56.
「さっきと言ってる事が違うね」
香織の泣き叫ぶかのような答えに陽里は意地悪く微笑む。
「酷い!」
香織は陽里を殴る。
強いものではなかったがそれでも痛いと感じた陽里は謝る。
「それじゃあ行こう。時間はもうない」
時刻を確認すれば再集合の12時まで30分もない。
「そうだね」
憑き物が落ちたかたのような香織のフットワークの軽さは陽里の魔獣に対するものすら超えて恐ろしい程のものだった。
何故ならば香織は走り出したのだ。
(走るのか……)
それも全力疾走だ。
これには陽里も驚きを通り越して呆れてしまう。
この猛暑の中を走れば当然汗が噴き出るもので香織が止まる頃には2人共汗でびしょびしょだった。
香織はもちろん陽里や潜入部隊ですら汗をかくのは必然だろう。
「で、でもわたしの事憶えてるかな。それに居るかな……? 連絡入れてないし……」
急に不安を覚えた香織はマンションのエントランスを前にして立ち竦む。
1年少し顔を合わせていないだけで忘れる親はそう多くはないだろうと陽里は思うが香織に言う事はなかった。
「あーもう悩むな、わたし!」
ぺしんっと自身の頬を叩いた香織はマンションへと入っていく。
その様子が陽里にはどこかの敵組織へ殴り込みをかける裏組織の頭のように見えて思わず苦笑してしまう。
「早く!」
ここで待つか自分だけで任務を続けようと思っていたところで香織が陽里を呼ぶ。
「ボクも行くの?」
「そう!」
早く来いと手を振って陽里を呼ぶ。
若干の戸惑いを見せるも来いと言っている香織に逆らう事も出来ずに入居者用のパスワードか何かでエントランスを通過しエレベーターへと乗る。
行き先は18階。
まだまだ上の階のボタンがあるが真ん中ぐらいの階である。
陽里が香織を見れば両手を組んで祈っている。
香織の親が在宅かどうかはその時までわからない。
かと言って今どうにか出来る事でもないため陽里は何も言わずにエレベーターの数字を見る。
(エレベーターの数字を見るのは精神的ストレスからだったな)
などと陽里は心の中で呟いて2桁になった数字を見続ける。
そして18階へと着いたエレベーターはドアが開く。
颯爽と勢い良く飛び出た香織は目的の部屋の前へと向かう。
(居ますように居ますように!!)
目を瞑ってインターホンを鳴らす。
静寂。
「嘘……」
もう1回鳴らす。
再度静寂。
三度鳴らす。
三度静寂。
香織の瞳に涙が溜まる。
「……」
陽里は香織に声を掛ける事が出来ないでいた。
自分から言った事だから責任を持つべきだと思ったがどうしたらいいかわからなかった。
「折角のチャンスなのに……」
諦めて香織は部屋を後にする。
すると部屋の中から声がした。
「はいはいごめんなさい、ちょっと待っててくださいね」
鍵が開く音がして扉が開く。
「どちら様ですか?」
香織の母親と思われる女性が外を見渡す。
そして訪問者を見つけた。
その女性は一瞬己の目を疑った。
遂に自分は狂ったのではないかと。
もしかしたら娘に不幸があって化けて出て来たのではないかと。
「香織……」
「お母さん……」
2人は同時に呼ぶ。
「おかあさぁぁぁん!!!!」
香織は自身の母へと抱きつく。
身長は香織の方が高く、力も香織の方が強いため彼女の母は思わず倒れそうになる。
ここで倒れて硬い床に頭を打ち付けるのは洒落にならない。
ある種の生存本能が働いて倒れないよう踏ん張る。
そう言った一連の過程があった事も露知らず、香織はただただ母を抱きしめる。
「お母さんお母さんお母さん!!」
止めどなく涙を流して香織は呼ぶ。
「一体どうしたんだい?」
香織を抱きしめ返しながら尋ねる。
だが香織は答えず泣きながらなおも呼び続ける。
「まったく……」
娘の様子に呆れるも顔は満面の笑みだった。
「それで顔を出しに来た訳ね」
香織が落ち着いてから事情を聞いた香織の母は居間にて陽里と香織に冷茶を出していた。
「多分後15分も居られないけど」
泣き疲れて冷静になった香織は時間を確認して告げた。
「そりゃ大変! お父さんに電話しないと!!」
慌てて立ち上がった香織の母は電話を掛ける。
「だ、ダメだよ! お父さん仕事中でしょ!!」
平日の昼前である。
多くの人は働く時間だ。
「きっと飛んで駆けつけるわよ」
香織の母は笑う。
「まったくもう」
申し訳なさ半分、嬉しさ半分の顔で香織は怒るのだった。
「もしもしお父さん? 今大丈夫? そう良かった。今ね、香織が帰ってきてるの!! 本当よ本当。会いたかったら今すぐ帰らないと香織お仕事の途中だから。そうよ。うん、じゃあ」
電話を切った香織の母はてこてこと歩いてソファーに座る。
「で、そこの方はどなた? 彼氏さん?」
陽里や香織からしたら想定外の問い掛けだが香織の母からしたら当然の疑問である。
前回の後書きにてお知らせした通り明日から5日間ほど休載とさせていただきます。
しかし妙な場面で年を挟んでしまった……。
ではみなさま、良いお年を。




