36話『悪魔に魂を売った男』
友だちの夢に悪い王様が出てきたらしい。
なんでもその夢の世界の王様は、未来の王国を化け物の住む世界に変えてしまうという。
勿論そんな馬鹿げた夢の内容をノクトは信じなかった。
証拠を出せと言い放ち、それからジークとは一度も話してはいない。
しかし、それはあまりに理不尽ではないか? ノクトの冷えた頭が後からそう言い始めた。
このままだとジークと仲直りすることは永遠にできなくなる。
このままは……自分も嫌だった。
そう思い、頑固なノクトは自らの手で証拠を集めることに決める。
友だちと仲直りするために。不器用な彼なりの方法で。
後から考えれば、ジークに言われた内容に対して少し思うところがあったからこそ、感情的になって絶交という言葉を口に出してしまったのだろう。
今ならわかる。あの頃の自分は王に盲信していたということを。
そして、友の言葉によって少し目が覚めたノクトは、自分が尊敬する王に異変が起きていることを認識し始めた。
◆
貴族や富豪と言った国の権力者は、その立場上、国を挙げての催しものに参加する機会は多い。
人間と亜人種を一つに纏め上げることを目標に掲げ、それを実行に移すリェンツェという王は、人との交流を何よりも重んじている。
だからこそ、一貴族の子どもに過ぎないノクトにも王と話す機会は比較的得やすかった。
種族の垣根を超えた親睦会。
人間と亜人種の高位に位置する者たちが一堂に会する場で、ノクトはリェンツェに近づき問う。
「国王陛下、僕のことを覚えていらっしゃいますか?」
質問内容はなんでも良かった。動向を探れるものならばなんでも。
リェンツェは少し考えた後、迷いながらも答えた。
「ああ、覚えているとも。ノクト・アルゼシア・ターラム。たしか、娘――クラリスと同い年だったね?」
一貴族の子どもにしか過ぎない自分の名前だけでなく、大まかな年齢までをもリェンツェという王は把握していた。
流石は全人類の融和を唱えるだけのことはある。
そんな人の心を掴む天才の一面を目の当たりにすれば、普段なら喜びで紅潮していただろう。
疑念さえ抱いていなければ、素直にそうなっていたと思う。
だが、ノクトは見逃さなかった。目の前にいるリェンツェには言い知れぬ違和感がある。
まるで実験動物か何かを見るような、そんな普段の王らしからぬ情熱のカケラもない冷たい瞳を向けられた気がした。
……目の前にいるのは、本当に国王陛下か?
国王の体調が優れないのか、はたまたジークに言われた話の内容に囚われて生じた内の疑念のせいか。
目の前にいるリェンツェという王が別人に思えてならない。
その後、リェンツェは諸事情で席を外し、ノクトとの会話は終わる。
去り行くリェンツェの背が消えて行くまで観察しながら、そんなことを考える内に時間は過ぎ、その日の催しものはそれ以上何も起こらずに終わった。
更に日を経る。
王と話す機会がある度に、ちょっとした質問を交えながらノクトはリェンツェの観察を行なう。
そうしたことを繰り返す内にノクトの中の疑念が一つの答えとなる。
……人とは違う思考回路を持った何かが王の中を巣食っている。
自分よりも遠い種ほど、顔などの細かい造形には無頓着になる傾向がある。
リェンツェに潜む何かが人格の主導権を握っている時の人を見る目は、大きさや色などで誰かを判断している節があった。
得られた情報を手がかりに、書物や文献を読み漁り、王に巣食う存在の正体が判明した。
悪魔の1柱――ディアボロ。
ディアボロは、国王や皇帝のような高位の存在に取り憑き、その国に暮らす国民を権力や立場を用いて破滅に向かわせることを好むという。
他の悪魔よりもその足跡が多く残っているのは、王という立場が否応なく目立つからだと推測できる。
しかし、ディアボロに関する情報の出所は、古来から伝わる伝承や絵物語から得られた眉唾もののお伽話だ。
こんなことを話したところで誰も信じやしないだろう。
ノクトは笑う。
ジークの予知夢を信じてやらなかったくせに、自分はお伽話を信じようとしている。
なんて酷い友人なんだ、と自分を責めた。
だが、現状を嘆いたどころでどうしようもない。
本物のリェンツェは、ノクトが観察を始めてから二年目辺りで完全に消失した。
それはジークが言っていた予知夢の内容の一つが実現する年――くそったれな死者の国が完成する年だった。
ジークが夢で見た通りのことが起こるのだとしたら、この国はディアボロによって蹂躙されてしまうと考えられる。
王の身体はただの悪魔の傀儡でしかない。
そうとも知らずに、国民の大半は全幅の信頼を王に寄せている。
王都周辺では、魔除けと称して謎めいた儀式や魔法の準備が進んでいるらしい。
ジークの夢の話が本当ならば、それはこの国を死者の国へと変えるものだと考えられる。
ジークを筆頭にそれを止めようとしている動きがあるのはわかるが、事態は最早正攻法では終息しないとノクトは判断する。
真っ当な力比べで勝ち目がないとしたら、弱者にできる手段は限られる。
その手段の一つは暗殺だ。
しかし王妃が毒殺されて以来、その手の陰謀への対策は厳しくなっている。
そもそも、一介の貴族の子供でしかない自分が、そんな厳重な警備網を掻い潜ることなんて現実的ではない。
……ならば。
ならば、自分は下僕として、ディアボロの手足となり、道化となり、隙あらば寝首をかくことに決める。
そのためには、一旦この国の破滅を受け入れなければならない。
国の再興は一筋縄ではいかないだろう。それでもこの国は必ずやかつての光を取り戻せるとノクトは信じ、それに賭けることにした。
先ずノクトが始めたことは、自らを悪魔に有益な存在であると知らしめることだった。
破滅願望、破壊衝動、王への忠誠心……。
謁見の際の雑談にそう言った趣旨の言葉をそれとなく混ぜる。
言うまでもなく全てウソだ。
そんな言葉を述べる度に口が腐る感覚を覚えたが、そんな感情を努めて無視しながら何度も、何度も、何度も……機会がある度に伝える。
それを聞いたディアボロも、始めは怪訝そうな表情を浮かべていた。
年端のいかない子どものそんな戯言に対して、普通はまともに耳なんて貸しはしないのは当然であるが、恐らく無視はできないと考えられる。
悪魔の本能は人を弄ぶことにある。
それは人で言うところの肉欲への快楽と本質的には同じらしい。
目立つ行動を好むディアボロは、その手の情報を多く残している。
とある伝承によると、ディアボロは自らの傍にとある人間を置きいて、玩具として可愛がっていたそうだ。
その人間は、人に蔑まれ、嘲笑わられたことによって、強い憎悪を人類に抱いていたらしい。
つまり、人が人を殺す様をディアボロという悪魔は強く好む傾向があるようだ。
要は狂った人間が悪魔の大好物であるらしい。
その話が真実だとしたら、罠の可能性があろうとも、悪魔の本能が否応無しに惹かれてしまうと考えられる。
それに、餌に毒が入っていたとしても、強者にとっては精々腹を痛める程度の代償。
死にはしないのならば、好奇心の赴くままに食いついてくると考え、ノクトはそれに賭けた。
結果――ノクトの予想通りに事は上手く運んだ。
ディアボロとノクトは二人のみになる機会が訪れた時、ディアボロは、自らの正体は悪魔の1柱であり、高位の魔法使い――死霊術師だと名乗る。
この内容を口外しても良いが、誰も信じないだろうと付け足しながら。
悪魔は、ノクトが本当に人類への憎悪があるのかどうか、自分にとって役立つ手駒であるかどうかを確かめたいという。
そのための証拠を指し示せば、対価として人を殺す力――ネクロマンサーとしての叡智を授けてくれるという話の持ちかけだった。
そんな悪魔との取り引きにノクトは応じた。
そのために、ジークから伝えられたこと――王女が城内への出入り秘密裏に利用しているという転移魔法陣のことやディアボロを嗅ぎ回るメイドの存在などを売り込んだ。
人類を救うために。いつの日か悪魔からこの国を取り戻すために。
ノクトは悪魔へ魂を売り渡す。
そして、ノクトの願いは叶えられ、ネクロマンサーとして更なる段階へと進む時、悪魔はその成果を見せよと言う。
それは、同胞の――同じ人間を殺して来いとの命令だった。
こうして、ノクトは遂に人をその手にかける。
友を殺した後の記憶は曖昧だ。自分は笑っていたのか、泣いていたのかあまり覚えていない。
多分無理に笑おうと努力していたとは思う。
はっきり覚えているのは、そんな狂ったノクトの姿を見た悪魔が満面の笑みを浮かべて言った言葉だ。
「ハハハ! 良い――良いぞ、ノクト! 私の知っている全てをお前に託してやろう!」
尊敬した王の顔は、その肉体を乗っ取った悪魔によって邪悪に歪む。
普段は人を大まかな姿形でしか判断しかしないくせに、人が浮かべる絶望や狂いに関しては機敏らしい。
いくら自分の名を呼ばれようが、目の前にいるのは尊敬した王ではなく、その肉体を乗っ取った悪魔だ。
昔のような喜びは一切生じない。むしろ強い憎悪のみが腹の底からふつふつと湧き上がる。
――その顔は人々に希望を与えるためのものだ! お前の――悪魔の玩具じゃない……!
リェンツェの形をした邪面を目の当たりにしたせいで、封じていた感情は溢れ出す。
かつて尊敬していた王の顔――それを弄ぶ今の悪魔の顔を、ノクトは何度も、何度も、何度も……内心で殴り続けた。
……殺してやる! 内に秘めた感情を押し殺し、今だけは狂った笑顔を繕いながら、ノクトは心の中のみでそう誓う。
そんな風にして、ノクトの心が摩耗する頃には、悪魔に匹敵するネクロマンサーが完成した。
そして、転機が訪れたのは3日前のことである。




