第6章(2)
階段を上り続けるキト。
彼は長い螺旋階段を上った先にある扉を開いた。
そこは聖堂の三角屋根の中腹にある殺風景な扉で、おそらく屋根の修理用に設えられたものだろう。
どうしてそんなことをするのか。
危ないだろう。
俺はハラハラしながらその様子を見守る。
彼は屋根をよじ登り、聖堂の三角屋根のてっぺんに立った。
そこからの景色には見覚えがある。
俺が一番最初にこの街を訪れた際に、降り立った場所だからだ。
キトが地上を見下ろす。
地上には無数の人間がいて、キトを見て歓声をあげているものもいた。
「聞けよ、愚か者ども」
キトは低い声で言う。
腹の底から出たような、威厳のある声だ。
「そんなに見たいなら、見せてやろう。――女神から授かった俺の力を」
何を言っているんだ。
使うなと言っておいただろう。
「やめろよ、キト……」
思わず声を漏らす。しかし、聞こえるはずがない。
彼は両手を擦り、着火した。
人差し指に赤、そして中指に紫が見える。
紫? まさか、第二属性が表れたのか。
ゼノが紫の飴を用意していた理由がわかった。
しかし、今はそれどころではない。
自己錬成を使えば、キトは死ぬかもしれない。
人間はもろい。俺たちとは違う。
皮膚が裂けても、骨が折れても痛みすら感じない俺たちとは違う。
キトが今、どのくらい人間じゃなくなっているのかはわからない。
「ナビ、すぐに現地にたどり着けないのか」
「駄目ですよ。トライフルに転移すると、数日程度ずれるんです」
「間に合わないのか」
「できるだけ急ぎます」
淡いグリーンに変質した髪は、着火と共にさらに輝きを増す。
青銀に輝く瞳は、息を飲むほどに神々しい。
彼は人差し指の赤を三回、空中に塗りつける。
目の前に膨れ上がった赤い光に手を翳して、高らかに宣言した。
――『烈火』!
空高く、巨大な炎が燃え上がる。
辺りを赤い光で染めた後、夢のように消えていくそれに、地上の人間たちはただ見惚れていた。
平服を着た人たちが、歓声をあげる。
軍服を着た人たちは、うろたえている。
キトはその姿を見つめながら、突然、口許をおさえる。
赤い色が見えた。
口から噴き出したその赤い液体は手首をつたい、白い袖を染め上げる。
歓声が、悲鳴に変わった。
キトは力が抜けたように、前のめりによろめいて――宙に投げ出された。
俺は思わず、接続を切った。
ウォッチの映像を、頭から振りほどいた。
「早く、早く行くぞ」
これ以上、見ても仕方ない。
最速でキトに会い、飴を食べさせなければ。
黄金色の海を越え、鮮やかな空に躍り出る。
すぐさま、ウィディアへ進路を取った。
この移動で、先ほど見た光景から数日が経っている可能性がある。
街中から上っていたはずの煙は今はなく、比較的穏やかそうな様子だった。
聖堂を目指すと、そこはすこし雰囲気が変わっていて、軍服を着た妙なやつらが武器を片手に、整然と立っている。
キトが立っていた屋根には誰もいない。
落下した先とおぼしき場所には、石床が砕けた跡があった。
俺はすこしカッとなっていた。
フライトを乱暴に羽ばたかせ、軍服たちを威嚇した。
やつらは俺を指差し、なにやら騒いでいる。
どうでもいい。好きに言わせておけ。
俺はそう思い、普段よりも多少派手に、フライトを着地させた。
いつもの白いローブたちの出迎えがない。
遠巻きに見ているのは軍服の人間たちだ。
彼らは腰が引けているくせに、ひれ伏さない。
『お前の方が立場が上だ。舐められるな』――ゼノの声が聞こえた気がした。
「キトライドはどこだ」
俺はまず、そう尋ねた。
うろたえる人間たち。
俺は聖堂に近付きながら、もう一度言った。
「キトライドはどこだ」
聖堂の中から、慌てふためいた人間がひとり現れる。
胸に飾りをたくさん付けた、軍服の人間だ。
この集団の偉いやつなんだと思う。
「ああ、天使さま。ようやくお会いできました、実は――」
俺は着火した。
白、黄色。――『発雷』。
できる限り弱い力を意識して、人間の目の前に撃ち込む。
バチッと派手な音がした。
倒れる人間とともに、辺りから悲鳴が聞こえた。
「俺が会いたいのは、キトライドだ! 早く案内しろ」
近くのやつを睨み付ける。
そいつは喉の奥から変な音を発したのち、「こちらです!」と俺に背を向けて駆け出した。
なんだコイツらは。
前と同じ、聖堂の裏の時計塔がある建物に案内されたのだが、道行く先々でいちいち止められる。
面倒なので発雷で制圧していくのだが、次から次に湧いてくるので段々と苛立ってくる。
「何者だ?」
「立ち去れ!」
「て、天使様……?」
彼らの反応は一様ではない。
どちらにしても、俺の進路を塞ごうとするのだから、邪魔者でしかない。
何人に発雷を浴びせたのかわからなくなってきた頃に、ようやく目的地にたどり着く。
そこは地下の一室であり、容易に出入りできそうにない狭苦しい廊下の先にある部屋だった。
中に入ると、小さなベッドがひとつある。
跪いて祈りを捧げていた人間たちが、一斉にこちらを振り返る。
「ああ、ハーベストさま――」
「我々を救いにきてくださったのですね」
みすぼらしい姿をしていたのでわからなかったが、こいつらは以前から出迎えてくれていたローブの人間だ。
どうしてこんなところに押し込められているのか。
そんなことより、キトだ。
俺は部屋のすみにあるベッドに歩み寄り、横たわる人物に目を向ける。
ひどい有り様だ。
顔は赤く染まってよく見えない。
四肢は力なくだらりとしていて、肘からなにかが飛び出している。
それでも息がある。
風が抜けるような妙な音と共に、胸が上下している。
俺は見ていられなくなって、赤い飴を取り出して口にねじ込んだ。
「――!」
声にならない音を発し、ゲホと血を吐き出すキト。
飴も転がり出たので、俺は拾ってもう一度口に入れた。
苦しいかもしれないが、これしか治療法が思い付かない。
何度か繰り返すと、彼はようやく飴を飲み込んでくれた。
「ハーベストさま。あなたは治癒の術を使うこともできますよ」
「そうなのか?」
効くのかそれは。
着火し、ナビの言う通りに色を混ぜる。
黄色、白。
『再生』という術のようだ。
黄色から始まる術は、生命に作用するものが多いらしい。
これほどに、自分の能力に感謝したことはない。
どうして今まで、興味すら持たなかったのか。
再生の術をかけたのは、まず心臓の辺りだ。
ヒューという風が抜けるような呼吸音が消えていく。
俺は腕や顔にも同様に術をかけた。
すこしめまいがする。
エネルギーが切れてきたようなので、持ってきた錬石をかじる。
何度か繰り返すと、ようやく見られる外観に戻ってきた。
俺はもうひとつ飴を取り出して、口にねじ込んだ。
またむせて吐こうとするので、口をおさえて止める。
よほど不味いんだろう。
もがいた末に、彼は上体を起こして手から逃れる。
「――おい、やめろ、殺す気か!」
文句を言ってきたので、俺も言い返した。
「そんなわけがないだろう!」
吐き出した飴をもう一度詰めてやる。
「いいから飲み込め! 死にたくないなら!」
「――――」
またなにか言おうとしていたが、今度は自分で口をおさえて、飲み込もうとしている。
ようやくまともな判断ができるようになったか。
俺はホッとして、残りの飴が入った袋を彼の傍らに置いた。
「持ってきてやった。女神の力を振るうための燃料だ」
「…………」
彼は横目でそれを睨み付けた後、唸り声をあげながらようやく飴を飲み込む。
「……おせーよ」
「それは謝るが、こちらにも事情があった」
「事情ってなんだよ」
「燃料は貴重だ。持ち出すには色々手続きがいるんだ」
「……だから呼んでも来なかったのか」
「ここに来るには時間がかかる」
「…………」
キトは納得いかない顔をしていたが、疲れたのだろう。ふと目の力を抜くと、固そうな枕に倒れ込む。
「ああ、もう。助かったから、いいよ……」
ひどく投げやりな口調だった。
キトが黙り込むと同時に、後ろで聞いていた老人が口を挟んできた。
「あの、ハーベストさま……。我々を救いにきてくださったのですよね?」
「…………」
救いにきたのはキトであって、お前じゃない。
そう思ったが、どうやらこの老人たちはキトの味方らしいので、すこし我慢することにする。
「状況を教えて欲しい。この街になにが起こっているのか」
あの軍服は何者だ。
俺の問いに、老人は静かに語りだす。
「彼らを理解していただくには、まずはフォレスティアという国の成り立ちから説明しなくてはなりません」
「…………」
記憶できるか自信がなかったが、とりあえず長話に耳を傾ける。
ここで理解をし損ねたら、取り返しが付かなくなりそうだ。
「――フォレスティアという国は、王が支配する、王政の国です」
フォレスティアの王には血統があり、長い間続いているそうだ。
現在はいくつかに家がわかれていて、王統教会と、王統商会の二大派閥がある。
今は慣習的に王統教会派の王が国を治めていて、そちらのほうが力が強いのだという。
「我々王統教会は、武力でなく神の管理による調和を主張しておりました。国民は我々を支持し、幸福な国を作り上げてきましたが……」
街はすこし寂れていた。神の管理だけではうまくいかない部分もあったのだろう。
一方で商会は主に貿易でコツコツと、街に潤いをもたらしていた。
しかし国民は、長年慣れ親しんだ神による支配を手放そうとはしなかった。
そんな中での出来事だったらしい。
「我々の均衡が崩れたのは、七ヶ月前の……津波がきっかけです」
……俺が落とした球体の話か。
あれがそんなにも、影響を与えていたなんて。
内心ざわつきながら、話を聞く。
「王統商会の船が、その津波に巻き込まれました。しかし、ウィディアまで届くと思われたその津波は、ひとりの聖人が祈りを捧げることで消え去ったのです……」
老人は、俺の顔色を伺っている。
間違いがないか確認している。
俺は軽く頷いて見せた。そういう話で通っているなら、それで構わない。
「王統商会の人間が、その話を我々に伝えました。だから我々は、聖人の遺体を聖堂に保管し、祈りを捧げることにしたのです」
謎の津波は、国民に恐怖をもたらした。
また起こるかもしれない。
そう思えば、誰に縋るかは決まってくる。
聖人か、聖人を助けたという天使か。
だから国民は、聖人の亡骸に祈りを捧げた。
聖人を通して、天使にも祈りを捧げた。
「そしてその二月後、あなた様が我らのもとに降臨されました。
そして、あなた様は仰いました。
津波や魔物の発生は、邪なるものからの攻撃である。我らは、それらと闘わなければならない――
あなた様は試練の末、新たな聖人を我らに授けました」
ちらりとキトのほうを見る。
ふてくされた顔をしている。
老人はわずかに眉をひそめて、視線を戻す。
「しかし、この件について、すこし問題が発生したのです、ハーベストさま」
「問題?」
なんだそれはと促すと、老人は申し訳ありませんと平伏しながら言った。
「王統商会のものは、大半が街に常在しないのです。だから、あなた様が為されたことを理解しきれなかった」
王統商会側は、いつのまにか聖人がすり変わったと怒りを露にしたらしい。
商会が立てた聖人を、教会が祀るという構図を期待していたのだ。
新たな聖人と主張している謎の青年は、教主の娘と結婚すると言い出した。
「私もよいと思ったのです。この国にとって喜ばしいと……疑いもしなかったのです。そこまで彼らが無理解を示すとは思っていなかったのです」
老人は俯いて、頭を抱えた。
ああ、なるほど。
なんとなく事情がわかってきた。
キトは国の権力闘争に足を踏み入れてしまったのだ。
ただ好きな相手と家族になりたいという願いを持っただけなのに、そういうことになった。
「武力を否定してきた我々と違い、商会は船を守るために海軍を所有してきました。彼らが強行手段に出れば、我々にはどうしようもありません」
あっさりと制圧され、今はこの有様だ。
だからキトは「早く力を使わせろ」と主張していたのか。
ようやく俺のなかで話が繋がった。
俺はキトに向き直る。
「キト。街を混乱させたことは、こちらの不手際だ。こちらでなんとかしよう……」
「…………」
「しかし、君たちの事情を汲まず介入すれば、また事態がややこしくなるだけだろう」
キトはまだ怒っているのか。それとも、嫌になっているのか――俺に対して。
どうしたら許してもらえるのか。
頭を悩ませながら、俺は続けた。
「君はどうしたい。君がやりたいように、俺はできるだけサポートする。これからどうしたいのか、教えてくれないか」
すると、キトはようやくこちらに目を向けた。
「わかってくれてんなら、話をしよう」
上体を起こし、老人たちに目配せをする。
俺たちは全員でキトの周囲に集まり、彼の発言をおとなしく待った。




