第5章(2)
「すこし出てくるよ」
「また、お仕事ですか?」
「まあ、そんなところかな」
俺はレムのところに行き、外出を告げる。
ゼノが来たらしいと報告があったのだろう。皆まで言わずとも察してくれる。
「危険なことは、なさらないでくださいね」
「ああ、大丈夫だ」
今回はゼノがいない。
飴を届けるだけだ。
なにも危険はないはずだ。
美術館の側にフライトは大人しく待機している。
すこしの間、メンテナンスとか言って人間たちが回収していたが、今回の休暇ではほとんどをこの定位置で過ごしていた。
だから彼のことを、美術館に飾られた石像だと思う人間もいた。
俺が前に立つと、彼は嬉しそうに目を細める。
頭を寄せるので、固い鱗を撫でてやる。
最初から変わらない。フライトだけは、なにも言わず、なにも惑わさず、ただ俺の側にいてくれる。
「行こうか、相棒。次の仕事だ」
手綱を握り、鞍に上る。
まずは着替えをしなくてはいけない。
新樹庁でいつもの正装に整えてもらい、ポートに戻るとナビが待機していた。
「ハーベストさま。本日も、よろしくお願いします!」
「ああ、よろしく」
「初めての単独任務ですね! おめでとうございます」
その快活な言葉に、俺は安堵の息をつく。
許可は出たと言われたものの、本当に大丈夫なのか不安だった。
「では、早速向かいましょう!」
ナビが言うからには、問題ないだろう。
彼女の先導に任せ、世界の裏側への進路を取る。
いつもながら不可解な光景、巨大な樹のウロの内部、煮えたぎる黄金の海を通り抜け、鮮やかな色彩の異世界にたどり着く。
目指すは白い街、ウィディア。
フォレスティアという国の首都と言うこの街は、“邪なるもの”の爪痕を無惨にも残している。
その代わりに、彼らは英雄を得た。
気まぐれに現れたり、魔物を放ったりしない、純粋に街のために動いてくれる人間の英雄。
彼は今、どこで何をしているのだろう。
「ナビ。いつもの確認だ。今回の任務内容を聞いてもいいか」
「はい。今回の任務は、キトライドの進捗確認です」
「進捗確認?」
飴を渡すんじゃないのか。
俺は包みに入った飴をつまみ、ナビに見せる。
「ああ、これですね。開発中の、錬石飴です」
「この飴は、何なんだ?」
「錬石粉から作られた、再生燃料です」
ナビの説明によると、採掘や加工、人間たちの使う錬石機関などで発生した、砕けた錬石粉を溶かして固めたのがこれらしい。
「エネルギーは小さいですが、消化に良いのです。自己錬成機関が未熟なキトライドでも、燃料補給ができるのではと考えます」
「ああ、そうか。自己錬成は、体に溜め込んだ錬石のエネルギーで行うんだったな」
俺のエネルギーも、今はほぼ空だ。
着火してみても、ほとんど指に光がつかない。
この状態だと、傷ができてもうまく治らない。気持ちが沈みやすかったり、意識がぼんやりしたりもする。
「ハーベストさまが食べた方が良いかもしれません」
「そこまで危険なのか」
「普通、ここまで空になりません。ハーベストさまは無理をしすぎです」
しかし、飴はひとつしかない。
「キトも前回、錬成術を使ったよな」
あれでエネルギーが減ったんじゃないか。
「キトライドはまだ自己錬成機関が未熟です。指にも一色しか光が出ませんでした」
「赤い光だったな」
「そうです。火のエネルギーです」
あれではすぐに枯渇するでしょう。
淡々と語るナビ。
俺はひどく嫌な予感がした。
「それは、大丈夫なのか?」
「なにがですか?」
「キトの体調に悪影響を及ぼしていないか?」
ナビは、ああ、と今思い付いたような相槌をうつ。
「起こしているかもしれません」
「…………」
どうしてこうも、想定が雑なんだ。
いや、ナビが悪いんじゃない。俺の考えが甘いのか。
「早く行こう」
キトに飴をやれと、ゼノが渡してきた。
褒美だと言うからには、悪いことじゃないのだろう。
あいつがこのタイミングでそんな提案をしたのは、なにか意味がある気がしてならない。
嫌な予感は、やはり外れていなかった。
いつものように聖堂前の広場に降り立つと、おそらく前と同じ老人と、ローブを着た仲間たちが出迎えてくれる。
「ようこそ、おいで下さいました。ハーベストさま……」
「ご用はなんでしょうか……」
ひれ伏す彼らだが、なんだか、妙に落ち着きがない。
どうしたんだろう。いつもならすぐに聖人との面会を提案してくるのに。
「キトライドと面会したいのだが」
そう述べると、彼らはびくと体を震わせた。
「聖人キトライドは、その……」
言葉に詰まる。
そんな中、聖堂の裏側から、誰かの鋭い声がした。
――いけません、お嬢様。
そんな声だった気がする。
ひれ伏すローブたちの間をすり抜けて、ひとりの人間が先頭に躍り出る。
倒れ込むように膝をつき、両手を合わせて俺を見上げた。
「ハーベストさま。キトライドさまに、試練を課すのはお止めください」
代わりにわたしが、試練を受けます。
そう懇願してきたのは、どこかで見た顔だった。
ああ、そうだ。
この女性は、キトが気に入っていた人間だ。
聖堂の一室から、キトと眺めた光景を思い出す。
彼女はキトに、柔らかい笑顔で手を振っていた。
「キトライドがどうかしたのか?」
どうして会わせない。何かあったのか?
彼女は震えている。俺を恐れているらしい。
困ったな。状況がわからないと何もできない。
「ええと、君……」
「エレンです。ハーベストさま」
「エレン。今回は試練を与えに来たのではない。とりあえず、キトライドに会わせてもらえないか」
「…………」
エレンはすこし考えていた。
しかし、次の瞬間には立ち上がり、俺を誘導する。
「ご案内いたします」
彼女は聖堂の脇を通り、時計塔が付随する背後の立派な建物の方に向かった。
エントランスの階段を上り、通路に並んだ扉の一室を選ぶ。
「こちらです」
その部屋は無駄に豪華な内装で、いくつかの家具の先に大きなベッドがある。
数人がベッドの脇に控えている。俺の姿を見て全員が青い顔をして姿勢を正した。
ベッドに近付くと、苦しげな息遣いが聞こえる。
嫌な予感はどうして当たるのだろう。
そこにはキトが横たわっていて、血の気が抜けきった、まるで別人のような顔色をしていた。
「彼の容態を教えてくれるか」
「は、はい」
近くにいた、白い服の人間が口を開く。
「一月ほど前に、体調を崩されました。そこから食事も摂れないまま、悪化の一途を辿っています。今はひどく体温が下がっていて、意識が弱く、一日をほとんど眠って過ごされています」
「苦しそうなのはどうしてだ」
「わかりません。呼吸がうまくできないのか……もしかしたら、痛みがあるのかもしれません」
腕に妙な傷があるのです。
そう言って、人間はキトの腕をとって袖を捲る。
ひび割れだ。俺の腕にも良くできるやつだ。
なんとなく、状況がわかってきた。
「席を外してくれるか。キトライドと話したい」
「えっ」
顔を見合わせる人間たち。
「失礼ですが、話ができる状態では……」
すると、ナビが前に出てきて、ピシャリと言い放つ。
「意見は求めていません。すぐに立ち去りなさい」
そんな言い方をしなくてもと思ったが、
「彼は神の体になろうとしています。神にしかわからない苦しみなのです」
などと続けたので、どうにか納得は得られた様子だった。
彼らが退室していくなかで、エレンだけは入り口に佇んでいる。
「あなたも去りなさい!」
ナビは脅したが、彼女は膝をついて、こう返す。
「わたしはこのかたの伴侶です。苦しみを分かつことを神に誓いました」
どうか、話を聞かせてください――。
その強い表情に、俺は心を動かされた。
「ナビ……」
視線を向けると、彼女は短く息をつく。
なんとなく、呆れられている気がした。
「好きになさい。ただし、ここで聞いたことは他言無用です」
「神に誓って、誰にも言いません」
表情は良かったが……その言動は、“扱いやすい部類の人間”ぽいな。
内心で彼女をそう評価した自分に、俺はすこしだけ、違和感を覚えた。
「ナビ。これはどういう状況だと思う?」
彼女はベッドに降り立ち、診察を始める。
一通り眺めた後、キトの右手を指差しながら、
「彼の着火をしてもらっても良いですか」
と言った。
どうやればいいんだろう。
なんとなく彼の両腕を持ち上げて、指を擦らせる。
指先に光がつかない。
「エネルギーが空ですね」
やっぱりそうか。
「人間。キトライドは、我々が去った後に炎を起こしましたか」
「は、はい。倒れられる前に、一度……」
「そのせいですね」
冷たく一言、ナビは言い放つ。
「…………」
エレンはひどく落ち込んで、俯いてしまった。
「君のせいではない。大丈夫だ」
俺はフォローを入れてから、彼女を手招きする。
「頼みたいことがある」
「はい、なんでもやります」
駆け寄ってきた彼女に、飴を差し出した。
白い包みに入った飴だ。
うっすら赤い色が透けて見える。
「これを食べさせたら、彼は良くなる」
「…………」
受け取りつつも、複雑な表情を浮かべるエレン。
わずかに震える指先に、なぜだろうと考えたが、すぐに自分の無神経さに思い当たる。
「これは試練ではない。本当に、食べさせないと危険なんだ」
「わ、わかりました……」
エレンはキトの側に寄る。
水差しでグラスに水を注ぎ、サイドテーブルに用意してから、飴の包みを開けた。
近くにあった食器で飴を砕こうとしたが、
「そのまま与えてください」とナビが指示する。
彼女は眉を寄せながら、震える手をキトの口元に運び、ゆっくりと飴を含ませる。
固唾を飲んで見守った。
この飴は、本当に効くのか。
『開発中の飴』とか言っていた。
開発中ってどういうことだろう。
副作用とかあるんだろうか。
「…………」
今更ながら、不安になってきた。
思えば俺はそればかりだ。
全ての可能性を検証しないうちに、行動してしまう。
いつもそれが裏目に出て、人に迷惑をかけてしまっている。
「――!」
突然、キトが激しくむせた。
その拍子に、飴が口から転がり出る。
「キトさま!」
エレンが叫んだ。キトはまだ激しくむせている。
咳には血が混じっていて、シーツを赤く染めている。
頭が真っ白になった。
また失敗してしまったのか?
キトはしばらくガハガハとひどい咳をしていたが、エレンの声に反応して段々と落ち着きを取り戻していく。
荒い呼吸をしながら彼は言った。
「誰だ、口に、変なものを入れたのは……」
「わたしです、キトさま」
「なんだよ、薬か? ひどい味だぞ……」
「ハーベストさまにいただいた薬です」
「ハーベストだと?」
隈がくっきり刻まれた、手負いの獣のような目付きでこちらを見る。
「なんだ、またあんた……俺になんかさせようっての?」
確かに、前科はたくさんある。
俺は申し開きできない。
しかし、今回は本当に善意だった。
助けることができると信じて、やらせたことだった。
「エレンまで巻き込んで、どういうつもりだ……」
「…………」
刺すような視線だった。
恐怖が沸き上がってくる。
息が苦しくなる。
今は任務中なのに。駄目だろう、弱気になっては。
なにか言わなければと思っていると、エレンの声がした。
「わたしがお願いしたんです。ハーベストさまに。わたしにやらせてほしいと。だからキトさま……」
彼女は布団に転がる飴を拾い、水できれいに洗ってから、また包みの上に戻して彼に差し出した。
「薬はとても効きました。キトさま、先ほどまで意識がなかったんですよ。素晴らしい効果ですよ、キトさま……」
エレンは肩を震わせている。
こちらからは見えないが、おそらく泣いているんだろう。
「お願いですから、すべてお召し上がりになってください」
「…………」
キトはすっかり戦意喪失してしまったようだ。
拗ねたような顔をして、ぽつりと不満をこぼす。
「だってそれ、まずいんだぞ。口の中が爆発したみたいだった」
「お水もあります。味わわず、飲み込んでしまえばよいのでは」
「いや、本当にまずいんだ。そんなの飲んだら、胃が爆発するかも……」
「キトさま。お願いです。お願いですから……」
「…………」
どうやら、エレンのほうが強いらしい。
キトは顔を歪めながらも結局飴を口に運び、グラスの水で押し込んでしまう。
その後もしばらく苦しんでいたものの、先ほどと比較にならない気の抜けたものだった。
エレンはすっかり安心したように肩を撫で下ろしていたし、俺もそうだった。
大事にならなくて、良かった……。
しかし、急場をしのいだだけだ。
シーツに点々と残る赤い染みを見ながら、俺は冷静さを取り戻していった。




