第1章(1)
窓の外には、ターコイズブルーの空が広がっている。
形の良い雲が流れて、爽やかな風が吹いているのを感じる。
そんな中、俺は薄暗い一室に座らされていた。
同様に付き合わされている人間が五人いる。
――散歩でもしている方が有意義だろうに。
ついそう考えているところに、鋭い一声が突き刺さった。
「ハーベストさま、聞いていますか」
「ああ、もちろん」
慌てて振り向いた。
ひとりだけ立っていた人間――ひっつめ髪をした吊り目の女が、こちらを睨み付けている。
「では、ご意見を伺ってもよいでしょうか」
彼女は俺から遠ざかり、部屋の奥にある黒板をバンと叩いた。
「こちらの候補から、次の作品の題材を選んでください」
そこには、三枚の写真が磁石で留めてある。
誰かが持ってきた、どこかの風景を写したものだ。
真新しい駅舎。雪に沈む町並み。夜空に浮かぶランタン。
どういう基準で選んできたのかは知らない。
住民投票で決まったらしいと聞いたような気もする。
俺はふいと視線をそらして、
「別に、レムが決めてくれたらいいよ」
と伝えた。
すると彼女は俺の視界に割り込み、怒りの表情を見せつけてくる。
「駄目ですよ。あなたが描きたいものでなければ、良い作品にはならないでしょう」
「そんなことはないと思うが」
「そんなことはあります! 午後から新聞社の取材を受けるんですよ」
そこで次の作品への思いを語らされるそうだ。
そんな話、聞いた覚えがない。
軽く抗議をすると、レムはさらに怒りを浮かべながら鼻息を荒くした。
「言いました! 昨日も、一昨日も、先週から毎日です!」
ああ、それは悪いことをした。
そんなに繰り返してくれていたとは。
興味がないことはほとんど記憶に残らない。
謝ろうとして、俺はふと彼女の違うところに目が行ってしまう。
「レム、きみは顔色が良くないぞ。あまり寝ていないんじゃないか」
人間は夜に眠らないと体調が悪くなると聞く。俺に関わる人間は、このような顔色になることがよくある。
心配したのに、何故だかレムはさらに肩を怒らせた。
「誰のせいで眠れていないと思っているんですか!」
参ったな。また怒らせてしまったようだ。
――気を付けないと、人間はすぐに怒る。
そんなことを思いながら、俺は黒板の写真を見やった。
「これでいい」
夜空の写真を指さす。
適当に選んだことがバレてしまったんだろう。
レムは深く息を吐き、何かを諦めたように頷いた。
どうやら俺は珍しい存在らしい。
初めて会う人間はみんな、俺を見て眩しそうに目を細める。
レムが言うには、「神々しいオーラがある」らしい。
渡された鏡を覗き込んだら、言われている意味はなんとなくわかった。
人間とは違う、少し尖った耳と歯。
光を受けて煌めく銀色の髪と、透き通った紫の瞳。
「そうじゃなくて。造形が美しいんです。美形なんです」
横からレムが口を挟んできたが、まあ細かいところはどうでもいい。
「あなたは再構成体と呼ばれる存在です。私たちとは違うんですよ」
最初にそう教えてくれたのも、レムだった。
この世界には、俺のような存在が多数いること。
そいつらは人間とは違う場所に住んでいるらしいこと。
そして人間は、その再構成体に守られて暮らしていること。
「あなたは生まれたばかりのようですね。樹上に行かなくてよいのですか?」
樹上というのが、俺の仲間が住むところらしい。
「あんまりよくわからないし、いいよ」
そう言ったら、レムは俺を人間の街に置いてくれた。
それからしばらくして、俺の周りには人間が増えていた。
きっかけは絵だった。
「なにか覚えていることはありますか」
レムに問われて、紙に風景を描いたのだった。
何故だかレムはそれを見て大騒ぎした。
どうやら俺は、絵がとてつもなく上手いらしい。
噂を聞きつけた人間たちが、写真というものを持ってきた。
この街が、かつて大きな街だった頃の風景が写るもの。
白黒のそれを、色つきの絵にしてほしいと頼まれた。
いくつか描くうちに、段々と大きなキャンバスが与えられるようになった。
気がつけば、ひとりではなくなっていた。
人が集まり、みんなでひとつの絵を描くようになっていた。
巨大な絵を三枚ほど描いた頃、レムが美術館を建てようと言い出した。
「人がたくさんくれば、この街は活気を取り戻します」
そう言われて、俺は少しだけ考えた。
人間は、よく笑い、よく泣き、よく怒る。
何故だかわからないが、「人間を泣かせるのはよくない」ということは理解していた。
――「笑わせるのがよいこと」であるとも。
「役に立てるなら、いいよ」
そう言うと、レムは満面の笑顔を浮かべた。
そのとき感じた充足感。
今ではそれが、俺の記憶の一ページ目に刻まれている。
どうも、本調子ではないようだ。
石でできた、新築の美術館。
取材帰りの人間たちを送るレムを眺めているとき、ロミが話しかけてきた。
「何かあったんですか」
彼はレムの知り合いの男で、主に絵を描くサポートをしてくれる。
名前を覚えるのが苦手な俺が、すぐに思い出せる数少ない人間のひとりだ。
「何かって?」
「いつもより、元気がないじゃないですか」
悩みがあるなら聞きますよ。
そんなことを言われて、少し戸惑う。
俺には、悩みがあるのか?
頭を持ち上げて、考える。
珍しいことに、すぐにひとつの記憶が浮上した。
「あの絵なんだが」
指差した方向を、ロミが見る。
そこには一枚の巨大絵が飾られていた。
俺が描いた三作目の絵だ。
どこかの歴史的な建物のようなものが、高い場所から俯瞰するような形で描かれている。
「風見鶏ですね」
「風見鶏?」
「昔に、この街にあった学園の名前です」
おそらく、何度も説明されたはずだ。
レムと違って、ロミは何回でも丁寧に教えてくれる。
「かつてこの街『ベルフォート』は、学園都市として栄えていたんです。この学園は、国で最も優秀な子どもたちを集めて、学問を教えていたんです」
将来、人間たちを率いる人材を育てる場所だった。
風の方向を報せるものたち――そのような意味を込めて風見鶏と名付けられた。
「この絵は、数十年前に撮られた写真を参考に描いていただきました。当時を知る人はほとんどいませんが、長老たちはよく描けていると感動されていましたよ」
この絵がどうかしましたか、と首をかしげるので、俺は腕を下ろして言葉を繋いだ。
「最近来た客で、妙なやつがいたんだ」
「妙なやつ?」
「その絵を、興味なさそうに眺めていた」
他の客は、俺が描いた初期の小型作品から、他の大型作品、未だ絵が描かれていない白い巨大キャンバスに至るまで、興味深そうに眺めていたのに。
「それだけをずっと見ていて、変なやつだと思って近付いたら」
涙を流した。
一筋だけの涙を。
まるで、何かを見つけたみたいに。
俺はあっけにとられて、言葉を失った。
その間にそいつは、駆け出してしまった。
「変だろ? 絵じゃなくて、俺を見て泣くなんて」
「まあ、少し珍しいかもしれませんが……あなたを見て感涙する人くらいいるでしょう」
そうかな。首をかしげると、ロミは軽やかに笑う。
「絵も素晴らしいのに、作者はもっと素晴らしい。特に若い女性は、感動しやすいと思います」
その方は女性でしたかと聞かれ、首を横に振った。
「少年だったな。赤い髪で、痩せっぽちで、陰気な顔をしていたよ」
「それは確かに、珍しいケースかもしれません」
そう言いながらも、彼は大して問題視していないようだった。
ロミは次の絵を描くキャンバスに向かい、足場を組む計画を話し始める。
悩むほどのことではないのか。
そう思うと、胸の支えが少しとれた気がする。
「明日から取りかかりますよ」
地塗りの色を指定してくれますか。
そう依頼されたので、俺はスツールの上に置き去りにされていた、例の写真を取りに向かった。
写真は白黒だ。
最初によくイメージを膨らませる必要がある。
夜空に浮かぶ小さなランタンの光は、どんな色だったのだろう。
脳裏に、柔らかい橙色の光が浮かぶ。
夜空の群青に映える色合いだ。
きっとそんな色がふさわしい。
俺は白紙のキャンバスの周りに乱雑に並べられている麻袋から、三種類の粉を選んでボウルにすくう。
ブラウン。ブルー。レッド。
土やくず鉱石からなるその粉を、石皿につまみいれる。
多めのブラウンに、ブルーをひとつまみ。さらにレッドを少しだけ落とす。
油を注ぎ、ナイフで混ぜていく。
背後にロミが立つのを感じた。他にも助手が、何人か手元を眺めている。
気に入る色味になるまで調整を繰り返して、俺は後ろを振り向いた。
「この色にするよ」
石皿をロミに渡し、俺は再び顔料袋の前に立つ。
次の行程で使う色も、少し思案しておこう。
俺が動き出すと、周りは活気付く。
客の合間を縫って、助手たちが忙しく働き始める。
美術館のすみっこで始まる新しい絵の製作に、客たちは好奇の目を向けてくる。
「このライブ感も目玉なんですよ!」
レムが以前、そう言って鼻息を荒くしていた。
美術館を建設するために、駆け回っていた頃のことだ。
この街の市長とかいう偉い人間をアトリエにつれてきて、そう声を弾ませていた。
「これを美術館でやれば、絶対に評判になります!」
その通りだった。
レムの見立ては当たっていて、美術館は毎日たくさんの客が来た。
しかし、それは良いことばかりではなかった。
人間の客だけだったら良かったのに、ついに招きたくない客までも、誘き寄せてしまった。
最初の異変は、悲鳴が聞こえたことだった。
複数人の悲鳴が、美術館の外から聞こえた。
「騒がしいですね」
ロミが様子を見に行こうとしたとき、とんでもないことが起こる。
柱が軋み、視界が傾く。
次の瞬間、壁ごと崩れ落ちた。
辺りは騒然となった。
「逃げてください! こちらです」
ロミや助手は、客たちを裏口に誘導する。
一部の助手たちが、崩壊に巻き込まれた作品を救いに行く。
「そんなもの、放っておけよ」
「駄目ですよ! これは我々の宝です」
「破れても、描き直してやるから」
「それでも、唯一の作品です!」
聞き分けのないやつだ。
唯一なのは自分の体の方だろうに。
無理強いはよくないと半ば諦めながら、俺は崩壊した入り口から外に目を向けた。
見上げるほどの大きな巨体が、横倒しになった柱の先に見える。
銀色の鱗。見上げるほどの巨体。
大きなトカゲか、ワニか――そんな知識が頭に浮かぶ。
「お前が、話題の絵描きか」
地を這うような声がした。
重たい足音と共にこちらに近付く人物。
背が高くて、威圧感のある男だ。
金色の髪をかきあげた拍子に、尖った耳と歯が覗く。
初めて見る、俺の仲間。再構成体だ。
「たぶん、そうです」
そう答えた俺の前で、男は手に持っていた紙切れをヒラリと落とす。
それは美術館の開設を宣伝したときの新聞で、確か数ヶ月前にばらまかれたものだ。
人間に配ったものなのに。再構成体の手にも渡ってしまったんだな。
「何の用でしょう」
俺はあえて、その男の方に歩み寄る。
崩れた壁から、石の欠片が落ちている。
はやくトラブルを終息させないと、人間たちが泣くだろう。
男は腰に手を当て、大きな体をさらに大きく見せるように胸を張り、こう言った。
「リーダーが呼んでいる。お前に仕事をさせたいようだ」
「仕事……?」
「新樹庁に来い。今すぐだ。そこを片付けている猶予はないぞ」
「はあ……」
散らかしたのは自分なのに、随分勝手な言い草だ。
周りの人間たちは、ひれ伏して微動だにしない。
余計なことを言わない方がよいのは、明らかだった。
男は連れてきたトカゲのうち、小さい方を残して颯爽と帰っていく。
トカゲには翼が生えていて、ものすごい風圧で一帯の建物を無惨に吹き飛ばしていった。
残された人間たちは、哀れだった。
美術館は重たい石でできていたから、入り口を壊されただけだったが、他の建物はそうはいかない。
この辺りは観光地だったから、古くから残された木造建築が多かった。
ぺしゃんこになった建物から、怪我をした人々が次々と救い出されている。
「ここは我々に任せて、行ってください」
「しかし……」
俺のせいでこうなったんだろう。なにかしてやりたい気がした。
だけどロミは諦めたように首を横に振り、言葉を重ねる。
「再構成体を怒らせると、大変ことになります。レムには僕から伝えておくので、行ってください」
「……」
それが最善らしい。
わかったよ、と呟いて、俺は残された巨大トカゲに足を向ける。
「美術館は再建します。地塗りも進めておきますので……」
どうか、戻ってきてくださいね。
静かに語るロミだが、その瞳は不安そうに揺れている。
気付けば、見送りの数が増えていた。
みんな同じような目でこちらを見ている。
そんなことより、救助に集中しろよ。
そう思いながら、飛行トカゲの首から下がる手綱を握る。
鱗を足場によじ登り、背中に設置された鞍に跨がった。
勝手に飛ぶように命令されていたのだろう。
その瞬間、トカゲが目を開いた。
翼が大きく広がり、地を蹴る。
一気に視界が遠ざかり、はるか下方にベルフォートの街並みが見えた。




