第8章(3)
別棟というのは、ずいぶん行きにくいところにあった。
おそらく樹が伸びて地形が変わったのだろう。
短いロープウェーが据え付けられた先にそれはあった。
近づくにつれ、俺は妙な違和感を嗅ぎ付けた。
なんだかくさい。
段々とにおいが強くなる。
鼻が曲がりそうだ。
ひどく簡易な建物だった。
巨大な倉庫みたいで、ひどく錆びた鉄扉がひとつあるだけの外観。
あまりにくさいために、一緒に上がってきた人間たちは、運んできた大袋を放り投げるように倉庫の前に置き、すぐに引き返す。
同じような袋がたくさん置かれていて、それは鉄扉の先も同様だった。
地面や天井から、錆びたパイプが無数に生えている。
錬石機関とかいうのに似た、巨大な動力源が倉庫の奥にあり、ゴウンゴウンと音を立てながらベルトが張られた回転体を動かしている。
その上には、キラキラ光る玉が流れていた。
飴だ。すごい数だな。
その前に、黒い人影がいた。
影になっているのではなく、黒い衣装を着ているらしい。
鱗がたくさん付いた、変な全身鎧だ。
そいつは飴をひとつ取り、ハンマーで叩き割る。
手元で炎を上げたのにも構わず、真上の板を眺めている。
そこにはいくつかのランプが点っている。
それを見て、ノートに何か書き込んでいる。
「すみません」
俺は声をかけた。
「はい、なんでしょう」
すぐに返事があった。
俺はホッとする。変なやつじゃなさそうだ。
「飴が欲しいんですが、もらっていっても構いませんか」
くるりと振り返る。
兜を被っていて顔が見えない。
目元だけ切れ込みが入っていて、そこからわずかに目が見える。
そう思っていたら、突然ガパッと目元の覆いを上にずらした。
「あっもしかして、ゼノさんとこの人ですか?」
丸い茶色の瞳。切れ込みの部分だろうか、両目を横断するように黒い煤が付着している。
「はい。そうですけど……」
ヴェーラーさんですか、と尋ねようとしたら、先に話を切り出されてしまう。
「どうですか? この飴、役に立っていますか?」
「ああ、まあ……」
「それはよかったです~」
彼はなにやらノートに記載し、兜を戻して作業に戻ろうとする。
「いや、ちょっと待ってください。新しい飴をもらいにきたんです」
そう言って引き留めると、彼はすこし面倒そうに言う。
「勝手に持っていってください。なんで僕に聞くんです?」
ニースさまのお陰で続けられている開発ですよと呟き、兜を閉ざそうとして、またこちらを振り返る。
「それとも、開発秘話を聞いてくれるんですか? そういえば、いつもの人と違いますし」
「え……?」
「それならどうぞ、そこにかけてください。お茶をお出ししますよ~」
なぜか彼はうきうきしながらスツールを動かし、積もった埃を払った。
次に小さな机をその前に置いて、何やら汚い食器類を並べ始める。
……できれば、長居はしたくない。
俺はそちらには近付かず、遠慮がちに申し出る。
「いや、その……立ち話で構わないんで」
「立ち話で僕の開発秘話が理解できると思いますか? 馬鹿にしているんですか?」
「いや、申し訳ない……」
「座って! 待ってください、黒板を持ってきます」
前言撤回。
やはり変なやつだ。
偏執狂のにおいがぷんぷんする。
再構成体の特徴は隠されて見えないが、おそらく彼も人間ではない。
車輪の付いた黒板を引きながら戻ってくる彼は満面の笑みだ。
最後に変なお茶を汚いカップに注いでから、おとなしく座る俺に向き直った。
「この研究は、風見鶏の肝いりの研究として始まりました」
十年前、いや、二十年前?――空を仰ぎながらそう呟いていたが、すぐに諦めたように視線を戻す。
「ずいぶん前からやっています。風見鶏の人間たちが、是非とも進めて欲しいと僕に懇願してきたのです」
彼は得意気に胸を張りながら語った。
その頃のコンフィズリーでは、錬石の地層が真っ黒になる現象が多発していた。
知恵の樹の影響と言われていたが、原因は未だによくわからない。
黒くなった錬石は、使い物にならなくなる。
人間たちはすでに錬石機関に頼りきりだったから、その現象に危機感を覚えていたそうだ。
「彼らは、くず石すら発掘できなくなる未来を見越していたんですね。錬石機関で大量に発生するこの錬石粉、なんとか再利用できないかと言われたんです。確かに、理屈上はまだエネルギーが残っているはずなので、取り出せるはず。――僕は燃えました!」
倉庫の入口付近に積まれている袋。あれが錬石機関から発生した錬石粉らしい。
なるほど、原料には困らなそうだ。
しかし、ヴェーラーはガクンと肩を落とす。
「でもね。現実は……思惑とは違いましてね」
俺が首をかしげると、彼は悲しそうに言った。
「いまだにくず石は見つかり続けるのですよ。ちょっとね、早すぎたのです。僕の研究は……」
しかし、将来的に必ず必要になる!――彼はバンと黒板を叩いて吠えた。
「ニースさまは僕の研究の将来性を理解してくださり、用途探索を続けてくださいました!」
いまは本来の目的とは違うことに、細々と使われている。
いつかは爆発的に大ヒットするはず。
その期待を胸に、現在の彼は大して使い道のない飴を改良し続けている。
「理論上、最大効率と認められるまで。僕は、この飴の改良を止めません!」
彼は拳を握りしめ、宣言する。
目が血走っている。
研究の背景に関する話は、それで終わりのようだった。
「ここから先が本題です。僕が発見した錬石飴の特殊構造について、説明しますね~」
チョークを鳴らしつつ、彼は黒板になにやら奇妙な図形や数式を書き始めた。
異次元の話が始まった。
専門用語か何かか、早口で呪文のような言葉を捲し立てている。
さっぱりわからない。
「知恵の樹の樹液がですね、特殊な機能を持つんです! あのパイプから出るんですが、なんと錬石を溶かすんです!」
話の途中で、彼が持ってきた液体が強烈だった。
ガラス瓶の中で、なにやら煙を吹きながらポコポコあぶくを形成している。
それがにおいの原因らしい。俺は鼻の周りを両手で覆う。
「錬石粉と樹液を混ぜてですね、ある濃度まで樹液を揮発させます。すると、特異的な構造を取るんですよ!」
それを丸めて固めたものが飴らしい。
錬石よりは呼び出せるエネルギーが低いが、同じように割ればわずかな魔法を生じさせる。
「消化にいいと言っていたが……」
俺がぼやくと、彼は嬉しそうに黒板の図を指差した。
「消化にはいいですよ、完全な固体ではなく半分液体なんですから。しかもね、全てを溶かす樹液入りです! どんな胃酸よりも強いです!」
「…………」
「再構成体の体まで侵食するほどの強さ! 僕もこの鎧がないと、少しずつ削れてしまう! この樹液、刺激的でしょう?」
ちょっと待て。
それは大丈夫なのか。
聞いているだけで胸焼けがしそうだ。
胸焼けどころか、体の中が溶けていっているんじゃないか。
空気が淀んでいる気がする。
口の中がピリピリする。
この液体が含まれている飴なんて、キトに食べさせて大丈夫なんだろうか。
「あの、ヴェーラーさん。ゼノから、飴の用途って聞いてます?」
「別に、使ってくれるならなんでもいいので、聞いてませんよ」
「これ、食べさせているんですよ、人間に……」
「え?」
ヴェーラーは、理解が追い付かないように、すこしだけ固まる。
「……冗談ですよね? 飴って呼んでますけど、口に入れる前提では作ってないですよ」
「…………」
その回答だけで充分だった。
本当に、ゼノもニースも頭がおかしい。
どうしてそんな発想に至ったのだろう。
「ああ、でも、悪くはない発想です。一粒食べるくらいなら、大して影響はないでしょう」
僕も食べてみようかな、などと言い出したので、こいつもやっぱりおかしいと結論付ける。
「すみません。飴をもらって帰りますね」
俺は席を立って、回転しているベルトのほうに足を向ける。
袋を人力で換えないといけなかったんだろう。
自動で生成した綺麗な球体が、入りきらずに溢れている。
俺は持ってきた麻袋に、赤いのを半分だけ詰めた。
紫のものはなかなか見つからなかったが、部屋のすみに一袋だけ置いてある。
もう半分を紫で満たし、口を締めた。




