30話『消え行く世界の人々(竜人)』
――私は人間と亜人種の隔たりを取り払いたい。
かつて友であり、王であり、今は人類の敵になった男――リェンツェの言葉だ。
その話を酒を呷りながら竜人族の族長――メッシュはしっかりと聴いていた。
人間の倍の寿命を持つ竜人からすれば、人間なんてみんな若造と変わりない。
そんな若造の人間の王が、酒の席で竜人族の長に語った話は、正に物語のような内容だった。
酔いが回っている。そう捉えるのが妥当な考え方だろう。
だが、メッシュは、この男なら或いは……とも思った。
このローブル王国内の人間が亜人種に向ける色眼鏡は、精々ちょっとした色物を見るような目を向けられる程度だ。
亜人種をモンスター扱いする国と比較すれば、ローブル王国内の差別なんて無いと言っても良いくらいに思える。
これは、目の前で酒気を帯びているリェンツェの尽力の賜物。
元より差別の少ない国だったが、彼が王になって10年そこそこで人間の亜人種に対する差別意識が更に改善された結果だ。
だからこそ、こんな酒の席の、個人的な付き合いの場で語る夢物語に、メッシュは真剣に耳を貸している。
そして、真剣だからこその疑問をメッシュは口にする。
――何故、そこまで人類の融和に拘っている?
一人の政治家として、国の重鎮として思わずにはいられない。
人類が結託すれば、内乱はぐっと抑えられることくらいはわかる。
国内情勢が安定しているのは色々と都合が良い。
年柄年中、人間と亜人種とが殺し合っている国があるのだから尚のこと思う。
だが、リェンツェは人間と亜人種に根付く問題を完全に取り除こうとしている。
これはあまりに難しい話だ。それに、そこまでするメリットは薄いように思える。
彼が何故そこまでこの事にこだわりを持つのか、その理由が気になるのはある意味必然だ。
メッシュの質問に答える前に、リェンツェは酒をぐいっと飲み干す。
酔いが回り熱った顔は、更に紅潮する。紅さだけなら竜人に匹敵するくらいにも思えた。
そして、ゆっくり述べる。
――そんなの皆が笑っている方が良いに決まっているからじゃないか?
――それに、娘ができてから、子煩悩が芽生えたんだ。後世に今よりも更に良い国を残したいって。
メッシュは笑う。この男は、権力や知力を持ったとんでもない親バカの夢想家であるとわかったから。
真面目な顔をして現実を見る自分と、真面目な顔をしながら夢を語る友。
人間よりも長い寿命を持つ亜人種は、保守的な傾向に偏りがちだ。
自分には無い魅力を感じて、惹かれるものを覚えた。
だからこそ、心の底からこの男が目指す理想郷を作り上げるのに一肌脱いでやろうと思えた。
夢を行動に移そうとする人間の大胆な姿勢は、メッシュにとって憧れの対象に映る。
……そして、それがリェンツェに対する盲信の始まりとなった。
ある時を境に、王都付近で見られた奇怪な人の動き。
王命で動かされた者たちが、指示された通りに何らかの魔法の準備をしていた。
今から考えれば、あれは王都を地獄に変えるための儀式だったのだろう。
魔法に対して明るくないメッシュだったが、その動向にはいち早く気づき、リェンツェに理由を問いただした。
返答は、モンスターに対する魔除けだという。
その頃からリェンツェの様子に変化を感じられたが、日頃の疲れや彼の妻の死が心的負担になっているのだろうと判断し、深くは追求しなかった。
それどころか、自分も人員を貸し出して、その魔除けの下準備に協力したくらいだ。
……それがローブル王国を化け物の国に変える呪いの準備だと気づいた時にはもう遅かった。
この出来事は今でもメッシュの心の中で古傷のように疼いている。
リェンツェは最初からメッシュを騙そうとしていたのか、何らかのことがあって変わってしまったかは定かではない。
確かなのは、目の前に悲惨な王国があるということだ。
それを作り上げたのは、他ならぬ平和な王国を望んでいた張本人だ。
……それでも。
どうしてもあの時の――酒の席で夢を語っていたリェンツェがこのような地獄を望んでいるとは思えなかった。
そして、国が地獄に変わったことを契機に、メッシュは人間というものを信じられなくなった。
友に傷つけられた心や国を自国を滅ぼす片棒を担がされた罪悪感は、癒えぬ傷として今尚メッシュを苦しめている。
そんなメッシュが人間と再び手を取り合うことを選んだのは、単純なことだ。
色々な思いが胸中を渦巻くが、結局この国の人間を嫌いになりきれなかったということに尽きる。
王女たち――クラリスやその仲間たちは、亜人種の死を人間と同様に嘆いてくれた。
そんな優しい心の持ち主たちは、以前酒の席でリェンツェがメッシュに語った夢の縮図、それは未だこの国にはある。
リェンツェの真意は今となってはわからない。
だが、少なくとも、メッシュはあの時のリェンツェの言葉は嘘ではないと信じている。
……さてと。
息を吐き出し、思考に一区切りつけてメッシュはジークを見る。
今目の前にいるのは、過去から時を超えてやってきたジークだ。
メッシュと二人、座間で向かい合い座っている。
これから、過去に戻った際の行動指針を伝えるつもりだ。
ジークが来てくれた事によって、自分たちが生きてきたこの世界は変えられる可能性はある。
やり直しが効けば、リェンツェが使った破滅の魔法を止められるかもしれない。
だが、過去に戻ればジークは11歳。
子ども一人に国の命運全て託すのはかなり酷な話だ。
ただ、賭ける価値はある。いや、賭けるしかないのだ。
しかし、同時にメッシュはこうも考える。
もし何らかの事情で、時渡りが発動しなかったら……?
ジークたちを疑っているわけではない。むしろ、時渡りが可能で、やり直しが効くという大前提を信じたからこそ、今動かせる最高戦力を投入して城内に攻め入る案を実行するのだ。
信じなければこんなことなんてできやしない。
それでも、最悪な事態を想定しておくことは必要だ。
……盲信による失敗は、もうしたくはない。
わかっていたのに、いざ時を超えた人間を目の前にすると、気づかない内に甘えが生まれていたようだ。
負け戦、防衛戦。そう言ったものに慣れすぎていて、竜人本来の荒々しくも力強い面が霞んでしまっていたらしい。
リェンツェから国を取り戻して来い、とジークに喝を入れられるまで、メッシュは勝利を宣言すらできなかった。
ジークの弱気を叱咤する以前に、本当に反省すべきは自分の方だったらしい。
だが、宣言したからには必ずや国を取り戻すつもりだ。
……たとえ命に代えてでも。
それに、だ。
もし仮にジークが過去を変えられなかったとしたら、今が最悪の未来だと推測できる。
その最悪の未来でも、国を取り戻せるだけの力があるということを見せつけてやろうじゃないか!
それが今を生きるメッシュたちがしてやれる、ジークへのせめてもの激励だ。
「……覚悟は良いな?」
少年に問うた言葉は、己にも向けられていた。
◆
過去での行動方針を概ね伝え終わり、今はその細かい補足の最中だ。
一方的な意見のみではどうしても解釈違いが生まれてしまう。
要は、質問時間と言ったところだ。
「つまり、メッシュさんの説得が一番難しいということか……」
ジークが言う通り、難所と呼べるのはメッシュを味方に付けることだ。
あの頃はリェンツェに盲信し、文字通り傀儡だった。
説得は間違いなく一筋縄ではいかないことが予想される。
「ああ、あの頃の俺は頭が固くて、忠義の士と言えば聞こえは良いが、その実頑固者。あと隠れ甘党。そして、子ども嫌い。いや、本当は嫌いではないのだが……」
何でこんなことを話さなければいけないのか、内心そう思うが、何が未来を変える手立てになるかはわからない。
もしかしたら? という気持ちで一応伝えておく。
一通り話し終える頃には、メッシュの心はズタボロになっていた。
敬虔な信徒のように、メッシュが言った言葉を反芻するジークから少し視線を外す。
そのおかげで少し頭が冷えると、また馬鹿げた考えが過ぎってきて思わず笑みを浮かべる。
「どうしたんだ、メッシュさん?」
そんなメッシュの様子に気づいたジークが問いかけてきた。
まぁ、言っておいて損は無いだろうと、生じた考えを言葉にする。
「竜の舞という剣舞がある。それを踊りこなした竜人は、晴れて成人と呼ばれるようになって、族内で一定の発言権を持てるようになるだろう」
ただ人間には無理だろうな、と言葉を結んだ。
竜人は人間よりも身体能力が高い。そんな竜人にとっての成人は、戦士を意味していて、族内の守り手を意味する。
戦士を目指す竜人が10人いたとしたら、その舞いをこなせる者は1名いるかいないかという関門だ。
しかも、人間には無い部位――尻尾を加えているため、控えめに言って現実的ではない。
だが、ジークは立ち上がり言う。
「なぁ、メッシュさん。俺はこれからこの破滅の未来を根底から変えなくちゃいけないんだ! それに比べたら、踊りの一つや二つ、簡単なものさ!」
確かに、メッシュの記憶しているジークは、竜人から見てもかなり運動能力が高かった。
やってみる価値はあるかもしれない。まぁ、それでも無理だろうとは思えるが、威勢の良い人物をメッシュは嫌いではない。
「俺から教えを請うんだから、しっかりマスターしろよ!」
「初めからそのつもりだ!」
隻腕の身で良く言う、と思いながらメッシュは竜の舞を初めて人間に教える。
へたり込んだらそこで終いにするつもりの軽い気持ちで、何となくその指導は始まった――。




