No.046 / 脱出へ向けて
ダイダイ・譜詩とシュゴ・エンゴは、先ほどから巨大な氷柱のただなかを、ひた走っていた。
「ダイダイ先輩、僕たち、迷ってませんか?」
走りながらエンゴが言う。
「どうもそうみたいね。仕方がないわ。居住地域を出たのは初めてなんですもの。どこかに地図でもあればいいんだけど」
エンゴに並走しながら、ダイダイがぼやく。
と、そのときだった。
ダイダイがいきなり止まり、同時にエンゴの腕を後ろに引いた。
「そこの角の向こうから人が歩いてくる気配がする!」
ダイダイが小声でエンゴに告げた。
「どうする?隠れるところなんてないけど」
人の気配はもうすぐそこまで近づいている。
「上に!」
エンゴの声でダイダイはすぐに行動に移した。
歩いてきた青いつなぎを着た中年男性は、角を曲がったかと思うと、すたすたと問題なく歩いてゆく。
天井にへばりついた二人に気づかずに。
男性が見えなくなってから、エンゴが口を開いた。
「認知投影力が戻って良かったですね」
「ほんとね。でも細長い直線の廊下だと、天井に張り付いたところですぐに見つかってしまうわ。エンゴ君、ここは人質を取るべきだと思うの」
「人質!?」
ダイダイの突然の提案に、エンゴは素っ頓狂な声をあげる。
「だってそうでしょ。関係者でもない限り、この巨大な建造物の出口を把握なんてしてやしないわ」
「そうですが……。僕、暴力はちょっと……」
尻ごみするエンゴを見て、ダイダイは大きくため息をつく。
「誰が暴力女よ。大丈夫、危害を加えなきゃいんだから。ちょっと締め上げて吐かせればいいのよ」
「ちょっとって……。でも、生身の人間のスタッフと機械のスタッフと、どう見分けるんですか?」
エンゴの問いに、ダイダイはしばし考え込む。
「ツクモが正常に作動するなら、サーモグラフィー機能が使えるはずよね」
「今は使えないんじゃあ」
「でもヒントにはなるわ」
エンゴはダイダイの言葉にきょとんとする。
「呼吸よ」
「呼吸?」
ダイダイはにやりと笑う。
「ちょっと走らせて、呼吸をするかどうか確かめればいいのよ。音で」
エンゴの顔がぱっと明るくなる。
「なるほど」
しかしすぐにその顔は曇った。
「でもどうやって走らせるんですか?」
「そこはツクモを使うのよ」
「この小さなツクモを?」
エンゴは右肩の上でふよふよと浮いているコピーに目をやった。
「人が来たわ!見てて」
ダイダイはそう言うと、自分のツクモのツッキーに何やら命令をくだした。
二頭身の熊を模したそのかわいらしい顔とは裏腹に、ツッキーは静かにうなづくと角を曲がり人の顔があるあたりでくるくるとまわりだした。
「む、何者だ!」
どうやら、角の向こうからやってくる人物は女性のようである。
「つかまえてごらん」
角のこちら側で、天井にはりついたまま、ダイダイが裏声でセリフを当てる。
「この!待て!」
角のあちら側で何が行われているのかは、エンゴからは見えなかったが大体把握ができた。
ツッキーが空中でひらひらと舞い、長い廊下を行ったり来たりすることで、ターゲットの息を上げさせているのである。
やがて、はぁ、はぁ、という女性の荒い吐息が聞こえてきた。
ダイダイは「ね?」と言わんばかりにエンゴに目くばせをする。
そして小声で、
「ツッキー、もういいわ、ゆっくりとこちらに来て角を曲がって」
と命令した。
「こら!待て!待たんか!」
女性の声が近づいてくる。
女性が、角を曲がった――。
次の瞬間、ダイダイは天井から半身をぶら下げ、女性の首元に腕をまわしていた。
と思うと、次の瞬間には既に女性の首には、鋭いナイフのようなものが充てられていた。
勿論、それも認知投影力でゼロから中空に形作ったものである。
「動かないで」
ダイダイが女性の耳元でささやくように言う。
女性は何も言わずに両手を上げた。
突然のことに言葉を失っているようである。
女性の吐息だけが静かな空間に響いている。
「命までは取らないから、言うことを聞いて。出口まで案内してくれたら、無事に解放してあげるわ」
エンゴがダイダイの顔を見る。
その顔は、「どうやってそんな物騒なセリフを思いつくんですか」とでも言いたげである。
ダイダイは、ふふとエンゴに笑って「任せて」と唇だけで伝える。
「お前たち、居住地域の学園生徒だろう。どうやってここまで来たかは知らんが、無駄だ。逃げられんぞ」
刃物を首元に充てられながら、正面にまわったダイダイの両目を見据え、震える声で女性が言う。
「いいえ、私たちはここから出るの。それを決めるのは私たち。あなた方じゃないわ」
ダイダイの声は力強い。
「お、おとなしく言うことを聞いてくださいっ」
エンゴもあらんかぎりの力を振り絞って身構える。
「とりあえず、そこの多機能トイレに入りましょう」
ダイダイの一声で、3人は廊下の奥にある多機能トイレへと吸い込まれていった。
時刻は午前七時をまわったところである。
既に日は昇りきり、氷柱の巨大な壁という壁から、冬の静かな日差しがまっすぐに差し込んでいる。
その光の届かない屋内のただなかで、小さな異変に気が付いた者はまだいない。
いつもの、穏やかな朝である。




