19話『王女の想い』
私は愛されている、とクラリスは思う。
ただ幸せかと問われたら、その答え濁さざるを得ない。
籠の中の鳥も同じ気持ちだろうか、そんなことを考えながら、風に運ばれ外へ向かう花弁に僅かな嫉妬を覚えた。
クラリス・ダイダロス・クーウェンツ・ローブルは、王女としての務めを除くと、外出の機会は無いに等しい。
3年前に母が死んでからというもの、クラリスには厳しい外出制限がかかっている。
その母は病死と聞かされてきたが、毒殺されたという説が浮上した。
もしそうだとするなら、父が過保護になって自分を外に出さない理由も理解できる。
城という名の鳥籠は、父なりの娘への愛情なのかもしれない。
クラリスにも伝えられていなかったその話は、銀色の髪を持つ初めての友だち――ジークから間接的にもたらされたもの。
信じ難い話の一部分――未来の父が話したというが、状況証拠と少女の勘が彼の話を真実だと告げている。
しかしその話を全て受け入れることはできない。
何故なら、父がこの美しい国を地獄へと変えるということを認めることになるからだ。
クラリスが生まれるよりもずっと昔から、王として国民のために働いてきた父が、そんなおぞましい事を企んでいるとは思いたくない。
勿論、受け入れなかったとはいえ、気になるのは事実。
それに、些細なことであるが、その兆候らしきものもあるような気がする。
母親が死んでから、父とはここ何年もまともな会話はない。
その偶にある会話ですら、以前とは違ってただの雑談のみ。
それに、父が自分を見る視線がどこかおかしい。実験動物を観察するような、そんな眼差しが混ざっている。
仕事だの、疲労だのを理由に暇さえあれば自室か書斎に篭っていることも増えた。
庭園の花と戯れながら、夢を語ってくれた優しく力強い父の姿はもう昔の話だ。
……ただ、それくらいしか異変はない。
娘への接し方がわからなくなった親。
王である以前に一人の人間なのだから、それは仕方がないことなのかもしれない。
妻が死んで心身に変化を起こしたのだとしたら、その範疇かもしれない。
それにもし父が国を滅ぼそうとしている話が本当なのだとしたら、その場合父はどうなるのだろうか?
――処刑。
脳裏を掠めたその言葉を、クラリスは首を振ってかき消した。
そうなればクラリスはいよいよ天涯孤独だ。10歳の少女にはとても耐えきれない。
……これ以上この話を考えるのはやめよう。
ただの現実逃避だ。これ以上は自分の心が押しつぶされそうな気がして。
妄想の種はさっきまでいた少年に移る。
王の騎士がノーム・バトラスなら、自分の騎士はノームの息子ということになるのだろうか。
運命ならざるものを感じるのは、果たして自分の考え過ぎか。
にしても、今日は本当に心の動く一日だったとクラリスは思う。
それを形容する言葉を少女は未だ知らないが、乙女心というのは複雑なもので、一度気に入った男子のことを盲目的に贔屓する反面、今以上に輝く姿も見たいと思う。
……彼なら、或いは自らの不和を晴らしてくれるかもしれない。
いや、流石にそこまでいくと他力本願も過ぎる。
クローゼにも、ジークにも丸投げ。それはただの無責任であり、わがままというもの。
たとえ彼の話が受け入れ難いものだとしても、自分が何もせずに傍観して良い理由にはならない。
実の父が疑われているのだ。心から無実を願うのなら、娘としてそれを示せるだけの証拠を集めてやればいいじゃないか。
籠の中の鳥だと言い聞かせて行動しないのは、ただの言い訳、真実を知るのが怖いだけだ。
あそこまで二人が自分のために動いてくれているのだから、自分にもできることをやろう。
籠の中の鳥でも……いや、籠の中の鳥だからこそできることがあるはずだ。
と、そんなことを考えていると聞き馴染みのある声が自分を呼ぶ。
「――クラリス様」
メイドのクローゼだ。
見慣れた彼女がいつもと違うように映るのは、先の騎士のような忠誠を見せられたせいだろう。
未だ気恥ずかしいさを感じるが、それはクローゼとて同じらしい。
自分を呼ぶ平坦な声に含まれる感情がそう告げている。
無表情に近いクローゼの鉄面皮も、何処となく恥じらいを帯びている気もする。
何を言うのか、とクラリスは身構えた。
さっきの忠誠の反芻だとしたらもう十分だ。あれは日に何度も聞いたら身が持たない。
ただでさえ刺激の少ない王城暮らしの少女には、激動の一日だったのだ。
これ以上は……色々な意味で心が保たない。
幸いなことにそれに関連した話だったが、心が悲鳴をあげるような話ではなかった。
「私はクラリス様に様々な秘事をしています。ただ、私は貴女様の味方であることは確かです。だから、どうか私を信じてください」
何を言い出すかと思えば、なんだそんなことか、とクラリスは笑う。
隠し事なんて皆している。
言い出したらキリが無いだろう。自分とて、王女の姿を隠して外出しているのだから。
それに、多少の秘事程度で崩れるような柔な関係ではない。
欺こうとはしていない、それだけで十分信じられる。
「お互い様よ!」
少女はメイドに心の底からの笑みを見せる。
愛されていることは幸せなことである。少なくとも今は素直にそう思う。




