第8章(2)
ナビの案内でバルマーのもとに向かおうとしたのだが、入り口で人間に止められる。
「すこしお待ちください!」
そう言って駆け出した人間は、奥から赤毛の少年を連れてきた。
「あれ? どうしたの、きみ」
「許可が下りたから来たんだ」
そう、とライズは淡々と呟き、あたふたする人間を向こうに下がらせた。
「またゼノが荒らしに来ないか、みんな心配してるんだよ」
「ああ、なるほど……」
それは申し訳ないことをした。
俺はいまだに不安そうな視線を向ける人間たちに、軽く会釈をする。
彼らはギョッとした顔をして、そそくさと持ち場に戻っていった。
「それで、なにか用事?」
「ああ。ナビとフライトのメンテナンスと、飴が欲しいのと……」
「飴? 錬石飴のこと? ……もしかして、本当に食べさせてるの?」
「なにかまずいのか?」
「いや……まずいというか。いいや、まずいんだけど」
なんだか歯切れが悪い。
俺は不安になったものの、言葉を重ねる。
「キトもすごくまずいと言っていたが……慣れてきたようで、たくさんほしいと言っている」
「……その人間ってさ、犬みたいなやつなんじゃない?」
「どういう意味だ?」
俺はすこしカチンと来て、語気を強めてしまった。
ライズはニースじゃない。変な意味で言ったんじゃない。
しかし俺はすこし過敏になっているようだった。
ライズは気まずそうに沈黙した後、口を開く。
「犬ってのは、痛みを感じても態度に出さないんだよ。怪我や病気をしても、本当に耐えられないくらいに痛くなるまで、隠すんだって……」
「…………」
「ちゃんと気にしてあげてよ。あれは開発中のものだし、本来の用途とは違う。その人間はいま、ニースの悪趣味な実験をされている最中なんだよ?」
息が詰まった。
目が醒めたような気分だった。
何度も俺はそういう現場を見てきたのに、どうして気にしないでいられたのか。
「しかし、キトが飴を必要としている……」
キトが働いてくれるから、俺はこうしてわずかな自由を得られている。
それ以外のやり方が、今の俺には思い付かない。
「…………」
ライズも沈黙してしまった。
改善案があるわけではないらしい。
もどかしい気持ちになったが、これは俺の責任の範囲だ。
気付かなかった問題点を指摘してくれただけで、感謝しなくてはいけないだろう。
「ありがとう。これからはすこし注意して見るよ……」
ライズは頷いて、次に俺の手元に視線を落とした。
「それは、絵? 完成したの?」
「ああ。ついでに渡そうと思って」
どうかな、と俺はスケッチブックを開いて見せた。
「――――」
ライズは息を飲んでいた。
これほど強い反応を見せるのは、珍しい。
「やっぱり、知り合いなのか?」
俺は何気なくそう尋ねた。
彼は顔を上げ、即座に口を開く。
「やっぱりって何?」
「いや……だって」
俺は中央の、バルマーに抱えられた女性を指差す。
「この人は、君に似ているから」
「ああ……そういうこと」
ライズはあからさまに落胆した顔をして、つまらなそうに言った。
「バルマーのお気に入りだったんだ。似てるでしょ? 目付きが悪いところとか」
「バルマーにも似ているが、君の方が似ている」
「まあ、そうだね……バルマーが、参考にして作ったから」
彼はボソボソとそんなことを呟いた。
あまり触れて欲しくなさそうな話題だったので、深くは聞かないことにした。
スケッチブックを閉じて、ライズに渡す。
「バルマーに渡しておいてくれ。俺は飴を受け取ったら帰るよ」
しかしライズは受け取らず、ぐいと押し返す。
「飴はバルマーに言わないと駄目だよ。ついでに絵も渡しておいてくれる?」
ここを進んで、一番奥だからと言い、彼はナビを連れてどこかに行こうとする。
俺はすこし慌てた。
ああ、そうだ。もうひとつ尋ねておかなきゃならないことがあった。
「ライズ、ひとつ聞きたいんだが……」
「なに?」
不機嫌そうに振り返るライズ。
申し訳なく思ったが、いま聞いておかないと、機会を失ってしまいそうだ。
「名前を忘れてしまったんだ。教えてくれないか。君の友人の、青い髪の――」
そのとき。ピシと、空気に亀裂が入ったように感じた。
俺は驚いて、呼吸が止まる。
そのときライズが――あまりにも強い表情を見せていた。
その顔は、今でも鮮明に覚えている。
初めて会ったとき。風見鶏の絵を見上げているライズに興味を持ち、近づいたとき。
俺を振り返り、彼が見せた顔と同じだった。
「……青い髪の……再構成体の……少女がいただろう」
高鳴る心臓を抑えながら、途切れ途切れに言葉を続ける。
すると彼は、憑き物が落ちたように表情を崩して、乾いた声を出した。
「あ、ああ……バーベナのことか」
その声は、震えていた。
「バーベナが、どうかした?」
「いや、さっき外で見かけたから……」
ライズは乾いた笑いをすこしして、再び背を向ける。
「じゃあ、ぼくは行くね……」
「ああ……ありがとう」
その足取りは、ふらふらしている。
なにか悪いことを聞いてしまったのか。
申し訳ない気持ちに苛まれたが、後の祭りだ。
俺は深いため息をつくと、最初の目的の通り、バルマーの居室へ足を向けることにした。
バルマーは以前と同じ、竈のある部屋にいた。
一番大きな竈の前で熱心に、作業している大きな背中。
俺が入室しても、気が付かない。
近寄って、背後に立っても気が付かない。
バルマーを見ていると、なんだか自分の姿を外から見ているような気分になる。
おそらく、絵に集中している俺はこんな感じだ。
同じ体勢で、休みもせず、昼夜問わず、作業に没頭している。
ニースやゼノの日常を知らないが、もしかしたらある意味で、似たり寄ったりなのかもしれない。
再構成体というのは、人間的な檻を排除された代わりになにか特定の物事に執着し、命の限りそれを繰り返す。
偏執狂、という言葉が浮かんだ。
その対象が俺にとっては絵であり、バルマーにとっては研究なのだろう。
人の役に立てているなら、いいのだが。
ここにいる人間たちは、比較的穏やかな顔をしている。
それを見る限りは、危険性は高くない気もする。
「あの。バルマーさん」
おずおずと声をかける。
返事はない。
今度は肩を叩き、耳元で囁く。
「バルマーさん」
「おお、なんだ」
返事はあったが、こちらは見ない。
俺はスケッチブックを開いて、絵を見せるように持つ。
「頼まれた絵を描いてきました」
「おお? 頼んだ絵とな?」
ちょっと待て、と言い、くるくるハンドルを回す。
キリの良いところまで進めるのだろう。
しばらくして、こちらに体を向けた。
絵を見たとたん、彼はキラキラと瞳を輝かせる。
「おおー! 孫たちだ! 帰ってきたようだ!」
ありがとう、ありがとうと繰り返しながら、俺の体ごと絵を抱き締める。
ものすごい怪力だ。ギリギリと体が軋む音がする。
「はなし、て、絵が、ぐしゃぐしゃに、なる、ので……」
「おお、すまん!」
あっさりと腕を解き、彼はスケッチブックを俺の手からもぎ取った。
「本当にすごいな。奇跡のようだ」
「それは、あなたの、大切な人なんですか……?」
咳き込みながら、そう尋ねる。
バルマーはニカッと白い歯を見せながら答えた。
「これはワシの孫たちだ!」
孫……?
「あなたの孫は、ライズなんじゃないんですか」
「ああ。ライズも孫だ。孫として作った」
「作った?」
そういえば、ずっと引っ掛かっていた。
ライズの正体について。
ゼノは彼を錬成種と呼んでいた。
彼は人間ではなく、ナビと同じ錬成種なのか?
「ライズはワシが作った。人間型錬成種だ」
「人間型錬成種?」
「ライズ・アルファだな、それっぽく言うと」
ガハガハと笑う。
本気か冗談かいまいちわからない。
「ナビと一緒なんですか?」
「ああ。ナビは案内役としての機能を積んでいる。ライズも機能を積んでいる」
「なんの機能を積んでいるんですか……?」
どう見ても人間にしか見えない。ナビのように作られた感じはしない。
つい尋ねてしまったが、答えを聞くのが怖かった。
ライズとの会話が全て、誰かに設定されたものだったとしたら……。
しかしバルマーは、ガハガハ笑いながら言った。
「孫の機能だ! 彼には、ワシの孫として振る舞ってもらっている」
「孫……」
だから、孫ってなんなんだ。
ゼノもバルマーに手を焼いているようだった。
彼はわざとか、天然かわからないが、奇妙な言い回しで煙に巻く癖がある。
「この人たちの代わりとして、ライズを作ったんですか?」
「おお、そうだ! そういうことだ」
「この人たちは、何者なんですか?」
自然と問いが漏れていた。
あまり物事を気にする質ではないのだが、この写真の人たちは興味を引いた。
「この人間たちは、風見鶏のものだ」
「風見鶏?」
急に意味のある単語が飛び出して、心臓が跳ねる。
「風見鶏って、ベルフォートにあった学園のことですか?」
「そうだ! 樹上のこの半壊した施設の大本になった場所だ」
バルマーは語った。
けして遠くない過去のこと。
再構成体として目覚めた彼の周りには、風見鶏の人間たちがいた。
その頃のコンフィズリーは、再構成体はほとんど生まれていなかったという。
この世を支配するのは人間で、どんどん成長する知恵の樹と、それが引き起こす現象に翻弄されていた。
「風見鶏の連中は、再構成体と共に生きたいと言っていた。ワシの前にふたりの再構成体がいてな、彼らと協力して世界を頑張って束ねていたよ」
それは難しい舵取りだったという。
人間たちにまだ力があったから、いくつかの国同士が対立していた。
写真に写る人間たちが中心となり、争いを終息に導いた。
「ワシもこき使われたんだ。フライトはそのときに作った。大活躍だったな。フライト・アルファには凶悪な兵器を積んでいたからな!」
いくつかの町が焦土と化した!
バルマーはそう言ってガハガハ笑うが、全く笑えない。
俺が浮かべる微妙な顔に気付いたのか、バルマーは急に笑いを引っ込めた。
「……おまえも孫に似ているな。再構成体にも孫のようなものがいる。バーベナとマルクもそうだな」
よいことだ、と呟く。
重要なことを言われた気がして、俺はすかさず質問を投げた。
「孫に似ているって、どこがですか?」
バルマーは嬉しそうに目を細める。
「ワシを諌めてくれるところだ。ワシは昔から、やりすぎるところがある。……面白いと思ってしまうと、やめられんのだ」
ああ、なるほど……。
言わんとすることが、ようやくわかり始めた。
「孫というのは、人間的な倫理観をあなたに教える存在のことですか」
「おお、おまえは頭がいいんだな。そう捉えてくれて構わんよ」
俺はホッとする。
ようやくバルマーの不可解さを紐解くことができた。
しかしバルマーはニタリと笑い、追加の爆弾を落としてくる。
「だが、孫というのはそんなお固いものじゃない」
「え……?」
「一番大切なことだ。わかるか? 孫というのはだな……」
勿体をつけるように、黙り込むバルマー。
俺はつい身を乗り出して言葉を待つ。
期待が最大限まで膨らんだ後、彼は嬉しそうに言った。
「目に入れても痛くないほど可愛いということだ!」
「…………」
真面目に聞こうとしてはいけないのかもしれない。
しかしバルマーは本気らしかった。
「目に入れても痛くないほど可愛いから、ワシもわがままを聞いてやろうという気になる。これが孫の本質だ」
胸を張ってそんなことを言う。
……少なくとも、害悪にはなりづらい個体だな。
俺はそう結論付けて、この話を切り上げることにした。
「飴をもらいにきたんだ。あなたの許可があればもらえると聞いた」
「おお、あれか。あれは助手に作らせている」
別棟にいると呟き、窓の外を示した。
「ヴェーラーくんという。愉快なやつだ。いくらでも譲ってくれるだろう」
彼は最後に、何に使うんだ? と何気なく聞いてきた。
「人間に食べさせるんです」
「人間に食べさせる?」
なんでまたそんなことを、と重ねて問われた。
「消化にいいと聞きました」
「消化にいいとな?」
一瞬間を持たせた後、
急に膝を叩いて笑い出すバルマー。
あまりにも異様な笑いかたで、ゾッとした。
「いや、そんな捉え方をするとは、さすがはニース。あいつは天才だな!」
「…………」
ガハガハ笑いが耳に付く。
それ以上聞きたくなくて、俺はそそくさと退場することにした。
何を思ったのかは知らないが、まともな内容じゃないに違いない。
……確かに、彼には正常な神経を持つ孫が必要なのかもしれない。




