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42話『それぞれの朝』

 色とりどりの草花や木々。王都に暮らす人達の生き生きとした笑い声――が聞こえるには少し早い時間だ。

 いつもの平和な朝がやってきた。


 しかしこんな平和な世界はずっと続くわけではない。


 俺が体験した予知夢の世界――可能性の世界は、このまま何もしなければやがて現実が辿り着く未来だ。

 もしそうなれば、この国はディアボロに蹂躙され、そして、そんなディアボロ諸共、人類は死神に滅ぼされる。


 そんな世界があってはならない。何があっても、必ず俺がくい止めてやる!


 そんな決意を固める俺に、足音が近づいてきた。


「……おはよう。今日も早いな、ジーク。今日も剣の特訓か? 昨年まであんなに剣術の稽古を嫌がっていたのに、お前も随分変わっちまったな」


 そう言い眠そうに目を擦る父さん。

 確かに、あの夢の世界が予知夢だと気づいて以来、俺は自主的に剣の稽古を行うようになった。

 今も早朝から父さんよりも早く起きて、俺は素振りを行なっていたところである。


「なぁ、父さん。俺をもっと強くしてくれ! 俺はこの国を――世界を守りたいんだ!」


 可能性の世界で生きていたみんなの思いが乗っかっているからか、俺の言葉はいつもよりも強い熱を帯びていた。

 みんなの想いが俺に託されているんだ! 無感情ではいられやしない!


 そんな俺の覚悟は、父さんにも伝わったようだ。

 父さんの眠気は完全に引っ込み、代わりに少し寂しそうな表情を浮かべていた。


「前々から聞きたかったんだが、良いか?」

「何、父さん?」

「お前が剣技にやる気を出したのは、惚れた女のために良いところを見せるためだと思っていた。まぁ何が理由であろうと、お前が剣の道に進んでくれることに対して喜びを感じていたのは確かだ。それは俺が剣士で、息子が同じ剣の道に進むことを望む気持ちがどこかにあったからだと思う。だけど――」


 父さんの顔は険しいものへと変わる。


「――今のお前はまるで世界の命運を背負っているみたいだ。お前が何と戦っているのかまではわからない。ただ、それは強大なものだいうことくらいは俺でもわかる。なぁ、ジーク。お前にとっての俺は、息子が背負う重荷の一部すらも任せられないほど頼りない父親なのか?」


 父さんは騎士。つまり、国の守り手だ。

 俺が――息子が何かと戦おうとしているということは、即ち、この国が安全ではないということの裏返しでもある。

 国の守り手としての本分は、国民が安心して暮らせる国を作ること。


 そんな守るべき国民の――そして、一番近くにいる息子の平穏ですら戦う決意をさせてしまっている現状に対して、父さんは騎士として、守り手として、やるせなさや不甲斐なさと言ったものを感じているのだろう。


 少なくとも、この国最強の剣士と言われている父さんは、本気を出せば俺なんかよりも遥かに強いし、今の俺なんか全く太刀打ちできやしないだろう。


 しかし、そんな父さんですら、俺が見た未来の世界にはいなかった。

 父さんが生きているのか、死んでいるのかもわからなかったが、確かなことは、そんな最強の剣士である父さんですらディアボロの野望を阻止できず、この国を守りきれなかったということだ。


 だけど、俺は父さんが頼りにならない存在だとは全く思っていない。

 俺にとって父さんは永遠の強さの指標であり、同時に越えるべき壁だ。

 そして、そんな父さんが俺の味方だということはとても心強い。


 本当なら、俺が見た予知夢の内容を全て伝えて協力してもらいたいくらいだ。


 ……それでも。

 それでも、父さんには言えない。リェンツェの側近には――ディアボロという悪魔が取り憑いている国王と最も近しい父さんには、予知夢の内容を話すことはできない。


「ごめん、父さん。俺が何と戦おうとしているのかは言えない。でも父さんは頼りにしている。それは嘘じゃない……! だから、こうやって毎日父さんに鍛えてもらってるんだ! 父さんよりも強くなって、世界を守るために」


 そんな俺の言葉を聞いて父さんは納得してくれた。

 いや、それは言葉の意味というよりも、俺の言葉に含まれる覚悟を汲んでくれたと言うべきか。

 いつもの肉食獣じみた笑みを無理やり浮かべながら父さんは俺に言う。


「まぁ、職業柄、俺にも言えない秘密はたくさんあるし、そんな俺がこれ以上お前に問い詰めるのは筋違いってもんだ。だが、一つだけ宣言しておく! 俺はいつでもお前の最強の味方だ! だから、できる限り俺が持っている力を授けてやる! だから、どんな敵でも必ず勝って来い、息子よ!」

「ああ、元からそのつもりだ!」


 こうして、日課となった剣の朝稽古が始まった。



 ローブル王国から遠く離れた南方の大森林。そこには、大自然と共に生きる長命種の一種――エルフの里があった。

 そこに居を構えるエルフの少女は最悪の朝を迎える。


 ……がちゃり、がちゃり、がちゃり――


 鎧が大地を擦り生じる音が少女の元へと近づいてくる。

 歩調の乱れこそ気にはなるが、異変にしては些細なものである。

 そう、普段なら……。


 しかし今の少女には、その足音が剣士を模した死神の映像を幻視させる不快なものでしかない。

 その剣士が自分の元まで迫り、己を標的にして剣を振るう姿を幻視して――


「――うわああああああ!?」


 切り株をベッドにして眠っていたエルフの少女は、跳ね起きる形で最悪の朝を迎えた。

 飛び起きた衝撃で、からん、からんと音を立てながら、精神世界に干渉しやすくなる魔道具――狐を模した仮面が外れて大地に転がり、少女の均整のとれた幼い顔が露になる。

 それは、いつも余裕綽々と言った笑みを浮かべる少女らしからぬ一面だ。


「デモニオ様。どっ、どうなされたのですか!?」


 血相を変えたエルフの男剣士が少女に――デモニオに駆け寄り言う。

 どうやら、先の鎧の足音はこの男が大地を蹴り上げ生じたものであり、死神のものではなかったようだ。

 それを知ったデモニオは安堵のため息を吐くと同時に、腸が煮えくり返る程の強い怒りが湧いてくる。


「誰が……誰が、ガチャガチャ鎧の物音を立てて良いと言った!? お前は礼儀作法すらもわからない馬鹿なのかっ!?」

「もっ、申し訳ありません!」


 剣士からすれば眠っていたデモニオが突如呻き声をあげたため、その身を案じて駆け寄ってきただけである。

 感謝されたとしても、怒られる謂れはない。


 しかし、この里においてデモニオに意見できる者は存在しない。

 ここでのデモニオの扱いは神。ここに暮らすエルフたちは、デモニオからその叡智を借りて繁栄してきた一族だ。

 白を黒と言えば黒に、黒を白と言えば黒となるだけの権力を、デモニオはこのエルフの里内で有している。


 だからこそ、己の中に生まれた不満を押し殺しながら、剣士はデモニオに平身低頭の姿勢を貫いている。

 癇癪を起こしてデモニオがこの里から出て行かれでもしたら、それはこの里の力の低下を引き起こすことになるのだから。


 そんな剣士にひとしきり怒りを示した後、手で払う仕草を交えながらデモニオは言う。


「謝罪はもう良い。とにかく下がれ! 暫く僕に近づくな!」

「畏まりました……」


 返事と共に、去り行く剣士を知覚の外に追いやりながら、デモニオは己の内側に目を向ける。

 暑くもないのに冷たい汗が滴り落ち、心音はいつになく勢いを増している。


 蔓延る感情は紛れもなく恐怖だ。


 デモニオはジークの肉体を通して未来の世界を見ていた。

 つまり、ジークの体験した未来の出来事を、デモニオも知っている。


 事前情報として、死神が悪魔の魂を殺す力を有していることは知っていた。

 しかし、死神の強さがあそこまで強力だとは想定していなかった。


 であれば、500年前に死神が現れた大陸の生き残りが言った言葉――黒き風神の怒りに触れた者の末路という眉唾物の話。

 それは戦火を言い表す喩え話や恐怖によって齎された幻視の類ではなく、殺人衝動が止められなくなった死神が正に神速の速さで人々を殺し回った結果を意味していたということをデモニオはようやく理解する。


 ……怖い、怖い、怖い――!


 デモニオの心は恐怖一色となった。

 悪魔は魂に関してのみに焦点を当てれば不老不死。

 取り憑いた肉体が寿命や事故などで死んだとしても、100年も経てば再び人の肉体に取り憑いてやり直しができるという他の生命とは一線を画す特殊な存在だ。


 だが、その特性も突如何処からともなく現れた死神によって覆された。

 しかも死神の強さは一剣士の範疇には収まらず、人類そのものを根底から消し去るほどの出鱈目な強さを持っている。

 あれは正に剣士を模っただけの死神。生物の形をしているだけの破壊の化身そのものだ。


 そんな存在に勝てるとしたら……?


 可能性が高いのは、自分のような悠久の時を生きる悪魔だろう。

 だが、一人で幾ら足掻こうが力不足だ。

 各々が育んだ叡智を共有し合い、同胞たちと結託すれば或いは死神に対抗できるだけの力が……。


「何を考えてるんだ、僕は……」


 胸中に過ぎった馬鹿な考えをデモニオは頭を振ってかき消す。

 あろうことか、同胞である悪魔に頼ることを考えてしまった。


 人に頼るのならば未だ良い。だが、同胞と結託してまで醜く生き足掻くことなんてデモニオには耐えられない。

 これは理屈ではなく感情だ。悪魔として生まれた自分は、悪魔に頼ることはできない。


 もし結託なんてすれば、戒律を破ったあいつらと――ディアボロとピンキーと同じところまで落ちてしまう。

 それだけは……そうなることは、デモニオのプライドが許さなかった。


 そんな弱い心が隙となったらしい。

 いつもならば遮断している感覚器官に滑り込むようにある声が脳裏に侵食してくる。


『……お久しゅう。元気してましたか?』


 悪魔同士が会話するのに使う精神のみで行う念話である。

 弱った心に染み渡る優しく響くその声の主は、悪魔の1柱――


 ――ウィスパノールか……。


 心の中のみで声を発しながら、不機嫌そうにデモニオは相手の悪魔の名を、およそ200年振りに呼んだ。


 ウィスパノール。その悪魔は、ディアボロとピンキーという二柱の悪魔が、悪魔の戒律を破らせるきっかけを作った張本人。

 謂わば、悪魔を堕落させる悪魔だ。

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