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021_潮止めの石は黙っている

 港は、祭りの後片付けがまだ少し残っていた。

 昨日まで騒いでいた場所は、少し疲れた顔をしている。俺も似たようなものだ。


「で、どこへ行く」


 俺が聞くと、猫が歩き出した。


「猫任せですか?」


 ラウルが言った。


「人間任せより当たることがある」

「否定はしません」

「否定しろよ。人間代表として」


 猫は市場通りを抜け、港の端へ向かった。


 そこは普段、あまり人が来ない場所だ。古い倉庫の裏手。使われなくなった小さな船着き場。濡れた石段が海へ降りている。


 リンドルの港は、今使っている桟橋だけでできているわけじゃない。古い時代に使われ、今は忘れられた場所がいくつかある。

 町の連中は「危ないから近づくな」と言うが、子どもはそういう場所ほど覚える。大人になると忘れる。都合の悪い記憶だからだ。


 猫は、石段の脇にある丸い石の前で止まった。


 腰ほどの高さの石柱。表面は塩と苔で汚れている。よく見ると、波のような模様が薄く刻まれていた。


「これか」


 ラウルが近づく。


「潮止めの石ですね」

「また知らん言葉が出た」

「船着き場や倉庫を潮から守るため、港に置かれた目印です。魔導具というほどではありませんが、守りの印が刻まれていることがあります」

「また守りか」

「はい」

「この町、守られすぎじゃないか」

「それだけ海が怖かったのでしょう」


 それは、まあ、そうだ。

 海は魚をくれる。船を運ぶ。ついでに、何かを奪う。

 漁師たちが祭りで急に真面目な顔をした理由が、少しだけ分かる気がした。


 俺は石に触れないよう、近くにしゃがんだ。

 波模様の一部が欠けている。そこだけ新しい傷ではない。長い間、少しずつ削れて、最後にぽろりと欠けたような感じだ。


「箱の金具と同じ模様だな」

「はい。おそらく、同じ系統の潮除けです」

「で、箱とこれが鳴り合ってる?」

「可能性はあります」

「もっと断言してくれ。俺が不安になる」

「断言するには情報が足りません」

「正直で嫌だな」


 その時、港の方から声がした。


「レイ兄ちゃん!」


 トマだった。


 木の船を抱えて走ってくる。


「走るな。転ぶぞ」

「転ばないよ!」


 言った瞬間、少し滑った。


「ほらな」

「転んでない!」

「今のは未来の転倒への挨拶だ」


 トマは石段の下を指さした。


「さっき、船が勝手にあっちに流れたんだ」

「どこだ」

「古い船着き場の方」


 見ると、水面に小さな木片が浮いていた。祭りの飾りか何かだろう。それが、緩い波に逆らうように、石段の方へ寄ってきている。

 風は逆だ。


「ラウル」

「はい」

「これ、箱だけじゃないな」

「そうですね」


 トマが石段に近づこうとした。俺は首根っこを掴む。


「うわっ」

「落ちるな」

「落ちないって」

「落ちる奴はみんなそう言う」

「レイ兄ちゃんも?」

「俺は落ちる前に帰る」


 トマを後ろへ下がらせる。

 エドが見回りの途中でこちらに気づき、走ってきた。


「何かありましたか」

「子どもをこの辺に近づけるな」

「分かりました」

「あと、古い船着き場の方もだ。祭りの後で気が抜けてる時が一番危ない」

「はい」


 エドはすぐに動いた。


 新米にしては反応がいい。

 ガランが口うるさいのも、少しは役に立っているらしい。


 小箱はラウルが持ってきていた。

 布で包んだままだが、中からかすかに音がする。


 ちりん。


 潮止めの石が、ほんの少しだけ震えた。

 俺は額を押さえた。


「港全体で返事するの、やめてほしいな」

「今夜、満ち潮です」


 ラウルが言った。


「それは聞きたくなかった」

「潮が上がれば、反応が強まるかもしれません」

「もっと聞きたくなかった」


 猫が石の前で、低く鳴いた。俺は石を見た。


 欠けた波模様。

 鳴る小箱。

 祭りの鈴。

 潮の上がる夜。


 状況は少しずつ形になっている。

 そして、その形はだいたい面倒な方へ向いていた。

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