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37話『そして神は現れた』

 城にあるガーデニングルームに小さな灰の砂漠が広がっていた。

 化物の死骸が散らばってできた灰の砂漠は、二人のネクロマンサーが壮絶な殺しあいの果てにできたものである。


 そんな砂漠に人影が二つ。

 片方が立ちながら見下ろし、片方が這いつくばりながら見上げる。

 その様は勝負の結果を言葉なく物語る。


 ……勝った。

 立っている方――ノクトが心中でそう呟く。

 様々な感情が胸中で渦巻いた結果、ノクトは顔を紅潮させながらいつの間にか泣いていた。


 勝利を掴みはしたが、圧勝ではない。

 ノクトは戦いの中で魂に呪いをかけられてしまった。

 余命数日。その短い期間で地獄へ誘われることが確定している。


 だが、悔いはない。


 命と引き換えにディアボロの肉体を拘束することに成功したのだ。

 拘束を維持している限り、目の前に転がっている悪魔は何一つ悪事を働けやしない。


 そんな悪魔は必死にノクトに懇願する。


「早く拘束を解けぇっ! くそっ、くそぉっ!」


 拘束しているとはいえ、未だ完全に動きを封じたわけではない。

 自由が残された口を使いながら、そんな命令を悪魔はくだす。

 勿論ノクトはそんな命令には従わない。

 今までこの時――この瞬間のために、この悪魔に従ってきただけで、忠誠心なんて本来はカケラもありはしない。

 懇願されようが、泣かれようが、喚かれようが、一片の慈悲すら湧いてはこないし、たとえ天地がひっくり返っても与えることはないと断言できる。


「裏切りは人間社会ではよくあることですよ、先生。次はもっと脇を引き締めておくことをお勧めします」


 心の乱れはネクロマンサーにとって絶好の攻撃の機会でもある。

 ここ数日間、ディアボロの中に焦りが生じているのを感じ取り、そこを上手くつけこんだ結果がこの戦いの勝因だと言える。


 しかしこんな結末はやはりディアボロにとっては不服のようだ。


「いいか、良く聞け! 俺は快楽のためだけに自分に比肩する力を人間に授けたりはしない! お前に力を渡したのは理由があるんだ!」


 そんな負け惜しみのような言葉を悪魔は吐き捨てる。

 未だ生への執着を持っているのだとしたら、説得や同情と言ったものを引き出して助かる道を模索しているのかもしれない。

 何を言おうが、飼い犬に手を噛まれて敗北した馬鹿な悪魔の末路には変わりないだろう。


 だが、ディアボロの言葉に引っかかりを覚えるのも事実。


 隙を突いたとはいえ、ノクトはディアボロにすら勝てるほどの力を得た。

 寝首をかかれる可能性を考慮していたのだとしたら、そこまでの力を自分に与えたのは何らかの理由があると考えられる。


 それに、ノクトの知るディアボロは、保守的な行動が多く見られた。


 王都中のアンデッドを使役すれば、1ヶ月程度でこの国の人という種を全て滅ぼすことは可能である。

 なのに、ディアボロは王都に籠城し、呪いの維持を努める傍、暇さえあれば強力なアンデッドを生み出すことに時間を費やしていた。

 先の戦闘にもその成果は惜しみなく発揮され、小規模ながらも戦争と呼べる水準の戦いが起こった。

 この力を拡大していけば、やがて一国どころか大陸全土をも支配できるだろう。

 当初はその様な計画があるのかとノクトは思っていた。


 だが、そんな力をディアボロは決して外には向けず、全て己の身を守らせる護衛としてのみの利用に留まった。

 その真意まではわからないが、今までの保守的な行動は人を苦しめることに快楽を感じる悪魔というよりも、追い込まれて逃げ回る一人の人間の様に思えなくもない。


 そんなディアボロに付け入るだけの心の隙が生まれたのも、何らかの存在に怯えていたからであるという可能性もなくはない。

 だが――


「知りませんよ、悪魔の事情なんて。僕がどれほど貴方に殺意を抱いていたかなんて、貴方は知らないでしょ? それと同じです」


 人間同士でも他者を理解するのは難しい。では、その相手が自分の嫌いな者で、しかも宿敵――悪魔だとしたら?

 ノクトの答えは拒絶だった。

 取り入る必要があるなら全力で媚びるつもりではあるが、その必要がない今となってはディアボロの真意には興味が湧かない。


 第一、悪魔を超える脅威がいるとは思えないのもある。仮にいたとしても、それこそ空想の世界にしかいないだろう。


 吸血鬼が十字架に弱いみたいな弱点が悪魔にもあるのか、生き長らえようと出鱈目を述べながら必死に足掻いているのかわからないが、まともに取り合ってやるつもりはないのは確かだ。


 それでも、ディアボロは未だその話を続けた。


「あいつは――死神はお前たち人類の脅威でもあるのだぞ! もしお前の中に王の死を無駄にしたくないという気持ちがあるのなら、俺を今すぐ解放しろ! 悪魔として、生き恥を晒してまでこの身体を手に入れたんだ! 奴を殺さずに死ねやしない! なぁ、ノクト。その死の呪いを解いてやるから、俺の言うことに従ってくれよ……」


 いつになく感情的なディアボロの言葉に混ざる死神という単語。

 ノクトの脳裏に過ぎったのはジークの話に出てきた歩の遅い黒い剣士だ。

 もしかしたら、違う人物のことを指しているのかもしれないが、生き恥やら何やら含めてそんな言葉にノクトはもう耳を貸してやるつもりはない。


 率直に言うと不快だった。


 この悪魔は、散々人の命を弄んだ挙句、いざ窮地に追いやられたら、自分の行いが世のため、人のためだと言い始めた。

 遂には自らが乗っ取った王を説得材料に使ってまで生き長らえたいらしい。


「御託はもう結構です。早くあの世へ行ってください。貴方は――いや、お前とはもう話したくないっ……!」


 今まで堪えていた感情が噴出し、ノクトは声を荒げ、悪魔にそう叫ぶ。

 取り憑いた肉体が死んでから100年間は、他者の肉体を乗っ取れないという制約が悪魔にはあるらしい。

 つまりその間、悪魔は何もできず暇になるということだ。

 大方、ディアボロはそんな暇が嫌なのだろうとノクトは当たりをつける。


 それに、こうやって動きを封じているが、ディアボロからネクロマンサーとしての技術を全て盗んだという保証があるわけではない。

 時間稼ぎをした後、何らかの秘策を使って拘束から抜け出す術を実行に移そうとしていることも考えられる。


 だとしたら、生かしておくのは得策ではない。今すぐ処分すべきであると決断する。


 そんなノクトの殺意を感じ取ったのか、ディアボロはようやく観念したようだ。


 名残惜しそうな、悔しそうな。そのどちらも混ざったなんとも言えない表情を見せる。

 その顔は暫くして、まぁいいやという投げやりのものへと変わった。


 これから殺される者が浮かべる表情ではない。

 やり直しができるからこその余裕。そう言ったものがひしひしと伝わってくる。


「これほどの戦力と状況、そして、リェンツェという魔力持ちの人間を手放すのは惜しいが……まぁ、またやり直せば良いだけだ。なあに、100年後は今よりも、もっと上手くやってみせるさ」


 そう言いながらケタケタとディアボロは笑う。


 目の前の悪魔は100年後に再び人類の前に姿を現すことを宣言した。

 ディアボロが現れる度に、一国が犠牲となり、そこで暮らす国民が悪魔の煩悩を満たすために利用され、蹂躙されることになる。

 次に悪魔が選ぶ国が何処なのかはわからない。遠い国なのか、隣国なのか、それともまたここを選ぶのか……。


 確かなのは、悪魔が生きている限り、人類は永遠に悪魔の玩具にされる運命だということだ。

 ここで勝ったところで、何度でもやり直せる悪魔には大した痛手になりはしない。


 わかっていたことであるが、そのどうしようもない事実に嘆きを覚えずにはいられない。

 悪魔は人類にとって避けられない天災のようなものだ。

 今回は王国が完全に滅ぼされる前に止められたのだから、人類史的に見れば未だ運が良い方なのかもしれない。


 ……それでも。


 それでも、こいつら悪魔に一矢報いることができればとノクトは願わずにはいられなかった。


 ノクトは懐に忍ばせてある小刀を取り出す。


 ……神がいると仮定する。


 そう仮定しても、悪魔に魂を売り渡した自分の願いなど聞き入れてはくれないだろう。

 それでも、そんな曖昧な存在に今はどうしても頼ってしまう。

 もう人類が悪魔に利用されるのは懲り懲りだ。神がいるなら切に祈る。


 ……どうか。


 どうかこの刃に――悪魔を葬るための斬撃に。

 悪魔の魂をこの世から永遠に滅する力が与えられますように。


 そんな願いを乗せた小刀は悪魔の入れ物――死を前にしてもなお笑顔を見せる悪魔の傀儡と化した王の亡骸。

 その首に目掛けて想いの籠った刃は振り下ろされた――。


 ……そして、そんな儚い願いは形を変えて神に届いた。



 誰も勝利を讃えない英雄。その誕生の瞬間が正に訪れるはずだった。

 祝福の声やその功績を称える拍手の音は一切ない。代わりに何処からともなく鎧が大地を蹴り上げる足音が近づいてきた。


 ……がちゃり。


 その音はノクトの視線をディアボロから奪い、小刀に込められた力はディアボロの首をはねる直前に抜け落ちる。

 ジークが時を超え、死神に殺されるはずだった王女の死の運命を覆したのだとしたら、奇しくも死神はその父である王の死の運命を覆したと言える。

 ただ一つの結果として――


 ――斬首の音は遮られた。

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