64.
昨夜遅くまで降り続けた雨は止み、今朝の空は雲1つない快晴である。
全く変わらない時間に起き、起床ベルが鳴ったところで陽里は部屋を出る。
「おう、結城陽里」
食堂で空いている席を探していた陽里にエリザベスが手を挙げて声を掛ける。
「おはようございます。エドベル中尉」
「貴様にそう呼ばれるのは初めてだな」
つい3日前までエリザベスは陽里にとって教官であったが今は上官である。
教官と呼ぶのも問題はないが陽里は何かしらのケジメを持って中尉と呼んだ。
エリザベスが顎で座れと合図する。
「失礼します」
エリザベスの対面に座って陽里は白飯を食べる。
「どうだ、調子は」
「普通です」
「そうか」
流れるようなやり取りで一瞬で終わってしまった。
エリザベスは味噌汁を飲んでおかずのアジの塩焼きを食べては白飯を食べる。
「昨日の昼前に休暇中の女性兵士が何者かに殺された」
無言の中で突然エリザベスは言い出す。
「そうですか」
僅かな期待が帯びた様子になる陽里。
「貴様はもう少し落ち着け」
その様子を見抜いては呆れた溜息をついてエリザベスは続ける。
「ただの殺人だったら殺人以上の何か変わった話ではないが、その女性兵士の死因だが……実弾による銃殺だ」
陽里は味噌汁を飲みながらエリザベスの話を聞く。
「今時実弾なんて歴史的兵器を使うのもおかしな話だが殺害現場の周囲2kmで発砲音も何もなかったそうだ。そうなるとサプレッサーか何かを取り付けて撃ったのだろうがそれでも音を消し去るのは難しい」
2人共それぞれのアジの塩焼きを箸でつつきながら続ける。
「実弾銃でも音速を超えないよう設計された物は音が小さいらしくてな。その代わり射程が短いらしく現在周囲700mを細かく調べているが……まぁ現時点で犯人を捕まえる事は不可能だろう。貴様らんところの部隊も頭の隅にでも留めて注意しておけ」
「はい」
「はいじゃねえだろうが!」
「……イエスマム」
すっかり忘れていた陽里は言い直すのだった。
この日もA-15区の地下街を全員が分かれての探索であった。
夏の暑さをある程度凌げた事を満太は喜んでいたが収穫も何もなく、ただ歩くだけの日だった。
「明日は会議がある。てめぇらは勝手にしろ」
部屋に着いた途端、秋雄は他の隊員に告げて机の荷物を持って部屋を出て行った。
「明日は休みって事かな……」
静寂が訪れた部屋に香織が呟く。
「だろうな」
信次が答える。
香織と満太は食堂へと向かい、陽里と信次の2人が部屋に残った。
「結城、おまえは行かなくていいのか?」
何やら書類作業をしている信次は画面を見たまま陽里に尋ねる。
「読んでる本が終わったらにします」
陽里はページをめくる。
「前から気になっていたが紙の本とは随分と古いものを持っているな」
2世紀前ならともかく電子書籍ですら懐古主義者くらいしか好まないと言うのに、紙媒体で読むと言うのはあまりにも時代にそぐわないものだ。
「インプット書籍なら読むのも楽だろう?」
現在、マイナーとまでいかないまでもまだあまりメジャーではないが書籍の情報を脳内に流し込む読み方がある。
これが主流になれないのは脳内で高速再生した映像を見せられていると言う批判的意見が多いからだ。
面白さを味わう事が出来ず内容もあまり記憶に残りにくいなど問題があるが時間と体力と金さえあれば1日で20冊は超えるだろう。
「ただ単に情報が欲しいだけなら使いますけど、こうやって1枚1枚紙をめくると自分がどこまで読んだかわかるじゃないですか」
そう言って陽里は読んでいたページに人差し指を挟んで信次に読んだページと読んでないページの量を示す。
「拘るものか?」
「いえ全く」
訝しげな信次に対して陽里はバッサリと切り捨てる。
「おい……」
信次は思いもよらない返しに呆れる。
「ですがページをめくる時はいつだって慎重になります」
「それはどうしてだ?」
信次は気になったのか作業を止めて陽里の方を向く。
「佐畑陸曹は明日が絶対にあると確信して言えますか?」
陽里は本を閉じて信次に問いかける。
「それは哲学的な問題か? それとも科学的なものか?」
「割り切って言うのならば主観的問題でしょうか」
陽里の言葉にますます理解が追いつかなくなる信次。
だがゆっくり考えて思い当たるものが浮かぶ。
「つまり何かしらの原因により死ぬ事を意味しているのか?」
「そうですね。そう言う考えもあると思います。次のページをめくった先に果たして文字があるのかどうか。めくったその瞬間までわからないんです」
そこまで言って信次は陽里がシュレディンガーの猫の話をしているのだと気付いた。
猫が一定確率(50%と仮定)で箱の中で死ぬとして観測者が箱を開けて確認していない場合、その猫は生きているのと死んでいるのが半々の状態であると言ったものだ。
当然、この理論は量子力学の例示であって箱の中の猫は生死どちらかの状態である。
しかしここに疑問が生じる。
猫はどちらかの状態であるのに量子の世界は両方だと言えるならばその理論の境界線がどこかに存在する筈である。
「観測していないものについて確信は不可能です。ですが確認してしまえば確信出来ます」
本を軽く叩いた陽里は読んでいたところを開いて信次にもわかるようページをめくる。
「文字がなかったらそれは落丁だ」
鼻で笑った信次は作業に戻る。
「それに透かせばわかるだろうに」
「そうでしたね」
陽里は苦笑して本の文を目で追う。
「で、その話となんの関係があるんだ?」
「ページをめくる瞬間が好きなんですよ。もしかしたらって思うんです」
「そうか」
もし、次にめくるページが真っ白だった時、あるいは狂気に満たされた文であったならば……。
陽里がその結果に辿り着くのは少し先の出来事である。
陽里の本質を示唆する話でしたが、ミスリードを付けたりとかなりわかりにくくしていますので章末後書きにてネタばらしするかもしれません。




