第17話 鍵束事件編① 輪郭が朧な七本の鍵
それは、静かすぎる依頼だった。
音が、ひとつ足りないような気がした。
依頼人は、人間の、若い男性だった。
整った服装。
落ち着いた声。
けれど。
どこかが、微妙に噛み合っていない。
東峰は、最初からそれを感じていた。
「これを、鑑定していただきたくて」
「それ……は……」
差し出されたのは、七本の小さな鍵束だった。
―― 見覚えのある、鍵束だった。
もしかしたら、
本当によく似ているだけの、
違うものかもしれない。
そう思う一方で。
この鍵は、
あの鍵だ、と
”解って”しまった。
「拾ったんです」
男性は言う。
「……いえ、正確には」
少しだけ言葉を探す。
「“気づいたら、持っていた”という感じで」
その言葉に、東峰の指先が、わずかに冷える。
彼が、嘘をついていない、と、
どうしてだか、気付いてしまったから。
机の上に置かれた鍵束は、鳴るべきはずの音が聞こえない。
そこにあるはずなのに、存在の輪郭が曖昧だ。
「副所長」
東峰が視線を向ける。
アキは、いつものように窓辺にいた。
こちらを見ていない。
けれど。
「聞いています」
短い言葉が、返ってきた。
ワタリガラスは、今日は壁際に立っている。
腕を組んで、何も言わない。
ただ、鍵束だけを、じっと見ている。
「鑑定をお願いします」
男性の声は、落ち着いている。
それが、妙に不自然だった。
アキが、ゆっくりと机に近づく。
音は立たない。
しっぽだけが、わずかに揺れた。
しゅる、とアキが手袋をつける音が響く。
指先が、鍵束に触れる。
ほんの一瞬。
その動きが、止まった。
ワタリガラスは、見逃さなかった。
「……これは」
アキの声は、変わらない。
「選択を、代替するものです」
「えっと、それは……どういう……?」
男性が、首をかしげる。
「鍵をひとつ選ぶと」
アキは続ける。
「それに対応した“結果”が与えられます」
「結果……?」
「はい」
一拍。
「あなたの、望む形で」
東峰の喉が、かすかに鳴る。
「ただし」
アキは、視線を落としたまま言う。
「代償があります」
依頼人の目が、わずかに揺れる。
「どんな、代償なのですか?」
依頼人の瞳が揺れる。
「昨日の記憶が、ひとつ消えます」
沈黙が落ちた。
「……ひとつ、だけ?」
男性の声は、かすかに震えている。
「はい」
アキは頷く。
「ひとつ、です」
―― この前と、同じだ。
東峰は、そう思った。
「それだけ、で、いいの?」
男性が、問い返す。
「いえ」
アキは変わらない。
「それだけ、です」
ワタリガラスが、わずかに視線を上げた。
何も言わない。
けれど。
空気が、ほんの少しだけ張り詰める。
「……副所長」
東峰が、思わず口を開く。
アキは、東峰を見ない。
尻尾も、揺れない。
「使用は、推奨しません」
その一言が、重く落ちた。
男性は、鍵束を見る。
ひとつひとつの鍵を、確かめるように。
「でも」
ぽつりと。
「選べる、んですよね」
その言葉に。
東峰は、胸の奥がざわつくのを感じた。
選べる。
その響きは、あまりにも残酷で ―― 優しい。
「はい」
アキは答える。
「選択は、可能です」
副所長は、止めない。
―― 止めないのだ。
伸ばしかけた指先を、
ぐっと握りしめる。
気がつけば、いつの間にか、
男性がひとつの鍵に触れている。
その瞬間。
――ガチャ、
どこかの扉が、開いた気がした。
東峰は、顔を上げる。
けれど。
誰も、反応していない。
―― なんだ、いまの。
困惑する表情を浮かべる東峰を、
アキが、ほんの一瞬、と見つめたものの、
すぐに鍵束へと意識を集中させる。
―― 鍵の数は、七本。
いや、
―― 六本だ。
ひとつが、やけに、輪郭が曖昧になっている。
男性は、何事もなかったかのように手を引いた。
「……すみません」
男性は、小さく笑う。
「少し、考えます」
鍵束を手に取り、立ち上がる。
ジャラ、と今度は鍵束が音をたてた。
「ありがとうございました」
その声は、来たときと同じように落ち着いていて、
依頼人は、ほんの僅かに、すっきりとした表情を浮かべて、事務所から出ていった。
扉が閉まる。
鑑定事務所に、静寂が落ちる。
「副所長」
しばらく、動けずにいた東峰がようやく、震える声で、アキを呼んだ。
「今の……、あの鍵って」
「危険です」
アキが、先に言う。
短く。
はっきりと。
「非常に」
アキの声は、硬い。
東峰は、息を呑む。
「じゃあ、なぜ」
言葉が出る。
―― 言ってはいけないと、分かっているのに
「止めなかったんですか」
―― 止められなかった言葉が、すべりおちた。
東峰のその問いに、
アキは、彼を、じ、っと見返す。
「選択は、依頼人のものです」
いつもの声。
いつもの、顔。
「私たちは」
一拍。
「奪いません」
東峰は、言葉を失う。
知っている、つもりだった。
わかっているつもりだった。
けれど。
ワタリガラスが、静かに口を開いた。
「東峰くん」
低い声。
「選ぶことを、置くために、我々はいます」
視線は、扉の方へ向けられたまま。
「“軽い代償”という言葉ほど、信用できないものはない」
東峰の指先が、わずかに震える。
「それでも」
「彼らの選ぶ自由を、我々が奪ってはならない」
ワタリガラスの声が、事務所に染みこんでいく。
「さっき」
ぽつり、と東峰が言葉を落とす。
さっきの音。
「扉が開いた、音が、したんです」
あれは、本当に――
そう言いかけた東峰の背に、
ワタリガラスの手が添えられる。
「石が割れる前は、驚くほど静かになる」
「……っ」
浅くなっていく東峰の呼吸が、
ゆっくりと動くワタリガラスの手の速度に、
引きづられるように、少しずつ遅くなっていく。
「君が、聞いたということは、もう割れている、ということです」
「それ、は……」
アキの瞳に、月明かりが当たる。
ぴたん、とアキの尻尾が、床を叩いた。
「―― さあ、鑑定の時間です」
東峰は、気づいていない。
あのとき。
さらにひとつ。
選ばれていたことに。
何かが、そこに“置かれた”気配だけが、
鑑定所に残っていた。
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