32話『消え行く世界の人々(友人)―2』
「――おーい、エリシア!」
「わっ、急に大声で話しかけないでよ!?」
さっきから何度も呼んでたんだけど、と言いながら、ジークは腑に落ちない表情を顔に浮かべるが、夜空を見上げながら物思いに耽っていたエリシアの耳には入って来なかった。
本当に彼はエリシアの心を掻き乱す。
勝手に失恋したとはいえ、ジークはエリシアの心を動かす存在には変わりない。
しかし、その心の乱れが全て恋の情動が原因というわけでもない。
本来この時間軸を生きていたジークは一年前に戦死している。
そんなエリシアの記憶の中に存在しているジークよりも、過去から時を超えてやってきたジークの方が背が高く、外見から醸し出す雰囲気は僅かに大人びているように思える。
つまり、今目の前にいる彼の姿は、時の流れに沿った成長が反映されているということだ。
たった一年と呼ぶ者もいるだろう。だが、14歳から15歳という成長期の真っ只中の肉体においてはその差は大きい。
斬られて失くなった左腕は別にして、この時間軸をもし本来のジークが生きていたら、恐らくはこうなっていたのだろうと考えられるものを宿している。
時空の歪みが齎したその差は、彼と自分が同じ時を生きていないことの証明のように思えた。
彼は自分たちが必死に足掻いて生きてきた過程を歩んではいない。
およそ4年間という歳月を超えて過去から今という未来に現れたのだからそれは当然だ。
そんな得も言われぬ時の溝のようなものがエリシアの心をかき乱す原因の一つでもある。
彼は自分の知っている彼であって、自分の知らない彼でもあるのだから。
「……腕の痛みはもう平気?」
そんなジークに対して出た言葉は、先日負った負傷についてだった。
過去に戻った際の行動方針を叩き込んだ後、ジークはメッシュから竜の舞という竜人族に伝わる舞踊を教わっている。
その修練にかかり切りで、こうやって個人的な話をする時間なんて全く無かったからこそ、斬られた腕の容体が気になった。
言うまでもなく、戦士であるエリシアは、魔法の治療の効能を幾度も体験したことがある。
もがき苦しむ様な激痛もたちまち擦り傷程度の痛みまで緩和されるが、それは体質による個人差や術者の実力に左右される。
ジークの治療に当たったのがクラリスならそう言った問題は起きていないだろう。
しかし、エリシアは腕を切り落とされる程の大怪我を負ったことはない。
部位の欠損を経験した戦士は、魔法の治療を受けた後に幻痛を覚えることはままある。
そう言った精神的なダメージまでは、残念ながらこの場で癒すことはできない。
先の質問は物理的な痛みに対してと言うよりは、精神的な痛みに対しての疑問だ。
左腕の位置にある服の袖が夜風に吹かれてたなびいたのと同時に、エリシアの問いの答えが返ってきた。
「痛くないと言ったら、嘘になる。でも、お前に殴られた時の痛みに比べたら大したことはないさ……」
「あの時は、その、ごめんなさい……」
本当に酷なことをしてしまったと今でも思う。
彼が腕を斬り飛ばされたことを、覚める夢だから気にするなと言ってクラリスを励ました際に、エリシアは感情に任せて思いっきりジークを殴った。
それはエリシアの一時的な衝動によるものである。
死神と必死に闘い、様々な感情が胸中に渦巻いたせいもあって、酷く感情的になっていた故の行動だ。
確かにそのような行為に及んだ理由は、彼の軽はずみな言動が起因したのかもしれない。
だが、その後に彼へ告げた計画は、この世界が彼が過去へ戻ってやり直しが効くという大前提の元で行われる勝算の低い特攻である。
勿論、今を真剣に生きた自分たちが辿り着いた一つの答えではある。
過去を変えられるのなら、それに縋るのが最善であり、最良だという経緯を経ての答えなのだが、そんなことを知らない過去から時を超えてやってきたジークがすぐに納得できるはずがない。
今でこそ、ジークはそのことを理解してくれているが、未だ感情は追いついていないだろう。
あの時の自分の軽率な行動が、彼に心の混乱を生じさせてしまったのは失態と言わざるを得ない。
自分の一時の感情のせいで、ジークの心を惑わす結果になってしまったのだから。
彼は言う。あの時とは違う、決して軽くない熱を孕んだ口調で。
「気にするな、とは言わない。それに、あの時のお前の気持ちも間違ってはいないと俺は思う。だから、あの時の言葉通りにしっかり今を生きろ! そして、リェンツェから平和な国を取り戻す姿を俺に見せてくれ!」
「……そうね。あんたにとっての未来を生きる私たちの勇姿、その目でしかと見届けなさい!」
帯刀している剣を抜くような動きをしながら、心の中で刃を思い描き、王都の方を指す。
エリシアは誓う。
全力で抗って、生き抜いて、平和な国を取り戻してやる、と。
そんなエリシアを見て、ジークは少し頰を綻ばせた。
「期待してるぜ、エリシア先輩!」
過去から未来へ来た彼からすれば、確かに自分は先輩か。
そんなことに気づき、エリシアは面白いものを感じて笑う。
エリシアの後を続くようにジークも笑った。
ひとしきり笑った後に、再びエリシアは夜空を見上げた。
決して満点の星空とは言えない。王都の呪いの影響を受けているせいか、この国の空は昔よりも酷く霞んでしまっている。
それでも、星々は闇に負けじと懸命に輝き、地上の生命に未だ光を届けてくれる。
それを明るい未来と見立てながら、エリシアは今まで戦ってきた。
エリシアにとって夜空の輝きは力の源だ。
胸中の願いを述べる際は、星々の輝きを頼り心の内でその願いを唱える。
だが、今は違う。人に願うなら、その想いを形にしなければ確実に伝わらないのだから。
「ねぇ、ジーク。過去に戻ったら、やって欲しいことがあるんだけど、いいかな?」
「世界を救う、そのついでに出来ることなら構わないぜ!」
そうは言うが、彼は必ず約束を果たすだろう。それに、エリシアの夢は恐らく、ジークの夢の先にあるものと同じだ。
そのことをわかってはいるが、確認しておきたいという気持ちが彼女の胸中の思いを吐露させる。
「私ね、普通の女の子になりたいんだ。平和な世界で家族と笑って、お花の世話をして……」
エリシアはゆっくりとジークの方へと顔を向ける。
目の前にいる確かな希望へとその望みを託すために。
「友だちと――またジークとノクトと私で馬鹿みたいに過ごしたい。あと、その輪にクラリスも加えて。いつまでも、いつまでも、ずっと……」
度合いだけで言えば、エリシアはメッシュよりも、この絶望的な世界が、ジークの目覚めと共に消えて無くなるものだと信じている。
時渡りなんていう方法は、一般的な常識にはないのだから、ジークがこうやって現れるまでは皆が半信半疑だった。
今でもその疑いは仲間内から完全に消えたわけではない。
やり直せるという考え方は、あくまで、保険の一つか、リェンツェに対抗する手段辺りと捉えている者が多い。
しかし、こうやって目の前にジークが現れたことで、エリシアの中ではこの悲惨な状況が絶対に改善することが決定した。
何せ、彼の諦めの悪さはピカイチだ。幼馴染であるエリシアはそのことを誰よりもよく知っている。
もし、何らかの事情で過去に戻れないのなら、別の光明を見つけてこの破滅した未来に立ち向かうに決まっている。
エリシアが知るジークとはそういう人間だ。
だからこそ、自らの胸中に疼く願いも、これから世界を救うという大義を果たす彼の負担にならない範囲で託す。
彗星の如く現れた彼は、正に人の形をした願い星なのだ。
彼ならきっと、自分たちを襲う闇を晴らしてくれる。
……ただ、同時に少しだけ恐怖や寂しさと言ったものもある。
過去が変われば、今まで自分たちが成してきたことは消えて無くなる。
戦いは辛いものだった。されど、その中で磨いてきた絆や救えた掛け替えの無いものは確かにあった。
その事に対して、何も思わないと言えば嘘になる。
しかし、エリシアは我が儘なのだ。理由があるにせよ、ノクトがジークを――友が友を殺したという事実はこの世界からは決して消えることはない。
仮にリェンツェから国を取り戻したところで、心のもやもやが残った世界にエリシアが望む真の平穏はないと言える。
何よりもそう言った恐怖や寂しさを覚えてしまうのは、裏を返せば、ジークが勇者としてこの国を必ず救ってくれると信じているからこそ湧き上がる感情である。
そして、ジークはそんな少女の願いを快く受け取ってくれた。
「言われるまでもないさ。……その前に、この世界のノクトの考えを改めさせる! あいつのことだから、この国のためにリェンツェ側に回ったと思うけど、こんなやり方間違ってる! リェンツェと一緒にしっかりと罪を償わせてやらなきゃな!」
やはり、この期に及んで甘い考えを述べる彼の考え方は、この時間軸を生きていた本来の彼と何ら変わりない。
この世界――いずれ消え行く彼にとっての未来の世界で、彼が幾ら功績を挙げようとも、過去に持っていけるわけではないというのに、ジークは自分たちのことをしっかりと考えてくれている。
生きている時間は違えど中身は同じなのだから当たり前なのだが、それはかつてこの時間軸に生きていた彼を想像させ、エリシアに安心感を与えた。
こんなやつだからこそ、自分は彼を好きになったのだろう。
過去の自分は、失恋したことも知らずに彼を想い続けるのだろうか。
そして、過去が変われば、そこから見た未来である今も変わる。
もしそうなれば、或いは……。
……前途多難だ。
自分のライバルは、親友でもあるクラリスなのだから。
だが、今だけは夢を大きく思い描いても良いだろう。
「期待しているよ、後輩!」
重荷にならないように努めて軽く、言葉遊びの延長で自らの期待を伝える。
やがて消えて無くなる今という時間を生きる少女は、不器用なりに少年に明るい未来を託した。




