第16話 選ぶと昨日の記憶が一つ消える鍵束の鍵
その鍵束は、小さな音を立てて机の上に置かれた。
じゃらり、というほど賑やかではない。
本数は七本。
いずれも形は違うが、材質は揃っていて、使われてきた年数もほぼ同じに見える。新しくもなく、古すぎもしない。
「こちらが、依頼の品です」
依頼人は、人間の女性だった。
服装はきちんとしているが、どこか疲れた印象がある。
視線は忙しなく、ぎこちなく動き回り、鍵束から、アキへ、そしてまた鍵束へと戻っていく。
机に置かれたソレに、アキは、手を触れようとはしない。
代わりに、オッドアイの目が、ついと細められる。
「……その……鍵、ではあるんです」
アキの様子に、女性は一瞬、困ったように笑った。
「ただ、正確には、“選ぶための鍵”だと聞いたんです」
依頼人の言葉に、東峰が書いていた手を止め、顔をあげる。
「選ぶ、とは……扉か何か、ということでしょうか?」
「はい。七つの扉の、どれか一つを」
東峰の問いに、依頼人は迷うことなく、即座に答えを返す。
その声に、アキの耳が、わずかに動いた。
「その……扉の先は?」
「それは……」
東峰の問いかけに、女性は、少し間を置いた。
「人によって違う、と」
アキは、手袋をはめ、慎重に、鍵束の一番端に触れた。
――軽い。
魔力はあるが、押し付けがましくない。
ただ、確実に“何かを削る”性質を持っている。
現にいまも
”何か”が削られている音が、聞こえる。
「この鍵束は」
アキが告げる。
「選択を補助する道具ではありません」
腿の上で重ねていた女性の手が、きゅっと縮む。
「では……?」
「代償を、可視化する道具です」
東峰が、ひゅ、っと息を吸いこんだ。
「代償……ですか」
「ええ」
アキは鍵束を机に置き直す。
「この鍵は、この中から一本を選び、扉を開けると、“昨日の記憶が一つ”消えます」
女性は、うなずいた。
「……聞いていた通りです」
「一つ、というのは」
アキが続ける。
「出来事の大きさではありません。印象の強さでもない」
アキは、女性を見る。
「“思い出したままにしておく必要があった記憶”が、優先的に消えます」
沈黙が落ちる。
「……それは、どんな……」
「人によります」
アキは、淡々としている。
尻尾は、低い位置で、止まったままだ。
「約束かもしれません。
失敗かもしれません。
あるいは――」
言葉を切る。
「後悔です」
女性は、目を伏せた。
「……昨日、私は」
言いかけて、止める。
「いえ。それを言ってしまうと、どれが消えるか、分かってしまいますね」
東峰が、慎重に頷く。
「ええ。選び方が変わります」
アキの言葉に、女性は、小さく息を吐く。
「この鍵束は、
“迷っている人”のところに、よく来るんですか」
「いいえ」
依頼人の問いかけに、アキは即答する。
「迷っている人には、向きません」
「……え?」
「この鍵は」
アキは、一本を軽く持ち上げる。
「迷いを終わらせるためのものではない」
鍵は、鈍い光だけを返す。
「“迷い続ける覚悟がある人”のためのものです」
女性は、しばらく鍵束を見つめていた。
「……記憶が、減っていくのは、怖くないんですか」
東峰が、思わず尋ねる。
「人は、毎日、忘れています」
アキは答える。
「この鍵は、
忘れていくそれを“昨日分”だけ、意識させるに過ぎません」
アキの声に、女性が背筋を伸ばす。
「……では、鑑定結果を」
そう言った依頼人の声は、ほんの少し、震えていた。
「鑑定結果です」
一拍置く。
「この鍵束は、正常です。
効力も、持続性も、問題ありません」
「使用上の注意は?」
「二つ」
アキは指を立てる。
「一つ。
同じ日に、二度選ばないこと」
「……そうすると……どう……なりますか」
アキを真っ直ぐに見る依頼人の手が、震えている。
「昨日が、二つ消えます」
女性が、息を呑む。
「もう一つ」
「消えた記憶は、“取り戻そうとしないこと”」
東峰が、思わず問いかける。
「それは……なぜですか……?」
そんな東峰の問いかけに、アキの尻尾が、静かに揺れる。
「夢や記録で、無理に辿ろうとすると、
別の記憶が不安定になります」
女性は、静かにうなずいた。
「……ありがとうございます」
鍵束を、そっと布に包む。
立ち上がりかけて、ふと、足を止めた。
「……その……一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
アキは、視線を上げる。
「副所長さんは……この鍵を、使いますか」
依頼人の問いかけに、事務所の空気が、ピシリ、と張る。
ほんの少しの間のあと、アキの耳がぴくり、と動いた。
「使いません」
女性は、少し意外そうに目を瞬かせる。
「……理由は?」
「昨日を、選び続けるからです」
それだけだった。
女性は、深く一礼し、事務所を後にした。
扉が閉まったあと、東峰が小さく尋ねる。
「……副所長。その……昨日の記憶が消える、というのは……やはり、危険なのでしょうか」
東峰の言葉に、アキの尻尾がぴたん、と床を一度、叩く。
「危険です。
この鍵は、“使った人”よりも
“使ったあとも日常を続ける人”を壊します」
アキは、続ける。
「ですが――」
耳が、わずかに揺れる。
「記憶を減らすこと自体は、必ずしも、不幸ではありません」
「……はい」
「ただし」
アキは、東峰を見る。
「減った分、“今日を選ぶ重さ”は、確実に増えます」
東峰は、深く息を吐いた。
「……そう……ですね」
何も無くなった机に、
一度だけ視線を置いたあと、
アキはいつもと変わらぬ表情で、
いつもの言葉を置く。
「―― さあ、鑑定の時間です」
けれど、
“選ばれなかった昨日”の気配だけは、
しばらく、事務所に残っていた。
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