六界 アリス ③
「ん…魔法粒子が…なぜかざわついてる…」
貴族や王族が住まう、そこは豪華な王宮に続く通路。
腰まで伸びた赤い髪と、絵本にある魔導士を連想させる大きな帽子、そして長い裾のスカート。
少し猫っぽい釣り目で周囲を見渡しながら、大人びた振る舞いで歩く少女。
年齢はまだ少し幼さが残るティーンだが、育ちの良さがその所作に垣間見える。
「なんだか…すごく嫌なことが起きる気がする…気のせいだといいんだけど…」
眉を潜めてその赤髪の少女 ---ラライナ・カメルは独り言をつぶやいた。
廊下の窓から外の様子を伺うも、残念ながら窓枠にはめられているガラスは、表面がザラザラでおよそぼんやりとしか外は見えない。
「今ならもう少し透明なガラスが作れるかな…」
表面が凸凹のガラスを撫でながらラライナはそう考えた。
「ラライナ様!」
ラライナは王宮の兵士から声をかけられ、またその兵士がこちらに近づいて来るのに気づく。
自分が呼ばれる時は、ほとんどの場合がつまらない用事なのはわかっていた。
本当の緊急事態なら、まず養父である国王に伝わるはずだからだ。
「なによもうー、私は別にここでサボってるわけじゃないし、ちゃんとこの国の未来について深く考えて ---」
「ラライナ様に御用があると使者が来ております、お急ぎを」
適当な言い訳をする必要はなかったようだ。
その兵士はラライナの言い訳などお構いもせず、ただ用件のみを伝えた。
「使者? 誰?」
「第三分隊からの使者です。ククロエ・ミツキと名乗る少女が」
「ククロエ…あぁ! ニニルリの部下の?」
「はい、ニニルリ・メルリ殿の部隊の新参兵だそうです」
ラライナの表情は一気に明るくなる。
ニニルリ・メルリの名を聞いたラライナは、歩きにくそうな長いスカートを膝まで捲り上げるや、いそいそと小走りに走り出した。
ラライナにとっては唯一の友人と呼べる相手 ---
それはほぼ一方的なラライナの想い、当のニニルリ・メルリにとってはラライナの友人宣言は少々迷惑に感じているのは事実である。
--- この世界、ファンタジーゲームで想像するイメージ通りの世界である。
そしてここは「アークエスタ」という文明が栄えている多次元宇宙のひとつ。
いくつも存在する多次元の「地球」の中で、この世界にはおよそ近代的な機械は存在しない。
まさに昔ながらのレンガ造りの建物と、そして「戦士」「魔法使い」が人々の職業として成り立っている。
しかし唯一他の世界と違う点を挙げるとするなら --
この世界は争いのない平和な世界ということだろう。
全人口が約百万人という少なさに加え、そこに生きる人々には「戦争」など想像もつかない出来事だ。
全人類はひとり残らず同じ地域に生活拠点を置いている。
その地域から遠く離れた場所は前人未踏の危険区域であり、人間以外の巨大生物が跋扈する聖域でもある。
だから人々はわざわざ危険な他の場所に移ることなど考えない。
「戦士」や「魔法使い」は戦うための職業ではなく、生活インフラを整備する職務に従事している。
戦士は単なる雑用係、魔法使いに至っては、自然物ではない「鉄」などの素材を、空気中の魔法粒子を使って呪文で生成するというのが最も重要な仕事だ。
「生きるため」の営みを整える原動力としての職業、それがこのアークエスタという世界での「戦士職」「魔法職」という存在だ。
「え、えっと、本日ラライナ様にお伝えしたいことはですね…あのー」
ラライナは謁見のためにわざわざ小部屋を用意し、礼節を整えようとするククロエを制止するや、挨拶もそこそこに無遠慮に伝える。
「ニニルリからの伝言内容は?」
「あ、えっとですね。そのー…これを」
まだ入隊して半年にも満たないというククロエは、遥か雲上人の地位にあるラライナとはこんな狭い部屋で間近に話せる立場にはない。
言葉に詰まりながらも、その隊長であるニニルリ・メルリからの手紙を差し出すだけで精一杯だった。
「…た、隊長は非常に申し訳ないと…」
「………」
弁解するククロエを尻目に、ラライナはニニルリからの手紙を真剣に読んでいる。
「…ラ、ラライナ様?」
「あー…残念だわ、もー!」
「は?」
次の休日、一緒に遊びに行こうというラライナの誘いだったが、それは見事に断られたらしい。
がっかりした表情を隠そうともせず、ラライナはククロエの前で机に突っ伏したまま愚痴をこぼしていた。
「ニニルリはさぁー、ちょっと真面目過ぎない? 職務に忠実なのはいいけど、普通は仕事より友達の誘いを優先させるよね?」
「はぁ…そういうものでしょうか…? あたしは人間の…い、いえ、友達同士の事情はちょっと…」
「そうよ! せっかくの休みに気分転換しないでどうすんのよ!?」
ひとしきりククロエに対して文句を続けたラライナだったが、ククロエはこの後の仕事により、急ぎ街に戻る必要があると伝えられたために、それ以上は引き止めなかった。
「ククロエからもよく言っといてよ。もうちょっと肩の力を抜く方がいいって」
「わ、わかりました。隊長にはそう伝えておきます」
そして重い足取りを引きずりながら、ラライナも職務に戻っていく。
「はぁ…まったくもう…」
しばらくは落胆した表情を周りに隠そうともしないラライナ。
しかし、突然何かを思いついたのか、その表情は笑顔に変わる。
「…休日が無理なら今日会えばいいってことじゃない?」
本日のスケジュールを確認してからラライナはひとりつぶやく。
どうやら今日は空き時間が作れそうだと企んだようだ。
ラライナは空気中の魔法粒子が「ざわついている」のを気のせいだと思った。
それはニニルリ・メルリと会える時間が、今のラライナにとっては遥かに重要だったからだ。
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「…あんたは…何? 私に何か用?」
突然こんな校庭の隅で、黒鋼マリーに声をかけられた六界アリスは警戒心を隠そうともしなかった。
今朝起きた醜態についてはもうなかったことにする --- アリスにとってはそれが最善であり、また魅麗と関わるのももう御免被ることである。
「あー、まぁ私が言うのもお門違いなのはわかってるつもりだけどさぁ…」
マリーは言葉を探しながら、身構えるアリスと会話を続けようとした。
「私には用事なんてない、消えて」
「まぁまぁ、アリスちゃん、そう怖がらないで」
雛がマリーのフォローに入るも、アリスは後ろ手にスマホを隠したまま、無表情には見えたが不機嫌な口調を隠そうともしない。
「もしかしてあんた…自分に全然自信がない人?」
「…え?」
言葉を繕っても回りくどいだけで意味がないとマリーは感じた。
だから自分が感じたアリスの違和感をストレートに伝えてみたのだった。
それでも、正しくは「話題が思いつかないから」というのが最大の理由だったのだが…。
「いや、これってなんとなくなんだけど。あんたってさ、『自分なんかが』って、そんな風に思ってない?」
「な…何? いきなり…」
「私も身に覚えあるんだけど、私も勝手にそう考えちゃって、ホントはそこまで悲観することなんてないと思うんだけど、どうしてもね、そういうのが先に立って…それじゃダメだって思うんだけど、なんかね、無理」
「…」
マリーは困った笑顔を見せながらアリスに自分のことを話すだけだった。
アリスは眉ひとつ動かさず、その内容をただ聞いているだけ。
「私はさ、正直頭もよくないし、他の人からはどうやら派手そうに見えるみたいで、だから余計に自分自身とのギャップがすごいっていうか…私はそんな全然すごくないんだけど」
「…私は…」
「だからね、うん、あんたがそう思うのは勝手だけど、私も自分に自信なんて全然ない。けどね、自分の価値は自分が決めるっての、そう信じてる人は多いと思うんだけど、私はさ、自分の価値は実は他人が決めるってのも真実だと思うんだよね」
「…え」
アリスは初めて意外そうな表情をマリーに向けた。
「だってさ、例えば友達だったり恋人だったりがいたとして、自分に価値がないと思っててもさ、友達や恋人にとっては自分はすごく大切な人だったりするわけじゃない? 自分を好きでいてくれる人たちに対して、『自分はなんの価値もない』って考えるのは、そんな人たちの想いを否定することにならない?」
「…」
「私は誰にとっても必要な存在だと思ってるわよ!」
魅麗は自信満々にそう答える。
雛は、そんな魅麗に「魅麗ちゃんらしいね」と笑いながら返した。
「だからさ、自分に価値がないから他の人に「ごめんなさい」って思うよりも、自分と仲良くしてくれる人たちに対して、謝るよりも「ありがとう」って肯定する方が大事だって私は思うんだよ。まぁ、私もそれができないから苦労するんだけどね」
「…」
「私の話はそれだけ。うん、ごめんねお邪魔しちゃって。けどそれだけは言いたかったんだよね」
マリーはアリスにただ自分の考えを話すだけだった。
それ以上のことは何も言わずその場を去った。
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「あんたは結局何がしたかったの?」
アリスとの話を終えて教室に戻って来た三人。
魅麗はマリーがなぜそんな話をしたのか全く理解できない様子だった。
「ただ話したかっただけだよ」
「全然わけがわからないわよ」
雛はそんな二人のやり取りを笑いながら見ていた。
--- そして、一日の授業は全て終了し、教室内は下校する生徒、部活動に向かう生徒と、慌ただしく同級生たちはそれぞれに動き出す。
「…なんであんたがここにいるのよ?」
「…それは私の勝手」
「ん-?」
「あれ? 廊下で何を二人話してるの?」
マリーと雛が下校しようと廊下に出ると、
「いやいや、『いつも通り』みたいな顔して待ってんじゃないわよ」
「最河魅麗の特徴:うるさいだけが存在意義」
「メモらないでいい!」
マリーと雛にとっては、魅麗だけでなく、アリスまでいたのは予想外の出来事だったが、マリーの話がアリスにとって、響くところがあったのだろうと思った。
マリーはただ、そんなアリスを受け入れる。
四人はそのまま、まさに「いつも通り」といった様子で、連れ立ったまま下校する。
ぱっぱらーらーぷりるりらー♪♪♪
「…ん」
「あれ? この曲って確か…」
「あんたまたエ〇チぃ曲を…」
魅麗は少し眉を潜め、嫌そうな顔をしながらアリスに話しかけた。
「…これはただの着信。そして、配信時間の合図」
「配信時間?」
「今期アニメの配信が始まる時間」
自分の目当てにしているアニメが配信する時間の合図を、アリスはいちいちチェックしているらしい。
同級生たちの発言から、アリスがアニメ好きなのはなんとなくわかっていたマリーだったが、意外なほどのガチな様子に少し困った笑顔が浮かんでくる。
「…気にしないでいい」
「はぁ、ソウデスカ…(苦笑)」
「アリスちゃん、何か面白い作品があったら教えてよ!」
「雛までそっち方面に行くの⁉」
そして四人は何事もなく、それぞれが家路に着くのだった。
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「ただいまー」
色々とあった一日、昨日のように宇宙人との遭遇もなく、マリーはようやく自宅の玄関まで辿り着いた。
「おっ、お嬢、おかえりなさいっす」
「まささん、ただいまー」
従業員のまさにマリーは挨拶を告げる。
なんとなくリビングルームの方から話し声が聞こえた気がして、マリーは小声でまさに尋ねた。
「もしかして今叔母様が来てるの?」
「へぇ、今社長とお話の真っ最中でして…」
従業員とはいえ、家庭の事情にそこまで介入しないようにしているのか、まさはリビングの会話が聞こえない場所にいた。
あまり込み入った内容は、マリーにとっても迂闊に首を突っ込むのもどうかとは考えるが、それでも久しぶりに帰って来た叔母と話したいという誘惑には勝てなかった。
「ありがとうございます。が、謹んでお断りさせていただきます」
マリーがリビングルームに入ると、そこにはそれぞれのソファーに座る両親、そして叔母の黒鋼美佐緒が床に両手をつき、両親に謝る姿だった。
「お、叔母様?」
「あら、マリーちゃん、大きくなったわね」
美佐緒は顔を上げると、正座した姿のままマリーに笑顔を向けた。
以前より少しほっそりとした様子、というよりも少しやつれたような叔母の顔がマリーの目に映る。
「…どうしてだ? 悪い話じゃないだろうに…」
渋い表情でマリーの父親は美佐緒に向けてそんな言葉をかける。
「お兄様のお気持ちは痛いほど理解しております。けど…私は…」
「…もう五年も経つというのにか…」
「………はい」
マリーにはそのやり取りで理解するのは無理だった。
ただ叔母が、自分の兄であるマリーの父親に、どうやら謝罪しているという雰囲気だけはわかる。
それがなんなのか、詳しい内容までは理解できなかった。
「叔母様、どういうこと?」
「…」
叔母の美佐緒はその問いに答えず、少し笑うだけにとどまる。
「申し訳ありませんが、お話はこれで終わりにさせてください」
「美佐緒ちゃん! このままずっと一人なんて…」
「お義姉様ありがとうございます。お部屋をお借りいたします」
美佐緒はマリーの母親にそれだけ告げると、昔自分が過ごしていた部屋に去っていった。
「親父殿、何かあった?」
マリーは叔母が去ったあとの部屋にとどまり、直接経緯を父親に聞いてみる。
「…美佐緒はな、俺にとっては年がかなり離れてるから、「妹」というよりも「娘」みたいな感覚なんだよ」
「うん、わかってる」
「だからな、できれば幸せになってほしいんだよ、俺はな。修吾くんが亡くなってもう五年にもなる」
「…うん、そうだね。お義兄さんになるはずだった」
「さすがにもう…美佐緒もそろそろ心の整理がついたんじゃないかと…」
「…」
そこまで聞き、ようやくマリーは理解できた。
叔母の美佐緒は電話ではなく、わざわざ実家に出向いてまで「お見合い」の話を断りに来たのだと。
几帳面な叔母らしいとマリーは思ったが、父親が心配するのも道理であると理解はできる。
五年前に最愛の婚約者を事故で失くした叔母は、その後大学を卒業後に一年間精神的不安から自宅で療養し、それから急に遠い地でひとり、誰にも頼らずに暮らし始めた。
色々と思うところはあったのだと想像に難くないが、当時まだ小学生だったマリーにとっては、ある日いきなり叔母がいなくなったという寂しさが勝っていた。
そんな想いがあってか、今回お見合いを受けた叔母が、マリーにとって全く知らない相手と結婚してしまい、叔母が今よりも遠い存在になってしまうのは嫌だった。
それでも、今の叔母の状況を考えると、お見合い結婚だとしても「孤独じゃなくなる」ということには賛同できなくもない。
マリーは単に自分の都合だけを考えているだけと知っているも、どんな形であれ、叔母にはずっと笑顔でいて欲しいと思うのは紛れもない真実だった。
「ごめんね、マリーちゃん。いろいろと迷惑かけてるよね」
「…叔母様」
時刻も日付が変わろうかという夜中、まだ叔母の部屋の灯りがついているのに気付いたマリーは、叔母の部屋を訪ねる。
「…断ったんだね」
「うん」
「…まだ忘れられない?」
「…そうね…たぶん…ずっと」
開いた窓から少し冷たい夜風が部屋に流れ込んでいる。
叔母はマリーから視線を外したままそう答えた。
「…叔母様には幸せでいて欲しい」
「ありがとう、けど私は大丈夫」
「叔母様…」
「けど私にはもう、マリーちゃんが幸せになる方が嬉しいかな」
美佐緒はそう告げると、窓から夜空を見上げる。
少し震えた涙声。
マリーは叔母の目に浮かぶ涙に気づいたが、それ以上は何も言えなかった。




