真名津 姫女
朝早くからけたたましく目覚ましが部屋中に鳴り響く。
「んん…ん-」
布団からもぞもぞと幼虫のような動きで這い出す、紫色の髪の少女。
部屋の中は片付いてはいるが、机の周りだけは古い本で占領されている。
「ふあぁぁ…」
背中まである髪が、体を伸ばす動作で揺れる。
そして時計を確認 --- 午前七時。
夜は日付が変わる前に寝て、朝早くから起きる、そんな規則正しい生活。
しかし気分は今日も冴えない。
「はぁ…」
最近はため息の数が増えたのを自覚しだしている。
--- 真名津姫女。
本来なら、今は高校に通っている年齢である十五歳。
しかし中学を卒業した後、すでに新学期が始まった今もまだ家の中に籠ったきりでいた。
畳敷きの和風の部屋、そして床に敷かれた布団。
ここ最近といえば日々の暇を持て余し、自宅の蔵に秘蔵している書物を読み漁る毎日である。
古い名家と言っても差し支えない真名津という旧家の家系。
元は神社を生業としていたが、祖父の代の頃に諸事情から廃社し、現在は両親も普通の会社員として働いている。
それでもさすがに大昔より守ってきた、この街の歴史書とも言うべき古書物だけは廃棄するわけにはいかなかったらしい。
知識欲が旺盛な姫女には、そういった古い本を読むという行為は、まさにうってつけであった。
「マリーちゃん、おはよう」
寝起きで意識がはっきりとしだした姫女、目が覚めるや真っ先に机の前のコルクボードに貼られている、黒鋼マリーの写真に優しく声をかける。
中学卒業前の修学旅行時の写真。
それは同級生が撮ってくれた、偶然二人きりで写ったツーショット写真という、唯一の姫女の宝物だ。
笑顔で話すマリーの表情が、今の姫女には眩しすぎる。
そしてこの写真が写された数ヶ月後、当の姫女自身は、この後に人生最大の失敗を犯すことに気づかなかったのだ。
中学校の卒業式当日、姫女はその記念でもある日に盛大にやらかしてしまった。
色々と考えた結果、自分にとっては他に手は思いつかなかったための失敗。
それがまだ姫女の心に重くのしかかっている。
「さて、今日は何をしようかな…」
布団を押し入れにしまい、姫女は袖がよれた少しだらしない部屋着のまま考える。
ここ最近はずっと古書物を読み漁っているが、天気予報によると今日は雲ひとつない快晴らしい。
「…いやいや、それでもちょっと外出は…」
家の中に籠る環境に慣れてしまったせいか、外に出るのは少し怖い。
人の目もある。
それに、十代の少女が昼間から街中をうろついていれば、最悪の場合補導される可能性も高い。
とはいえ、せっかくの晴天に外出しないのももったいないという考えがあるのも事実だった。
「…マリーちゃん…私どうしたらいいのかな?」
今後のことも含め、決して現状が良いとは思ってはいないが、今はどうすればいいのか何も思いつかない。
その姫女の優柔不断さは、過去の「最大の失敗」に起因したモチベーションの低下によるものだ。
姫女は今、完全に道を見失っていた。
「…もうしばらくは現状のままでいるしかないのかな…」
時折将来への不安で泣きたくなる。
姫女が自分を取り戻すためには、おそらくはもう少しの猶予が必要だと思われた。
----------
「隊長! 隊長ーーー!」
「ん? どうしたククロエ。思ったより早い帰還だな」
異世界アークエスタ。
正確には多次元宇宙の「地球」であり、黒鋼マリーや真名津姫女たちが暮らす地球とは、位相も次元も環境さえ違う。
言語は当然ながら、星の酸素濃度までもが同じ地球という名でありながら、全く別の進化を遂げ現在に至っている。
多次元には姿形が似通っていても、その身体の内部構造が大きく異なるのは特に珍しいことではない。
「ラライナ様に私の手紙を渡せたのか?」
「は、はい、そこはもうなんというか、オホホ、大丈夫でした」
「そうか、良かった。すまなかったなククロエ。自分で出向くのが筋だったが、どうしても手が離せなかったばかりに無理を言ってしまった。申し訳ない」
「い、いえ! 隊長そんな、お気になさらず!」
そう言いながらククロエに向かって頭を下げるニニルリ・メルリ。
ククロエにとっては憧れの対象であり、新米である自分をきちんと指導してくれる上司。
「戦士」という、このアークエスタでは低層にある職業ながら、ニニルリの言葉はククロエにとって、自分という存在を認めてもらえる光にも等しいものだった。
「けれど、せっかくの帰還で申し訳ないが、この後の予定は未定となってしまったんだ」
「えぇ? あの建物の取り壊しは?」
「そうだな、少し変更になって、その仕事はなくなった」
残念そうにニニルリはそう語る。
面倒な作業は早めに終わらせようと考えていたニニルリだったが、急な予定変更のためにこの後のスケジュールは全くの空白になってしまっている。
「そうですか…じゃあ街中を歩きながらパトロールするしかなさそうですね」
「そうしよう。困っている人を探して回るぐらいしか、今はできないからな」
「戦士職」は適切な表現をするなら、まさに雑用係である。
街の住民の要望や、困っている人を助けたり、転居や住居の改装・取り壊しなど、頼まれた仕事を請け負う「市役所の作業員」と呼んでも間違いない。
偶然仕事がなくなったニニルリは、仕方なくククロエを伴って街中を散策することとなった。
見上げる空にはふたつの太陽が見える。
その空を見上げるニニルリのライトブルーの長い髪が、ククロエの視界に入る。
凛としたその横顔に、ククロエは見とれてしまう。
男口調のうえ寡黙で冷静、別の言い方をするなら「ぶっきらぼう」という風情のニニルリだが、その高い身長も相まって、一部の同僚の女戦士から大人気だという噂をククロエは聞いたことがある。
確かに、それも無理からぬ話だと思った。
他の部署の男戦士からも、ニニルリの容姿は話題にのぼることも多いと聞く。
しかし、本当はニニルリがどう考えているのかは誰もわからないが、仲間内の恋愛話には一切絡んでくる様子もない。
だから誰もニニルリに恋バナの話題をする者はいない。
そんな話には興味がないといった姿勢は崩さず、また職務に忠実な性格からも、「男嫌いの生真面目な堅物」といった評価が定着していた。
今は唯一の部下であるククロエが最も近しい立場だが、ククロエにとっては敬愛する「人間像」はニニルリだと言っても過言ではない。
まさに、心酔しているという表現が適切と言える。
「ニニルリーーー!」
街はずれに来たところで、二人は背後から呼ぶ声に足を止める。
つい数時間前に聞いた覚えのある声、ククロエもその声が響く方向に振り向いた。
「えっ…! ラ、ラライナ…様」
驚いたニニルリが珍しくうろたえる表情を見せた。
王宮にいるはずのラライナと、こんな街はずれで出会うとは思ってもなかったせいだろう。
「二人とも、おっ疲れー♪」
上機嫌の笑顔をその顔に貼りつけ、ラライナはその隠せない高貴な空気を纏いながらこちらに寄って来る。
砂埃が舞う街中の風景とはおよそ不釣り合いに思える。
「いやぁねぇー♪ ラライナでいいわよ。「様」なんて堅っ苦しいのは抜きにしよ♪」
「いえ、そういうわけにはまいりません。プライベートなら許容いたしますが、今は職務中です」
こういうところが堅物と呼ばれる所以であり、またククロエが憧れる生真面目さだった。
実は三人とも十五という同い年という事実はあるも、唯一ラライナに関してはまるで女学生のような軽さが見られる。
そのプライベートでは時折見せる、未熟な子供っぽさがラライナの本来の性格なのだろう。
アークエスタの地位は国王に次ぐナンバー2という立場ながら、たまに王宮を抜け出しては、ふらりと街中に出没し、市民とも仲良く話している姿も多いとの話が嘘ではないと、ククロエはようやく納得した。
「うん、それでさぁーニニルリ? 今度の非番の予定なんだけど?」
やはりその件を直接問い正すのが目的だったのか、ラライナの問いはククロエには答え合わせでしかなかった。
----------
「…次元の波動が揺れ動いている…何かが起きる前触れか…?」
一方、黒鋼マリー達が住む地球.
表の通りからは死角になっている、暗い路地裏の袋小路。
人目を避けるように「彼女」は潜んでいた。
髪も、制服も全身黒づくめ、中性的な顔立ちの、新月と呼ばれている少女。
闇の中でその黒い瞳だけが不気味に浮かんでいる。
「けれど、今の私にはどうにもできない…」
その普段の無表情な様子から一転、僅かばかりの感情が、噛み締めたその唇に伺える。
「何も起きないでくれ…頼む」
どうにもできない悔しさからの焦りか、彼女は空を見上げて祈るようにひとりつぶやいた。
「お前にも感情があったとは驚きだぜ、新月さんよぉー」
馬鹿にしたような口調で、その「男」は表通りからの光を背に、いつの間にか彼女のすぐ近くにいた。
「いつも無愛想で何を考えてるのか読めねぇヤツだと思ってたが…なんだ? ただのお人形さんじゃねえってか?」
下品な笑いとその口ぶりには吐き気を催す邪悪が染み付いている。
「…あいにくだが…」
「あぁ?」
そして彼女はゆっくりと立ち上がる --- と同時に
「…え?」
何が起きたのか、「男」には最後まで理解できなかった。
「…人形に感情など不要だ」
「…」
彼女の罠にはまった「男と思しき生き物」の首は、瞬く間にその体から切り離されていた。
そして、その男の亡骸は擬態が解けたのか、徐々に奇怪な人外の姿を見せながら粘液質な液体へと変化していく。
「私をずっと狙っていたのは知っていた。だから貴様が不意打ちできない、この場所を選んだ」
何事もなかったかのように彼女 --- 新月美裂はその場を後にする。
「それに…」
表通りの光の当たる場所にゆっくりと美裂は歩いていく。
「私の『感情』はもう、その生を紡いでいる」
さっきまで「下品な男」だった粘液質な液体は完全に沈黙した。
もう生物ではなく、ただの物質だったその液体に向けた言葉なのか、またはただの独り言なのかはわからない。
そんな諍いを終えた美裂だったが、それでもその心の中には未だ消えずに不安だけが残っている。
この空の先には目には見えないが、確かに感じる巨大な悪意。
自分がいるこの世界の危機ではないにせよ、他の次元に存在する地球に迫る、無邪気さと憎悪に包まれた大きな闇。
今の美裂には祈るしかできないのだ。
----------
「姫女ー? ねぇ、手は空いてるー?」
階下から聞こえる母親の声に、姫女は本を開く手を止めた。
「なに? お母さん」
「悪いんだけど、ちょっと買い物頼めるかしら?」
引き篭りの娘に対し、呑気な用事を頼む母親に姫女は表情を曇らせる。
「私、こう見えて社会から断絶してる引き篭りなんだけど…お母さんわかってる?」
「だったらなおさらよ。たまには外の空気でも吸ってきなさい」
母親はそう言うと、無理矢理に姫女に走り書きのメモといくらかのお金を押し付ける。
「まったくもう」
仕方なく姫女は、母親の言いつけ通りに買い物に行くしかないと諦めた。
しかし母親の用事が口実になったのも事実だった。
--- こんな天気のいい日に出かけないのはもったいない
それはきっかけと同時に、「仕方ないから」という、弱い自分への言い訳。
「えっと、どこまで読んだっけ?」
姫女は先程まで読んでいた古書を確認し、開いているページに栞を挟む。
「まさかここまで古い書物だなんて思ってなかったなぁ。室町時代の歴史書なんてかなり貴重なんじゃない?」
現代文字とは違い、暗号文にしか見えない古い言葉。
難しい部分をネットで調べながら、姫女は読み進めてはいるが、その記述の中にはとてもフィクションとしか思えない部分がそこかしこに記されていた。
「もしかしてこの本って、歴史書じゃなく当時の小説なのかなぁ?」
それはそれで面白いと姫女には思える。
当時の小説を読む機会などは全くないのだから。
「っと…『黒きをなご、光る玉持ち、やがて身の丈五十尺の猛きをのことなりて、異形との諍いを』…なにこれ?」
そこに書かれている内容は、姫女にしてみれば現代のアニメや、漫画の描写と変わらないように思えている。
大昔の書物に、まさか少年漫画のようなバトル描写があったのが予想外だったせいだ。
「つまり、黒い女の子が光る蹴鞠みたいなのを持って、十五メートルの大男になって妖怪と戦うってこと?」
あまりに突飛すぎる内容に姫女は少し頭を抱える。
いくら小説だろうと整合性も何もあったものではないと感じたからだ。
「面白いことは面白いけど…ちょっとこの作者、電波入ってるかな?」
「姫女ーーー!」
「はーい、はいはい! もう出かけるからー」
母親の催促の声を聞き、姫女は急いで着替えだす。
髪を頭頂でまとめ、いつも通りの短いポニーテール。
本来の姫女の性格を表す、アクティブで動きやすい髪型。
普段からワイシャツ・ジャケット・ミニスカートという、あまりフェミニンな服装を好まない姫女にとって、その髪型は唯一の女の子アピールともいえる。
母親に出かける旨を告げ、久しぶりに姫女は街中へと出向いていった ---
天気予報通り、空は見渡す限り広がる快晴。
吹く風はまだ少しの冷気が残っていたが、それは冬の名残程度の空気。
春はやはり気温が安定しないのが通説で、少し薄着の姫女は、もう一枚余分に着る方が良かったと考える。
「けど、うん」
久しぶりの外出に少し心がはやる。
落ち込んでいた朝からの気分は、太陽の熱に溶けていく感覚。
平日の昼間なので、多くの人は学校や会社にいるはずのことに、姫女はようやく気づいたのだった。
「以上、お買い上げありがとうございました」
近所のスーパーで母親からの用事を済ませる。
片手にスーパーのビニール袋を下げながら、姫女は少し寄り道したくなる。
自宅方向とは少し外れた大通り。
商店街や専門店が並ぶ、日中でも人の通りが多い場所に姫女は数ヶ月ぶりに歩いてみたくなった。
「なんだかすごく懐かしい気がする」
中学時代によく通った商店街。
小物を見るために通っていた雑貨屋。
そんな場所は今の姫女には遠い世界に思えている。
そしてこの雑貨屋を通り過ぎた先 ---
そこには自分が三年間通った中学校がある。
けど、もうそこは姫女にとってはつらい思い出しか残されていない。
ずっと仲が良かった友達。
彼女の屈託のない笑顔と、そしてその目立つ容姿からは想像できない脆さを姫女は知っている。
彼女は自分を友達だと信じていてくれた。
でも ---
いつの頃からかはもう姫女自身は覚えていない。
ただの友達、親友という立場を越えてしまった感情。
『もしかしたらそれは憧れなのかもしれないけど』
姫女は「彼女」に愛情を抱いてしまっていた。
「彼女」の顔を思い出すと眠れない。
胸が高鳴り、その体を抱きしめたくなる。
誰に対してもそんな感情を感じたことはない。
芸能人・クラスのカッコいいと噂の男子生徒・大人気の二次元コンテンツ。
クラスの同級生女子が騒ぐたび、自分は恋愛感情など持ち合わせていない冷酷な人間なんじゃないか?
そんなことで悩んだこともあった中学の時期。
けれど、そんな悩んでいた時、心を埋めたのは「彼女」の姿。
手を繋いだ日の嬉しさも、他愛もない話で盛り上がった日も、一緒に下校した日も、体育の時間にペアになった日も、それら全て ---
姫女は自ら壊してしまった。
最後の最後、それは卒業式の日。
その心の全てを姫女は「彼女」に告白した。
ずっと友達だと信じてくれていた「彼女」に愛を抱いてしまったという真実。
それでも「彼女」は少し困った笑顔のまま。
下げた頭と謝罪の言葉。
そして、姫女の恋は卒業と同時に終わった。
「…懐かしいな…懐かしい…」
この道を通るたび、やはり思い出してしまう。
だからもうここには来たくなかった ---
過ぎ去った日々を思い出して、姫女の目に涙があふれだした。
おそらくはもう二度と会えないと決心し、その日を境に、姫女は引き籠った。
「マリーちゃん…ごめん…もう私は二度と…」
そうして道の先に繋がる空を姫女は見つめていた。
--- だがその時
「えっ⁉ ちょっと待ってよ!アリスって私より平均点が高いの⁉」
「…その通り、こう見えて私は魅麗より秀才。または上位機種」
「あははは、アリスちゃんロボだったんだぁ…(困笑)」
姫女の耳に飛び込んできた騒がしい女子高生の声。
おそらくはこの近所の高校に通っているのだろう。
けど、今の自分には遠い存在だと、姫女はその声がする場所から離れようと考えた。
「いやいや、そのアリスより上なのがこの私だぁ! ひれ伏してその辺のアスファルトでも舐めてなさい!」
「ぅぇえっ⁉ ま、ま、マリーちゃ…⁉」
姫女の耳を直撃したのは、あの日に聞いた懐かしい声。
「(ままま、マリーちゃん、マリーちゃん、マリーちゃんがなぜここに⁉)」
気まずさから姫女は咄嗟にマリーに見つからないよう、その身を隠し観察する。
マリーの周りにいる三人の女子たちは、おそらく現在の友人だろう。
その制服から四人全員が同じ高校の生徒だと姫女は理解した。
「…私の平均は47.8。ひれ伏せ、愚かなツインテ」
「うぬぬぬ…おのれー…36.4の私を越えるなんて…!」
「私は55.2だもーん♪ ふふふん♪」
「ご、ごめん。私88.9だったよ」
「………」
ほんの数分の出来事。
それでも、それは姫女の心を揺さぶるには十分な出来事だった。
「…マリーちゃん…私は…私…は」
姫女の目からは止められないほどの涙があふれていた。
今のマリーが楽しく過ごせているのを確認できたという想いはあったが、その姿と自分を比べた時、なんとも言い難い気持ちが湧き上がっている。
停滞している自分の現状と意義、そして羨ましさと嫉妬が姫女の中で混ざり合う。
「…私はやっぱり…マリーちゃんのそばにいたい!」
涙と鼻水にまみれた顔を気にも留めず、姫女の心には再び自分を取り戻す決意があった。
「マリーちゃんと同じ学校に行くの! 今からでも! 絶対!」
もう今は見えない後ろ姿。
マリーたちは姫女に気づくこともなく、そのまま立ち去っていった。
「私だって、青春したいもの!」
姫女の決意が空に響く。
その空の向こう、星たちは時を待つように静かに輝いていた。




