旅立ち
三時を告げる鐘の音が、草原一帯に響き渡りました。女の子は、幸せそうに目を閉じて、お祈りを始めました。坊やは婦人の所作を思い出して、女の子の横でお祈りの格好をしました。音の余韻までもが空に吸い込まれ、風に揺らされた草たちが、陽光を浴びて楽しげに歌っていました。
「死んだってどういうこと」
坊やは尋ねました。女の子は、腕を広げ、大空に輝る太陽を指さしました。逆光で黒の世界を作り出す陽光に負けないほど白く透き通って見えました。坊やは、まるで、翼を広げた天使のような女の子に圧倒されて、言葉が出ませんでした。
「新たな旅が始まる。彼らは、神様が注いでくださった一筋の光に導かれて、魂を焼き焦がすのと引き換えに、楽園の仲間入りを許される」
女の子は、とっさに、坊やの手を引きました。
「あなたは、この世界を楽園と勘違いしているようだけれど、それは間違い。言ってみれば、かりそめの楽園といったところかしら。本当の楽園は、このはるか上に存在するの」
坊やは、女の子の言うことが理解できませんでしたが、星が輝くように光る空を見つめ、女の子が必死に祈り続ける姿にうそはないのだろうと思いました。
「あなたは、楽園に向かう旅の途中なの」
そう言って、女の子は、背中に現れた翼を広げ、男の子を優しく抱きしめました。
「これから連れて行ってあげる」
坊やは、鳥と同じ運命をたどることに気付きました。婦人が何度も読み聞かせてくれた楽園が、どれほど素晴らしいところか。坊やは期待に胸を膨らませました。
女の子と坊やは、天高く舞い上がっていきました。普段、下から見上げることしか出来ない雲を幾つも越えました。視界を青一色に染める空が手に届きそうでした。坊やは、冒険の主人公になった気分で、旅を楽しんでいました。
翼の揺れが小さくなり、女の子は、ある雲の上で坊やを下ろしました。目を閉じて、先ほどのお祈りをすると、坊やのすぐ横に、陽光が現れました。
「さあ、あなたの魂を天に返すの。この光に触れてみて」
坊やは、言われたとおりに、陽光の端に指を近づけました。一筋の光が、坊やの指を目がけてやってきました。
「その光に案内してもらいなさい。ゴールはすぐそこよ」
「君は来ないの?」
坊やは尋ねました。女の子は、首を大きく横に振りました。
「私は、途中下車した迷い人を救う使命があるの。それに、私は楽園に入ることを許されていないの……」
坊やは少しばかり不安を感じましたが、楽園につながる光が目に優しいので、すぐに気を取り直しました。
「悲しいことも、苦しいことも何もない。あなたは、神様の恵みを許された数少ない子供なの」
坊やはその身を焦がすうちに、女の子の存在を忘れていきました。
「痛くはないかしら」
坊やはもう何も言いませんでした。陽光が薄れ始め、闇の半日が始まろうとしていました。。太陽の上弦が完全に沈もうとしたその時、坊やの姿は、影もろとも光に吸い込まれ、消えました。
人々の祝い クリスマスの聖夜
僕はこの世に 生を受けた
可愛い 宝物
母さんは僕に 愛を注いだ
僕の思い出は 何だろう
散歩のときは 手の温もり
眠りのときは 胸の鼓動
目覚めのときは 唇のキス
僕と母さんは 二人ぼっち
そんな二人の楽園を 神様は許さなかった
胸に埋め込んだ爆弾は 涙をも壊した
祝いはもうないと 神様は告げた
旅立ちは クリスマスの朝
なるべく楽に でもそれでは
さよならを言えない 僕は神様を呪った
最後の涙は 痛みと苦しみ
数分 永遠
どちらをとるの
僕は母さんの横顔を撫でた
その美しさを瞳に焼き付けた
神様は僕に翼を授けた
どこまでも白く透き通っていた
涙が渇き始めた
僕はすべてを受け入れた
窓から差し込んだ陽光
新たな旅路の道しるべ
僕は翼をはためかせた
かりそめの楽園へ向かって
「坊やが聖歌を奏でてくれたら、人間世界ですら楽園になったかもしれない……」
女の子は、星々が輝き始めた夜空を暫くの間眺めていました。




