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憑りつかれた卓球少女だった恵ー1

天才卓球少女の挫折

私は3歳の頃から、ラケットを握っていた。

だって、家の一室がまるごと練習場で、ピカピカの卓球台が2台も並んでいたの。

普通の家じゃないよね。


父も母も元卓球選手で、兄が2人。

兄たちは地区大会上位の常連で、周りから「伊奈家の息子はすごい」なんて言われていた。

でも私は――そのさらに先を走ってしまった。


気づけば、同年代には負けなし。

父と母は目を輝かせて、私の才能を磨くことに夢中になっていった。


「恵、今日もすごいよ!」

「この子は日本代表に選ばれるわ」


そんな言葉を浴びるたび、うれしくなって、卓球は私の世界のすべてになっていった。


でも、中学に入った頃から、世界は少しずつきしみ始めた。

毎日の基礎練習。

終わりの見えない他校への遠征試合。

母の指導は、優しさよりも厳しさが増していった。


「恵、今のフォーム、崩れてる」

「その配球じゃ通用しないわよ」


家の中では、いつの間にか“オリンピック”という言葉が飛び交うようになっていた。


父は小さな会社の社長で、私はそれを誇りに思っていたのに――

「恵がオリンピックに行けるなら、会社なんて畳んでもいい」

なんて言い出した時は、本気で意味がわからなかった。


母は昔、卓球の才能を期待されていたのに、

「卓球じゃ食べていけない」と親に言われて夢を奪われたらしい。

だからこそ、私には“思う存分やらせたい”のだと。

その気持ちはわかるけど。


中学2年の地区大会。私は、人生で初めて“反乱”を決意した。


観客席には選手や指導者がずらり。

母はビデオカメラを構えている。


そんな中で私は――

わざと負ける

という、誰にも気づかれてはいけない危険なゲームを始めた。


第1ゲームは普通に勝った。

でも第2ゲームからは、ほんの数センチ甘い返球を混ぜて、

“自然に失点したように見える”ように試合を組み立てる。

観客には気づかれない。

むしろ相手の上手さが際立つように。


これが、想像以上にスリリングだった。


――相手を支配している。

試合そのものを、私が描いている。


サーブも、レシーブも、ラリーも。

すべて私の掌の上で転がっていく。


本気で戦っているように見せながら、

結末を思いのままに操作する。


こんな試合、誰が想像できるだろう。ぞくぞくするくらい快感が走った。


最終ゲーム、デュースの末に私は負けた。

母の顔は、予想通り険しい。

影山コーチと何か話し込んでいる。


「バレた……?」

心臓が跳ねたけれど、どうやら私の企みは見破られていなかった。


でも母は容赦ない。


「なんでデュースで粘れなかったの。攻めが単調だったわよ」

家に帰ってからも30分の説教。


影山コーチは、3年間私を見てくれている人で、

怪我で夢を諦めた過去を持ちながら、誰よりも選手に寄り添う優しい指導者。


私はどんどん勝てなくなっていった。いや勝たなくなっていった。


準々決勝で止まり、

団体戦でも時々思わぬ相手に負けてしまう。


母の説教は、どんどん長くなっていった。

「最近みんな、なんて言ってるか知ってる?」

「小さい時から卓球を教え込まれたからここまで来れたけど、才能はないって言われてるのよ。悔しくないの?」


影山は恵が通っているクラブチームのコーチで、指導を受けてから3年になる。自身も将来を嘱望されている選手だったが故障してしまい夢を諦めざるを得なかった。その後、指導者に転じた。


しっかりした理論を持っており、選手の細かい部分まで観察して的確なアドバイスを出すため回りからの信頼は厚かった。クラブチームからインターハイや国体の上位の常連になった選手も影山のお陰でここまで来れたという者が多かった。また影山は才能のある上位の選手だけでなく、下位の選手にも分け隔てなく接し、いろいろなアドバイスを考えて指導し励ましていた。


影山は恵の母親から言われるまでもなく恵の普段からの練習もしっかり見ていた。恵の動きは着実に良くなっている。アドバイスもすぐに理解して、そのとおりの動きができる。練習も人一倍熱心で基礎練習からクタクタになるまで全力を出し切っている。練習し過ぎで故障してしまった影山にはむしろオーバートレーニングが心配だった。


たまにクラブに顔を出してくれるOBとの練習試合ではとてもいい動きをしている。OBといっても国体で上位を争っている現役である。戦術、状況判断、アイディアなど試合運びにも才能を感じさせる。こんな恵がなぜ中学の試合で負けてしまうのか不思議だった。一時的なスランプと思っていたがこれだけ長期の不調だと何か原因があるはずだ。


気になることと言えば、基礎打ちでの返球が少し乱れるようになったこと。以前の恵なら、精密機械のように同じコースに同じ回転量、スピードの返球できていたが、最近、1球1球の回転量やスピードが変わるようになってきた。どれも良いボールで台の同じ場所にバウントし、指摘するほどのことではないのだが。


まさか、わざとやっている?だとすれば基礎打ちとしては邪道である。基礎打ちは正しいフォームで連綿と返球することで、何も考えなくても体が正しく動くようにする練習である。


しかし、台の同じ位置にバウンドさせながら、スピードや回転量を意図的に変化させて返球しているとすれば・・・影山はその疑念をすぐに振り払った。いくら何でもそれを正確に続けるのは難し過ぎる。


私はどんどん“支配”に取りつかれていった。

あの準々決勝で味わった、あの奇妙な成功体験。

試合そのものを自分の手のひらで転がす感覚。

残酷なくらいの快感が忘れられなかった。


相手の返球を完全に読む。

その返球に合わせて自分の動きを組み立てる。

相手を自分の思い通りに動かすコースを作る。


でも卓球は、ボールが行って帰ってくるまでの時間が短すぎる。

将棋みたいに何手も先を読むなんて、本当はかなり無茶。


それでも私は、読もうとしてしまう。

支配しようとしてしまう。


家の練習場は、私の“研究室”だった。

週に一度、父の友人たちが集まって練習する日がある。

小さい頃から私はその輪に混ぜてもらって、いろんな人に可愛がられてきた。


社会人大会で上位に入るような上級者もいて、

みんな道具にこだわりが強くて、私はいろんなラケットやラバーを借りて試せた。


最近のラバーの性能はすごい。表ラバー、裏ラバー、粒高、いろんな種類があって、

反発、回転、音――全部違う。


相手の返球を読むためには、自分で使ってみないとわからない。

だから私は、まるで研究者みたいに、いろんな道具を試していた。


「恵ちゃん、最近すごく研究熱心だね」

「それが最近スランプ気味で…」と父が答える。


「道具も大事だからね。自分に合うものをとことん追求するのもいいかも」

「恵に合うラケットやラバーがあったらいくらでも買ってあげるんだが。金で勝ちが買えるなら苦労はしないけどね」


父の言葉は優しい。胸が少し痛んだ。


スランプは続き、周囲の目は冷たくなった。

以前は、他校の監督でさえ私に声をかけてくれた。

でも今は、すれ違っても目を合わせてもらえないことが増えた。


「英才教育で上達しただけで、才能はない」

母の言葉が、心の奥でじわっと刺さる。


そんな中で、影山コーチだけは変わらなかった。

忙しいはずなのに、母が撮った試合のビデオまで見てくれていた。


今の私の卓球は影山コーチが指導してくれたものとは真逆だ。

私の支配への欲望はいつか露見するのではないだろうか。


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