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交錯世界の風見鶏  作者: 小柚


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第5章(1)

 俺はぼんやりとしながら、帰路についた。

 キトの姿が、まだ頭の奥に焼き付いて離れなかった。

「帰りましょう、ハーベストさま」

 ナビに言われるままにフライトを飛ばし、いつの間にかコンフィズリーに戻ってきていた。

 思えば、初めて自分の意志で帰還した。

 今回は意識を飛ばさなかった――その証明をするためだけに、新樹庁を訪れ、謁見を申し出る。

 不思議と怖くはなかった。

 うまく仕事をこなした自信と、あの光景が背を押していた。

 絨毯を踏みしめ中央まで歩き、膝をついて頭を垂れる。

「よくやりましたね、ハーベスト」

 期待通りの言葉が聞けて、俺の胸がじわりと温まる。

「あなたに褒美を与えましょう。何が良いですか」

 ずっと考えていた。

 もしそのように言われたなら、なんと答えようか。

 炎の前に立ち、人間たちに称えられるキトの姿。

 その光景が、俺の中で何度も燃え上がる。

「休暇をください。ニースさま」

「また休暇ですか? あなたは怠け者ですね」

 クスクスと笑い声が聞こえる。

 何故だか以前より怖くない。

 俺の頭は、ひとつの願いでいっぱいだったから。

 それ以外のことを考える余裕がなかった。

「休暇をください。絵を一枚描く間だけで良いんです」

 俺はどうしても描きたかった。

 俺を昂らせたあの光景を、形にしたかった。

「お願いします……!」

 頭を下げた。

 こんなに気持ちがこもったことは、いままでなかった。

 願いが叶うなら、すこしくらい何かを失っても構わないと、本気で思っていた。

 ニースは笑っている。クスクスと楽しそうに笑っている。

「頭を上げなさい、ハーベスト」

 俺はそこで、ようやくニースの姿を視認する。

 ――わずかに、電気が走る。

 冷や水を浴びせられたような気がした。

「ずいぶんと、あの演出が気に入ったようですね」

 なによりです、と言って笑った。

 俺の思考は停止する。

 受け入れたくない気持ちで、ニースを見上げて硬直する。

 さらりと揺れる髪。

 まっすぐに、肩からこぼれ落ちる髪。

 その髪は、黒に混じって、淡く光を帯びた色が揺れている。

 そう、それは、俺の脳裏に焼き付くキトの髪の色と同じ色。

 ――英雄キトライドと、同じ色だった。

「良いですよ。絵を一枚描く間だけ、あなたに休暇を与えます」

 その事実を、どう捉えるべきだったのか。

 わからないままに、俺はフライトに乗り――住み慣れた美術館へと帰ることになった。

 心の整理をつけるには、絵を描くのが一番らしい。

 帰るなり俺はスケッチブックを手にして、頭の中のものを描きだした。

「ハーベストさま! またどこに行かれていたんです……」

 レムがなにやら怒っていたが、反射的に謝罪を述べるだけで、俺は手を止めることはしなかった。

 やがてレムは諦めたようだ。

 ロミがやってきて、いつものように次塗りの色を尋ねてきたので、俺は手早く色を作り彼に渡した。

 こんなに夢中になったのは初めてだ。

 誰の声も、耳に入らなかった。

 ただひたすら、あの瞬間を描かなければと思った。

 細部を再現する必要はない。

 ただひたすらに、気持ちが乗る通りに色を乗せる。

 朱い光の中に佇む英雄。

 彼の瞳は銀色に輝いて、髪は淡い色に変色していた。

 逆光の中で、それがグリーンだったかは確信が持てない。

 俺はあえてすこし外した色を乗せ、ニースの色を見せないように工夫した。

 俺の気持ちが動いた瞬間に、異分子を混ぜたくなかったのだ。

 気持ちの悪さを除いた英雄の絵は、最高の出来映えだった。

 一体どれほどの時間が過ぎたのかも、わからない。

 まわりの人間が、また心配するのに充分なほど長い期間、俺は無心で絵を描いていたようである。

「ハーベストさま」

 完成した絵を見上げ、ぼんやりとしていたときのこと。

 レムが話しかけてきた。

 ずいぶんと妙な時間だと思った。

 俺は時間の感覚がよくわからないが、昼か夜かはさすがにわかる。

 夜は美術館は閉鎖されているから、客は来ない。

 絵が完成し、いまは乾かしているところだ。

 だからスタッフもいなかったし、あたりはしんとしていた。

「どうした?」

「…………」

 なんだか思い詰めた顔をしている。

 しばらく話をしなかったからか。

 絵に夢中で、誰が話しかけても応じなかったらしいから。

「すまない。ちょっと夢中になっていたみたいだな」

 そう言って笑うと、レムもすこし表情を崩した。

「この絵はとても素敵です。ハーベストさま、良い体験をされたんですね」

「ああ、まあ……」

 良い体験かどうかはわからない。

 今回の仕事もひどいものだった。

 だが、キトのおかげで気持ちは楽だった。

 キトが全部やってくれた。

 俺はただ、彼の言うことを聞いていただけだ。

「これは誰ですか」

「……友達だ。俺の、友達……」

 どう答えたらわからないから、そう言った。

 複雑そうな顔をしている。

 どうしたんだろうレムは。

 さすがに鈍い俺でも、彼女がひどく思い悩んでいるらしいことがわかる。

「なにか悩みでもあるのか」

「…………」

 彼女はしばらく押し黙った後、小さな声で語り始める。

「私とハーベストさまが初めて会ったのは、五年前です。覚えておられますか」

「ああ、なんとなく」

 再構成体は、知恵の樹から生まれると聞いた。新樹庁がある、あの巨大な樹。

 あのどこかで俺は生まれ、ふらふらと地上におりてきたのだろう。

「私は、鮮明に覚えていますよ、ハーベストさま」

 彼女は語った。

 そのときの季節や時間、天気や風の匂いまで。

「私はあなたと出会ってから、生まれ変わったような気持ちでした」

「…………」

 そうか。いまの俺に似ているのかもしれないな、となんとなく思う。

「ハーベストさまにとって、私はどのような人間だったでしょうか」

 急に問われて、俺は戸惑った。

 本当にどうしたんだろう。

 今日のレムはおかしい。

 どうして過去形なのかもわからない。

 俺は内心、不安を覚えながら言った。

「レムは俺の友達だ。ロミもそうだ。俺にとって、かけがえのない存在だよ」

 できる限りの思いを込めて言ったつもりだったのに。

 彼女は涙を流した。

 一筋の涙を流した。

 俺はまた、無神経なことを言ったんだろうか。

「申し訳ない。なにか変なことを言ったか?」

「いいえ、違いますハーベストさま。あなたはなにも悪くありません」

 いちいち謝らないでくださいよ。レムは泣きながら、笑顔を浮かべた。

 一呼吸置いて、彼女は明るい声を出す。

「ハーベストさま。私、結婚するんです」

 結婚?

 それは何だったか、と考えて、すぐに該当する知識を呼び起こした。

 人間は適齢期になると、好きな相手と“家族になる誓い”を立てるらしい。

 それが『結婚』といい、人間の人生の中でも非常に喜ばしい節目だと知っている。

「おめでとう。相手は誰だろう」

 俺の知っている人だろうかと尋ねると、彼女は笑った。

「本当にハーベストさま、なにも気がついていなかったんですね」

 彼女は快活に笑いながら、何故か泣いている。

 レムの気持ちが全く読み取れず、俺は混乱した。

「ありがとうございます、ハーベストさま。これからも、二人であなたを支えていきますから……」

 よろしくお願いしますね。

 彼女はそう言って、俺に背を向ける。

 静かに去っていく背中は、何かを吹っ切ったようでもあった。

 よくわからない出来事だったが――

 彼女の悩みが解決したのなら良かったと、俺は嬉しく思った。

 その翌朝に、ロミが挨拶をしにきた。

 レムの結婚相手は、ロミだった。

「サポート体制はなにも変わりません。これからもよろしくお願いします」

 丁寧にそう言って、深々とお辞儀をする。

「おめでとう。レムから聞いたときは驚いたが、相手が君で、本当に良かった」

 そう言うと、彼はレムとは違って、

「ありがとうございます!」

と頬を紅潮させながら嬉しそうに礼を言った。

 特に式などは挙げないらしい。

 まわりの人間たちが、口々に祝福の言葉を述べ沸き立っていたが、すぐになにも変わらない日常が戻ってくる。

 段々と乾いていく絵を眺め、俺は心穏やかに残りの日々を過ごしていた。

 完成の一報を出したときが、仕事に戻るとき――

 俺はなんとなく、そう決めていた。


「またそんな絵を描いたの?」

 そんな中、場違いな声が俺の耳に届く。

 赤毛の少年だ。

 ひときわ目につくその鮮やかな髪色に、俺は目を奪われる。

「来てくれたのか、ライズ」

 嬉しくなり、すぐに歩み寄る。

 彼は記事を載せてから、ここに来ることが多かったが、今回は早かった。

 大作完成の噂が、口伝てに広まっていたのだろう。

「どうだろう。今回のは、評判が良いんだ」

 自信作だったから、褒めて貰いたかった。

 しかしライズは相変わらず、眉根を寄せながらそれを見る。

「きみはすこし変だよ。これに違和感を覚えなかった……?」

「違和感?」

 そう問われ、俺の胸はわずかにざわついた。

 違和感はある。だが、それよりも高揚があった。

 それではいけないのか?

「…………」

 なんだか思考がごちゃついて、疲労感を覚える。

 畳み掛けるように、ライズは口を開く。

「褒美は、なにかもらった?」

「……休暇をもらった」

「錬石は貰わなかったの?」

「…………」

「どうして貰わなかったの」

 そう問われて初めて、俺は別の選択肢があったことに気がついた。

「きみは弱い。だけど、錬石があれば選択肢が増える」

 きみにできることが増えるんだよ。

 そう訴えるライズは、切実な目を向けている。

 浮かれていた気持ちが、急に冷え込んだ。

 俺は、間違えてしまったのだろうか。

 気分が悪い。

 焦燥感が再燃してくる。

 しばらく忘れていた感覚に、混乱する。

 呼吸が苦しくなってきた。

「――!」

 そのとき、ライズが声なき声を上げる。

 ざわつきとともに、客が逃げていく。

 ガシャガシャと特徴的な足音が響く。

 やつが現れたのだ。

 俺は息を飲み込んで、その人物に視線を向ける。

「また来ていたのか、錬成種」

 ゼノは俺でなく、まずライズに話しかけた。

「…………」

 ライズは無言で後退り、立ち去ろうとする。

「待て」

 鋭く言い放ち、ゼノは何かを足元に放った。

 それは以前持ち去ったスケッチブックだった。

「この絵を描かせたそうだな、うちの犬に」

 答え合わせをしようじゃないか。

 ゼノはそう言って、ライズの正面に歩を進めた。

「この色は、正解なのか?」

「…………」

「答えろよ、命令だぞ」

「……知るわけないでしょ。ぼくは最近作られたんだよ?」

 ゼノは彼の逃げ場を封じるように、立ち止まって言う。

「人間の年寄りに聞いたが、合っているそうだぞ。全ての色合いが」

「…………」

 ライズは驚かなかった。

 その反応に違和感を覚えたのは、俺だけではなかったらしい。

「やはりお前は変だ。バルマーは何を目的にお前を作ったんだ」

「そんなの、バルマーに聞きなよ」

「聞いているが、あいつはまともなことを言わない」

 そうだろうな、と俺も思った。

 のらりくらりと詰問をかわすバルマーの姿が容易に浮かんでくる。

「でも、錬成種はバルマーの管理だ。きみが口出しすることじゃない」

 きみたちこそ、越権に気をつけなよ。

 ライズはそう吐き捨てて、懐から何かを取り出した。

 それは錬石だった。

 模様が掘られた錬石で、見るからに特別そうなものだ。

 彼は爪を立て、それを割る。

 綺麗にくだけたその石は、不思議な音色をたてる。

「――!」

 驚いた。

 一瞬のうちに、ライズの姿は消えていた。

 ゼノの舌打ちだけが、美術館に残る。

「まあいい、そのうちしっぽを出すだろ」

 重たい足音を響かせる。

 足元のスケッチブックが踏まれ、色が汚く混ざってしまった。

「休暇は楽しめたか、新人」

「……はい」

 反射的に口を開く。

 俺の答えに、ゼノは満足そうな顔をする。

「休暇は必要だ。お前の選択は賢明だった」

 彼はそう言って、何かを放る。

 慌てて受け取ると、俺の手のひらには紙にくるまれた飴が乗っていた。

「それは俺からの褒美だ。お前の犬にやれ」

 俺の犬?

 キトのことだろうか。

 自然にそう考えてしまう自分に、すこしだけ嫌悪感を抱く。

「今から犬に会いに行け。許可は出た。

 お前はこれから、単独でトライフルに行ってもいい」

 褒められるよう、せいぜい頑張るんだな。

 ゼノはそう言い残し、笑いながら美術館を後にした。

 急な環境の変化に、戸惑いを隠せない。

 俺の選択は合っていたのか、間違っていたのか。

 結局誰も教えてくれないのだろう、とも思う。

 俺はたぶん……自分で考えなくてはいけないのだ。

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