010_休業日は休めない
『本日休業。文句は明日』
マーサが店の扉に札をかけた。
銀の匙亭に休業日という概念があったらしい。
「休むのか?」
「掃除するんだよ」
「それは休みじゃないぞ」
「客を入れない日は休みだ」
「定義が強いな」
「レイ、物置を頼むよ」
「俺も休みたい」
「家賃」
「はい、マーサ様。物置の神と戦ってまいります」
「そういう時だけ丁寧だね」
銀の匙亭は新しい店ではない。
マーサが一人で切り盛りする前から、誰かが泊まり、誰かが飲み、誰かが忘れ物をしてきた。その結果が、この物置だ。
物置はひどかった。
割れた椅子。
使わない鍋。
誰のものか分からない靴。
用途不明の棒。
古い布。
たぶん忘れられた瓶。
宿屋の物置は、人間の記憶より信用できない。
ニナも手伝いに来ていた。
「これ、捨てていいですか?」
彼女が持っていたのは、小さな木彫りの鳥だった。
片翼が折れている。
マーサがそれを見て、少しだけ黙った。
「それは残しとくれ」
「大事な物か?」
「昔、亭主が作ったんだよ」
「旦那いたのか」
「いたよ。死んだけどね」
「……悪い」
「いいさ。だいぶ前だ」
マーサの亭主の話は、店ではあまり出ない。
ただ、古い常連は時々、酒が入った時にだけ「あの人は手先が器用だった」と言う。
マーサは木の鳥を受け取った。
「直せるかい」
「飛ばないぞ」
「飛ばなくていいよ。棚に戻せればいい」
俺は木の鳥を見た。
折れた面は古い。きれいに直しすぎると、そこだけ新しくなってしまう。
こういうものは、傷を消せばいいわけじゃない。
「少し歪むぞ」
「その方が、この子らしいよ」
「分かった。じゃあ、らしい感じで戻す」
片翼を合わせる。
古い傷と古い木目を、そのまま馴染ませる。
かちり。
木の鳥は、少し傾いた形で立った。
「ほい。飛べないが、立てる」
マーサはしばらく黙って、それを棚に置いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
こういう時にふざけるほど、俺も雑ではない。
夕方、掃除は終わった。
店は少しだけ広くなったように見えた。
ニナは埃まみれで、猫は勝手に一番いい椅子で寝ている。
「休業日って疲れますね」
ニナが言った。
「だから言った。休みじゃない」
「でも、こういう日もいいですね」
「掃除をいい日扱いできるのは才能だ。大事にしろ」
マーサが鍋を火にかけた。
「今日は店は休みだけど、飯は作るよ」
「それはいい休業日だな」
「手伝った分、少し多めにしてやるから」
「マーサ様、一生ついていきます」
「安い一生だねえ」
「飯つきならだいぶ高い」
俺は椅子に座った。
今日は魔物も出ない。遺物も出ない。ラウルも来ない。
ただ掃除をして、古い木の鳥を直して、飯を食う。たまには、そういう日があってもいい。
その時、裏口で猫が鳴いた。
「にゃ」
「なんだ」
見ると、猫が俺の靴の上に、どこかから拾ってきた小さな釘を置いていた。
「……仕事を持ってくるな」
「にゃ」
「分かった分かった。明日見る。今日は休業日だ」
マーサが笑った。
「猫にも休業日は分からないみたいだね」
「客より厄介だな。金を払わないぶん」
俺は釘をつまみ、棚の上に置いた。
休業日は、完全には休めない。
それでも、今日はまあ悪くなかった。




