No.043 / 八咫式
人々が家路を急ぐ時間帯、本間真は雨の街をさまよっていた。
高速処理を常とするVRへの介入を何度も繰り返したせいで、本間の脳には膨大な負荷がかかっていた。
合間に休憩を挟んでいたとはいえ、それすらもVR内。
あのリアルな空間で、ひと一人の人生に介入するのに、いったいどれほどの精神力が必要だったろう。
思い出したくもなかった。
本間は、ビルの合間に身をすべりこませると、なかばうずくまるようにしてかがみこんだ。
もう、吐くべきものは何も残っていなかった。
一体、俺は何をしているんだ――。
おぼろげながら浮かんでくるのは、命の姿。
VR内で、本間が唯一優しく接する必要のあった、か弱い少年の姿だった。
なぜ彼の姿が浮かんでくるのか。
追い求めたところで、彼はコールドスリープした数多いる先祖の一人ではないか。
本間は、自分の脳が描き出す命の姿を嘲笑とともにかき消すと、再び、あてどもなく歩き始めた。
その頃、銀次郎組の大平政宗の姿は、コールドスリープ管理事業所ハートウォーミングの中央制御室にあった。
「どうですか、探せますか、三方室長」
呼ばれた三方冴子は、「もちろん」と言って、相対する巨大ホログラムの操作を始める。
この巨大ホログラムは、通称「八咫式」といい、同じものは日本に二台しかない。
一台は警察本部、もう一台は、ここハートウォーミングだ。
警察本部にあるものを「八咫式Ⅰ」、ハートウォーミングにあるものは「八咫式Ⅱ」と呼ばれている。
この巨大装置で、今、大平政宗と三方冴子は、ひとりの男を探そうとしていた。
その男の名は、「本間真」。
彼がいなくなったカジノの機械室から、人間が例のレースに介入した痕跡が認められた。
それを見つけた大平の頭に、天啓がくだる。
「これをネタに、金四郎組をつぶせるかもしれない」
大それた計画だが、不可能ではない。
すぐさま頭の中で叩きだした自身の計画に、大平は鳥肌すら立つのを感じた。
金四郎組を潰し、銀次郎組が日本を支配する――。
そして自分はその参謀、いや、その上にまで昇りつめる。
大平の読みが正しければ、この目の前の、金四郎組にとってはほんの小さなほころびが、やがて日本の裏社会の地図を塗り替えるきっかけとなるに違いなかった。
なんとしても、本間真を捉え、本人から話を聞きださなくてはならない。
いや、今、本間は、金四郎組の追ってを振り切り、ひとり雨の街をさまよっているはずだから、いっそ手駒にしてしまってもいいかもしれない。
しかし、それにしたって、それは本間本人に会ってみなければ分からないだろう。
その人となりを、私自身の目で見定めてやろう。
巨大ホログラム「八咫式Ⅱ」は、今、日本中の監視カメラに映る人々のあらゆる特徴と、自身が所有する日本国内にいるであろう人間のデータを照合しにかかっていた。
「八咫式Ⅱ」の中央上部では、何千万という人間の顔が高速で切り替わっては消えを繰り返している。
やがて、甲高い電子音が室内に響き渡った。
照合が終わったのである。
部屋の中央に、本間真の顔と、現在の位置、そしてリアルタイムの映像が映し出される。
「データを送る。本間真、確保のこと。急げ」
大平はスマホで部下に指示を出すと、改めて本間真の姿を目で追った。
監視カメラに映し出された本間は、よろよろとビルの隙間に吸い込まれていくところであった。
都内某所、とあるビルの地下室に、本間の姿はあった。
というより、気づけば椅子にくくりつけられ、そこにいたといった方が正しい。
強制的に気絶させられたのだろう、頭ががんがん痛む。
本間の前に、一台の人型ロボットが座っていた。
本間の意識が徐々に鮮明になってゆく。
それと同時に、ロボットはゆっくりと動き出すと、本間の前にまでやってきた。
そして、
「やあ、本間君。私は大平。よろしくね」
と割れた電子音で自己紹介を始めた。
「俺をどうするつもりだ」
本間は短く問うた。
「話が早いね。いいね。簡単に言えば、君をスカウトしたい。君は今、金四郎組に追われている身だ。私の組織に入れば、身の安全は保障してあげる。その代わり、私の計画に参加して欲しいんだ。嫌とは言わせない。断ればそこで餓死だ」
本間は、しばらくロボットを見つめていた。
人工的なフォルムからは、当然のことながら何も読み取れない。
一息、本間は大きくこきゅうをした。
「分かった。計画に参加しよう。今からあんたが俺の主だ」
それを聞いて、ロボットのこちら側で、大平はにやりと笑った。
「よろしくね」
本間は、第四〇番VR都市「幽世ランド」の東の塔で、そんな、はじめて大平と交わした会話のことを思い出していた。
市井 富貴という25歳の女性のアバターに身を変じて。




