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31話『消え行く世界の人々(友人)―1』

 夢を。

 叶わない夢を二つ抱いている。

 エリシア・フィールズはそんな少女だ。


 一つは花屋になること。

 これはこの荒廃した世界で、戦いの最中に抱いた夢。

 かつて花々が咲き乱れる王国を知る少女にとって、平和と花は密接だ。

 皆に花を愛でる心の余裕、そう言ったものを取り戻してあげたいと思うのは、ある意味必然かもしれない。

 しかし、この国の状況は改善するどころか、日増しに悪化の一途を辿っている。

 アンデッドが出す瘴気によって荒らされ、草花が育つ土壌は機能不全に陥っている。

 国王――リェンツェから国を取り戻したところで、再建にかかる時間は途方もないものとなるだろう。


 エリシアの花屋になる夢は、最早現実的なものではなくなってしまった。


 もし、ジークが過去を変えてリェンツェの計画を阻止できれば、この夢は問題なく叶うだろう。

 しかし、平和な国に生きる過去の自分はこのような王国の惨状を知らない。

 悲劇によって芽生えた夢は、平和な昔では当たり前に根付いていたものを取り戻そうと願う心が齎したものだ。

 つまり、今とは異なる未来を歩むことになっているだろう自分は、今と同じ歳になる頃にはきっと異なる夢を思い描いているだろう。


 それで良い、とエリシアは思っている。

 今は亡き全盛期の過去を取り戻そうとする未来より、今より素晴らしい未来が広がっている方が良いに決まっているのだから。


 そんなエリシアのもう一つの夢は、花屋になることよりも叶わないと断言できる。


 それは、幼き日から抱いていた恋心の成就だ。


 エリシアがジークの荒唐無稽な予知夢の内容を信じ、長きに渡って戦いに身を投じられたのも、全ては幼き日に抱いてきた特別な感情がそうさせたからに他ならない。

 当時はわからなかったが、今ならわかる。胸を焼く感情の正体が恋だということを。


 エリシアが破滅する未来を防ぐために先ず始めたのは、薬屋を営んでいた実家に来る客たちからの情報収集だ。

 リェンツェが使う魔法に対する有効策を得ることはできなかったが、結果的にその客たちを通して人脈をツテとして、少なくない人間の協力者を得た。

 竜人族との協力関係にも好影響を与えたのだから無駄ではなかったと言える。


 それと同時期に、騎士たちの稽古の風景を覗き、そこから得た知識を自らの身に染み込ませる。

 彼のために。明るい未来のために。エリシアは自分なりに、少年の語る破滅を防ぐために己ができる事に対して全力を尽くす。


 エリシアの弛まぬ努力のおかげで救えた命は多く、その事に関しては誇りである。

 だが、それでも破滅の未来を防ぐには力不足だった。

 自分たちが今やっているのは単なる延命策。ローブル王国はゆっくりと、そして、確実に滅び行く定めなのは決定事項だ。


 そんなエリシアたちにもう一つの知らされていた節目は、突如やって来た。


 その日は、クラリスとエリシアが二人で別の持ち場の者たちに連絡事を伝えに行く最中だった。

 普段ならモンスターがいない場所だ。

 リェンツェの魔法が行使されて以来、ローブル王国内にいるモンスターのほとんどがアンデッドである。

 アンデッドの歩いた場所は大地が穢れるため、野芝が多い土地を目印にすることが多く、そこを安全地帯として考えながら行動するのが基本だ。

 モンスターにも行動の癖というものがある。絶対ではないが、比較的安全地帯と呼べるような場所、そんなところを歩いていた。

 そして、そこはかつての王都を想起させるような美しい光景が広がっていた。

 ちょっとした癒しの場として戦士たちの間では有名な場所だ。

 そんな小さな楽園で異変を感じたのは、目的地まで残り半分という距離に差し掛かった時だ。


 死体の化け物が発生する前触れのようなものを感じて、エリシアは剣に手を伸ばす。

 経験則によって培われた勘が、この場の不穏を告げている。

 そして、その予感は残念ながら的中する。地中から、大量の死体の化け物が大地の土を掻き分けて不快な産声をあげた。


 かなりの数のアンデッドだ。小村なら1時間もかからずに滅ぼせる程度の。

 恐らくこの下にあった死体が、王都の呪いか何かを受けたのだろう。

 ここは王都からは距離はあるが、王都にかかっている呪いの余波がないとはいえない。

 つまり、その近くで活動する限りは、常にモンスターの危機が付き纏う。

 ただ、同時に違和感を覚える。ここまでの数のアンデッドが蘇るのは、何かの前触れのようなものがあるように思えたからだ。


 ただ、一つ確かなのは絶対絶命だということだ。


 アンデッドが蘇ったことによって、草花は二人の命運を告げるように枯れていった。

 まともな言葉を紡げないモンスターによる死の宣告だ。その波は少女たちを襲う。


 不幸中の幸いは、一匹一匹が大した強さではないということか。

 ただし、あまりにも数が多い。じりじりと追い詰められ、次第にエリシアとクラリスは引き離されながら、ゆっくりと王都に吸い寄せられた。


 はっきり言ってまずい状況だ。魔法使いであるクラリスは、多少剣の心得があるとはいえ、魔力が尽きればただの人間。

 加えて、王都はほぼ未開の地。偵察隊の大半は戻っては来ない死地である。

 このまま奥に追いやられたら、死は避けられないだろう。


 助けなきゃ! とエリシアは思う。クラリスは、今は亡きジークの想い人であり、エリシアにとっての友人でもある。

 勝気で男勝りのエリシアができた、数少ない親友。そして、命を預けられる仲間だ。


 泳ぐようにアンデッドの群れをかき分けると、クラリスが見えた。

 良かった、無事だ。湧き出たその思いは瞳に映ったもう一つの存在を捉えたことによって一瞬で消え失せる。


 この時エリシアは悟った。クラリスは殺される、と。


 ……がちゃり。


 一人が奏でているとは思えないくらい深みのある音が響く。

 この場には数えることを忘れてしまうほどの大量のモンスターがいる。

 だが、今――この瞬間だけは、屍の化け物も、腐敗した肉体を持つ化け物も、どこにあるかわからない瞳やそれに代わる感覚気管を動員して食い入るようにその存在を観察したまま硬直している。


 戦闘の最中において、鋭敏になっているはずのエリシアの知覚にも引っかからず、視覚と聴覚が反応してようやくその存在に気づけた。

 本当に殺気すら感じない。死の渦中に見る幻覚の類に思えるくらい馬鹿げた光景が、今目の前に現実として現れた。


 ……剣士を模った死神だ。


 ジークが予知夢で見た存在が、遂に現実に現れた瞬間だ。


 その存在にアンデッドたちは道を譲り渡す。

 アンデッドの感情などエリシアは読み取れない。

 ただ、この時、この場において、モンスターたちは恐怖を感じているように思えた。


 雪崩れ込むように王都に逃げ込んだアンデッドたちは、死者にしかわからない本能のようなものが発揮したせいだろうか?


 エリシアの仮説に過ぎない。アンデッド特有の感覚気管が反応して、今まで眠っていた彼らの目を覚まさせたのかもしれない。

 アンデッドは人という種から生まれる。ならば、本能的な行動として身を守るために仲間を求めて王都へ向かわせたのかもしれない。

 

 確実に言えるのは、このままだとクラリスは死神にあの世へ連れて行かれるということだ。


 しかし、エリシアにはどうすることもできない。

 全てのモンスターが機能不全に陥っているが、それはエリシアとて同じだ。

 伝え聞く通りなら、死神の鎧には魔法は一切通らず、剣速は常人が視認できないほど早い。

 正確な物差しは無いが、一流の剣士と呼べるものを死神が持っていることは確定している。


 物理的な距離でも、強さの次元でも、あらゆる意味でエリシアと死神の間に越えようがない壁がある。

 つまり、行動することで変わる状況ではないということだ。


 やがて、死神の足音はクラリスの前で止まる。


 罪状はわからない。あるとすれば、王である彼女の父が死の国を作り上げたことに対する責任だろうか。


 その様を見届けるのは、王の罪の形(アンデッド)たちと王女の親友(エリシア)

 死神の決定事項に異を唱える者はいない。厳密にはいるが、それを実行に移せる者なんてこの世にいない。


 そして、斬首は速やかに遂行される。

 剣の大きさは人を殺すためというよりは、巨竜との戦いを想定したような大剣が高らかに掲げられた。

 慈悲があるとするなら、死に損なうということが絶対にないということか。

 死神はただ人を殺すことにしか興味がないらしい。

 人を殺すには過ぎたそれは、確実な死として王女へと向かった。


 エリシアは目を背けた。唐突にやってきた親友の死を、彼女は受け入れられなかったからだ。


 ……ごめんなさい、念仏のように謝罪の言葉を胸中で繰り返す。


 だが、人間が潰れた音は聞こえず、剣と剣が擦れる金属音が響いた。


 ……ゆっくりと目を開ける。予想に反して肉塊や血溜まりはなかった。


 そして、エリシアは驚愕する。

 ジークの話を信じたとはいえ、実際に目にするとなると何も思わずにはいられない。


 この時間軸のジークは既に死んでいる。

 では、今目の前にいる見覚えのある少年は誰だ? 答えは一つしかない。


 王女の死の運命は、過去から未来へとやってきたジークによって覆されたのだ。


 彼が超えた距離はあまりに遠いだろう。

 エリシアが感じた物理的な距離が霞むほど、文字通り時空を超えてやってきて想い人を守ったのだ。


 ジークの片腕が死神によって切り飛ばされた時、ようやくエリシアは正気を取り戻した。


 ジークが死んだら、未来は変えられない!


 それに、彼と比べたら、エリシアが感じる物理的な距離など大した壁ではない。

 そう言い聞かせ、エリシアは死神に立ち向かう。

 腕を斬り飛ばされてもなお、戦意を見せるジークに、エリシアは努めて余裕がある様に演じる。

 本当は逃げ出したい、そんな弱気は上手く隠せたようだ。


 彼が来たということはこの国にとって大きな希望だ。やがて滅び行くこの国を、根底から覆し無かったことにしてくれるかもしれない。いや、そうに決まっている。

 エリシアは、自らに喝を入れて運命と立ち向かった。


 その後のことをエリシアははっきりと覚えてはいない。

 ただ、必死の攻防の末、死神の矛先がクラリスから別の対象へと――恐らくは、クラリスの父である王へと移ったと判断した頃には、辺りには二人の剣士の戦いに巻き込まれたアンデッドの亡骸が大量に転がっていた。

 緊張感が抜けてエリシアはその場で脱力する。その反動からか、色々な感情を含んだ涙が頬を伝う。


 かくして、エリシアは二人の命を救い、それは彼女の新たな誇りとなった。

 二人を救えたことは心から嬉しかった。


 ……だが、それは失恋でもある。

 わかってはいた。そもそも、ジークの未来を変えるという行動、その元を辿ればクラリスの死を変えるために始まった。

 それこそ本当に時空を超え、死の運命を覆した。

 そんな想い人である王女に、自分が勝てるわけはないだろう。

 自分は幾ら努力しようが、決してクラリスのようにジークの心を惹きつけることはできない。


 流れる涙の意味は、恐怖や安堵感よりも、彼女の儚い夢の終わりを告げるものだったのかもしれない。

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