦しさが俺を襲った。
急いで支度をし、新樹庁に向かう。
謁見を申し出て、すぐに部屋に通される。
浅い呼吸を繰り返してから、白い絨毯に足を踏み出す。
定位置まで近付いて、いつものように膝をついた。
「よく来てくれました、ハーベスト」
面を上げなさいと言われたので、従う。
「順調のようですね」
ニースは不気味な笑顔を浮かべながら、探るような視線を向ける。
「はい。我々が管理するフォレスティア国は、着々と戦力を増強しています」
「そうですね。そのお陰で、次の手が打ちやすくなりました」
次の手?
不穏な言葉にゾッとする。
俺に任せてくれるんじゃないのか。
ニースは部屋のすみに控えた人間に合図を送り、なにかを持ってこさせる。
嫌な予感がする。
俺の予感はいつも当たる。
人間が持ってきたのは、いつか見たしわしわの球体――胡桃のような見た目の物体だった。
「あなたに任務を与えます。責任を持ってやりなさい」
空気が張り詰めた。
いままでにない圧だ。
自然と背筋が伸びる。
「まずは、隣国イノスマイリアにある、聖なる地を確保しなさい。そしてその地で、人柱にそれを飲ませなさい」
「…………」
なんだそれは。
ひどく不穏な内容だ。
じわじわと嫌悪感が育っていく。
それは吐き気として、俺の体に露呈した。
「人柱の選定は任せます。あなたにすべてを差し出せる者を選びなさい。従順なものがふさわしい。……あなたの犬よりも、ずっとです」
まるで、キトが従順でないことを察しているかのような言い種だ。
ゼノほどではないが、こいつも俺たちのことを監視しているのだろう。
「細かい内容は、ナビに入力しておきました」
よい報告を期待しています――ニースはそう言って、話を締めようとした。
「待ってください」
俺は思わず口を開く。
ニースは小首をかしげ、なんですかと問いかけた。
「この球体はなんですか。飲ませると、なにが起こりますか……」
どうしてそんなことを聞いたのだろう。
いつもはぐらかされるからだ。
ナビに聞いても答えが得られない。
だから直接聞いた。
しかし、後悔した。
ニースは薄く微笑んでいる。
彼女の横にある鳥かごの中で、生首が瞬きを繰り返した。
ぱちぱち、ぱちぱちぱち……。
それは異様な反応であり、なにか危険を教えてくれているかのようだった。
「……なぜ、そんなことを気にするんですか?」
言葉に詰まる。
怪しいから。
危険そうだから。
そんなことは言えない。
「それを知ることで、あなたの行動に変化がありますか?」
「………………」
ある。きっとある。
最初の依頼で、津波が起きると知っていたら、球体は落とさなかった。
次の依頼で、聖人の体を操作した演出がなされると知っていたら、キトにやらせたりはしなかった。
そして、その次の依頼で……キトから、今の暮らしを奪うことを知っていたら……。
いや、本当にやらなかっただろうか。
もしやらなかったら、どうなっていた?
俺の首は落とされて、あの鳥かごの隣に並んでいただろう。
もしかしたら、他にもなにか迷惑をかけたかもしれない。
例えば美術館が、レムやロミが、俺と一緒に首を落とされてしまったとしたら……。
「……いいえ、変化はありません」
「それなら別に、問う必要はないでしょう?」
「はい。申し訳ありませんでした……」
ニースは笑った。気持ちの悪い笑顔だ。
「では、下がりなさい。上手く行くまで、帰って来なくていいですよ」
長い仕事になりそうだ。
ポートで待っていたナビと合流し、俺はひとまず美術館に戻る。
「今回は、遠出になるかもしれない」
しばらく帰れない可能性を告げ、一枚の写真をロミに渡す。
気になっていた写真だ。色味はスタッフの直感でいいから、地塗りをしておくよう指示しておく。
「夏祭りの風景ですね」
ロミは呟いた。
「胡桃爆弾……当時の子供の間で流行っていた遊びです」
その言葉が、やけにはっきりと耳に残った。
受け取ったばかりの球体――胡桃に似たそれを、つい連想してしまった。
奇妙な一致だ。
もしかしたら、このとき俺は無意識に、この遊びのことを思い出していたのかもしれない。
そして……ただの遊びだと思い込むことで、この球体への不安をごまかそうとしていたのかもしれない。




