憑りつかれた卓球少女だった恵ー3
次の世界へ
試合から3日後。
影山コーチが、静かに声をかけてきた。
「恵、残念だったね。ほとんど差はなかった」
「すみません。力が及びませんでした」
「試合のビデオを見たけど第5ゲームの8対7でリードしてた場面覚えているかな?」
試合ははっきりと覚えている。その場面は西田さんのサーブで下回転の速いボールがミドルに飛んできていた。少し回り込んでフォアへスピンのかかったドライブボールを返していた。
「あの場面はそのまま西田君のミドルを攻めてた方が良かったと思うんだけど、どうしてフォアドライブで返したのかな」
「ドライブの打ち合いで勝てると思ったんです」
「うーん。まさかと思うけど恵は相手に有利なように試合を組み立てたりはしてないよね」
「まさか。そんなことないです」
その時、涙腺が突然開いて涙がぼろぼろと零れた。
心の奥底から別の人格による不意打ちのようだった。感情の高まりも嗚咽もなく、ただただ制御不能に涙が噴出してきた。目にゴミが入ったような仕草で取り繕うとしたが無駄だった。影山コーチは慌てふためいた。
「いや、ごめん。変なことを言った。恵はベストを尽くした」
そのまま走ってトイレに駆け込んだ。自分でも驚くくらい大量の涙がこぼれ出る。悲しいとかくやしいとかではない、いままで経験したことのない別の涙。
嗚咽も止まらなくなった。声を殺して30分泣き続けた。トイレから出て鏡を覗くと目は充血して顔は涙でふやけてひどい状態。我に返った。
顔を洗って、また個室に戻りぐしょぐしょのタオルを絞って顔を拭いて外に出た。
知っている人に会わないように人目を避けて忍者のように走って家に戻った。
まだ足りなかった。自分の部屋に戻って大声で泣いた。
「熱があるみたい」
翌日、私はそんな嘘をついて、学校も練習も休んでしまった。
ベッドに横たわって、見たくもないテレビ番組をただぼんやりと眺める。学校はともかく、練習を休むなんて何年ぶりだろう。「練習がないのって、こんなに楽だったんだ」と少し肩の荷が下りた反面、卓球がないと何もすることがない、空っぽな自分にも気づかされてしまった。
次の日も「頭が痛い」と理由をつけて、ベッドで丸くなっていた。食事も喉を通らず、ほとんど食べられなかった。
そうして5日が過ぎた頃、母に無理やり病院へ連れて行かれた。そこは内科ではなく、精神科だった。
中年の女医の先生は、ゆっくりと時間をかけて様々な質問をしてきた。私は概ね正直に答えた。母のことや、友人関係のこと。
「いつも一緒に遊ぶような、同年代の親友は一人もいません」
そう答えると、先生は少し時間をかけてメモを取っていた。
卓球漬けの毎日でいつも遊ぶ親友なんてできる訳ない。
何か「欠陥あり」と書かれている気がした。
勉強や卓球への意欲が湧かないという部分は、少しだけ大げさに伝えた。すると突然、また涙がこぼれた。
でも今回は、泣きながらも内側の自分と少しだけ折り合いがついていた気がする。
影山コーチに全部打ち明けて謝ることができたら、とんなにいいだろう。影山コーチはきっと受け入れてくれて、私がやりたいことを選ばせてくれると思う。でも、それだと私は卓球に戻ってしまう。母への反抗が理由だと認めたくないが、それはだめだと別の私が否定している。
自分の実力は判っている積り。世界には私より遥かに強い選手がいくらでもいる。少しづつ力を付けてオリンピック優勝に向かう輝く道はもう見えない。
競技スポーツの世界は、駆け引きや騙し合いの側面がある。でも私はそれに呑み込まれて、心のずーっと奥底まで腐ってしまったんじゃないだろうか。本当に心が病んでしまったのかもしれない。
「卓球はしばらくお休みしましょう。学校は、行きたくなったら行ってもいいけれど、無理はしなくていいから」
最後に先生が諭すように言ってくれたけれど、私は先生の目を真っ直ぐ見ることができなかった。
私の後に母が呼ばれ、説明を受けていた。私の診断名は「中等度の適応障害」。しばらくは学校も練習も休み、2週間後にまた受診することになった。
翌日。私は雑貨屋さんで淡いグリーンのレターセットを買ってきて、ペンを握った。最後の引っ掛かりに決着をつけるため。影山コーチに感謝は伝えたかった。
影山コーチへ
この間は急に泣き出してしまい、驚かせてしまったと思います。ただ、泣いたのはコーチから「わざと負けたのか」と聞かれたからでは決してありません。私の中で、色々なことが限界に来ていたんだと思います。
昨日、病院へ行って「適応障害」と診断されました。
影山コーチからは、本当にいろんなことを教えてもらいました。「才能がある」と褒めていただくこともありましたが、才能が何なのか、私には今もよくわかっていません。
でも、コーチが言ってくれた「恵は丈夫で、ハードな練習でも全く故障しない。千人に一人の才能だ」という言葉は信じています。本当に、すごく嬉しかったから。
私はこの先、卓球を続けられるかどうかわかりませんが、コーチはこれからも、いい選手をいっぱい育ててください。
今まで、本当にありがとうございました。
恵
手紙を書いているうちに、また涙が溢れて止まらなくなってしまった。私、いつからこんな泣き虫になったんだろう。
想いを込めて丁寧に書いているのに、文字がよれよれに曲がってしまって、そんな自分の字がひどく情けなかった。
それから3日間はひたすらベッドで過ごしたけれど……限界を超えた空腹には勝てなかった。こっそり家を抜け出して、ファストフード店でハンバーガーをむさぼるように食べた。私には、食事もとれないような繊細な少女になるのは無理なんだと悟った。
それからは普通に食事をとるようになり、学校にも行くことにした。
母は卓球のことを全く口にしなくなった。
父は未練があるみたいで、家での練習会に顔を出さないかと言ってくれたけど行かなかった。
卓球の代わりに、今度は勉強に集中する。「無理やり勉強させられて卓球ができなかった」という、母への当てつけかも知れなかったけど。卓球じゃ食べていけないってわりかしまともな考え。
でも、ある日のこと。自分が骨と皮だけの老婆になって全く動けなくなる、恐ろしい夢を見た。
……うすうす、自分でもわかっていた。練習を休んで、今まで一生懸命築いてきた筋力や心肺機能、技術が失われていくのが、夢を見るくらい怖かったのだ。
こっそりスクワットと腕立て伏せをやってみた。それでは物足りなくなって、宙返りまでしてみた。運動していることを気づかれないように、カーテンを閉めて、ふわっと跳び上がり、音を立てずにふわっと着地する。
その瞬間、忘れそうになっていた感覚が戻ってきた。体を動かすことは、こんなにも気持ちがいい。
無性にラケットを握って素振りがしたくなったけれど、ぐっと我慢した。
以前のような鋭いスイングは、今の私にできるだろうか。
卓球を休んでから、まだ10日くらいしか経っていないというのに。




