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020_箱の中身は軽くない

 小箱は、また鳴った。


 かたり。



 サイルの小箱は、食堂の真ん中のテーブルに置かれていた。


 古い木箱。

 波模様の金具。

 中には古い布が一枚。


 ただ、それだけのはずだった。


「やっぱり開けるのかい?」


 マーサが聞いた。


「開けたくはない」

「でも開ける顔だね」

「嫌な顔を見るのが上手くなったな、マーサ」

「何年、宿屋をやってると思ってるんだい」


 俺はラウルを見る。


「開けた瞬間に爆発したりしないよな」

「その可能性は低いです」

「低い、か」

「極めて低いです」

「少し良くなった」


 サイルは青い顔で立っていた。


「申し訳ありません。まさか、このような物だとは」

「古道具屋で買った箱が鳴るとは普通思わない。そこは気にするな」

「はい」

「ただ、次から古い物を買う時は、鳴るかどうか確認しろ」

「普通は鳴りません」

「普通はな」


 俺は小箱の金具に指をかけた。

 冷たい。海水に長く浸かった金属みたいな冷たさだ。


「開けるぞ」


 誰に言ったのか、自分でもよく分からない。金具を外す。



 かちり。



 小箱の蓋が少し浮いた。

 その瞬間、食堂の中に潮の匂いが広がった。


 港の匂いではない。

 もっと古い、濡れた木と、乾いた塩と、遠い海の匂い。


「……食堂で出していい匂いじゃないな」


 俺はゆっくり蓋を開けた。

 中には、サイルの言った通り、古い布が一枚入っていた。

 青とも灰色ともつかない布だ。端はほつれている。ところどころに白い塩の跡があり、四隅には小さな結び目がある。


 ラウルが身を乗り出した。


「これは、帰り布かもしれません」


「帰り布?」


「船乗りが無事に港へ戻ることを願って、船や荷に結んだ布です。港によって形は違いますが、四隅を結ぶものは記録にあります」

「また守りか」

「はい」

「守る道具、多すぎないか」

「人は危ない場所に行く時ほど、何かに守ってほしがります」

「まあ、それは分かる」


 俺は布に触れないよう、箱の中を覗いた。

 布の中央に、薄い染みがある。水の跡かと思ったが違う。文字だ。


 滲んで読みにくいが、四つの名前のようなものが書かれている。


「サイル、これを買った時、中まで見たんだよな」

「はい。ただ、名前までは気づきませんでした」

「まあ、普通は見ないな。俺も見たくなかった」


 布が、かすかに揺れた。風はない。


 ちりん。


 箱の中から、鈴の音がした。

 その瞬間、棚に置いてあった木の匙が、かたりと動いた。


「おい」


 匙は小箱の方ではなく、港の方へ向いて止まった。

 マーサが目を細める。


「今の、動いたね」

「見間違いということにしたい」

「無理だね」


 猫が棚から降りてきた。

 だが、小箱には近づかない。食堂の扉の前に行き、港の方を見ている。

 ラウルが言った。


「箱が何かを呼んでいるというより、港の何かに応じているのかもしれません」

「昨日も似たようなことを言ってたな」

「確信が少し増えました」

「嬉しくない成長だ」


 俺は小箱の蓋を閉めた。


 ちりん。


 音は弱くなった。


「で、どうする」


 マーサが聞いた。


「朝飯を食う」

「その前に?」

「港を見る」


 俺はため息をついた。


「ただ見るだけだ。触らない。直さない。働かない」


 ラウルが何か言いかけた。


「言うな」

「まだ何も」

「言う顔だった」


 俺は外套を取った。猫が扉の前で待っている。


「お前も来るのか」

「にゃ」

「来るなら自分で歩けよ。今日は抱かないぞ」


 猫は返事をしなかった。



 俺の朝飯は、完全に冷めていた。小箱より先に、俺の機嫌を誰か守ってほしい。

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