41話『滅び行く人々―2』
最強の竜人であるメッシュの死を目の当たりにして、辺りは黙祷を捧げるかの如く静寂に包まれた。
特に、メッシュの部下である竜人たちの心のダメージは大きい。
彼らにとってメッシュは、恐怖を覆い隠す一種の目眩しの役割も兼ねていた。
そもそも人間よりも強さを測る嗅覚に秀でている竜人は、その性質が災いして人間以上に死神と自分たちとの絶望的な差を感じてしまう。
最強の竜人の死は、そのまま精神的主柱の喪失に直結を意味する。
そんな彼らの不幸中の幸いは、メッシュの肉体は簡単にはアンデッドにはならないということか。
ディアボロが死んだことによって王都の呪いが弱まったのも理由の一つではあるが、この世の法則の一つである因果という力が強く働いていてそれが関係していることが大きい。
因果はある種の加護――魔除けのような役割にもなる。
他者に強力な影響力を齎す者は総じて因果の力が強い。それはこの場にいる者全員にも当てはまり、死者が出たところで簡単にはアンデッドは発生しないだろう。
その点に関しては皆運が良いと言える。
……無論、今更アンデッドが何体増えようが死神という脅威絶対的な脅威と比べれば大した問題にはならないのだが。
そんな絶望的な状況下で、一人の少女が死神へと歩みを進めた。
「……エリシア? 何してるんだ、戻れ!?」
その動きに真っ先に気づいたのはジークだった。
「決まってるでしょ? 死神を討ち取りに行くのよ」
目の前にいる死神は、エリシアが戦って引き分けた時の死神とは最早別人と言って良い。
仮にエリシアが潜在能力の100%以上のものが引き出せたとしても絶対に勝てないと断言できる。
特に、予知夢という形で死神を最も見てきたジークは、死神の変化に関してはこの中で一番理解している。
そんなジークにとって大切な友であるエリシアが、抗えない死の元へと向かうことを黙って見ていられるわけがなかった。
「メッシュさんが殺されたんだ、お前なんかが勝てるわけがない……!」
「私は一度死神を撃退してるから大丈夫!」
そうは言うが、エリシアの虚勢はまるわかりだった。
前回エリシアが死神と戦った時のような痩せ我慢すら維持できてはおらず、彼女の脚は小刻みに震えていて恐怖を隠しきれてはいない。
それでも心配をかけまいと、声色だけでもエリシアは演技で取り繕う。
「メッシュさんの死にばかりに目をとらわれないで、今は死神の姿をよく見なさい!」
何もエリシアは勝算なく動くわけではない。自分が引っ込んでいれば良い場面ならそうするつもりだ。
ただ、今は恐怖で慄いている者たちよりも、恐怖で脚が震えながらも死神の異常に気づけた自分が動くべきだと判断して前線に赴いたのである。
そんなエリシアの言葉によって、冷静になった皆の意識はようやく死神の異変へと向かう。
死神は硬直していた。それはメッシュを殺したことによって、一時的に殺人衝動が落ち着き理性を取り戻したからだ。
勿論、油断はできない。今は静止していても、先の激戦の様子から判断するに、すぐに動き出してこの場にいる者たちを殺し始めることくらいは誰だって想像できる。
それでも、隙だらけの今なら死神を止められる千載一遇のチャンスと言えるかもしれない。
「みんなが動けないなら、動ける私が死神を仕留めるしかない! 勘違いしないで、私は死にに行くわけじゃない! 勝ちに行くのよ!」
ノクトの話によれば、死神の鎧はどんなに物理的な圧力を加えても破壊することはできなかったという。
それに基づいて考えれば、自らの手にある武器で死神の鎧を貫ける可能性は限りなく低い。
それでも己の手にある得物で試していないのだから、決めつけるには未だ早いと彼女は考える。
それに、エリシアはジークと約束したのだ。全力で生き足掻くと。
ならば、僅かな光明がそこにあるならそこから勝利を掴みとるだけだ。
そんなエリシアを見て、じっとはしていられないのがジークである。
「じゃあ、俺も死神と戦う! 一人よりも二人の方が勝算は高いはずだ!」
「貴方は、貴方の務めを果たしてください!」
今にも死神の元へと走り出そうとするジークの決断に、待ったをかけたのはクラリスだった。
クラリスはノクトに治癒魔法をかけながら続ける。
「たとえ私たちがどんなに悲惨な末路を辿ろうとも、貴方は少しでも多くの情報を逃さず過去へと持ち帰り、根本からこの状況を覆すという大命がある。だから、今というこの絶望的な状況を変えたいのならば、貴方は最期まで傍観者として生きながらえなさい……!」
クラリスは決してジークへと顔を向けず、ノクトの意識を取り戻そうとひたすら回復の業務に徹していた。
全てはこの現状を変えるためだ。
過去に戻ったジークが少しでもより良い成果を残せるようにするために、クラリスは己の役割を全力でこなす。
そんな人間たちの諦めない姿は、絶望に苛まれた竜人の心の闇を払う。
「子どもたちばかりに任せるなぁ! それに、過去から遠路遥々時を超えてやってきてくれた勇者に――ジークに、情けねえとこばかり見せてたら、救い甲斐のない奴らだと思われるぞ!」
竜人の一人の男がそう言うと、口々にその言葉に賛同の意を示す声が追従する。
勝機は万に一つもないだろう。しかし、億が一つくらいはあるかもしれない。
元々ここへ来た時点で勝算が低いことくらいは理解していた。
今更挫けていても仕方がないというもの。
何せ、今までも過酷な戦いに身を投じてきたのだから、ちょっとした高揚やら何やらで恐怖を誤魔化すのは得意である。
そんなみんなの覚悟を強い悟り、ジークは己の役割――過去へ情報を持ち帰り、現状を打開するという己にしかできない役割に従事することを決める。
「わかった……!」
振り絞るようにそう言葉を発するジークに、エリシアは努めて軽く、重荷にならないように望みを伝える。
「じゃあね、ジーク。明るい世界をお願いね!」
「ああ……!」
これがジークから見て未来にいるエリシアと、エリシアから見て過去から来たジークがかわした最後の会話となった。
そして、先ず動いたのは竜人たちだ。
メッシュのように1対1で死神と真っ向勝負は行わない。
あれは強者同士の戦い。そんな戦いに下手に加勢すれば足を引っ張る結果になるから彼らは傍観を選んだだけだ。
しかし、メッシュはもう死神に殺されていない上、残された彼らはメッシュよりも遥かに弱い。ならば、メッシュを倒した死神に勝つには束になるしかないと判断して。
先ずは四人のの竜人が静止している死神の隙だらけの死神に斬りかかる。
……が、やはりそれが合図となったかのように死神は活動を再開する。
誰も視認できない速度で手刀を振るい、血の海という結果が生まれ、4人の竜人が斬り伏せられる。
そんな惨状に目も暮れず、更に4人の竜人が四方から巧みな連携で斬りかかる……が、またしても結果は同じく無残な死体が4体続く。
しかし彼らの死は無駄ではなかった。メッシュを殺し、竜人を更に殺したことで、僅かながら死神の殺人衝動が満たされ、一瞬だけ理性が戻り動きが鈍くなる。
そんな死神の隙を背後からエリシアが狙う。
「はああああああ!」
雄叫びをあげながら、両腕でしっかりと剣を握りしめて死神へと飛びかかる。
絶好の機会だったのかもしれない。危機的状況がエリシア潜在能力を引き上げ、彼女の運動能力のみに焦点を当てれば、竜人と遜色ない水準になっていた。
……しかし、刀身は死神に届かない。やはり、常軌を逸した身のこなしでエリシアの一撃は止められる。
だが、刀自体は死神に届けられた。
「……え?」
間の抜けた声を挙げるエリシア。
死を覚悟していた彼女は何が起きても動じないつもりだったが、想定していたものとは随分毛色の違う感覚には疑問符を抱いてしまう。
先ず初めに認識した違和感は浮遊感だ。大地に足がつかない感覚から始まり、その次に両腕にかかる得体の知れない圧力という順で知覚する。
死神がエリシアの両腕を掴み、持ち上げている。遠くから影だけ見れば首根っこを押さえられているようにも思えるだろう。
これはちょっとした事故のようなものだ。僅かながらも理性が戻った死神は、自らの理性を維持しようと剣を追い求めた。
謂わば剣とは死神にとっての心の支え。かつて剣士だった頃の残滓を呼び起こすための必需品だ。
メッシュを含めた竜人を幾人か殺したことで、僅かながら死神の中の殺人衝動が落ち着き理性が戻ってきたそんな折に、自らの近くに剣がやってきた。
それを手に収める行為は死神にとって必然だった。
そして、死神は掴んだエリシアの両手に力を込める。
常時大剣を携えるだけあって死神の腕力は常人の比ではない。加えて、鎧の謎の力で底上げされている節もある。
柄の感覚を得ようと死神は手にかける力は増していく。
手刀で肉体を紙切れのように切り裂く死神にとって、少女の――エリシアの腕力など大した障害にはならなかった。
骨ですらも何ら障害とならずごりごりと音を立てて砕ける。砕けたエリシアの腕、そこから血が噴水のように噴き出た。
「ああああああ!!!」
とてつもない圧力がエリシアの両手を襲い、激痛を伝える悲鳴が辺りにこだます。
意識を失ってもおかしくはない痛みだ。それでもエリシアは自我を保ちながら背後へ控える仲間へと視線で合図を送り、好機を伝える。
今が攻撃のチャンスである、と――
――そんな戦いの最中、ノクトが目を覚ます。
「……どうやら……未だ地獄ではないらしいな」
そう言い、朦朧とする意識を必死で維持しながら、ノクトは現状の把握に努める。
未だジークに伝えたいことはたくさんあるが、死にかけのノクトには長話する時間も体力も残されてはいない。
それに、視界に映るジークやクラリスの様子から察するに、もう死神を止められる余裕はないのだろうとノクトは判断する。
そして、そんなノクトの様子を確認した後、クラリスは立ち上がりジークに言う。
「私もあの戦いに加勢します。貴方に救われたこの命は――この国の未来のために使います」
――この命は――この国の未来のために使います。
ジークはこの言葉をクラリスから聞くのは二度目である。
かつて、変化する前の未来の世界ーージークが過去で行動する前に孤高に戦っていたクラリスが、実の父と戦うことを決めた時の言葉と同じだった。
時の流れが変わり、クラリスが辿るはずだった道のりは大きく変化したが、中の人間の精神が別人になったわけではない。
その事実が、この世界を現実の延長線上にある未来だということをジークに再認識させる。
だからこそジークは悔やむ。
そのような決断を再びさせてしまう己の非力さを。
このような絶望的な世界がやがて自分の生きる未来にやって来るということを。
そして、クラリスは間違いなく死ぬし、エリシアや竜人たち――そして、自分も同じ末路を辿るだろう。
幾ら足掻こうとも、今の手持ちの武器では死神を止められない。
眼前に事実として広がる光景がそう伝えている。エリシアのおかげで死神に隙は生まれ、そのおかげで死神の鎧に遂に剣が届いた。
……だが、幾ら剣をぶつけても鎧と剣が擦れ、弾かれる虚しい音だけが響くだけだ。
そして、時間経過と共に、死神の速度が段々と早くなってきている。
ノクトの話通り、死神の殺人衝動は理性では最早縛りきれない域にまで達しているのだろう。
それでもこの場の誰もが諦めない。
自らの意志が完全に消失するまで、平和な世界を掴もうと人間も、竜人も、そして、死神も……。
自らの体が言うことをきかなくなるその時まで、ひたすら破滅の運命と抗い続けている。
だからこそ、ジークも諦めない。嘆きや絶望の代わりに誓いを立てる。
「みんなの努力は絶対に無駄にはしない! キミのお父さんに取り憑いた悪魔の野望も、世界を滅ぼす死神の本能も、降り掛かる全ての災いは何もかも俺が必ず解決してやる……!」
現実的ではない無謀な言葉だ。木枝で茨の道を突き進むと宣言するようなもの。
だが、ジークならば明るい未来を切り開くとクラリスは信じられた。
何せ、ジークは時を超えてまで、クラリスの死の運命を覆したのだ。
ならば、きっとやり遂げると信じられる。少なくとも、クラリスは――いや、この場にいる仲間たちやこの場にいない仲間たちは、そう確信している。
「明るい未来をお願いしますね!」
「誓うよ、必ずこの惨劇を起こさないと!」
そんな言葉を交わした後、クラリスは死神の元へと走っていった。
この世界はジークからすれば、極めて起こる可能性が高い未来の世界。
悪魔の1柱デモニオの思惑によって、肉体と武具を魔法の力で貸し与えられ、一時的に今という世界の延長線上にある未来に干渉しているだけに過ぎない。
悪魔の力が関与していることまではジークは知らないが、この世界が自分が目を覚ませば消えてなくなることくらいは理解している。
つまりこの世界は、平たくいえば幻。予知夢の中に五感を通して干渉しているだけに過ぎない。
それでもこの世界の人たちは、ジークにとってはただの幻影ではない。
時には迷いながら、時には挫けながら、時には無念を抱きながら……。
そう言った様々な思いや葛藤と共に、必死に未来を掴もうと生き足掻いている人たちが存在している自分が辿るかもしれない可能性の世界だ。
ジークの誓いは、この世界で生きていた人がいたということを、いつまでも、いつまでも忘れないように自らの心に刻みこむための行為である。
それは彼らのためだけではない。過去に戻ればここで育んだ絆や出会いは無かったことになる。
これは、そんな消え行く彼らの思いと共に、一緒に世界を救いたいというジークなりの強い思いによるものだ。
そして、ノクトは言葉を紡ぐ。それは、ジークがこの世界で最後に聞く言葉。この世界で生き足掻いた人々の最後の託された思いとなる。
「クローゼは……」
語られたのは、王女の付き人であるメイドについてだった。
※※※
この場を俯瞰して観察できる者がいるとするなら得られた結果は大きく分けて二つかある。
一つ目はこの場にいる全員が死んだということ。
それはクラリスが加勢した直後に、死神の殺人衝動の抑えが完全に効かなくなって齎された悲劇だ。
その速さは、光速すら生ぬるい神速と呼べる域に達していた。
最早、その暴走を止められる存在はこの世にいない。
二つ目はノクトの言葉はジークに伝えられたということ。
彼ら、彼女らの執念が身を結び、最後の最後に有益な情報をジークへと伝えられた。
この後、人という種は一つの大陸から姿を消すことになる。
しかし、この世界は未だ可能性――辿る可能性の高い未来の世界。
人の数だけあった生き様――思い、希望、絶望、葛藤……。
それら全ては未だ現実には起こっていない。全ては少年のただの夢として始まり、夢として終わり消え行く。
そして何事もなく少年にはいつもの朝がやって来た。




