20話『王の苦悩ー1』
重厚な扉が音を立てる。
入室したのはノーム・バトラス。
己の腕一つで成り上がった平民出身の忠義の厚い男が深々と玉座に一礼する。
その姿を見て、玉座に座る人物は高らかに手を挙げ歓迎の意を示す。
玉座に腰掛けるのは金色の髪を持つ貴公子だ。
20代の若者と思える容姿に、円熟味のある気品が彼を年齢不詳たらしめる。
在位20年、およそ年齢の半分を王として生きる、国王――リェンツェ・ダイダロス・クーウェンツ・ローブルだ。
だが、その姿は親しい者にしか見せない弱気な態度が宿っている。
リェンツェにとって威厳ある王の姿は仮面だ。
人を動かすのに便利だからそうしているに過ぎない。
そして、その仮面を以前ならその仮面を24時間365日していても苦では無かった。
いや、外さざるを得ない事情があるというべきか。
今から行われるのは自分に関する粗探しのようなものなのだから。
リェンツェはノームに目くばせを送る。
――盗聴の気はあるか?
――返答が来る。盗聴の気無し、と。
これでこの部屋にはリェンツェとノームしかいないこと、そして誰も聞き耳を立てていないことが確定する。
今から行われるのは極秘中の極秘の話だ。
王家――いや、この国の命運が絡む話が行われる。
そして、この話は今は未だノームにしか話していない。
現在のローブル王国の臣下の大半が盲目的にリェンツェに従う者ばかりである。
それは統治者として見るなら非常に都合が良いが、愛国者として見るなら真逆だ。
今は主人に媚びず、主人の間違いを恐れずに指摘できる者の言葉が欲しい。
それができるノームにリェンツェは問う。
「この1ヶ月間、我が行動に不審なところはあったか?」
事情を知らない者が聞いた場合、佇まいに関してのことだと思うかもしれない。
身なりや姿勢、言動に代表されるボディランゲージというものは交渉に少なくない影響を与える。
その辺りを重視する者は多い。特に、竜人と言われる種族は。
勿論そんな誰にでも聞けるようなことをわざわざ人目を忍んで話したりはしない。
これはリェンツェ自身が王国を裏切るようなことをしていないかという、にわかには信じ難い問いかけだ。
自分で自分がコントロールできない。その間の記憶すらもない。
だからこそ、観察力に優れた忠臣に尋ねているのだ。
暫し考える間が生まれた。そして――。
「――私が把握している限りでは、何一つとして怪しい素振りは見受けられませんでした。いつもの聡明な判断をされる、リェンツェ国王陛下であったと強く認識しております」
ずーという音は衣服と椅子が擦れた音が響いた。
まるで糸が切れたように、腰かけていた椅子からリェンツェがずり落ちたのだ。
同時に、今までせき止めていた感情が濁流の如く溢れ出す。
気づけばリェンツェの目には大粒の涙が溢れていた。
無理もない。何をするにも敵の気配を疑い続けているのだ。
その対象が自分なのだから、心休まる暇なんてなかった。
頬を伝うしずくを隠そうと手のひらで顔を覆うが、生じた心の波紋はなかなか止まない。
ついには口から愚痴が漏れた。
「しかし難儀なものよ、自分の行動すらもろくに把握できぬとは……」
解決法を掲示してほしいわけではない。ただ誰にも話せない苦悩をわかってほしいだけだ。
それをよく理解しているノームは、リェンツェの感情の荒波が鎮まるのを黙って待ち続ける。
リェンツェの記憶の喪失は初めこそ単なる物忘れのようなものから始まった。
日増しに喪失する間隔が長くなるにつれ、本意から逸脱した行動が目立つようになる。
ノームが言ってくれなければ、きっと今でも気づかなかっただろう。水面下で内乱を画策をしている自分に。
その計画進んでいたら今頃国はどうなっていたか、想像したくはないが、考えないわけにもいかない。
一番恐ろしいのは、暴走した自分の命令がそのまま実行に移されることだ。
現にそれが起きかねない地盤が整っている。
リェンツェが王位に就いて20年、この国は非常に安定してきている。
一手一手に含みを持たせ、じっくり寝かせた後に、適切なタイミングで巨万の利益を生むようなことをリェンツェは幾度となく行ってきた。
それが自信となり、自分に意見する者を煩わしく思うようになる。
部下には自身の命令を素早く実行する人間ばかりを重用してきた。
単純にその方がしがらみ無く事が進むからという理由からだ。円滑化の一環として、その様な教育をしてきた側面もある。
盲目化を行い、円滑化をはかるということというべきか。
だが、それは指導者が適切な判断ができるという大前提があるから成り立っているだけ。
岩礁に乗り上げていても、リェンツェが進めといえば進むだろう危うさを孕んでいるのが、この国の内状だ。
若気の至り。いや、現にそのやり方によって今のローブル王国の発展があるのだから、間違っていたわけではないと今でも思う。
それがまさかこんな形になると誰が想像できたか?
どうしようもない思いを、時には口にしながら、時には意味の持たないうめき声に変換しながら、リェンツェは心が鎮まるまで泣き続けた。




